ロック探偵のMY GENERATION

ミステリー作家(?)が、作品の内容や活動を紹介。
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守屋浩「僕は泣いちっち」

2020-11-20 19:04:30 | 音楽批評





今回は、音楽記事です。


先日このブログで、音楽批評記事として、美空ひばりの「一本の鉛筆」という歌を紹介しました。


これと似たようなタイトルで、坂本九の「エンピツが一本」という歌があるんですが……これは浜口庫之助による曲です。


浜口庫之助――

戦後の昭和歌謡を代表するコンポーザーの一人といえるでしょう。


最近このブログの音楽カテゴリー記事では、古関裕而、服部良一、古賀政男と、昭和前半に活躍した作曲家について書いてきました。

ここで時代をほんの少し進めて、浜口庫之助の曲について書いてみようと思います。


紹介するのは、守屋浩の「僕は泣いちっち」という歌です。


浜口庫之助が、作詞・作曲家として活躍する第一歩となった曲といえるでしょう。

浜口は、自分自身も演奏し歌うアーティストで、プレイヤーとして紅白に出場したこともある人ですが、いまではコンポーザーとして広く認知されています。その出発点に位置するのが、「僕は泣いちっち」でした。

「泣いちっち」「行っちっち」という“ちっち言葉”の斬新さは、作詞・作曲を一人でやっているからこその発想。

その斬新さもあって、この曲は50年代末における大ヒットとなったのでした。


また、この曲に関しては、歌っている守屋浩という人も日本歌謡史における重要人物です。


じつはこの方はつい二か月ほど前に亡くなってるんですが、その追悼記事などに、すごい経歴が紹介されています。


そもそもの出発点は、ロカビリー歌手。


50年代半ば、アメリカでエルヴィス・プレスリーが現れたのに呼応して、日本でもロカビリーブームが巻き起こります。それが頂点に達したのが、58年に始まった日劇ウェスタン・カーニバルで、守屋浩もそこでデビューを果たしました。


そして、この人は、ホリプロのタレント一号でもあります。


日劇ウェスタン・カーニバルを取り仕切っていたのが堀威夫で、この人は同じころに堀プロダクション(現・ホリプロ)を創設。守屋浩は、その最初のタレントとなったのです。


その後ホリプロの社員となり、タレントスカウトキャラバンのスタートにも関与。


ホリプロタレントスカウトキャラバンといえば、第一回の榊原郁恵にはじまり、井森美幸、深田恭子、平山あや、石原さとみ、足立梨花、小島瑠璃子……と、名だたる女性タレントを輩出してきたオーディション。その創設に、守屋浩もかかわっていたのです。

また、その後も、ホリプロの新人指導に長くあたっていたといいます。


こうしてみてくると、守屋浩は日本の戦後大衆歌謡において、陰日向で活躍してきたといえるでしょう。


浜口庫之助と、守屋浩――日本歌謡史における二人の重要人物が交わる地点にある「僕は泣いちっち」。これは、見過ごすことのできない重要な一曲なのです。




英国内乱を振り返る

2020-11-17 17:56:55 | 過去記事

ジョニーは戦場へ行った……“戦場”はどこにある?
先日、江戸川乱歩の「芋虫」についての記事を書いたところ、コメントをいただきました。類似した話として、『ジョニーは戦場へ行った』はどうか、という内容でした。当該コメントへの返......


過去記事です。

記事中で紹介しているクラッシュの English Civil War に関して、投稿時には見つけられなかった動画を……と思ったんですが、クラッシュの公式チャンネルには動画がありませんでした。
代わりに、Levellers というバンドがカバーしたバージョンがあったので、そちらを。
反戦歌などで知られるフォークシンガーのビリー・ブラッグとともに、ジョー・ストラマーへのトリビュートイベントを行った際の演奏ということです。

English Civil War Live with Billy Bragg




『ゴジラの逆襲』

2020-11-15 20:17:05 | 映画


今回は、映画記事です。
先日、音楽記事として美空ひばりの「一本の鉛筆」を紹介しましたが……その記事で、作曲者として佐藤勝の名前が出てきました。
そこでも書いたように、佐藤勝はゴジラシリーズのいくつかの作品で音楽を担当しています。
正確にいうと、伊福部昭についで多く、4作。そのうち三作は、すでにこのブログのゴジラシリーズ記事で紹介してきました。『南海の大決闘』『ゴジラの息子』『ゴジラ対メカゴジラ』の三作です。佐藤勝の名前が出てきた縁で、今回は、残る一作である『ゴジラの逆襲』について書こうと思います。

「ゴジラの逆襲」 | 予告編 | ゴジラシリーズ 第2作目

公開は、1955年。

第一作『ゴジラ』のヒットを受けて制作された、シリーズ第二作です。



本来なら、『ゴジラの逆襲』はこのブログにおいてもっと前に紹介されるべきものでした。

amazonプライムにゴジラシリーズが追加されたことからゴジラシリーズを観始めたわけですが、最初に見たのがこの『ゴジラの逆襲』だったのです。

とりあえず見たことのないものを順番通りに見ようという方針をたて、第一作はずいぶん前に見たことがあったので、この第二作からということになったのでした。

しかし、これについてブログで書こうという気にはなりませんでした。

それはなぜかといえば、ひとえに、クオリティの問題です。

この映画、怪獣映画としての完成度はお世辞にも高いといえません。
前作にあった、核の恐怖の象徴といった意味も、ほとんど見出すことができません。いまこの映画を観て高く評価する人はほとんどいないでしょう。観客動員数こそシリーズ3位ではありますが、それはたぶんに前作によって醸成された期待値によるものと、まだ映画というものが娯楽の王様だった時代ゆえのことかと思われます。

この作品は、作品の内容そのものよりも、むしろその歴史的価値において評価されるべきものでしょうか。

歴史的な価値とは、“怪獣と怪獣の戦い”を描いたという点。
アンギラスという新たな怪獣が登場し、ゴジラとアンギラスの戦いが描かれます。この怪獣バトルという趣向が、その後の東宝特撮における一つの型となるわけです。
早回しにしたアクションは、見ようによっては滑稽でもありますが、これもまた過渡期の実験なのでしょう。

そして、舞台が大阪という点。
第一作が東京を舞台としていたのに対して、この作品では大阪が中心となっています。
これが、“ご当地”を出してくるという、ゴジラ作品のひな型の一つとなりました。

あとは、もう60年以上も前の映画ということで、その当時の世相や風俗を知る上での資料になるというところですね。



そして、そこに付されているのが、佐藤勝の音楽です。

佐藤勝は、この頃はまだ作曲家として駆け出しでした。
その佐藤にとって、本作は映画音楽家としての合否をはかる試験というような意味合いを持っていたといいます。しかも前作では、伊福部昭、がその後数十年にわたってゴジラ映画を彩り続けることになる名曲群を付している……これはなかなかプレッシャーのかかる状況だったはずです。しかし、その後の佐藤勝の業績を考えれば、結果として彼はこの試験をパスしたといえるでしょう。

サウンドのことに関しては、この映画にはもう一つ言及しておくべきポイントがあります。

それは、音声の加工技術。

『ゴジラの逆襲』におけるサウンドの中には、テープの回転数を変えたり、あるいは逆回転を使ったりという実験的な手法が使われているそうです。

逆回転といえば、後期ビートルズが実験的手法として用いた技法……十年以上も前にそういう手法を使っていたというのは、注目に値するかもしれません。
ただし、『ゴジラの逆襲』におけるそうした実験的手法は、正直なところわかりづらい。
そう指摘されて該当部分を聴いてみても、ううん、そうなのかあ……と思うぐらいのものです。ビートルズ以降の音楽で使われる逆再生のような浮遊感は出せていないでしょう。


そのあたりのことを含めて、『ゴジラの逆襲』を一言で言い表すならば“失敗した実験作”だと私は思ってます。

怪獣バトルのシーンで使われている早回しや、音声テープの回転をいじるなどの加工は、正直なところ演出としてうまくいっているとはいいがたい。前者はどこか滑稽に見えてしまうし、後者はきわめてわかりづらい。

しかし、実験としての意味はあったのだと思います。

失敗した実験があればこそ、新たな表現は洗練されていくわけで……実際のところ、この映画で見出されたいくつかの方法論は、その後のゴジラシリーズに活かされているでしょう。そういう意味では、やはりこの『ゴジラの逆襲』も、シリーズ中の重要な一作なのです。



最後にオマケで3DCG。



いよいよ、ゴジラです。


まだかなりラフな感じにしか造れていませんが……これもやはり、実験なのです。
今後ちょっとずつ微調整していって、また画像をあげていこうと思います。できれば、動画まで……




社民党分裂へ

2020-11-14 21:17:53 | 時事


社民党の党大会が行われ、事実上の分裂が決定しました。

社民党には党首の福島瑞穂さんだけが残り、ほかの3人の国会議員は立憲民主党に合流する見通しということです。

いよいよ、こういうときが来たか……というのが、私の率直な感想です。

かつての社会党が解体し、その後継正統である社民党も、次第に縮小していき……その過程は、冷戦終結後の左派勢力の縮図でもあったでしょう。
資本主義と相対する対抗思潮の不在……それは世界規模の問題であり、それが資本主義の暴走につながったというのは疑いようがないところです。
それが日本において行きつくところまで行きついたのが、今回の一件でしょう。

ここから、暴走する資本主義にブレーキをかける新たな思潮を生み出せるかどうか……それは、この国にとって死活的な問題になるように思われます。果たして立憲民主党にそれができるのか。日本政治のレベルばかりでなく、有権者の意識も問われるところです。



ベースの日 ~アメリカ西海岸ベーシスト列伝~

2020-11-11 20:27:33 | 音楽批評


今日11月11日は、“ベースの日”です。
数字の1111という並びを、ベースの四本弦に見立てて……ということで。
先月の“ドラムの日”にはドラマー列伝をやりましたが、それにならって、今回はベーシスト列伝をやってみようと思います。
先月のドラマー列伝では、時代もジャンルもバラバラでいささかまとまりがない感じになってしまったので、今回は範囲を限定。アメリカ西海岸――のなかでも、さらに狭義のウェストコーストに絞り、カリフォルニア近辺をホームグラウンドとするベーシストたちをチョイスしてみました。
ドラマー列伝にならって、動画をつけていますが……ただし、最後の二人に関しては、本人が出ている動画を探し出すことができなかったので、動画は割愛しています。


ティモシー・B・シュミット
 やはり最初はイーグルス……ということで、イーグルスのベース。イーグルスは、歴代3人のベーシストがいるが、その最後の人。ポコの活動でも知られる。
 リードボーカルをとることもあり、その柔らかいハイトーンボイスが特徴である。ティモシーのボーカルは、イーグルスにそれまでなかったフィーリングを吹き込んだといえるだろう。イーグルスで彼が歌う曲は、AOR的な意味合いでの名曲という印象。
 動画は、ソロでの曲。

Timothy B. Schmit - Was It Just The Moonlight


リランド・スクラー
 セッション・ミュージシャン。
 イーグルスと並んでウェストコーストを代表するアーティストであるジャクソン・ブラウンともよく一緒に仕事をしていて、ジャクソンが「ロックバンドのツアー」というコンセプトのアルバム『孤独のランナー』(Running on Empty)のためにバンドを編成したときにもベースをつとめた。
 本邦のユーミンこと松任谷由実もそのサウンドを高く評価していて、自身の作品に彼を起用したことがある。
 動画(ではないけれど……)は、ジャクソン・ブラウン最初期の代表曲 Doctor My Eyes。リランド・スクラーがベースで参加している。

Doctor My Eyes


マイク・ポーカロ
 TOTOのベーシスト。バンドメンバー中3人を占めるポーカロ三兄弟の次男。
 TOTOもまたウェストコーストを代表するバンドの一つで、そのメンバーはジャクソン・ブラウンのレコーディングなどにもよく参加している。ただし、マイク・ポーカロは途中からの参加で、自身が作曲した楽曲もあまりないようで、いまひとつ存在感は薄い……
 晩年にはALS(筋萎縮性側索硬化症)を患い、バンド活動停止を余儀なくされた。その後任としてベースでツアーに参加していたのが、前項のリランド・スクラーである。
 ALSは、近年この病気を患う国会議員の誕生もあって広く知られるようになったが、前身の随意筋が麻痺していく難病で、ミュージシャンにとっては致命的。治療法もないため、手指の筋肉が麻痺した時点で弦楽器奏者としての道は絶たれてしまう。結局マイクは、2015年に死去した。

Toto - I'll Be Over You (Live At Montreux 1991) [Official Video]


ステュ・クック
 CCRのベーシスト。
 CCRは音楽的には南東部を志向しているものの、地理的に西海岸のバンドとみなしうるだろう。
 徹頭徹尾ジョン・フォガティのワンマンバンドであったため、ジョン以外のメンバーのことはあまり知られておらず、ステュもまた、影の薄いベーシストになってしまっている。なにかしら情報を得ようとウィキで調べてみても、日本語版ではそもそも彼についてのページが存在しないという存在感の希薄……ただ、英語版にはどうにか項目が立てられていて、それによれば、彼はビル・ワイマンがローリング・ストーンズを脱退した後、その後任としてオーディションに挑んだのだという。しかし、結局ストーンズが正規のベーシストを加入させることはなく……ステュ・クックは、どこまでも日の当たらないベーシストであった。
 曲は、CCRのLong As I Can See the Light。

Creedence Clearwater Revival - Long As I Can See The Light (Lyric Video)

フィル・レッシュ
 グレイトフル・デッドのベース。
 グレイトフル・デッドは、サイケデリック期のサンフランシスコを代表するバンドで、そのベーシストであるフィルは、ジャック・ブルースやジョン・エントウィッスルらと並んでベースの革新者とされている。「ロック革命とはベース革命である」とこのブログでは何度かいってきたが、米ロックにおいてそれを体現した人物としてフィル・レッシュは記憶されるべきかもしれない(ジャック・ブルースとジョン・エントウィッスルはいずれもイギリスのミュージシャン)。
 デッドといえばジェリー・ガルシアの延々と続くギターインプロヴィゼーションが有名だが、それもフィルの即興ベースが下支えになってこそ成立するもの。そういう意味では、グレイトフル・デッドというバンドのサウンドをまさに縁の下(よりはもうちょっと表に出たところ?)で支えていたといえる。
 その淵源には、深い音楽的素養がある。
 デッドと並んでサンフランシスコサウンドを代表するバンドにジェファソン・エアプレインがある。そのジェファソンで一時ベースを弾いていたジャック・キャサディもまた、ベースの革新者といわれるが、キャサディとフィル・レッシュに共通するのは、もともとベーシストとして出発したのではないこと。ジャック・キャサディはもともとギタリストであり、フィルはなんとトランペット奏者だった。こういう他の楽器で培ったセンスで、単にベース音を追うだけでない自由なベースラインを創造していったことが、ベース革命なのである。
 動画は、ドナ・ジーン在籍時のライブ。

Grateful Dead - Scarlet Begonias (Winterland 10/19/74) (Official Live Video)


ブライアン・ウィルソン
 ビーチボーイズの人。バンドメンバー中3人を占めるウィルソン三兄弟の長男。
 ビーチボーイズは、レコーディングにはスタジオミュージシャンを起用することも多かったが、一応メンバー内で楽器の担当があり、ブライアンはベースだった。
 曲作りの才能に関しては定評があり、何種類もの楽器を使う複雑な楽曲の構成を脳内だけで完璧に組み立てることができたともいう。そうしてボイシングを構築できるということによって、あえてルート音を使わないベースラインを導き出せるのかもしれない。そういう意味では、ベース革命の担い手の一人といえる。
 しかし、その演奏技術に関しては疑問視するむきも。
 あるとき尊敬するフィル・スペクターの前でベースを弾いたところ、お前は二度とベースを弾くなといわれたという逸話がある。これは純粋にブライアンの技術の問題なのか、あるいはフィル・スペクターの人格の問題なのか……ただ、スタジオミュージシャンを多用したことからも示唆されるように、本人の演奏技術はそれほどのものではないというのが一般的な評価と思われる。
 ベースの腕はさておき、ブライアン・ウィルソンは、その内省的な一面がビーチボーイズに与えた陰翳においても記憶されるべきだろう。
 それはバンドをむしろ斜陽の方向に向かわせたようにも思われるが、その過程で名盤と名高い『ペットサウンズ』を生み出しもした。ロックにおける過去と現在のせめぎあいの中で、その亀裂からひねり出された奇跡のような作品……しかし、ビーチボーイズそのものは過去の地層に引きずり込まれ、ブライアンの才能は埋もれていくことに。
 動画は、ビーチボーイズがかのライブエイドに参加した際の、Good Vibrations。転換期の名作とされる曲。ブライアンも張り切っているけれど、この動画だとたしかに演奏はかなり微妙……

The Beach Boys - Good Vibrations (Live Aid 1985)


フリー
 レッド・ホット・チリ・ペッパーズのベース。
 ベーシストとして高く評価されていて、ベーシストランキングのような企画をやると必ず上位に食い込んでくる。
 レディオヘッドのトム・ヨークとともに結成した Atoms for Peace など、レッチリ以外でも活動。トム・ヨークとともに活動しているということは、彼が最先端のミュージシャンであることの証といえよう。
 動画は、Atoms for Peace の一員として来日し、フジロックに出演した際のもの。

Atoms For Peace - Cymbal Rush [Live from Fuji Rock 2010]


ロイ・エストラーダ
 フランク・ザッパのバックバンド、マザーズ・オブ・インベンションのベース。また、その脱退後、同時期にマザーズを離れたローウェル・ジョージらとともにリトルフィートを結成、そのベースをつとめたこともある。いずれも、どちらかといえば通好み、ミュージシャンズ・ミュージシャン的なところがあるバンドといえるだろう。さらにはキャプテン・ビーフハートとの活動などもあり、なかなか重要なポイントをついているベーシストである。
 ただし、小児性愛の傾向があり、児童への性的虐待容疑で司直の手にかかったことが複数回。そのため、現在ではもう音楽活動への復帰は絶望視されているとか。まあ、あまり大っぴらには語られないものの、その類の話は旧世代のロックミュージシャンには結構よくあるのだが……


キラ・ロゼラー
 ハードコアの伝説BLACK FLAG のベーシスト。ブラックフラッグは結構人の出入りが激しくベースも何人かいるが、そのなかでキラは、女性ベーシストという点で注目される。ブラック・フラッグ加入時は学生だったとか。学業があるためにスケジュール調整が難しく、そのことがメンバー間の軋轢につながったともいう。
 ブラックフラッグ脱退後は、ベース二人組という奇妙な構成のユニット dos を結成(キラはボーカル兼ベース。ユニット名のdos とは、スペイン語で数字の「2」の意味)。



いかがだったでしょうか。
やはり続けていけばきりがないので、今回はこのあたりで……
気が向いたら、また別の時代、別の地域にフォーカスした列伝をやろうと思います。