今日11月11日は、“ベースの日”です。
数字の1111という並びを、ベースの四本弦に見立てて……ということで。
先月の“ドラムの日”にはドラマー列伝をやりましたが、それにならって、今回はベーシスト列伝をやってみようと思います。
先月のドラマー列伝では、時代もジャンルもバラバラでいささかまとまりがない感じになってしまったので、今回は範囲を限定。アメリカ西海岸――のなかでも、さらに狭義のウェストコーストに絞り、カリフォルニア近辺をホームグラウンドとするベーシストたちをチョイスしてみました。
ドラマー列伝にならって、動画をつけていますが……ただし、最後の二人に関しては、本人が出ている動画を探し出すことができなかったので、動画は割愛しています。
ティモシー・B・シュミット
やはり最初はイーグルス……ということで、イーグルスのベース。イーグルスは、歴代3人のベーシストがいるが、その最後の人。ポコの活動でも知られる。
リードボーカルをとることもあり、その柔らかいハイトーンボイスが特徴である。ティモシーのボーカルは、イーグルスにそれまでなかったフィーリングを吹き込んだといえるだろう。イーグルスで彼が歌う曲は、AOR的な意味合いでの名曲という印象。
動画は、ソロでの曲。
Timothy B. Schmit - Was It Just The Moonlight
リランド・スクラー
セッション・ミュージシャン。
イーグルスと並んでウェストコーストを代表するアーティストであるジャクソン・ブラウンともよく一緒に仕事をしていて、ジャクソンが「ロックバンドのツアー」というコンセプトのアルバム『孤独のランナー』(Running on Empty)のためにバンドを編成したときにもベースをつとめた。
本邦のユーミンこと松任谷由実もそのサウンドを高く評価していて、自身の作品に彼を起用したことがある。
動画(ではないけれど……)は、ジャクソン・ブラウン最初期の代表曲 Doctor My Eyes。リランド・スクラーがベースで参加している。
Doctor My Eyes
マイク・ポーカロ
TOTOのベーシスト。バンドメンバー中3人を占めるポーカロ三兄弟の次男。
TOTOもまたウェストコーストを代表するバンドの一つで、そのメンバーはジャクソン・ブラウンのレコーディングなどにもよく参加している。ただし、マイク・ポーカロは途中からの参加で、自身が作曲した楽曲もあまりないようで、いまひとつ存在感は薄い……
晩年にはALS(筋萎縮性側索硬化症)を患い、バンド活動停止を余儀なくされた。その後任としてベースでツアーに参加していたのが、前項のリランド・スクラーである。
ALSは、近年この病気を患う国会議員の誕生もあって広く知られるようになったが、前身の随意筋が麻痺していく難病で、ミュージシャンにとっては致命的。治療法もないため、手指の筋肉が麻痺した時点で弦楽器奏者としての道は絶たれてしまう。結局マイクは、2015年に死去した。
Toto - I'll Be Over You (Live At Montreux 1991) [Official Video]
ステュ・クック
CCRのベーシスト。
CCRは音楽的には南東部を志向しているものの、地理的に西海岸のバンドとみなしうるだろう。
徹頭徹尾ジョン・フォガティのワンマンバンドであったため、ジョン以外のメンバーのことはあまり知られておらず、ステュもまた、影の薄いベーシストになってしまっている。なにかしら情報を得ようとウィキで調べてみても、日本語版ではそもそも彼についてのページが存在しないという存在感の希薄……ただ、英語版にはどうにか項目が立てられていて、それによれば、彼はビル・ワイマンがローリング・ストーンズを脱退した後、その後任としてオーディションに挑んだのだという。しかし、結局ストーンズが正規のベーシストを加入させることはなく……ステュ・クックは、どこまでも日の当たらないベーシストであった。
曲は、CCRのLong As I Can See the Light。
Creedence Clearwater Revival - Long As I Can See The Light (Lyric Video)
フィル・レッシュ
グレイトフル・デッドのベース。
グレイトフル・デッドは、サイケデリック期のサンフランシスコを代表するバンドで、そのベーシストであるフィルは、ジャック・ブルースやジョン・エントウィッスルらと並んでベースの革新者とされている。「ロック革命とはベース革命である」とこのブログでは何度かいってきたが、米ロックにおいてそれを体現した人物としてフィル・レッシュは記憶されるべきかもしれない(ジャック・ブルースとジョン・エントウィッスルはいずれもイギリスのミュージシャン)。
デッドといえばジェリー・ガルシアの延々と続くギターインプロヴィゼーションが有名だが、それもフィルの即興ベースが下支えになってこそ成立するもの。そういう意味では、グレイトフル・デッドというバンドのサウンドをまさに縁の下(よりはもうちょっと表に出たところ?)で支えていたといえる。
その淵源には、深い音楽的素養がある。
デッドと並んでサンフランシスコサウンドを代表するバンドにジェファソン・エアプレインがある。そのジェファソンで一時ベースを弾いていたジャック・キャサディもまた、ベースの革新者といわれるが、キャサディとフィル・レッシュに共通するのは、もともとベーシストとして出発したのではないこと。ジャック・キャサディはもともとギタリストであり、フィルはなんとトランペット奏者だった。こういう他の楽器で培ったセンスで、単にベース音を追うだけでない自由なベースラインを創造していったことが、ベース革命なのである。
動画は、ドナ・ジーン在籍時のライブ。
Grateful Dead - Scarlet Begonias (Winterland 10/19/74) (Official Live Video)
ブライアン・ウィルソン
ビーチボーイズの人。バンドメンバー中3人を占めるウィルソン三兄弟の長男。
ビーチボーイズは、レコーディングにはスタジオミュージシャンを起用することも多かったが、一応メンバー内で楽器の担当があり、ブライアンはベースだった。
曲作りの才能に関しては定評があり、何種類もの楽器を使う複雑な楽曲の構成を脳内だけで完璧に組み立てることができたともいう。そうしてボイシングを構築できるということによって、あえてルート音を使わないベースラインを導き出せるのかもしれない。そういう意味では、ベース革命の担い手の一人といえる。
しかし、その演奏技術に関しては疑問視するむきも。
あるとき尊敬するフィル・スペクターの前でベースを弾いたところ、お前は二度とベースを弾くなといわれたという逸話がある。これは純粋にブライアンの技術の問題なのか、あるいはフィル・スペクターの人格の問題なのか……ただ、スタジオミュージシャンを多用したことからも示唆されるように、本人の演奏技術はそれほどのものではないというのが一般的な評価と思われる。
ベースの腕はさておき、ブライアン・ウィルソンは、その内省的な一面がビーチボーイズに与えた陰翳においても記憶されるべきだろう。
それはバンドをむしろ斜陽の方向に向かわせたようにも思われるが、その過程で名盤と名高い『ペットサウンズ』を生み出しもした。ロックにおける過去と現在のせめぎあいの中で、その亀裂からひねり出された奇跡のような作品……しかし、ビーチボーイズそのものは過去の地層に引きずり込まれ、ブライアンの才能は埋もれていくことに。
動画は、ビーチボーイズがかのライブエイドに参加した際の、Good Vibrations。転換期の名作とされる曲。ブライアンも張り切っているけれど、この動画だとたしかに演奏はかなり微妙……
The Beach Boys - Good Vibrations (Live Aid 1985)
フリー
レッド・ホット・チリ・ペッパーズのベース。
ベーシストとして高く評価されていて、ベーシストランキングのような企画をやると必ず上位に食い込んでくる。
レディオヘッドのトム・ヨークとともに結成した
Atoms for Peace
など、レッチリ以外でも活動。トム・ヨークとともに活動しているということは、彼が最先端のミュージシャンであることの証といえよう。
動画は、Atoms for Peace の一員として来日し、フジロックに出演した際のもの。
Atoms For Peace - Cymbal Rush [Live from Fuji Rock 2010]
ロイ・エストラーダ
フランク・ザッパのバックバンド、マザーズ・オブ・インベンションのベース。また、その脱退後、同時期にマザーズを離れたローウェル・ジョージらとともにリトルフィートを結成、そのベースをつとめたこともある。いずれも、どちらかといえば通好み、ミュージシャンズ・ミュージシャン的なところがあるバンドといえるだろう。さらにはキャプテン・ビーフハートとの活動などもあり、なかなか重要なポイントをついているベーシストである。
ただし、小児性愛の傾向があり、児童への性的虐待容疑で司直の手にかかったことが複数回。そのため、現在ではもう音楽活動への復帰は絶望視されているとか。まあ、あまり大っぴらには語られないものの、その類の話は旧世代のロックミュージシャンには結構よくあるのだが……
キラ・ロゼラー
ハードコアの伝説BLACK FLAG のベーシスト。ブラックフラッグは結構人の出入りが激しくベースも何人かいるが、そのなかでキラは、女性ベーシストという点で注目される。ブラック・フラッグ加入時は学生だったとか。学業があるためにスケジュール調整が難しく、そのことがメンバー間の軋轢につながったともいう。
ブラックフラッグ脱退後は、ベース二人組という奇妙な構成のユニット
dos を結成(キラはボーカル兼ベース。ユニット名のdos
とは、スペイン語で数字の「2」の意味)。
いかがだったでしょうか。
やはり続けていけばきりがないので、今回はこのあたりで……
気が向いたら、また別の時代、別の地域にフォーカスした列伝をやろうと思います。