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もうひとつの部屋

昔の記憶に、もう一度会える場所にしようと思っています。

そのとき限りの、旅の道連れ 

2021-08-27 16:09:11 | ひとりごと

昔から、私はカラーで夢を見る。


亡くなった父親は

モノクロのタイプだったらしい。


「一度だけ、青々としたネギが出てきて

それが、あんまり綺麗な緑だったんで

今でも忘れられない」と

目を輝かせて話してくれたりした。



私が若い頃からよく見るのは

なぜか「家に帰ろうとする」夢。


色んなバージョンで、何度も見ている。

なので、ラストもわかっている。


当然のように「家には辿り着けない」


鉄道の駅で、出発ホームが見当たらない。

切符を買いたいのに、売り場が大混雑。

広大な?バス・ターミナルで

どうしても乗り場がワカラナイ…


な~んてのはザラ。


大きな客船にやっと乗れたのに

どこに向ってるのかわからない。

そもそもどこに帰るのか思い出せない…



どの夢にも、雑踏のような人の群れが。


でも、誰にも声が掛けられない。

みんな忙しそうだったり、はたまた

仲間と楽しそう?だったり


気ばかり焦る自分とは

無縁の人たち…と感じてしまう。

 

ところがある時(珍しく)

街中を一人で歩いていたら

若い男の子と知り合って

「一緒に行く」ことになった。


彼は、近くの街の友人宅へ

私は(どこかにあるらしい)「家」に帰る

…という、ささやかな旅。


男の子はちょっと内気で

でもいかにも気のいい感じ。


私は私で、彼と同年配らしいのに

若かった頃の私と違って

男の子と気楽に(平気で)喋っている。

 

いつもなら、割りと早くから

「これは夢だ」とわかるのに

このときはすぐにはわからなかった。


でも現実じゃないのはわかってた。


「これは私だけど、私じゃない」


若い頃の私はもっと「不自由な」娘だった。


「この女の子(自分)は、今の私に似すぎてる…」

 

男の子は、友人宅に着く前に

別の知り合い?に出会って

「それじゃあ」

ニコッとして……行っちゃった。


「そうかあ、ここまでか…」

その瞬間、「夢」の中にいたのに気づいた。


どこへ行くつもりだったかも

もう思い出せなくなっていた。


「私、今まで何してたんだっけ…」

 



ずいぶん昔に見た夢だけど

今も覚えているのが不思議。


男の子の顔はオボロ気にしか… でも

あの優し気で、気の置けない雰囲気。


誰にも似てない。

モデルも思い当たらない。

 

そのとき限りの旅の道連れ。


だからこそ、今も忘れないのかな…



 

 

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リジンさんのいない世界② ・・・ 離人症と「痛み」の関係

2020-12-24 16:18:05 | ひとりごと
私は自分が、特に痛みに弱いとは
これまで思ったことがありません。

基本「怖がり」「ヘタレ」の弱虫ですが
歯医者さんが苦手とか、予防注射がイヤだとか
思ったことはないのです。

30代になって出産も経験しましたが
誰かに付き添ってもらいたいとか
陣痛に耐えられるだろうか…とか
不安を感じたこともなく
「せいぜい何日かで終わりが来る」
「インターバルがある痛みだから大丈夫」
なあんて、不思議なくらい楽観的でした。

実際「予想をはるかに超えるような」
痛みではなかったと、後から思いました。

6年前の乳がんの手術でも
麻酔の進歩に驚かされたくらいで
とにかく「治療」と「痛み」を結びつけて
考えたことはなかったのです。

それなのに…


この夏、自室で転んで手首を骨折した際は
日曜日の救急外来で治療を受けました。

整形外科の若い医師が、骨の整復・ギプス装着を
して下さったのですが、その際事前の局所麻酔(腋下から)が
信じられないくらい痛かったのです。

何回かに分けて麻酔薬が(場所を変えて?)注入されるのか
ズキン、ズキン、とほとんど電撃のような痛みが腕に走ります。

それは全身を貫くような痛みとして
私には感じられて… しかもなかなか終わらない。

「いつまでかかるんだろう。ただの麻酔(の筈)なのに」
「私、これ最後まで我慢できるかしら…」

そんな心配を病院でしたのは初めてです。

悲鳴を上げないようにしようとすると
どうしても身体に力が入ります。

他のスタッフの方が
「力入れないで。深呼吸して。リラックスしてください」

「そんなこと、できるわけないでしょう!」
と言いたかったけど、声が出せないので仕方ない。

いい加減我慢の限界…という頃になって
やっと麻酔が効いてきて、本当にほっとしました。

ところが…


無事ギプスを巻いてもらって
あとは点滴を外すだけ…となったときのこと。

腕に貼ってある絆創膏を外しながら
また別のスタッフの方に言われました。

「そんなにビクビクしなくていいですよ。
血管に金属の針が入ってるんじゃなくて
プラスチックの管だから、血管突き破るようなこと
ないんですから」

そのちょっと小ばかにしたような口調に
私も一瞬、本気で腹が立ちました。

「それくらいわかってます。でもね
腕を空中に浮かせて絆創膏外されると
金属の注射針じゃなくても
血管内で揺れて、痛みを感じるんですよ。
せめて腕をどこかに固定して、外してもらえませんか」

・・・なあんて、もちろん言いませんでしたが。


それより、どうしてこれほど「痛い」のか
そのことの方が気になって
家に着くまで、ずっと考えていました。

折れた手首は、ギプス固定と麻酔の続きとで
痛みは感じてなかったのに。


その後、そのときの麻酔について、別のドクターから
「そんなに痛かったですか(オカシイなあ)」と
不思議そう言われたとき… 

私は初めて、自分が以前の自分とは違う状況に
いるのかもしれない…と気づきました。


次の瞬間、すごい衝撃。

「離人症が消えてしまったんだ…」


脈絡も何もないまま、突然閃いたことなのに。

「これまでの『痛みを怖がらない自分』というのは
『離人症』に守られた自分だったんだ」と。


私の長年にわたる離人症の原点には、幼い頃に何度も受けた
「大腿部に直接太い針を刺す」補液の経験が
あったのかもしれないと、改めて思いました。

逃げようにも逃げられない「痛い」治療。

私は、こどもが苦しむのは病気そのものより
治療の苦しさだと思っています。

「それはあなたが重い病気の経験がないからだ」
と言われれば、確かにそうでしょう。

でもこどもの場合、説明されたとしても
「治療」の必要性を心底納得しているかどうかは
少なくとも、ケース・バイ・ケースでしょう。
納得してないこどもも少なくないはず。


私はたまたま医者の家に生まれ
幼い頃は身体が弱いと思われ
過剰なほどの医療を受けてきた経験から
「こどもにとっては、病気の苦しみより
治療の苦しみ方がよっぽど辛い」と
思うようになってしまった…

そんなことを思い出しながら、私は
「本当にリジンさんはいなくなったんだ」と
納得する気持ちになりました。


そこまで「離人症」が自分という人間に
「組み込まれて」いたのには驚いたものの…

母親のややエキセントリックな子育て
父親の理想主義と「戦争」の影
祖父母と両親の間の諍い…

そういった「精神的」な理由だけで
ここまで長期にわたって続くような
ヘンな離人症につきまとわれたとは
私としても正直考えにくいところがあって…

それよりは、子どもにとっては大問題である
「痛み」も引き金のひとつになったのだと思った方が
今となると、納得しやすいのです。

私はそもそも「怖がり」のこどもでした。



それにしても…

今後の自分が、ちょっと心配ではあります。

骨折についても「骨が折れた」痛みそのものより
麻酔その他の「治療」の方が、私にとっては辛かった。

「とにかくケガしないように気をつけること」

「自分が痛みに弱い(「痛みの閾値が低い」)のを
自覚しておくこと」


昔、長年の友人から
「あなたも私同様『痛みの閾値が低い』人だと思うよ」と
断言されたことがありました。

「なぜそこまで言い切れるのかなあ」と不思議でしたが… 

今となると、その人の言葉は当たっていたことになります。

その人には私が、私自身より
よく見えていたのかもしれません。






https://blog.goo.ne.jp/muma_may2/e/efcf3a135a7ce615f7cae35fbc4f6427?fm=entry_awp
                     「ねねの日-37 フーセンがいっぱい」
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リジンさんのいない世界① ・・・ 怖くてたまらない 

2020-10-16 14:45:35 | ひとりごと
リジンさんがいなくなったのに

ようやく気がついたのはよかったものの…

うつっぽい時期には、これまで以上に

朝起きるのがツラくなった。


精神的なエネルギーが足りなくて…というよりは

これまで見てきた人間世界で、これからも

やっていかなければならないのが

ただ、怖くてたまらない… 

そんな不安を、強く感じるようになった。


ある朝、その感覚に出合ってみて

初めて私は、リジンさんについて

本当に「腑に落ちた」気がした。


「だから…だったんだ」


子どもが毎日、これほど怖い思いをしていたら

そのままで済むはずがない。



「明日目が覚めませんように」と

毎晩布団の中で祈ってから、眠りにつく。

それがオカシイと気づく術が

子どもにはなかった。


家を出るときは右足から…

ここからここまでは5歩で歩く…

アタマの中はいつも忙しかった。

大人は私が遊んでいるのだと思っただろう。


できないと戻ってやり直すくらい

本人は真剣だったのに。

きちんとできないと

何か悪いことが起きそうで

不安でたまらなくなるから

一生懸命、数を数えて歩いていたのに。



あのときの自分

あの子どもが感じていたのは

こういう怖さだったんだ…


リジンさんがいなくなって

もう一度それを体験して、やっと

それが私にも見えてきたのだと思う。



今の私は、子どもでも大人でもなく

既にオバアサンの年齢だ。

それでも、同じ「怖さ」を感じる。

この期に及んで、いまだにそうだという自分に

呆れてしまって、何も言えない。


それでも…



リジンさんは、自分が必要でなくなったと感じて

姿を消したような気がしてならない。


「怖い」と感じる私が、本来の私で

それでもそのままで生きていける…と

言ってくれてるのかもしれない。



最近は、昔の記憶が

「反射的に」蘇ることが減った。


子ども時代のことについては

自分のではなく、周囲に居た人たちのことを

「懐かしさ」と共に思い出すだけ。


大人になってからのことも

辛かった記憶はどんどん

薄れていくのがわかる。


ここまで来れば

「記憶」が私を脅かすことは

この先もうないのだろう…という気になる。


これから本当に「怖く」なるのは

家族や自分の「老い」「死」という

「目の前の現実」だけだろうから。

今の私が脅えているのも

そういうものの「怖さ」だろうから。



もう私の周りには誰もいない。


居るのはみんな「死んでしまった」人たち。

ときどき姿を見せて、笑ったり

声を聞かせてくれたりするだけ。



だからきっと、リジンさんは

居なくなったんだと思う。







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リジンさんがいなくなった…  

2020-10-09 13:22:06 | ひとりごと
失踪事件かペットの家出みたいなタイトルだけれど…


こどもの頃からずっと身近だった「リジンさん」の気配が

いつのまにか、きれいさっぱり消えているのに

最近になってようやく気づいた。


キツネにつままれたような気分って、まさにこのこと。

ま、消えているのに全然気づいてなかった

自分にも驚いた(呆れた)けれど。



「リジンさん」が初めて

私のところにやってきたときのことは

今もはっきり覚えている。


両親と祖父母の間で

深刻な(と子ども心に思った)トラブルが起こった頃。

ずっと一緒に育った姉は、遠方の中学に入学して家を離れ

私はひとりでいることが多くなっていた頃。


ある日茶の間の畳に寝転んで、することもなく

自分の右手を持ち上げて、ぼんやり手のひらを眺めていた。

遠くの蔵座敷の方で、大人たちの声が聞こえた。

何を言っているのかは、わからなかった。


ふと、自分の手が、自分のものじゃないような気がした。

近づけても遠ざけても「自分とは関係ない」

ただの「人間の手」にしか見えない。


でも、そのときはそれを

特に不思議とも思わなかったらしい。

その後もひどくなったり軽くなったりしたけれど

こどもの私は、さほど違和感を持たないままだったと思う。


生まれつきの近視で、早くからメガネをかけていて

「肉眼で見る」のと「レンズを通して見る」のとでは

「現実感」が違うことにも気づいていた。

その延長線上の(当たり前の)日常として

そのまま馴染んでいったのかもしれない。


それが「当たり前」でなくなったのは

いつのまにか学校も休みがちになった

高校生の頃…だったと思う。


夕方、あたりが薄暗くなる頃

親には「散歩に行くから」とだけ言って

よく街路を歩いた。


学校に行かなかろうが、夜一人で出かけようが

「受験生」の私のすることに、親は寛容だった。

無闇に刺激しない方がいい…という

大人の判断だったのかもしれない。



町の風景は無彩色。

すれ違う人たちは皆、灰色の魚の群れのよう。

自分もその中のひとりと頭では分かっているのに

同じ空間にいるという感覚がどうしても湧かなくて

いったい自分はどこにいるんだろうと思う。


透明で柔軟なタマゴのカラに包まれて

自分だけ空中から外を見ているような

その実何も見てないような…




親元を離れた学生時代

「離人症」という言葉を初めて聞いた。

それでも、自分の「日常」となっているこの感覚を

その言葉で呼ぶのだとは思わなかった。

病名の一つとして知ることは、自分の「現実」とは

別次元のものだったのかもしれない。



私にとって重荷だったのは

「生きている」こと、それ自体。



小さなこどもの頃からずっと

私はいつも、大人になぜ笑われるのか

(それよりずっと頻繁に)なぜ怒られるのか

いつも不可解なまま、ただ恥ずかしく、恐ろしく

自分がこのまま石になってしまえたら…と。


怒る大人の顔は、怒っていないときと

同じ人とは思えなかった。


けれど、リジンさんが私の傍に居つくようになって

私は「無表情」が使えるようになった。

「鉄面皮」ってこういうのだろうか…と

幼いなりに心に思った記憶がある。


「顔」だけで足りないときは

ひとりになるのを待って

何度も自分に言い聞かせた。


「私は何も聞こえない」

「私は何も感じてない」




オトナになって、精神科に入院するとき医師に言われた。

「離人症は自分を守ってくれてるところもあるから

あまり気にしない方がいい」


カラの中の私はぼんやり

そうなのかなあ… よくわからない。

でも、どうこうできるものでもないし…



「何を考えているのかわからない」

「あの子少し陰険よ」

…あ、こういうのではダメなんだ。


私は極力「おひとよし」を装うようになった。

「人がいいのね(ほんと世間知らず)」

「優しいのよね(ちょっとバカなんじゃない?)」


どう思われてもかまわない。

カラの中まで届かなければ。


私が、私の内側の世界で

「存在しない者たち」とのあれこれに

忙殺されかけていた頃…

リジンさんと透明なタマゴのカラは

私の外側を守ってくれてる

「守護神」だったのかもしれない。




けれど、そんなリジンさんは

数年前から少しずつ影が薄くなって…


今はもうどこにも、気配もなくて…



「守護神」が、ささやかなお守りくらい?になって

やがてそれも見当たらなくなったら

一体どんな世界が待っていたかを

今の私は、日々体験しているのだと思う。


(それがどういうものだったかは、またいつか)


                  
                 

                   8月29日タイトル初出




リジンさんと関係がありそうな?別ブログの記事も載せておきます(自分の備忘・参考用です)

https://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/c49fadd917f5268a41dca8611bb8fae3「車の運転と『離人症』」
https://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/841b5787a09fcf04bd5178fadc9b9cb7「透明なタマゴのカラの中で」
https://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/77fb91181881502fa1f74d88416b82c5「『存在しない』者たち・・・『ビューティフル・マインド』」
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「…でも、わたしはこどもを育てなくちゃ」

2020-08-25 20:31:18 | ひとりごと
明け方に見た夢の話。

目覚めたときは、ぼんやりとでも
ストーリーを覚えていたのに…

覚醒してしまうと思い出せない。

ただ…

とりとめない話の流れの中
突然、自分の声が聞こえた。

「でも、わたしは子どもを育てなくちゃ」


…そこで突然目が覚めた。


「子ども」というのが何を指すのか
定かでない感触が残った。

自分の実の子どもたちのことだと
夢の中では、思っていたらしいのに。

なんだか…

本当に育てるべきコドモは他にいるのに
それは一旦、どこかに置いて
目の前の子どもの世話を
今はしなきゃいけないのだと
自分に言い聞かせているように
聞こえたのだろうか。


実際、子どもたちが幼い頃
何年間か、私は本は読まなかった。

意識して「読まないように」していた。


読み始めたら、私はきっと
子どもの世話がイヤになる。

子ども自身を「うっとうしい」「面倒」
もしかしたら「邪魔」とさえ
思うようになりそうで…

本を読むのを諦めた。

そのときには、ただそれだけの
ことだったのに…


気づいたときには、いつのまにか
「ことば」に思いを巡らすことも
人の内面を覗き込もうとするようなことも
遠い世界の事柄になった。


夢の中の自分の声は、なぜか
昔、そんなことがあったのを
私に思い出させた。

私はその後、「わたしのことば」と
もう一度近しくなることは
なかった…ということも。


「文学」も「ブンガク」も、私からは遥か遠く
「ことば」は日常のツールの顔しか
私には見せなくなっている。

かといって、不器用な私は
「道具」の使い方も
なかなか上手くはならない。


「努力」と無縁の自分には
それはそれで仕方ないこと。

それなのに…


わたしはもう一度、言葉の世界の
入り口を見つけたい(らしい)。


単なる「道具」の顔だけじゃない
「わたしのことば」だった?ものの
残骸・痕跡にでもいいから
もう一度、私は会いたいのだ。



長い間放ったらかしにしておいて
そんなことを、今思う。

虫のいい、或いは単に
気まぐれなだけの望みだとしても。







(2020年6月22日タイトル)
コメント (4)
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