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『ゴジラ VS デストロイア』

2022-01-30 18:43:22 | 映画


今回は、映画記事です。

ずいぶん長いこと中断していましたが、このブログの映画カテゴリでは、ゴジラシリーズ作品についての記事を書いておりました。
その一つとして、今回とりあげるのは『ゴジラVSデストロイア』です。

「ゴジラ VS デストロイア」 | 予告編 | ゴジラシリーズ 第22作目

シリーズ第22作にして、第二シリーズ最終作。

この作品は、ゴジラシリーズ全作品のなかでも、かなり特殊な位置づけにあるといえるでしょう。
それは、ゴジラの死を描いたということがあるからです。
ゴジラシリーズ全作品の中で、はっきりとゴジラの死が描かれるのは、二作だけ。その一作が、『ゴジラVSデストロイア』なのです。
ではもう一作はというと……ゴジラファンならすぐにわかるとおり、第一作『ゴジラ』。ここがまさに、『ゴジラVSデストロイア』の特殊な位置づけということです。

東宝の関係者が語るところでは、ゴジラ第一作は伝説の作品であり、ゆえにある種の禁忌でもあったといいます。
そのメッセージ性を捨象して怪獣バトルのエンタメという方向に進んでいったことからくるある種のうしろめたさもあったと思われ……直接の続編である『ゴジラの逆襲』を別とすれば、第一作とのつながりにはあまり触れないのが暗黙のルールとなっていたそうです。
そのタブーをあえて侵し、明確に第一作『ゴジラ』の続編というかたちでつくられたという点で、『ゴジラVSデストロイア』は特別なのです。


第一作とつながる要素はいくつかあります。

たとえば、物語の軸となる山根姉弟は、ゴジラの第一作、第二作に登場した山根博士の孫です。
父親は、第一作に登場した新吉少年。特に主要人物というわけではないのですが、まあ平成ゴジラの制作陣がそこをうまく利用しているわけです。

大戸島で家族を失った新吉は東京で山根博士の養子となり、その子であるゆかりと健吉の姉弟がこの作品の主要人物となっています。

……ということは、彼らの(義理の)叔母にあたるのが、第一作にヒロインとして登場した山根恵美子。
この人も、『ゴジラVSデストロイア』に出てきます。
しかも、演じるのは第一作と同じ河内桃子さん。40年を経て同一シリーズ作品に同じ役柄で登場するというのはなかなかないことでしょうが、ゴジラシリーズではそういうことが起こりうるのです。

第一作に出てくる恵美子は、芹沢博士のフィアンセでありながら尾形(宝田明)に惹かれているという役柄でした。
その後彼女が尾形と結婚したかどうかははっきりしません。
そのあたりは、意図的にぼかしてあります。ここが第一作の禁忌感で、そういう形で後の人間が第一作ゴジラに後付けの解釈を加えるのはよくないという抑制が働いたらしいです。それだけ、第一作ゴジラに触れるのは慎重を要することなのです。(ただし、作品の中では“山根恵美子”という人物名になっている。ここから、未婚のままという推測も出てくる……)

しかしながら、その禁忌に果敢に挑んだ作品ということで……第一作から直接につながる要素がこの作品には他にもたくさん出てきます。

その筆頭が、タイトルにも出てくる敵怪獣デストロイア。
これは、芹沢博士が発明したオキシジェンデストロイヤーがもとになって生まれた怪獣なのです。

そのフィギュアを手に入れたので、画像を載せておきましょう。
ブログが少しは映えるかとおもって買ってみたんですが、思った以上にきっちり作りこまれていて驚きました。より映えさせようということで、画像加工してあります。



かつてのヘドラのように成長していく怪獣で、幼体はこんな感じ。これはまた、別のフィギュアです。




第一作では芹沢博士みずからオキシジェンデストロイヤーでゴジラを葬ったわけですが、その地層に閉じ込められていた先カンブリア紀の嫌気性微生物がオキシジェンデストロイヤーに反応して復活。そこに海底トンネルが掘られたことで、この怪物が地上に姿を現します。

この設定、見ようによっては第一作に喧嘩を売っているようでもありますが……これは、ゴジラの重要なテーマであり、平成ゴジラの主題でもある“文明への懐疑”を表現したものといえるでしょう。
科学とは何か。科学の発達は本当に人間を幸福にするのか。そういう問いです。
『ゴジラVSデストロイア』においては、伊集院博士がその葛藤を体現しています。
彼は酸素を研究しているのですが、それはオゾン層再生のため。オゾン層の再生につながり、また、生物の成長を促進して食糧の増産にもつながりうるミクロオキシゲンの研究は、同時に禁断の兵器につながるかもしれない。科学という夢やロマンと背中合わせにある危険――それはまさに、第一作ゴジラが描いたテーマの一つです。
このテーマが第一作ゴジラと直に接続してることを示すのは、次のせりふ。

「命の保証はできませんから、通すことはできません」

このいささか不自然にも聞こえるせりふは、第一作『ゴジラ』からの引用です。
第一作では、一回目のゴジラ東京上陸時にそこに駆けつけようとする山根博士を制止して警官がいうせりふ。
『ゴジラVSデストロイア』では、デストロイア幼体が登場した時そこに駆けつけた伊集院博士にむかって警官がまったく同じせりふを口にします。

ここには、単に第一作目へのオマージュという以上の意味が込められているように思えます。

そして、このテーマに関するかぎり、『ゴジラVSデストロイア』は第一作に対して挑戦的な態度をとっているようにも思われます。

先述したように、オキシジェン・デストロイヤーがデストロイアという怪獣の誕生に一役買っているということがあるわけですが、このあたりには脚本を書いた大森一樹さんの考えが反映されているのかもしれません。
大森さんは、この作品に関するインタビューで次のように語っています。

  要するに科学者の向上心は、誰にもとめられないと思うんだ。どんどん次のもの次のものと発明していくという。それをとめちゃったら人類の意味がなくなると思うんですね。だけどその果てに核であるとかオキシジェンデストロイヤーみたいなとんでもないものができてしまった時、作らないほうがよかったということじゃなくて、しょうがない、じゃあどうするんだというのが、これまでずっとあった反核の思想とは異なる、核と共存の思想というか、つくりあげてしまったとんでもないものを、どういうふうに使っていくかということで試されるのが人類の英知だと思うんですね。今度のなんかは、わりとテーマとしてはっきりしてきたんですけど。だからそういう健吉君みたいな人物を出てこさせるんですね。

――ということで、健吉という人物の立ち位置がわかります。

健吉少年は、科学に対する楽観を代表する人物といえるでしょう。
そしてそうなると、姉のゆかりは、その対極です。

ジャーナリストであるゆかりは、伊集院博士の研究するミクロオキシゲンに対して危険はないのかという懸念を示します。
科学がもつ負の側面に対して危機感をもち、警鐘を鳴らす……ゆかりは、そういう立ち位置になっています。

科学に対する楽観と懐疑――その葛藤がこの映画の一つの主題をなしているのであり、それはまた、映画製作の過程で設定をどうするか筋立てをどうするかというスタッフ間のせめぎあいを反映してもいるようです。

たとえば、先述したオゾン層云々という設定は作中では語られません。また、構想段階では、ゴジラジュニアに核兵器で放射能を浴びせて“ゴジラ化”させるというアイディアもあったそうですが、これは没になりました。おそらくこういった変更は、作品のテーマに関するせめぎあいから生じたものでしょう。

そして、オキシジェンデストロイヤーですが……結論から言えば、この映画で人類側がオキシジェンデストロイヤーを使用することはありません。
というか、そもそも作ることができないという話になっています。
この点に関しては、大森さんと大河原孝夫監督との間でいろいろ議論があったようです。大河原監督のほうは、科学への懐疑という視点のほうに立っている部分が強かったようで……この方はオキシジェンデストロイヤーを「パンドラの箱」と表現していて、作中では「オキシジェンデストロイヤー」という言葉を使うことさえはばかられるというふうになっているのも、監督の意向といいます。
そこで、せめぎあいということになるわけですが、最終的にオキシジェンデストロイヤーを使わないということになるのは、単にこの二人の間だけの問題ではないでしょう。
ゴジラシリーズのそれまでの積み重ねからして、やはりそれはNGだったのです。
核にせよ、オキシジェンデストロイヤーにせよ、科学技術によって解決するというストーリーにはできなかったということです。

このせめぎあいは、バトルのクライマックスにも表れています。

タイトルどおり最終的にはゴジラとデストロイアの戦いになるわけですが、その決着のつき方がいまひとつ見ていてはっきりしない。
特技監督をつとめた川北紘一さんは「自分が自爆するだけじゃなくて、デストロイアもまき込んで、そういうものを地球から抹殺する、その手を貸すのがゴジラだというふうに理解しないと難しいんだ」と語っています。しかし、できあがった映像は必ずしもそうなっていないということを認めてもいて……難しいのです。
これは結局、ゴジラとデストロイアという両怪獣の持つ意味合いをテーマとして消化していく難しさが、作品の結末にまで及んでいるのだと私には思われます。それはすなわち、ゴジラを終わらせることの難しさにほかなりません。
難しい課題に果敢に挑んだのが『ゴジラVSデストロイア』だったわけですが、私の思うところでは、この作品は最終的な解を示せてはいない。「せめぎあい」ということをいってきましたが、そのせめぎあいのすえの着地点を、この作品はまだ見出せていない――と。
したがって、第二シリーズはここで終わりますが、「ゴジラをどう終わらせるか」という問いはこれ以降のゴジラ作品でも難しいテーマとして受け継がれていくことになるのです。



ここで、キャストやスタッフにも触れておきましょう。

キャストは、なにしろ第二シリーズの最終作ということで、オールスターです。

Gフォースの麻生司令官、三枝未希、そして、スーパーX…本作では、スーパーXのシリーズ三機目となるスーパーX-Ⅲが登場します。そしてその搭乗員として登場するのが、高島政弘さん。役柄としては政伸さんのほうじゃないとおかしいんですが、スケジュールの問題でブッキングできずこうなったらしいです。しかし、政弘さんはまた別の役で平成ゴジラに出演しているので、そのあたりがややこしい。まあ、このあたりは致し方ないところでしょうが……
そしてもう一人、第二シリーズの主要人物としては、G対策センターの国友満長官。演じるのは篠田三郎さん。最近気づいたんですが、この方『ウルトラマンタロウ』の東光太郎なんですね。タロウでは川北紘一さんが特撮をやったりもしてましたが、ここでその組み合わせが復活しているわけです。
最後に、シリーズ常連として、もう一人はずせないのが上田耕一さん。水族館の警備員というチョイ役ですが、実はこの方ゴジラシリーズにもっとも多く出演している俳優です。この方が出ているところも、やはりオールスターということでしょう。ここまできたら、宝田明さんも出してほしかったというのはありますが……


音楽に目を向けると、伊福部昭さんの登板というところも注目されます。
前作『ゴジラVSスペースゴジラ』は、伊福部音楽ではありませんでした。これは、脚本を読んだ伊福部さんがオファーを断ったんだそうです。この作品のテイストは自分の音楽には合わないと……それはよくわかる気がします。しかし今回は、ゴジラの死を描く作品ということで、伊福部さんも承諾。そしてこれが、伊福部さんが音楽を担当した最後のゴジラ作品となるのです。

そして、制作の田中友幸さん。
第一作以来それまですべてのゴジラ作品に制作としてクレジットされてきた人ですが、『ゴジラVSデストロイア』は、その最後の作品です。この作品が公開された直後に、田中友幸はこの世を去りました。
ゴジラの死を描くこの作品は、第一作のゴジラ誕生に立ち会った田中・伊福部両氏の置き土産ともなったのです。

しかし……ゴジラはここで終わるわけではありません。

ハリウッド版GODZILLAをはさんで、この作品から4年後、第三シリーズがスタート。今後の映画記事で、それらの作品についても書いていこうと思います。






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