もうひとつの部屋

昔の記憶に、もう一度会える場所にしようと思っています。

フィクションだったんだ(知らなかった~)

2020-01-23 15:51:26 | なんでもないハナシ
村田沙耶香さんの朝日新聞への投稿記事(「気持ちよさという罪」)を読んで
村田さんの子ども時代や、その後の友人との関係などが
あまりに自分と共通だったのに驚き、何か一冊読んでみよう・・・と
芥川賞受賞作「コンビニ人間」(2016)を図書館で借りました。


主人公の感覚はよくわかる(と思いました)。

コンビニがある現在だから「コンビニ人間」だけれど
無い時代を選んでも書ける小説かもしれない・・・とも。

少なくとも、この主人公の感覚は
いつの時代にもあるもののような気が
私はしたので。


でも、もしかしたら「時代性」と絡めて
「分析」される場合が多いような
そんな作品かもしれないとも。

文芸作品を読むのはごく稀な私としては
受賞当時、どういう批評をされたのかも全く知らないので
個人的に想像するだけですが。


それより、私にとって読んだことに意味があったのは
「書く」ことを、初めて本気で(多分)考えさせてくれたことです。


自分の書くモノ(ブログ記事)は、ある種の「砂糖菓子」だと
以前から自分で思っていました。

脚色というほどのことはせず、ただ
過去に自分が見聞きしたコトを、ほとんどそのまま
書いているだけなのですが・・・

10年後くらいに自分で読んだとき、
カッコつけてるなあ・・・とか
イヤなこと(わざわざ)文章化してるんだなあ・・・とか
はたまた、何言ってるのか自分でもヨーワカランとか
そういうことだけは避けたいと。


気をつけていたのはそれだけ。
なので、「創作」からは程遠い
(将来の自分のための)覚書のつもりでした。

「読む人」としては、何年後かの
「過去を忘れてしまった」自分しか想定していないので
文章が少しでも上手になりたいとか
ほんのちょっぴりでも洗練?されたいとか
全く考えたことがなく、実際「進歩」がないまま
今に至っています。


でも・・・

村田沙耶香さんを読み出すとまもなく
記憶の倉庫のどこやらから
「思い出したくない」ことが、バラバラいくつも現れて
最初は愕然! その後は・・・ただただ呆れました。

「書くつもりがなかった」コトどもは
埋もれたままで時が過ぎていただけ。
消えてしまった訳じゃなかったんだと。


愚かな私は、「砂糖菓子」だけを記憶に定着させるつもりで
耳ざわりがいいことだけ書いてた・・・
だから「書くと元気になる」って「経験的に」気づいてた。

「書く」ことは時間もエネルギーも要する
なかなか思うに任せないコト。

それでも「気持ちよかった」んですね、書くことは。

「砂糖菓子」の甘さが、ちっぽけな自尊心に
美味、快感、心地よさを与えてくれる。

怖がりで依存症体質の自分が
そこに浸りたかった気持ちはワカル。
書いてる間は全然わからなかったけど。



人の記憶というのは(私ほど空っぽのアタマでも)

「亡くなった人の名誉を傷つけない」
「見たくないモノを見せられずに済む」・・・つまり

「自分にとって都合がいいものだけ残す」なあんて
自分で「操作」できるようなものじゃなかった。


この「もうひとつの部屋」の「ねねの日記」はもちろん
「眺めのいい部屋」の家族や身内、知人の風景も
ぜ~んぶフィクションだったのです。(ダラダラ日記ブログさえ)


気づいてなかった・・・(ほんとに?)

「あったこと、聞いたことを、そのまま書いただけ」
な~んて思ってた自分は
な~んて「カッコつけて」たんでしょ。

「砂糖菓子」は「創作」なんぞというほど
高尚なもんじゃあもちろんないけど
それでも「虚構」ではあったのです(当ったり前じゃないのォ)


その後、「地球星人」(2018)を読んだときには
もう「思い出したくない」コトばかりが
波のように次々押し寄せて・・・ほとんど茫然。

そんなにまで、私には
「忘れたい!」ことがあったのか。

その記憶はどうするつもりだったのか
書いた当時の自分に聞いてみたい。

(「考えてなかったの。ソンナコトまで」って
きっと言うな~ 薄っぺらなアホやから)



という訳で、「書く」ということについて
もう少し真剣に考えないとイケナイ・・・なんて
(65歳にして漸く)考える機会を与えられたような気が・・・

(って、ウソでしょ? またカッコつけて。

ま、でもショックだったのはホントかも。
胸騒ぎばっかり忙しくて、まだアタマの方は全然働いてないけど)


「今更思い出さない方がいいのに」って声は
ちゃんと聞こえる。 
その方がまだしもカシコイのかも・・・と思うのは
現実に65歳である私でしょう。

でも・・・

「砂糖菓子はさんざん作ったやないの。
砂のお城よりヤワやったけど、ま仕方ない。
それでも結構長持ちした方」

「アンタ甘党でもないくせに・・・飽きてきたんちゃう?
さっさと次探しにいった方がマシよォ~」

などなど、コドモとも何ともつかない
(でも絶対オトナじゃない)私の声も
矯正メッキが剥げた今じゃあ、無視できない。


「次」を探す道の歩きにくさも
さすがに見えてるし・・・おまけに
「飽きっぽくて、低エネルギー」な自分。

歩きだして迷子になる前に
すでに迷いっぱなし。


「どーしよーかなー」 


(でも、「好奇心はネコをもコロす」・・・なんだよね)


  

コメント (10)
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