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ガブリエル・フォーレ

2007-01-05 02:06:51 | 音楽史
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THE CHAMBER MUSIC VOL.1
 
Jean Hubeau
Quatuor Via Nova
 
「音楽とはなんだろう。《言い表すことのできない点》、《存在するものの上に》われわれを高めるまことに現実ばなれした幻想を求めて、ガブリエル・フォーレは自問する。フォーレがその『ピアノ五重奏曲第一番』第二楽章に取りかかっている時期だ。しかも、かれは音楽とはなにかも、音楽がなにかであるかさえも知らないというのだ!」(ヴラジミール・ジャンケレヴィッチ「音楽と筆舌に尽くせないもの」)

ガブリエル・フォーレ(1845-1924)はフランス南部のパミエに生まれ、9歳のときにニーデルメイエールの宗教音楽学校に入った。この学校でフォーレは11年間過ごし、その間、教会旋法にもとづく、独特の和声法を学んだ。そして1861年にこの学校にピアノ教師として赴任してきたサン=サーンスから強く影響を受ける。サン=サーンスはフォーレにピアノや作曲を教えるとともに、リストやヴァーグナー、シューマンなどの同時代の音楽を教えた。
フォーレは1865年にレンヌの教会オルガニストとなり、音楽家として活動を始めた。いくつかの教会でオルガニストをつとめたあと、1874年からはサン=サーンスの後を継いでマドレーヌ聖堂のオルガニストになった。1871年にはフランス国民音楽協会の設立に参加し、1896年にはパリ音楽院で作曲科の教授となった。彼の生徒にはモーリス・ラヴェルがいた。1905年から1920年まで、フォーレはパリ音楽院の院長をつとめ、音楽院の運営に関して数々の改革をおこなった。晩年は難聴に見舞われたが、創作力は死の年まで衰えることはなかった。
1924年パリの自宅で死去。79歳であった。

フォーレもまた、サン=サーンスと同様に、感情表現に溺れることなく形式を重視し、秩序や節度を備えた、無駄のないシンプルな音楽という、クープランからグノーに至るフランス音楽の伝統を踏まえ、極めて洗練された気品のある音楽を生み出した。彼には有名な「レクイエム」やオペラのような大規模な作品もあるが、歌曲やピアノ曲、そして室内楽に多くの傑作を残し、近代フランス音楽の器楽の発展に貢献した。初期の作品はサロン音楽的な側面もあるが、技巧をひけらかすことなく、抒情的な旋律と明確な調性感を特徴としている。しかし1885年以降、フォーレは新たな語法を確立する。旋律は断片的になり、半音階的で曖昧な和声が用いられるようになるが、半音階の使用においても、ヴァーグナーのように感情的な平静さを欠いたものとは対照的に、落ち着きと均衡を保ち、官能的でありながらも優美さを失わなかった。

ジャンケレヴィッチはフォーレ以降のフランス音楽が持つ慎み深さを「緩徐の精神」と呼び、ドイツ=オーストリアの後期ロマン派の音楽と対照させつつ、次のように述べる。

「慎み深さの現れは、ただたんにほかのことを言うだけではなく、さらに、そしてことに、より少なく言うことだ。そして、《より少なく》ということばで、この場合、たんに量の減少、あるいは強度の緩和ではなく、話法の意向および精神のある質を理解しなければならない」

「緩徐の精神は、秘密のひとではなくて慎み深いひと、《熱情》と《絶望》の狂気のような表現欲をうちに抑えて、感動に対して常時引き下っている人間の精神だ」

「短さは、緩徐のもっとも自然な形だ。フォーレの場合、『小品』の簡潔さは、濃密度と節度の要求を表明している。言外に含まれた意味は、《小品》の延長であるべきもの、その短さをひき延ばす黙説法の輝きではないだろうか」

「緩徐はすでに量に対する質の独立を立証し、逆説にも、抑えた表現の表現効果を明白にする。無表情、そしてましてや最小限の表現は、ときには完全な直接の表現よりも力強く意味を示唆する。というのは、最善は善の敵であるように、そのように過度は弁証法によってみずからを破滅させるからだ」

「安易さとあまりにも期待された反応に対する慎み、涙とことばの誇張の慎み、いまわしい駄弁に対する慎みである緩徐の精神は、だれのうちにもまどろんでいる過激主義の誘惑を抑制する。緩徐の精神は、あらゆる狂乱を制御調整するのだ」

そしてジャンケレヴィッチは、「いかに弁の立つものでも、フォーレに関する論述で、深さにおいてその『ピアノ四重奏曲第二番』を聞くに優るものはない」として次のように書いている。

「『ピアノ四重奏曲第二番』のアダージョは、解説できるような作品ではないからだ。その長い、すばらしい夜の夢想、そしてその夢想から輝き出る星の晴朗さを受けいれてのみアルトの叙情的旋律カンティレーナをほんとうに感得することができる。《実存しない事物》とわれわれをこれら実存しない事物のほうへと向かわせる満たすことのできない欲求のことづてとを担って、このカンティレーナはおそらくはわれわれに言っているのだ。《……わたしのうちには満たされない大いなる旅立ちがある》と、これこそ『幻の水平線』の最後のことば、これこそいわば音楽家フォーレの《最後のことば》となるのだから。癒すことのできない郷愁は、ついには平和を見いだすことだろう。そして、大いなる夜のことばが眠りの平和な大洋に静かに沈み込むアダージョのまことに静寂そのものの最後の三頁は、いかなることばにも優ると同時に、いかなる分析をも斥ける」

→Burkholder/Grout/Palisca A HISTORY OF WESTERN MUSIC(W.W.Norton&Company)
→ヴラジミール・ジャンケレヴィッチ「音楽と筆舌に尽くせないもの」(国文社)


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