ロック探偵のMY GENERATION

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ポール・マッカートニーの名曲を振り返る+α

2021-12-22 16:41:30 | 過去記事

Paul McCartney, Here Today

 今日は12月8日。 ジョン・レノンの命日です。 この日付に合わせて、一昨年はジョン作の曲である Strawberry Fields Forever について書きました。今年は、ジ......


過去記事です。


ポール・マッカートニーがジョン・レノンを追悼して作った歌 Here Today について書いています。


今月はジョン・レノン特集という記事を書きましたが……ポールは、ジョンにとって唯一無二の友でありライバル。ということで、ジョン・レノン特集に倣って、今回はポール・マッカートニーについても動画特集をやってみようと思います。


まずは、元記事で紹介した Here Today が収録されているアルバム Tug of Warから、そのタイトル曲。


Paul McCartney 'Tug of War (Remix 2015)'


マイク・ネスミス死去の記事で different drum という言葉を紹介しましたが、Tug of War の歌詞にもその言葉が引用されています。



クリスマスも近いということで、Wonderful Christmastime。
ポールの代表曲の一つでしょう。


Paul McCartney - Wonderful Christmastime



2012年、ロンドン五輪閉会式での「ヘイ・ジュード」。


ポール・マッカートニー - HEY JUDE(ロンドン2012ライブ) | Music Monday



ここから、他のアーティストとの共演を。
ポール・マッカートニー御大ともなれば、共演するアーティストも豪華絢爛です。


まず、大御所のマッチアップといったらこれ以上はないであろう、マイケル・ジャクソンとコラボした Say Say Say。


Paul McCartney and Michael Jackson 'Say Say Say [2015 Remix]'



次に、こちらも決して負けてはいない豪華メンバーが集結した「ロケストラ」。
ロック+オーケストラ=ロケストラです。
ベースにジョンジー、ドラムにボンゾというツェッペリンのリズム隊。これだけでも豪華ですが、それだけではありません。
フーのピート・タウンゼント、ピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモア、プロコル・ハルムのゲイリー・ブルッカー……錚々たるメンツです。


'Rockestra Theme' - PaulMcCartney.com Track of the Week


ロックンロール栄誉の殿堂において、Let It Be。
エリック・クラプトンなどが参加。最初のほうはビリー・ジョエルが歌っています。背後にボノやブルース・スプリングスティーンの姿もみえますが、なぜか歌いはしません。

Paul McCartney, Eric Clapton, Bono and others -- "Let It Be"


ブルース・スプリングスティーンの名前が出てきたことろで……リトル・スティーブンことスティーヴン・ヴァン・ザントのライブにひょっこり現れるポール・マッカートニー。
曲は、I Saw Her Standing There。
ファーストアルバムの一曲目。ビートルズ伝説の幕開けともいえる一曲です。


I Saw Her Standing There (Live at Roundhouse, London, England / 2017)


Cosmically Conscious。
2009年にニューヨークで行われたチャリティコンサートの動画。
ここでは、リンゴ・スターがドラムを叩いています。ステージ上には、パール・ジャムのエディ・ヴェダーや、モービー、ドノヴァン、シェリル・クロウといった老若男女のビッグスターが。かつてのライブ・エイドでもそうでしたが、ポールがチャリティ・コンサートのようなものに参加すると、こんなふうになるわけです。

Cosmically Conscious (Change Begins Within)


ライブエイドの話が出てきたので、その動画を。
曲は、重複になってしまいますがLet It Beです。
後半ステージに出てきて一緒に歌っているのは、アリソン・モイエ、ピート・タウンゼント、デヴィッド・ボウイ、そしてライブエイド発起人の一人であるボブ・ゲルドフ。これも、超豪華メンバーといっていいでしょう。

Paul McCartney - Let It Be (Live Aid 1985)



このブログではライブエイドの話がちょくちょく出てきますが……その20年後には、ライブ8というものも行われました。
両方に出演したアーティストはそう多くありませんが、ポール・マッカートニーはその一人。
ということで、ここからライブ8の動画も紹介しましょう。曲は、いずれもビートルズ時代のものです。

まずは、ジョージ・マイケルとともに Drive My Car。
Beep-beep, beep-beep, yeah! というフレーズは、さまざまなアーティストに引用されてきました。

Paul McCartney / George Michael - Drive My Car (Live 8 2005)


U2とともに、サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド。
ここでも、ボノはあまり前面に出てきません。大御所を前にして一歩引いてるということでしょうか……

Paul McCartney / U2 - Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band (Live 8 2005)


ここからは、ライブ8のポール単独での歌を。

Get Back。
ゲットバック・セッションは、「もとの場所に戻ろう」という試みでした。
曲調がいかにもなオールドロックンロールなのも、そういうことでしょう。
しかし、その試みは失敗。このセッションから生まれたアルバムは「もとに戻ろう」ではなく Let It Be「あるがままに」となったのでした。

Paul McCartney - Get Back (Live 8 2005)


ビートルズのロック系ナンバーの中で屈指の名曲「ヘルター・スケルター」。
そういえば、U2もカバーしていました。

Paul McCartney - Helter Skelter (Live 8 2005)


そしてフィナーレは、The Long And Winding Road から Hey Jude へ。
最後は、ライブ8出演アーティストがステージに集まっての大合唱……と、やっぱりこうなるわけです。

Paul McCartney Finale - The Long And Winding Road / Hey Jude (Live 8 2005)


ライブ8は、かつてのライブエイドと同様チャリティコンサート。
ポール・マッカートニーという人には、そういうところがあるのです。ビートルズ時代にはあまりそういった歌を作らないようプロデューサーサイドからいわれていましたが、ソロではかなりストレートなメッセージソングを歌っています。
ここからは、それらのいくつかを紹介しましょう。

Give Ireland Back to the Irish。
「アイルランドをアイルランド人に返せ」というストレートな歌。
いわゆる「血の日曜日」事件を題材にしたもので、ジョン・レノンもこの事件に関する歌を歌っています。

Give Ireland Back To The Irish

U2も、この事件を題材にした歌を歌っています。
U2はアイルランド出身であり、いうなれば当事者。このあたりから、ポール・マッカートニーとのシンパシーも生まれてくるわけでしょうか。


Calico Skies。
これは反戦歌といえるでしょう。

Calico Skies

このオーディオに使われている画像は、HOPEというコンピレーションアルバムのジャケット。
以前どこかで紹介したと思いますが、2003年、戦火が迫るイラクの子どもたちを支援する目的で制作されたアルバムです。参加アーティストの多くは他のアーティストの曲をカバーしていますが、ポールは自身の歌で参加しました。


All My Trials。
これはトラディショナルで、ピーター、ポール&マリーなんかも歌っていました。エルヴィス・プレスリーも「アメリカの祈り」のなかでとりあげています。直接的に社会派というような歌詞ではないんですが、なにかそういうことを感じさせる歌でしょう。
映像の中にストロベリー・フィールズがちらりと出てくるのも泣かせる演出です。

All My Trials



ここからは、他のアーティストたちによるポール・マッカートニーのカバーを。

まずは、デイヴ・グロールとノラ・ジョーンズによる Maybe I'm Amazed。

Dave Grohl and Norah Jones - Maybe I'm Amazed (Paul McCartney Tribute) - 2010 Kennedy Center Honors


エアロスミスのスティーヴン・タイラーによる『アビーロード』B面メドレー。やはり「ゴールデンスランバー」がハイライトでしょうか。

Abbey Road Medley (Paul McCartney Tribute) - Steven Tyler - 2010 Kennedy Center Honors


ガンズ&ローゼズによる「死ぬのは奴らだ」。
オリジナルは、映画007のテーマとしても使用された曲。

Guns N' Roses - Live And Let Die (Live)

正直、私はあまりガンズのいいリスナーではないんですが……しかし、こうしてポールのカバーを並べてみると、なにか共通する傾向が見えてくるようでもあります。カート・コバーンがガンズ嫌いを公言していたのは有名ですが、デイヴ・グロールはそういう方向性もありという感じで……案外、ポールもそうなのかもしれません。



ここからは、カバーというのとはまたちょっと違いますが……最近、他のアーティストがポールの最新アルバムに収録された曲をとりあげてアレンジしたアルバム Paul McCartney Ⅲ imagined というものが出されています。
その中からいくつかの曲を。ちなみに、参加アーティストの人選はポール・マッカートニー自身によるということです。

まずはBECK。

Paul McCartney, Beck - Find My Way


そして、Massive Attack の3D によるリミックス。

Paul McCartney, 3D RDN - Deep Deep Feeling (3D RDN Remix / Visualizer)

3Dは、バンクシーの正体ではないかと目される人の一人です。


続いて、ブラーのデーモン・アルバーンによるリミックス。

Paul McCartney, Damon Albarn - Long Tailed Winter Bird (Damon Albarn Remix / Visualizer)

ここに挙げた三者は、これはこれで共通する傾向があるように思えます。もし3Dがバンクシーだとしたら、ブラーとのつながりはより強いということにもなるでしょう。
そして、その方向性は、その前の三組とは真逆のように思えます。
このあたりがつまり、ポール・マッカートニーという器の大きさとか、懐の深さとか、そういうことなんでしょう。
このアルバムには、クルアンビンとかセイント・ヴィンセントといった(私からすれば)かなり新しめのアーティストも参加していて、ポール・マッカートニーという人がいまのポピュラー音楽業界において親分的な存在であることをうかがわせます。




伊勢正三「俺たちの詩」

2021-12-19 20:48:44 | 音楽批評


今回は、ひさびさに音楽記事です。

ちょっと前に、このブログの記事で伊勢正三さんの「レミングの街」という歌を紹介しました。
その際にYoutubeがサジェストしてくる伊勢さんの歌をいくつか聴いてみたんですが……なかなか新鮮な驚きがありました。

伊勢正三さんの書く歌詞は、短編小説のようなストーリーを背景にもつ失恋ソングというイメージがあったんですが、結構古き良き社会派フォークソングのような歌も歌っておられるようです。「レミングの街」は例外的な歌かと思ってたんですが、どうもそうともいえないようで……
たとえば、「メガロポリスの錯覚」。

メガロポリスの錯覚 (1994渋谷公会堂)

そして、記事タイトルにかかげた「俺たちの詩」……この歌なんか、ちょっと吉田拓郎さんっぽくないでしょうか。

【LIVE】2021.7.11 ISE SHOZO LIVE 2021 「ほんの短い夏」「俺たちの詩」

動画は、今年のライブから。
いまなお現役でこういう歌を歌っておられるというのは、すごいことです。
「メガロポリスの錯覚」では、聴衆にむかって「フォークシンガーの真髄をみせてやろうじゃないか」といってますが、これはまさに、およそ半世紀フォークシンガーをやってきたという矜持をもってはじめていえることでしょう。
伊勢正三さんは「フォーク→ニューミュージック」という流れに大きく貢献したミュージシャンの一人だと思いますが、やはりその音楽的地層のなかにフォークはしっかり底流として流れていて、ニューミュージックというものが時間の経過で相対化されていったときに、フォークというものがまた存在感を増してきたのかとも思えます。



最後にもう一つ。
先日作詞家の喜多條忠さんが亡くなりましたが、伊勢正三さんの公式Youtubeチャンネルが喜多條さんを偲ぶ動画を公開しています。
喜多條さんがライブにきて、ステージ上に姿をみせた際の動画です。

【LIVE映像】喜多條さんを偲んで「星空」伊勢正三 LIVE2007 尾白の森•名水公園

喜多條忠さんといえば、伊勢正三さんが在籍したかぐや姫のビッグヒット「神田川」の作詞者。
まさに、本邦ポピュラーミュージックの地層に刻まれた記念碑のような歌……またひとつ、時代がその車輪を回転させたということでしょうか。



ゴキブリの王国 ~国土交通省基幹統計‟書き換え”問題

2021-12-17 21:20:51 | 時事
基幹統計の‟書き換え”という問題が発覚しました。

国土交通省が、建設業の受注実態を表す「建設工事受注動態統計」で、業者が提出する調査票を書き換えていたのです。国会でもとりあげられ、国はこの問題を認めています。報道によれば、書き換えは遅くとも2010年代前半から行われていたということです。


思い返せば、ここ数年、文書やデータの改ざんという問題はいくつかありました。

たとえば、2019年に発覚した、厚労省の不適切な統計というのがあります。
このとき、「漫然と踏襲」という言葉がクローズアップされましたが、この言葉のもつ官僚主義的な薄気味悪さに背筋が凍るような思いがしたものです。

また、文書改ざんという問題でいえば、忘れてならないのは森友問題です。

その問題に関して、私はこのブログで次のように書きました。


《巷では、文書の“書き換え”なんて大した問題じゃないという人もいるようですが……繰り返しいってきたとおり、私にはそうは思えません。

この問題がたいしたことじゃないという人は、2つのことを見落としていると思います。

一つは、もしこの問題がうやむやにされたら、将来もっと頻繁に似たようなことが行われ、“書き換え”の範囲も拡大していくというおそれです。
「これやって大丈夫だったんだから、これも大丈夫だろう」といって、どんどん“書き換え”の領域が拡大していく……極端なことをいえば、経済に関する統計や、選挙の結果さえ信用できなくなるかもしれないのです。

二つ目は、将来の話ではなく、現にいま同じようなことがあちこちで起きているのではないかということ。
ハインリヒの法則にしたがえば、一件の改ざんの背後には、発覚していない30件ぐらいの改ざんがあり、さらにその背後には300件ぐらいのきわどいケースがあるかもしれません。
もっと卑近な例で考えると、「ゴキブリを一匹見かけたら、その家には30匹はゴキブリがいると思っていい」というやつですね。

最近、加計学園問題のほうでもいろいろな疑惑が取りざたされていますが、じつは加計に関しても、少なくなとも一件、文書の“書き換え”が明らかになった事例があります。

問題になったのは、2015年の6月に開催された政府の「国家戦略特区ワーキンググループ」という会合です。
この会合には加計側の幹部も同席していたのですが、公表された議事要旨にはその記載がありませんでした。また、公開するかどうかをめぐるやりとりで、実際の発言と議事要旨の内容に食い違いがあることもあきらかになっています。
この件も、野党は「改ざんではないか」と追及したのですが、「通常の扱いである」とか「内容を調整した」といった言い方でうやむやにされてしまいました。

冒頭の一部が“調整”されたぐらいは大したことじゃないのかもしれません。
しかし、それが一匹のゴキブリだとしたらどうでしょう?

今回、森友に関する文書改ざんもあきらかになったわけですが……ほかにも、自衛隊の日報問題や、厚生労働省の不適切なデータ問題もありました。もしかしたらその背後に何十倍もの、改ざん、隠蔽(そういう言い方が悪いのなら、“書き換え”や“内容の調整”、“データがあることをうっかり忘れていた例”と言い換えてもいいでしょう)が隠れているのではないか……そう考えるのは、決して飛躍した想像ではないでしょう。天井裏はゴキブリたちの王国になっているかもしれないのです。》


今回の件は、まさに“ゴキブリの王国”がその片鱗を垣間見せたということなんじゃないでしょうか。

この記事で書いたように、やはりゴキブリは一匹だけではなかったと。となれば、ほかにももっとウヨウヨいるのでは……と考えてしまいます。

森友問題では、つい先日、これに関する訴訟で「認諾」という驚きの動きがありました。

政府側が、原告の訴えをそのまま認めて賠償金を払うことで裁判を終結させようというのです。そなんにも真相を明らかにされたくないのか。そんなにも真実が怖いのか……という話です。

真実を隠さなければやっていけないような国家にどんな未来があるでしょうか。
隠蔽や改ざんにまみれてしまった今の日本の姿に、失望を禁じ得ません。

『昭和天皇が語る 開戦への道』

2021-12-14 21:25:23 | 日記



ETV特集『昭和天皇が語る 開戦への道』を見ました。

最近いろんな「〇周年」の話を書いてきましたが、今年は太平洋戦争開戦80周年でもあったんですね。それにあわせてということか、2週にわたって開戦への経緯をたどる番組となっていました。もっとも、私がみたのは後編のみで、しかも途中からだったんですが……

だいぶ前に同じくETV特集で『昭和天皇は何を語ったのか~初公開“拝謁記”に迫る~』という番組がありましたが、今回の番組はそのときの再現ドラマなども使われていました。そこに加えて、今年公開された百武三郎侍従長の日記という新資料をもとに、日米開戦にいたる過程を描いています。

南部仏印進駐、三国同盟、ハル・ノート……

真珠湾攻撃への道筋をみていると、あらためて、安全保障ということについて考えさせられます。
防衛費の増加や日米安保、敵基地先制攻撃論などといったことが近頃ホットな話題ですが、果たしてそれらが本当に国家の安全保障に資するのかという問いです。
太平洋戦争の歴史を教訓とするならば、答えは否定的なものにならざるをえません。
多いときには国家予算の8割を軍事費に注ぎ込み、ブイブイいわせている国と軍事同盟を結び、敵基地を先制攻撃し……それでも日本は戦争に負けて焼け野原となりました。そういったことは、安全の保障にはならない、まあ、控えめにいっても、確実な手段とは言えないのです。

では、もっとよい安全保障とはなにか。

そのこたえも、今回の番組にあったと思います。

番組の中で、昭和天皇が全体主義政治について語っている場面がありました。

ドイツやイタリアのような全体主義国家はものごとを早く進められる、一方で、民主主義、自由主義のやり方ではなかなか物事を進められない、これは難しい問題だ――といったようなことを昭和天皇が語っています。

なるほど、その時点では難しい問題に見えたかもしれません。
しかし、それから80年が経ったいま、もはやこれは難しい問題ではありません。答えははっきりしています。ドイツもイタリアもソ連も、全体主義国家はボロボロになって崩壊しました。全体主義はダメなのです。全体主義は、国民を幸福にしないし、国家の安全も保障できない。国家の安全を保障したければ、国が全体主義化することはなんとしても阻止しなければならないのです。

その点で、番組の最後に紹介されていた昭和天皇と田島道治(初代宮内庁長官)の対話は重要です。
全体主義化は、その兆候がみえたときに、芽のうちに摘み取っておかなければならない。そうしないと、勢いが勢いを作り出し、その勢いに流されてとんでもない方向に進んでいってしまう……
真珠湾攻撃という「敵基地先制攻撃」から80年を経たいま、その歴史が与える教訓をかみしめたいところです。



マイク・ネスミス死去

2021-12-11 20:49:56 | 日記


モンキーズのマイク・ネスミスが死去したというニュースがありました。

78歳。

これで、モンキーズのメンバーで存命なのはピーター・ドレンツ一人ということになりました。

モンキーズについては、このブログで何度か書いてきました。
メディア戦略によってつくられたアイドル的な存在という部分は否めないものの、たしかにロックの一時代を象徴するグループではあったでしょう。



アイドル的立ち位置とはいえ、モンキーズのメンバーはみずから曲をつくってもいました。
マイク・ネスミスが作った曲、「悲しきロックビート」の動画を。
歌っているのは、リンダ・ロンシュタットです。

Stone Poneys - Different Drum (Live)

この曲の原題は Different Drum ですが、これはソローの『森の生活』からとったものと思われます。
有名な言葉で、同じ句を、たとえばジャクソン・ブラウンも自身の曲に使いました。
ジャクソン・ブラウンはアメリカ西海岸の後輩であり、モンキーズのピーター・トークなどとは親しかったようです。そのウェストコースト人脈には、先の動画に出ていたリンダ・ロンシュタットがいて、そこからイーグルスなんかにもつながってくるわけで……そうした音楽的血脈のなかで受け継がれていくスピリッツがあるわけでしょう。


もう一曲、モンキーズの動画を。
クリスマスも近いということで、クリスマススタンダードの The Christmas Song です。

The Monkees - The Christmas Song (Official Music Video)