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もうひとつの部屋

昔の記憶に、もう一度会える場所にしようと思っています。

欲しかったのは、自由と勇気

2023-07-23 14:08:40 | ひとりごと

わたしがずっと欲しかったのは

「自由」だったと、やっと気づいた。


そのためにこそ

「勇気」という言葉に憧れたんだと。


私にはないモノ・・・そう思っていたけど。

 


「ただただ自由になりたかった」のは

「このままじゃ生きていけなくなる」って


「窒息して死ぬしかない」って

こどもの目にも見えてたから?

 


自由がなかったのは

わたしのせいじゃなかった。


あそこまでがんじがらめに

恐怖でしばりつけられたら

こどもは自分ではほどけなくなる。


それも

しばられてることもわからないくらい

巧妙なやりかたでもって。


でも・・・

 

「勇気がなかった」のは

自分のせいだったと

今でも思う。


勇気は深紅のルビィみたい。


わたしはソンナモノ

持ったことも

見たことさえ

なかったと、今も思う。

 

 

 

 

(タイトル 2021年11月1日)

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今となっては「今」しかない?

2023-06-02 21:42:55 | ひとりごと

最近、朝の散歩で

自分の視野がずいぶん

狭くなってるのを感じる。


物理的な視野もそうだけれど

どちらかというと精神的な視野。


何かに注意を向けたり

興味を惹かれたりすると

他のことはぜ~んぶ消えてしまう。


わたしは元々そういう傾向の

ある人だったけれど

それに磨きがかかる一方。


しっかり足元なんか見てたら

前から来る自転車にも

後ろから近づく車の気配にも

気付かないんじゃないかしら。


ましてや鳥を探して、はたまた

木に咲く花を見上げたりしてれば

足元も危うくて当然。



それに加えて、この頃は

時間的視野も狭くなってきた。


昨日のことが思い出せない。

今朝したことも忘れたりする。


人の名前、モノの名前は

モ、チ、ロ、ン、思い出せない。

観た映画、読んだ本の中身も

まったくアタマに残らない。


そもそも、観たかどうか

読んだかどうかが、既にアヤシイ。

(こういうコトを皆で自慢し合ったら

きっと盛り上がるだろうと思う)

 

今朝、歩きながら

ソンナコトを考えていて

遅まきながら、やっと気づいた。


要するに、わたしはだんだん

「今」に集約?されつつあるんだと。



前も後ろも上も下も

遠い過去も近い過去も

だんだん薄ぼんやりしつつある自分。


未來はあんまり考えない方だし

考えても覚えてられないだろうし…


それって「今」しか

なくなるってことじゃない?



その昔、『今を生きる』って映画を観た。


名門全寮制学校の男の子たちが

型破り新任教師との出会いで

自由な生き方に目覚めていく話。

 
つまり、70歳を目前にして

あの高校生たちと同じ立場に

わたしもなったってことなのね。



こーゆーのを、確か

ケンキョ―フカイとか

言った気がするけど…


「まあ、いいよ、なんだって」

太っ腹になる一方のわたし。


今しかない「今」を生きる。


なんかカッコいいような気がしてきた。


(それともやっぱり、認知症へ一直線?(^^;)

 

 

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「保護区」に暮らす

2023-05-28 17:40:40 | ひとりごと

うちは4人家族。

親たちは60代もそろそろ終わり。

息子たちは30代。


各人かろうじて個室がある程度の

マンションに住んで22年。


家を建てるにはお金が足りず

比較的安かったマンションを購入。


そのときの条件が

「一人一部屋確保できること」

20年に10回引っ越した挙句の

ギリギリの結論だった。



その後、住人は変わっていない。

誰も出ていかず、だれも(もちろん?)

入ってこない。


小学生たちが、毎日何人も

出入りしたのも、ほんの数年。


あとはずっと

「4人用シェアハウス」のまま。



住人たちも(血縁の家族とはいえ)

早くから「隣人同士」になっている。

特別な努力も、細々とした喧嘩もなしに

暗黙の了解?でそうなった(と思う)


「隣の人に言わない、しない」ようなコトは

誰も言わない。しない。それだけのこと。



お蔭でわたしは、気づいてみたら

「保護区」で、のうのうと暮らしている。


共通スペースの管理人ですらなくなって

ただの一人暮らしの高齢者。



同じことを何度口にしようと

とがめられることはない。


家事の要領がわるかろうが

むやみと時間が掛かろうが

誰からも何も言われない。


出来ないと思ったことは

そう思った時点で放り出して

誰かに丸投げしてもいい。




今わたしにあるのは、ただ

「みんな元気でいてほしい」

それだけ。


こんな「保護区」でなら、どんな人も

脅かされずに、その人のままで

暮らしていけるんじゃないか…

 

そんなことをふと思う一方で

「早くボケますよ」と言った知人のことも

思い出して、可笑しくなる(^^;

 

先のことなど誰にもわからない。


「保護区」は、つかのまのサンクチュアリ…

それならそれでかまわない。


「今」を大切に、生きていけるものなら。

 

 

 

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だんだん速くなる汽車

2023-04-28 18:01:59 | ひとりごと


いつのまにこんなに

しわだらけの顔に

なったんだろ。


いつのまに、こんな

曲がった指の

手になったんだろ。



でも、いいよね、そんなの。

じぃっと見なきゃ

いいんだから。


問題(でもないか)は

「時間泥棒」


わたしの時間はオイシイらしくて

ちょっと気を許すと

パクパク食われちゃう。


あれ?って思うと1時間、2時間

わたし何してたっけ… なんて

考えちゃいけない(さらに深みに)


元々ショーモナイこと

「つい考えちゃう」人種って

自分でも思ってたんだけど…


うそうそ、ホントは

「ついぼーっとしちゃう」

ただそれだけの人だったのね。


でもって…

ぼーっとしちゃうと

あったりまえみたいに

もうこの世にいないはずの

知り合いたちが現れる。


川の向こうなんかじゃないよ。


いつのまにか、この世もあの世も

一緒くたになったのかしら。


それとも、よっぽど

心配されてるのかしら(まさかね)


あんなこと、こんなこと

あったこと、なかった?コト

オシャベリしてる間に

泥棒さんはせっせとお仕事。 


おかげで1日がとっても短い。

1週間も、あっという間。


そろそろ1ヵ月も「いつのまに?」で

1年前も「つい最近…でもいつだったっけ」



年を取るって

だんだん速くなる汽車に

乗るようなものだったのね。


で、どこかで何かで事故ったら

とりあえず停車。その後は…

 

汽車の走り方が

また変わるんだろな

いつのまにか。

 

 

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「ぼく」の正体は… 

2022-07-24 11:30:02 | ひとりごと

父親へのアンチテーゼみたいな「自分の本体」?

「ぼく」が言葉を発しない(たぶんそもそも言葉を持たない)のは
すべてを理屈と言語で説明・表現できる(そうありたい)と思っていた
父親に対抗する(あるいはそこから逃げて「自分」を守る)
ためだったんじゃないかなあ…とか。


或いは、すぐに現実の時間から振り落とされて
迷子になる「ほよよ~ん」なタマシイ?

私の場合、「自分」の大部分は「からだ」で
タマシイは、あってもごくごく小さな存在?なのかも。

「からだ」はアタマも含んでいるので
「からだ」が一応、思考も担っている(らしい)

なので、私が「よく考える」と
まず間違える?気がする。

本能的に自分でもわかっていたのか、重要な選択・決断ほど
「その場の勢い」「思いつき」「山カン」?でされてきたけれど
あまり後悔したこともない。

それは結局「ぼく」に決めさせていたから…なのだろうか。


高校大学を通じて「ぼんやり」ながら切実にもがいていた自分は
卒業後追い詰められて「口を利くのをやめ」
すべて放り出すように精神科に入院した。


退院後、結婚してからの数年間
執拗に追いかけてきた
魑魅魍魎のような「影」の大群。

あのとき私を支えようとしてくれた?
分別臭いおしゃべりな「猫」は父の幻影?

その傍に立つ銀髪・碧眼・白衣の「エレーン」は
ひとこともものを言わなかった。

もしかしたら…あれは「ぼく」?


たとえ幻覚幻視であっても
私には彼らがはっきり見えていた。でも…


やがて私は「猫」の首を撥ね
それを止めようとした「エレーン」にも
刃を向けて…


血みどろの中に倒れた白い姿は
その後もずっと記憶から消えなかった。

 


前回の記事「ぼくの「宿主」」は、私自身
漠然とながらその存在を感じてきた「ぼく」を想像して
今のオバアサンの「からだ」で書いてみたもの。


「ぼく」が何をどう思っているのか
私には今もわからない。


それでも、何か
とても大切なもののような気がして

失くさないよう、見放されないよう

その無言の声に耳を傾けるよう
心しておかないといけないのかも…

そう思った。



書く前に実は、「ぼく」の正体について
「好奇心」? 美や陶酔を求める「恋ごころ」?
それとも「こどもごころ」「無邪気」とか??

時間をかけて、色々挙げてみたけれど
なんせ「からだ(アタマ)」の「考える」ことで
やっぱりしっくりこない…

ところが最近、別ブログで父親のことを
ある本の感想に交えて書いた後、ふと閃いたのが


「「ぼく」はこの人(父親)への
アンチテーゼ?だったのかも」


そこからこの記事は始まった。


前回以上に「人に読ませるようなモノじゃない」と
わかっていても、自分のために書いておきたかった。


リジンさん(離人症)などに引っかからずに
直接社会に接することが出来ていたら…

「ぼく」はもっと成長・成熟し、やがては
「からだ」とコミュニケーションできるような
「言葉」を獲得できたかもしれない…


などというのは、また別の話で
考える時間が残されているかどうかも…


とにかく最期まで「ぼく」と行けますように。


今願うのは、それだけです。




これまでに別ブログ(「眺めのいい部屋」)で書いた
父と関係のある記事を 、自分の備忘用に載せておきます。

(映画や本の感想もあります。ムダに長いので
どうぞスルーなさって下さい)



https://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/2bf0db58e788c0eb776774a83f68e75d 「帰還兵じゃなくっても・・・『帰還兵はなぜ自殺するのか』」

https://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/3fad34affcc364168b02d50f98c50346 「「父親」?の出現(「楽しい夢」の長い前置き)」

https://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/9f69495a1b9f0e21a4097edbe301c3fd 「楽しい夢」

https://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/f2befe13632e973837ec4f510f9af21c 「豪雪・多病・貧困・・・『いのちの山河~日本の青空Ⅱ~』」

https://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/1f0c7d43f797f65592d0c290766546c7 「「洗脳という嵐・・・『ヒトラー/最期の12日間』『白バラの祈り』」

 

 

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ぼくの「宿主」

2022-07-21 16:13:24 | ひとりごと

ぼくの「やどぬし」はオバアサンだ。


ついこのあいだまでコドモだったのに

気がついたらオバアサンに化けてる。


オバアサンはヤヤコシイ。

オバアサンはメンドクサイ。


何が…って(きっぱり)

自分の立ち位置がわかってない。


はじめて来た森の中

自分がどっち向いてるか

ほんとに全然わかってない。


どっから来たかは

けっこう覚えてるみたいだけど

それでもあちこち、ネツゾウしてる。


自分の「創作力」に、いい年して

気づいてないんだろーか。



それより何より、困るのは

どこに行くのか

今もワカランままだってこと。


これまでみたいに

ぼくをのせたまま

どこまでも行けると思ってる。



ぼくの存在を、ときどきでも

感じてくれてるといいんだけど…


なんかそのへんもヨクワカラナイ。

 

マジあぶなっかしくて見てられないよ。


でも・・・ぼくがいなかったら 

もっとアブナイのかもしれないし。

 

オバアサ~ン、お願いちゃんと目ぇ開けて。

空ばっか見てるとあぶないよ~


ほら、うしろから自転車が来てる。

次は馬車かもしれないよ~~

 

あんまりぼくをナイガシロにすると

出てっちゃうよ~ すてられちゃうよ~


そのとき泣いても、知らないからね~

 

 

 

・・・なんちゃって。

 

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アメリカじゃなくて台湾でした~(楓の話)(^^;

2021-12-07 07:59:09 | ひとりごと

前回書いた「アメリカ楓」話の続きです。


同じような紅葉を見せる木は
今のうちの近所にも何カ所かあって…

私はどれも「アメリカフウ」だと思い
年によって、とても綺麗だったり
それほどじゃなかったり…はあっても
いつも楽しみにしてきました。


ところが最近、「楓(フウ)」の仲間は
他にもあるということを(漸く)知って…

葉っぱの形(切れ目の数)が一番簡単な
見分け方ということなので、興味が湧いて
近所の3カ所ほどを見て回りました(ヒマ人や~)


別名「モミジバフウ」というアメリカ楓は
5つに分かれた、いかにも
大きなモミジの葉のような形とのこと。

何の疑問も持たず、落ち葉を見ると…

近所の木はどれも、葉が3つにしか
分かれてなかった! 何枚見ても同じで…


「えっ?」 どーして??


そう言われても、木の方が困るでしょうね。

昔から「3つに分かれた」葉っぱをつけて
秋は紅葉して、やがてハラハラと地面に落ちる…

それをくりかえしてきたのに
突然このヒト、何言ってるの?って(^^;


葉が3つに分かれているのは
何も付かない「フウ」なのだとか。

別名「タイワンフウ」といって
これもよく公園や道路脇の植樹に
使われているのだそうです。

幹の木肌の感じや
ボンボリみたいな実の感じも
それぞれ少し違ってますが…

遠目に紅葉を眺める分には
それほど違わないような気が(私は)します。


「そうか… アメリカ楓じゃあなかったんだ」

昔、金沢の公園で見た記憶と
勝手に結びつけて、シミジミしてた自分が
ハズカシクなりました(^^;


最近は、散歩で見かける草や木の名前も
できれば知りたい、覚えたい。

ネットの写真でしか確かめようがなくても
「名前が判ると、ほんのちょっと
親しくなったような気が(勝手に)する」自分。

でも、勝手に命名したらダメですよね。


考えてみると「アメリカ」フウというからには
アメリカのつかない仲間がある筈。

少なくとも「フウ」に近い名前のものが
あっていい…(これまで考えたことなかった)

今回はその別名が「タイワンフウ」だった訳です(^^)


その後調べてみてわかったのは…

アメリカフウがヨーロッパ(特にドイツとか)で
街路樹、公園樹としてよく利用されるのとは違い
タイワンフウは寒さに多少弱く
日本でも適地は関東以南とのこと。


50年前の金沢のあの寒さには
アメリカフウの方が向いていたのでしょう。

暖かい当地ではタイワンフウの方が
多くて当然…と納得しました。


思い込みの強い自分に呆れて
ひとりで顔を赤く?しましたが…


遠い時間、遠くの地に想いを馳せて
久方ぶりに母の声を思い出しました。

 

 

 

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アメリカ楓(フウ)の思い出話なんですが…(^^;

2021-12-06 10:48:36 | ひとりごと

(他のブログで書いたものですが、こちらにも載せました)



12月に入り、木々の紅葉も
そろそろ終盤ですが…

とてもきれいなグラデーションで
色を変えていく並木の紅葉を見るのを
私は毎年楽しみにしています。


もう10年ほど前になるでしょうか
久しぶりに実家の母親から用事で呼ばれて
金沢にひとりで帰ったときのこと。

母はまだ病気もわからず
私は母が健康なのだと思っていました。


用事が片付いて、コーヒーも飲んだ後は
いつも「もう帰りなさい」と
自分からハッキリ言う母でしたが…

帰る間際には、近くの美術館での
催し事を教えてくれたりもしました。
(出光美術館のルオーの連作は
それがきっかけで観ました)


10年前のそのときは、母はふと

「中央公園のアメリカ楓(フウ)…
あ、あの木はそういう名前なんだってね
紅葉がきれいだから、ホテルまでの途中に
通り抜けで見て行ったらいいわ」

最近は、ちょっと植栽の入れすぎで
(「あれって園芸業者の言いなりだからよ。
税金の無駄遣いだわね」)
公園が込み合って、風情が悪くなった
と言いながらも…

その年の紅葉が、いつも以上に
綺麗だったからでしょう
私にわざわざ教えてくれたのです。


もちろん、私は言われた通り
公園内を歩きました。

ホテルは公園を出た先にあり
「通り抜け」が近道で丁度良かった
ということもあります。

でも、もう一つは「アメリカ楓」という名前。

「楓」を「フウ」と読むのも
そのとき初めて知ったことで
私はその異国的な名前の木々を
自分の目で確かめたくなったのです。


私が最後に「中央公園」に行ったのは
そのときよりもさらに30年ほど前。

公園ができて10年ほど?
経っていたはずですが
その当時は「込み合ってる」どころか
植木はまばらで、どちらかというと
芝生メインの広々とした場所でした。

街の真ん中、繁華街のすぐ隣に
そういう大きな公園があることが
新鮮に見えた時代…

私はまだ学生で、父ももちろん存命で
姉のこどもたちも本当に幼い頃。

植えてある木の名前など
知ろうとも思わないし、そもそも
ヒョロヒョロで知りようもなかった頃。


それでも、日陰の少ない芝生の上には
家族連れやこどもたちの姿が
あちこちに見えたのを覚えています。


それが…


10年前に帰省したときには
空が狭く見えるほど葉の繁った
大木が立ち並ぶ場所になっていました。

花壇も増えて、さまざまな色合いの
花々があちこちで目について…

私の目には、それはちょっとウルサイ
余計な色彩にも見えました。
(母が言った「込み合ってる」はこれか…と)

でも、そんなのは些細なこと。

何より「大木」のその大きさ!!

その迫力に圧倒された私は
その場に立ち竦んでしまって…


「植物って凄いなあ…」


30年で、私は全然成長してないのに
まだあの頃の「何者でもない」私のままなのに
木々はこれほど成長し、変貌を遂げている…

涙が込み上げてきて、それが
感動なのか、情けなさなのかも
自分ではよくわかりませんでした。



それ以来、私はどこかで美しい紅葉を見かけると
あのときのアメリカ楓を思い出します。

少しずつ色が変わっていく
その「絵に描きたくなるような」色合いは
ほんの一瞬、今いる場所から私を
連れ出してくれる…


それが嵩じて、紅葉の季節によく似た木々を見ると
ついアメリカ楓だと思い込むように
なってしまいました(^^;

そのせいで起きた(最近の)失敗を
次の記事で書こうと思います。


本当にバカみたいなミスなんですが
その話をどうしても書きたくなって…

今回はその「長~い前置き」でした(^^;

 

 

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真っさらな一日

2021-11-12 14:34:26 | ひとりごと

ずいぶん前のことだけど

リチャード・ギアは、中年になってから

チベット仏教を信仰するように

なったと聞いた。


その教えによると、人は誰しも

毎朝の目覚めと共に

新しく生まれるのだという。


毎日が新しい人生のはじまりなのだと。

 

私は、チベット仏教も知らないし

そこまでのことは、思えないけど…

せめて、朝目を覚ましたときに

「今日はいい日」と思えたらいいな。


「大丈夫。今日はいい日になるよ」

 
毎日、そう言い聞かせたら

もっと明るい気持ちで

起き出せるようになるかもしれない。


昨日あったイヤなコト

つい暗い方へと傾く気持ちを

いったんどこかに預けておいて…

新しい箱を開けるように

真っさらな一日が始まるように。



そんなことを、ぼんやりグズグズ

布団の中で考える。


それから起きて、ベランダに出て

空を眺めたり、薄くなった月を探したり。


そのうち東の山の方から

眩しい陽が差してくる。

 

私の朝は、大体そうして始まるけれど

「真っさらな一日」にするのは

やっぱりムズカシイ…

 

 

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「なぜ…」を知りたいヒト

2021-11-08 11:31:09 | ひとりごと

私は歩く好奇心… と気づいたのは

中年をとっくに過ぎた頃。


ずっと外国ミステリーが好きだったけど

「誰が?」じゃなくて

「なぜこんなこと……」が読みたい。


こんなに長生きするなんて

自分では考えもしなかった。

ただ…

「なぜ私はこんなことになったんだろう」

それがいつかわかるんじゃないかと。


それでなんとか、生き延びてきたような気もする。


出産も、乳がんの手術も

「好奇心」が最後まで味方になってくれた。

好奇心が働く限り、私は苦痛とは感じない。



でも、他人には興味がないみたい。


昔こどもに言われたこと。

「オカーサンの好きな映画の順番

1がロボットか動物、2がこども

3,4がなくて、5でやっと

人間(オトナ)になるかな~ってとこ(笑)」

 

現実から離れたいんだから

当然?そうなる。


この先いつまで、どこまで

このままで行けるかなあ…

「好奇心」は、ずっと傍にいて

味方のままでいてくれるかなあ…


それとも、いつのまにか

居なくなっちゃうのかなあ。


最近ふと、そんなことも考える。

 

 

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