もうひとつの部屋

昔の記憶に、もう一度会える場所にしようと思っています。

私の眼の、届かない所に行きなさい

2023-11-29 11:38:13 | K市での記憶

近いと、見えなくてもいいものまで

目に入ってしまう。 どうしても

口も手も出したくなる。


「だから、近くには住まないでほしい」


亡くなった母は、もしかしたら

昔からそう思っていたのかもしれない。


わたしは、直接そう言われたことは

なかったけれど。

 

それがわかったのは、姉が実家の敷地に

家を建てようとしたとき。


母ははっきり口に出して


「境界がちゃんとわかるようにして!」

「廊下で繋ぐなんて言語道断!」


「近いとロクなことにならないのよ。

(それがどうしてわからないの?)


自分たちで買った土地があるんでしょう。

そっちに建てたらいいじゃないの」

 

対する姉は、母の言葉に

全く耳を貸さなかったらしい。


姉の夫にあたる人も

姉がなぜ、そこまで実家の近くに拘るのか

最初は理解できなかったと聞いた。


母の若さ(50代半ば)と本人の希望から

「お母さんの老後の心配は、まだ早い。

予定通り、自分たちの家は

自分たちの買った土地に建てよう」と。


それでも姉は、粘り強く夫を説得。


結局、母の住む実家の隣に

新居を建てた。

(自分たちが買っていた土地は

その前に手放したという)



話が本決まりになった後で

わたしは電話で事情を聞いた。


当時のわたしは、故郷を遠く離れ

夫の転職に応じて

引っ越しを繰り返す日々。


姉はそれも考えた上で

「あなたもその方が安心でしょう?」と。


安心も何も、わたしはわたしで

母自身がまったく望んでないことを

そこまで自信をもって決められる姉が

理解できなかった。



姉は言った。


「わたしは老人病院に勤めてみて

初めてわかったの」

人は、人生の終わりに近づくと

ひとりで生きてはいけない。

最期に、誰かの手を借りずに

ひとりで死ぬことなんてできない。

「その誰かの中には、家族も必要なのに

あの人(母)は、それがわかってないのよ」


姉は、そういう意味のことを

諄々と諭すようにわたしに言った。



娘には絶対に迷惑はかけたくないという

母は母で、自分の老後のことは

考えている様子だったのに。


姉はそれを「母の強がり」

「真に受けるわけにはいかない」と

本気で聞く気はないように見えた。

 

母は、娘やその家族に

近くに住んでほしくないと

あれほど本気で言っているのに…


どうしてその「本気」の度合いが

姉に伝わらないのか

わたしには不思議でならなかった。

 


幼い頃から、その強圧的な姿勢

ヒステリックな物言いで

姉もわたしも、母を恐れていた。


それでもわたしは

自分も家庭を持った頃から

母がわたしとは遠く離れていたいと

望んでいるらしいのを、どこかで

感じ取っていた気がする。


ただ、わたしはそれを

「自分(母)の責任範囲の外でなら

なにがどうでも自分とは関係ない」

というような、母の割り切り方だと

理解していた。


母にはそういうドライなところも

あるように見えていたから。

 


「私の眼の届かない所に、行きなさい」


顔の見えない、ずうっと向こう。

声の聞こえない、はるか遠く。

 


口出し手出しし過ぎる自分に気づき

あれほど気性の激しかった母が

本気で抑えていてくれたのに。

 

その意味に、わたしが本当に気づいたのは

母が亡くなって、ずっと後のことになる。

 


進学を機に故郷を離れて以来

「実家」は自分にはないもの

(あっても頼るわけにはいかないもの)

そう思って生きてきた。


それには、わたしなりの

人には説明しがたい理由もあった。



それでも、わたしは

こどもの頃も、オトナの今も

あの母を、好きなままでいる。



あれから50年。


年と共に、思った以上に

自分にも母と似たところが

あったのに気づいて

驚いたりしている。

 

 

 

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「上」が全部いなくなれば、自分が見えてくるよ

2023-11-27 14:26:18 | K市での記憶

仕事から帰った父は

ネクタイを外して着替えながら

世間話をするように言った。

 

「オレなあ、この年になっても

自分がどういう人間か

全然わかってない」


「アンタ、どうや?

自分がどういう人間か

わかってるか?」

         
         ワカッテナイ…


「そうやろう。そんなもんや」


         ???


「いや、今日な、長いこと会わんかった

中学の同級生に、たまたま会うたんや」


「で、立ち話してたら、そいつが

『そういえば、昔っから○○(父の旧姓)は

ようそんなこと言うとったなあ』って言うんや」


「そんなことって、大したことやないけど

そ~んな昔から、自分が言うてたとは

思わんかったから、もうびっくりした」


「ほんとかあ?って聞いたら

『だってお前、そういう奴やったやないか。

自分で覚えとらんがか?』って」


「覚えとらんのやなあ、それが」

「相手は何でもなさそうに言うんやけど

自分がいつも、そんなこと言うとったとは

どうしても思えん」



「要するに、や」


「自分で自分のことが

今でも全然わかっとらんのやわ。

この年になっても

自分がどんな人間なんか」

 

      イツカワカルモンナン?

      ワカランママ??



「あんなあ、自分より上のヤツがおるやろ。


      ウエノヤツ?


「親とか兄弟、兄貴とか」


「それが一人ずつおらんようんなると

少~しずつわかってくるんやわ」


「全部わからんでも。少しずつでも」


       オトウチャン、マダワカッテナイッテ…


「そういえばそうやった(爆笑)」


「でも、そうなんやぞ」

 

 

父がガンで亡くなる、何ヵ月前だったか…


書斎の大きな姿見の前で

何気なく交わした会話を、今も時々思い出す。


もう30年以上前のこと。


でも、70歳目前の今も

わたしは自分がどういう人間か

ヨクワカラナイままだ。


今思うと、当時の父は60そこそこ。


妙なところが似た

父娘だったんだな~と

ちょっと呆れている。


 

 

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ロッカーと思うことにしたから

2023-11-14 15:29:38 | 若い友人との会話

若い友人との四方山話。


新聞を見たりするうちに

なぜか「社会規範」「常識」が話題になって…

日本では、どうしてみんな

そんなに縛られたままでいるんだろう。

道徳だの倫理だのは、とっくに

タガが緩んでしまって

エライ人たちはムチャクチャしてるのに

ヘンな「常識」は生き残ってる… などなど



すると、友人は突然


「僕は、自分のこと

ロッカーって思うことにしたから

(常識とか世間とかは)平気になった」


「ロッカーって物入れみたいやけど(笑)

でも、そう思うようになったら

社会規範から外れても当たり前?になった」

 

     初めて聞いたわたしはビックリ!

     でも、即思った。

    
     「いいわね、『ロッカー』って。

     わたしもなりたい!」


     
     「これまでずっと、自分のことは

     専業主婦のカクレミノ着た

     『ロクデナシ』って思ってきたけど

     おたくの『ロッカー』と

     似たような人種… じゃないかな」


(「おんなじおんなじ」と真顔で友人)  

   
     「でも、そーゆー言葉は(自分については)

     浮かばなかったの。なんでやろ」

    
     (そんな肯定的な?言葉、全然)

 

     「そういえば、ロッカーになるって

     決めたきっかけは何だったの?

     さっき聞いたばっかりなのに

     忘れちゃった。ごめん」

 

「ううん、謝ることない。

学校行かなくなったときだと思うよ」


「そう、あのとき。・・・たぶん。

『ロック』なのは尾崎豊のせいだな(苦笑)」

 

     「わたしは絵ぇ描くの好きやったら

     自分は絵描きやから…とか

     何か書くヒトやったら『詩人』やから…とか

     思ったかもしれんね。それでルートから降りる」


     「でも何もしないヒトやったから

     そういう言葉は思いつかんかったの」

 

「僕もロックなんかやらない(笑)

聞くだけやけど、それでも『ロッカー』

聞くの好きやから。それだけ」

 

     
     (友人のこういう笑顔に

     わたしはどれほど支えられてきたことか。

     彼が、小学生で「学校をやめた」後

     既に20数年が過ぎた)

     

 

 

 

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今がすべて、今しかない…でも

2023-11-06 17:14:28 | 若い友人との会話

若い友人との四方山話の途中で
友人はわたしに、さりげなく
でも、これだけは言っておきたい
という風に

「生きてる間に、一度はやってみたいと
これまでに思ったことがあるなら
今からでもやってみたらいいと思うよ」

「それでクタビレて1週間くらい寝込んでも
今はもう、ウチでは誰も困らない。大丈夫。
やっとそういう時期が来たんだよ」

友人は、「遅くなって悪かったけど…」と
小声で、ちょっとすまなそうに
付け加えた。


わたしはわたしで
最近、ふと思ったことがある。

 
そろそろ70という歳になった今
振り返ると、色んな時期に、あちこちに
「開けようと思えば開けられる」
扉があったのが見える。


でも、自分はその当時
ソンナモノは全く見えてなかった。

見えるけど開けなかったんじゃなくて
本当に見えてなかった(何もないと思ってた)


扉、分かれ道、そんなものは何もないまま
ただただ歩かざるを得なかった…

自分の来し方は、わたしには
ずっとそういう風に見えていた。


などという話も、それまでにしていたのだけれど
友人は、それとは別の次元の話
もっと現実的なこととして
言ってくれてるのがわかった。

ここしばらくの私の「不調」を見ていて
そういう話も、この際しておいた方がいいと
思ったのかもしれない。

 

友人は言う。

「過去は変えられないし
未来は誰にもわからない」

まあ、自分についても
同じなんだけど…と言いながら


「それでもほんとに、あるのは今だけ。
『今』しかないんだ」と。


友人の口調が真剣だったせいで
わたしは素直に
「やりたいと思ったこと」を
しばらく考えてみた。


けれど… 何も思い浮かばない。

好きだったこと、やってみたいと思ったことは
そのときそのときで、あったはず。

遠い過去のことだとしても
何もなかったというのは
いくら何でも、嘘になるはず。


でも、きれいさっぱり
何も浮かばない。


ちょっと浮かびかけても
「今」やってみようと思うような
気持ちには、まったくならない。


一生懸命考えても、結局
「思いつかない」ことに
自分でも驚き、呆れたけれど…

実際そうなのだから、仕方ない。


さらに自分でも驚いたのは
ここ数年ずっと思い続けてきたことが
不意に口を突いて、出てしまったこと。


「私は今、本当にしあわせなの」
(こんな言葉を人に言うことがあろうとは!)


「だからね、正直に言うと
今人生が終わったらいいのに…って
思うことはあるよ」


相手がギョッとしたのがわかったので
話を和らげる?ために
軽い調子で映画の話をした。


「とても仲良く暮らしてる夫婦の
奥サンの方が突然、大雨の日の
増水した川に、身を投げるの。

誰もその理由がわからない。

髪結いの亭主だったダンナサンも
何もしなかった自分が悪かったのか
とか思うんだけど… 違うのね」


「彼女が自分から死を選んだのは
『今の幸福の中で死にたい』
と、心の底から願ったから」


観た当時(30年以上前)は
いかにも作り物のストーリーに思えた自分。

記憶違いかもしれないけれど…

でも今は、あの奥サンの気持ちも
わかる気がする。


「今の幸福がいつまで続くかは
誰にもわからない。というか

多分そんなに続くようなものじゃない
ってわかっている。 だから…」


今のこの幸せの絶頂で
自分は人生を終わりたいのだと。



彼女の死の選択は能動的だと思う。


でも、わたしの願望は多分
老いることへの不安?から来ているだけ。



「生きているのがつくづくイヤになった」
「早く死にたい」

と、夜中に電話してくる知人や親族は
これまでも何人かいた。


うつっぽさに長年つきまとわれている
わたしにも理解できる気持ちだと思った。
(返事にはいつも困ったけれど)


わたし自身、こどものころから

「早くこんなこと(生きてること)終わればいいのに」
「明日の朝、目が覚めなければいいのに」

と、いつも心のどこかで思っていたけれど…


気づいてみると、いつのまにか
そういう風には思わなくなっている。


私は元々「あの頃はよかったな~」
「あの頃に戻れたらいいのに」

なんて思ったことが一度もなかった。


いつも「今が一番しあわせ」

そもそも「わたしは幸せなはず」

ほんとにそう感じていたのか
そう思わなければいけないと思っていたのか。

とにかく心の表面では
いつもそんな声が聞こえていた。



それが作り物(嘘)だったのが
今となるとよくわかる。


何をそんなに頑張っていたのだろう。

でも、当時の自分には
それが必要だったのだろうとも思う。


しあわせじゃないときほど
「しあわせなんだ」と思いたい。

そう思えないと、なぜか誰かに
申し訳ないような気がしてしまう。


生きていくのに一生懸命な時期には
そういう「目くらまし」も
重要に思えることがあるのかも。



でも、わたしはもう
「生きるのに一生懸命」じゃない。

「一生懸命」じゃなくても良くなった。 なので


今感じている幸せは、わたしにとっては
本物なんだろうと思う。

だから「今、さっさと死にたい」
というのも正直な気持ちなんだよね。
(ここまで来ると笑い話だけれど)

 



ここまで長々ダラダラ書いてみても
何が言いたいのかわからない。

単なる覚え書・下書き・メモなんだけど
下書きファイルに紛れてしまうのも
残念な気がして、UPしておきます。

 

それにしても
「やってみたいことが思いつかない」なんて
ずいぶん若い人の台詞のような気もして
自分でも笑ってしまう。

総ては体力不足(化学物質過敏も含めて)
と言われれば、正にそうです(^^;



ヘンな話につきあわせて、若い友人には
悪かったと思いましたが
「しあわせな今、人生を終わりたい」
と、誰かに一度言いたかったのかもしれません。

「話せて少し元気が出た。ありがとね」
と、翌日友人に言うと
「とにかく元気が少しでも出たなら良かった」
と、言ってくれた後
「たまに誰かに言う機会があった方が
いいようなことなのかもしれないな…」
とかなんとか、独り言のように呟いていました。


さすがに、あんまり寄りかからないように
心しないといけないと思いました(^^;

 

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