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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

中島敦体験

2009-05-10 | 読書
 5月5日は作家・中島敦の100回目の誕生日であった。そんなことでこの数日は中島敦の小説を読んで過ごすことにする。
 
 それにしても今年は生誕100年を迎える作家のなんと多いことか。
 その人の没年や活躍した時代によって、その印象はまるで異なるのだが・・・。
 第一、松本清張と太宰治が同年生まれとはまるで信じがたい。太宰が死んだ年には松本清張はまだデビューもしていなかったのだし、彼の社会派ミステリーは今も繰り返し映画やテレビドラマになっているから、今の私たちにとっては同時代の作家という感がより強いのだ。
 一方の太宰もいまだに若い読者に読まれ続けている。2、3年前、文庫のカバーを人気イラストレーターが描いた「人間失格」が大きく売上げを伸ばしたことが話題になっていたが、青春期に罹る「はしか」のような「体験」としての太宰はいまも健在である。その太宰作品も今年映画化されるようだ。
 大岡昇平も同年生まれだが、スタンダールの研究者・翻訳者であり、大江健三郎らの師匠格にあたる純文学の大家はまた別格である。
 先日話題にした指揮者のカラヤンは彼らより1歳年長なのだが、彼の場合も20年前に亡くなっているとはいえ、いまだにCDやDVDが店頭に並んで、数年前には「アダージョ・カラヤン」のシリーズがヒットしたから同時代の人という感じがする。

 それに引き換え、中島敦は戦争中の昭和17年に33歳の若さで急逝しており、作品数も多くはないから、遠い過去の作家として一般に馴染みは薄いようである。
 せいぜい高校の教科書で「山月記」や「名人伝」を読んだことがあるという程度の印象であろう。

 しかし、あらためてその作品を読んでみると、まさに目を瞠るような才能だったのだと驚嘆せざるを得ない。
 私もよい読者ではなく、恥ずかしながら今回初めて目を通す作品が多いのだが、まさに現代文学として今も不滅の輝きを放っていると確信した。
 「ちくま日本の文学」の中で池澤夏樹も解説に書いているけれど、「文字禍」をはじめ「狐憑」「木乃伊」などの短編群はアルゼンチンの作家ボルヘスの作品と通低しているようにさえ思える。
 「文字禍」を読みながら、知的な文体によって構築された世界の素晴らしさ・奇妙さ・面白さに私は胸がどきどきして涙が出そうになった。
 これはこのまま、たとえば寺山修司の舞台作品のモチーフになるではないか。(私が無知なだけですでに寺山ワールドでは周知のことなのかも知れないが)

 昭和17年、イギリスの作家スティヴンスンの死を主題とした彼の小説「光と風と夢」は第15回芥川賞候補にあげられたが、ほとんどの選考委員は「奇を衒う面白味はあるが到底芥川賞に値する作品とは思われぬ」と冷ややかな反応であったという。
 そんななか、さすがに川端康成だけは「芥川賞に価ひしないとは、私には信じられない」と書いている。中島の友人であった作家の深田久彌は後に「戦争騒ぎで選考委員たちの頭がどうかしていたのだろう」と言い、吉田健一は「こういう新しい形式の文学を受け入れる地盤が当時の文壇にはまだなかったのだ」と言っている。

 まさに時代が追いついていなかったのだ。