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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

鉄の女たち

2012-04-23 | 映画
 この1カ月ほどの間に観たミュージカルと2本の映画について書いておきたい。
 まるで関連のないように思えたこれらの作品が記憶のなかで混ぜ合わされると、一本の筋が通るようにそれなりに意味を帯びてくるのが面白い。

 まず、3月中旬に天王洲銀河劇場で観たのが、ミュージカル「9時から5時まで」である。
 翻訳・訳詞は青井陽治、振付上島雪夫、演出は西川信廣。草刈民代、紫吹淳、友近の3人が大企業で働くOL役、石井一孝がセクハラ&パワハラ・パワー満載の上司役で出演している。
 この舞台のもとになったのが、1980年公開のアメリカ映画「9時から5時まで」(Nine to Five)で、コリン・ヒギンズが監督。ジェーン・フォンダ、リリー・トムリン、ドリー・パートンの演じる3人のOLが、日頃の仕打ちに腹を据えかねてボスに復讐しようとするブラック・コメディである。
 この映画をもとに、ドリー・パートン作詞・作曲でミュージカル化され、2007年のワークショップ、2008年のLAトライアウトを経て、ジョー・マンテロ演出で2009年4月7日よりブロードウェイのMarquis Theatreで初演された。私が観たのはそのミュージカルの日本での初演である。

 次に観たのが映画「マーガレット・サッチャー~鉄の女の涙」で、言うまでもなく、イギリス史上初の女性首相で、その強硬な性格と政治方針から「鉄の女」と呼ばれたマーガレット・サッチャーの半生をメリル・ストリープ主演で描いたドラマである。
 監督は「マンマ・ミーア!」のフィリダ・ロイド。マーガレットを支えた夫デニス役をジム・ブロードベントが演じている。
 第84回アカデミー賞ではストリープが主演女優賞を受賞、「クレイマー、クレイマー」(79)、「ソフィーの選択」(82)に続く3つ目のオスカー像を手にしたのは周知のとおり。

 そしてもう一つ、ごく最近になって観た映画が、「ヘルプ~心がつなぐストーリー」である。脚本・監督・製作総指揮:テイト・テイラー、原作:キャスリン・ストケット。オクタヴィア・スペンサーがアカデミー助演女優賞を受賞、ヴィオラ・デイヴィスが主演女優賞にノミネートされている。
 原作は2009年に発表された同名小説で、世に出るまで60もの出版社から断られたが、刊行されるや口コミが広がり、映画の高い評価もあって全米で1130万部突破、42か国で翻訳出版という異例のロング&ミリオンセラーになったという作品である。

 これらの3本に共通するものは何か……。
 まず、女性が主人公であること、そろって男性の影が薄いということ。そして、いずれも何らかの差別がテーマとして扱われているということ、と言ってよいだろう。
 「9時から5時まで」は、以前共演したことのあるTさんがアンサンブルで出ている縁で観に行ったのだが、実をいうと、この時代に30年以上も前の企業が舞台になった話をなぜやるのだろうと思ってしまった。紫吹淳はさすがに舞台女優としての実力を見せていたが、ほかの二人がはっきりいって期待外れだったこともあり、あえて記録しておこうという気にもならなかった。だいたい、今や女性たちは十分強くなって、こんなセクハラ上司退治の話など、もはやおとぎ話ではないのか……。
 まあ、これが男の浅はかさというか、鈍感さの証なのではあるけれど、3本の作品を通しで続けて観ると、ここに描かれた問題がまさに今も社会の根底に根を張って、決してなくなってはいないのだということに気づかされる。

 これら作品の背景となった年代や舞台を見ると、「ヘルプ」は1960年代初頭のアメリカ南部の田舎町であり、「9時から5時まで」は1970年代終わり頃のアメリカの大都会である。「サッチャー」は、それと同じ時代の1979年にイギリス初の女性首相となり、80年代をとおして「鉄の女」と呼ばれながら国を変えるため男社会の中で奮闘した。
 「ヘルプ」で描かれたその時代、特に保守的な地域の女性たちにとっては働きに出ることなど夢のまた夢であり、早く結婚して子供を産み、良妻賢母となることが最良の生き方だった。ほぼ同時代の英国に生きたマーガレットは、そうした生き方に反旗を翻し、父の影響もあって政治家を志し、社会的な階層差別や女性蔑視の世界を戦い抜く。
 改めてそうした視点から見直すと、「9時から5時まで」は時代錯誤の作品などではなく、そうした女たちの戦いを鼓舞し、自分よがりな男どもを笑いのめした痛快な作品なのである。

 「ヘルプ」は、黒人差別という視点を基点としながら、彼らを差別する者が差別される者でもあり、差別される者がさらに弱い立場にいる者を差別し搾取するという現実をも描いている。
 それを観たあとの印象が思いのほか爽やかであるのは、作劇の妙だろうか、あるいは時代を経て、差別への抵抗や戦いの成果が少しは実りつつあることの証左なのだろうか。

 「マーガレット・サッチャー」では、今の日本の何も決められない政治状況を嘲るように強烈なリーダーシップを持った女性政治家の姿が描かれるが、同時にその危うさをもしっかり描きこんでいる。絶対の強者は存在せず、絶対の正義もあり得ないのだろう。
 それにしても「鉄の女の涙」という邦題は疑問である。「涙」はいただけない。