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もうひとつの部屋

昔の記憶に、もう一度会える場所にしようと思っています。

ここにずっといられたから…でも

2025-08-18 17:30:58 | ひとりごと

8月前半は、あの戦争や原爆についての

テレビ番組が多くなる。

長崎で被爆した小学生たち。

全校生徒1500名のうち

1300人が亡くなったという。


生き延びた百数十名。

その中に、被ばくで視力障碍が残り

しかも中学生の頃には性被害に遭い

「だんだん人を避けて暮らすようになった」

という女性がおられた。


仕事はなかなか長続きせず

「パチンコ店に何度も務めたりしたけど

すぐクビになったり…」


被爆者保護(救済?)のためのカトリック系?の施設で

「これまでで一番若いって言われたけど」

受け入れられて、そこにずっと暮らしてきた人。


「あれから40年以上ここにいるけど…

ここにいられるようにならんかったら

わたしにまともな暮らしなんて…考えられん。

あり得んかった」

本当に感謝してる…と言いながら、それでも


「これまでは誰にも言わんときたのに

ここに出て話す気になったんは…」


『ひとり身』のつらさが言いたかったからだと。


「聞いた人にイヤな思いをさせるようなコトも

言う気になったんは、ただそのつらさを

知ってもらいたかったから」


男性の撮影スタッフに目を向けて

「ごめんなさいね。いやでしょ、こんなこと聞くの」


謝る必要のないことも謝るのは

赤の他人の中でずっと、おそらくは

さまざまな差別を受けながら生きてきた

この人の身の処し方…と思うと

家族が皆、亡くなった後の

「ひとり身」の人生が透けて見える気がした。


施設にいる人たちは、同じ被爆者。

気楽に、ときに楽しそうに話しているこの人の

孤独(という言葉では軽すぎる)の深さ

その冷たい手ざわりに

胸がしめつけられる思いだった。

 

翌日は、夕食後、家族や若い友人と

「被爆した人1000人から話を聞いて録音する」を目標に

重い機材(オープンリールの録音機)片手に

全国を手弁当で回った人の実話ドラマ?を観た。


人物の気持ちのわからないところや

なぜ??な部分を口々に言いながら、聞きながら

深刻な内容、驚くべき(辛い)エピソードにもかかわらず

それはどこか楽しい時間でもあったのだろうか。


娯楽として消費できるような作品では全然なく

家族は、最後に「でも、なんか……重いよね、やっぱり」と

ためいきをついていたのだけれど。

 


そして、さらに翌日。今朝のこと。


わたしは、目が覚めるとき

なぜか突然、自分が本当にしあわせなのだと

初めて広々とした気持ちで思った。


自分はシアワセなんだろうな…と思うことは

これまでも何度もあったけれど

これほど「腑に落ちる」思いで

感じたことはなかったと思う。

 

あの施設にいた女性は

「ここにいられたからこそ

わたしはまともに暮らしてこれた。

40年以上もここでこうして…」


そして続けた。

「これがわたしの……」


そのあと、言葉が続かない。もう一度

「これがわたしの… わたしの…」


やはり言葉は出なかった。


あとに続くのは「人生」に近い言葉?

もしかしたら「一生」というニュアンス??


でも、わたしでもそう続けたくはない。


これがすべてとは思いたくないし

そんなに簡単に片づけたくない。


もっと大きい、もっと深いものを

言葉にしたかったんじゃないかと

わたしは勝手に思った。

 

あの人が口にした

「ここにずっといられたから」


わたしが今朝感じた幸福感・納得感も

言葉に直すと

「この家(家族・家庭)があったから」

「そこにずっといられたから」

 

世の中から、人から

とにかく離れて生きたかった。

実際、そういう経路を辿った人生になった。

 

それでも、わたしには

(保護区のような)「家庭」があり

もちろん被爆者でも視力障碍者でもない。


なのに、わたしは心から「しあわせだ」とは

思ったことがなかったのだと。

 

テレビの中のあの女性を知ってはじめて

自分は、昔も今も、しあわせだったんだと

「腑に落ちる」ものがあったんだと。

 

自分でも、何をどう感じてこうなったのか

シリメツレツな気がする。

あの女性に申し訳ない気がとてもする。


それでも、あの人が話して下さったおかげで

わたしの中の何かがリセットされたのを感じる。


娘(わたし)のことをずっと心配していた両親(故人)に

「もう大丈夫。約束を果たしたよ」と

言えそうな気がするほどに。

 

戦争の、原爆の、もたらす悲惨さを

父は教えたかったのだろうか

小学校低学年の娘たちに

雑誌ライフの有名な写真を見せるような人だった。


それは、感じやすいこどもにとっては

迷惑至極なことだったけれど

回りまわって、こうしてあの女性の話に

つながっていたのかと思うと…



人間は「核」を手放さないといけない。

爆弾として使うなんて言語道断。


そのことだけは身に沁みました。



番組や出演して下さった方々の意図とは

全く違う受け取り方を

あちこちでしたのかもしれないけれど

どうぞゆるしてください。

 

 

 

 

「『保護区』に暮らす」

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現実とつながれない朝

2025-06-04 09:22:02 | ひとりごと

朝、目が覚めて

なんとか起き出しても

「昨日のつづき」にならない…

そんな日が、今でもある。


べつにウツっぽいわけでもなく

気分がはっきり沈んだり

重力が急に大きく?なったりとか…

そこまでのことじゃないのはわかる。


でも、毎朝するようなこと、たとえば

台所をちょっと片づけたり

着替えて散歩に出ようと思ったり

そんななんでもないことが

まったく自分と関係ないようで…

昨日までしていたことが

自分からすっぱり切り離されて

知らない人の生活、人生?にしか

思えなくなるような感じ。


いつもはそういうときは

お天気が下り坂だから…とか

雨が振りそうだし…とか

気圧?のせいにしたりする。


なにか理由があった方が

自分の元気のなさを、自分に対しても

たとえば若い友人に対しても

説明しやすくなるから。


そういう説明があると

一旦、そのことを片づけられる。


で、いやいやながらも

ヨクワカラナイ「今日」を始められる。

 

そんなふうにして一日が始まる朝が

最近は増えてきた気がする。


でも……


昔のように、何倍にもなった重力に

のしかかられて床に圧しつけられ

身を起こせない… なんてことはなくなった。


見える「世界」と自分が

全く無関係になることもなくなった。



それらを思えば、これくらいのことは

ユルさなければ…


今日もそんなことを思いながら

やっと起き出すことができた(^^;

 

 



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絶対遅刻!ってときに限って

2025-06-01 18:17:35 | 若い友人との会話

「もうギリギリ、間に合わないってときに限って

なぜか遅刻せずにすむんだよね。

今日はラク勝、ゆうゆう間に合うってときは

あれほどいつも遅刻するのに(苦笑)」


わ~ わたしの映画と一緒。

この頃はもう、映画は毎回ほぼ遅刻なの。

昔は遅刻なんてしなかったのに。


「不思議や~なんでなんやろ」


危機感が足りないんかも。

って、危機感ってほどのコトやないけど(笑)


「やっぱり安心してると、ついつい遅くなる」


そうゆうモンだよね~

 

なんて話を、仕事に行く前の若い友人とした。

仕事と言っても、彼はボランティア(有償)で

以前スーパーみたいな場所で

バイトしてたときとは違う(らしい)


当時の彼は、遅刻どころか

オッソロシク早く出勤していた。

たぶん無遅刻で無断欠勤なんて考えられない

優良バイト生だったはず(想像)



……とここまで来て、わが身を振り返る。

 

彼のことはよくわからないけれど

わたし自身は、こどもの頃から

どうしたら遅刻するものなのか

正直ワカラナイ人だった。


まして好きな映画に遅れるなんて

もったいなくて出来ない。


それなのに、いつごろからだろう

自主上映会には必ずと言っていいほど

遅刻してしまうようになった。

(お金払う側だからいいよね…とでも

厚かましく思うようになったのだろーか)


きっかけとしてひとつだけ思い当たるのは

化学物質過敏がひどくなったころ

「ギリギリに行って、大急ぎで出る」のが

いちばん「人」(香料その他のカタマリ)に

接触せずに済むと思ったこと。


でも、それも十数年のうちにずいぶん良くなって、

あまり気にしなくてもよくなった。

「遅刻」が頻発する理由には…ならないと思う。

 

ここまでボンヤリ考えるうちに、ふと

「危機感」というキツイ言葉が口から出た理由が

うっすらわかった気がした。


「危機感」などというものがあったとしたら

(若い友人ではなく)過去のわたしの方だったと。



わたしが育ったのは

「いつ叱責が飛んでくるかワカラナイ」

こどもとしては安心できない?環境だった。


オトナはいつ怒りだすかワカラナイ。

何がきっかけで叱られるかワカラナイ。


なので、家から出るとき(家に居てさえ)

ある種の緊張感はついて回った。


「〈遅刻〉なんて絶対ダメ!」

と思い込むように育ったわたしは

遅刻の仕方がワカラナイという

ヘンなこどもだったと思う。


間に合うように、早めに準備して

家を出るのがあたりまえ。


「遅刻なんてしたら、とんでもなく

悪いコトが起きるにちがいない」


それはほとんど「危機感」を伴うもので

わたしはそういう多くの細かい事柄に囲まれて

育ったのだと、今になって思う。

 

ということは、平然と遅刻する自分は

過去(の呪縛)から自由になったという

ことなのかもしれない。


なあんて、遅刻の正当化に努めてる自分に

ちょっと笑ってしまったけど。

 

若い友人もこどもの頃

わたしが感じたような緊張感・危機感を

家で感じていたんじゃないといいけどな~(^^;

 

 

 

 

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ブログを始めた理由、やめられない理由 

2025-05-25 14:28:16 | ひとりごと


最近たまたま過去記事を読み返したら

面白いのにオドロイタ。

自分で書いたのを、自分でオモシロイもないもんだけど

スラスラ読めて、どんどん次も読みたくなる(^^;


若い友人にそのことを言うと


「自分で書いたのは面白いよ。

自分で書いたんだから、よくわかるし」


面白くて当たり前といった顔の友人。


アナタも自分で書いたの読むことあるの?

と聞くと、ちょっと答えにくそうだったけれど

小さく頷いて、そのあと口早に言ったのは


「日記ブログなんて、絶対面白いはず。

そのときそのときで、何思ったかなんて

どんどん忘れてしまうのが普通なのに

後から読めるんだもんな~(笑)」

          

          

実はここまでは、2年前に書いたのが

下書きファイルに残っていたもの。


途中まで書いて放り出した(らしい)けれど

放り出したのがなぜかは、思い出せない。


それとは別に、そのときアタマにあったことで

覚えていることは少しだけある。



わたしが、このブログを「もうひとつの場所」として

12年前、わざわざ「眺めのいい部屋」とは別に始めたのには

はっきりした理由(目的)があった。



「あまりに「暗い記憶」としてしか思い出せない

自分のこども時代。でも、こどもなんだから

もっと明るい出来事があったはず。

楽しいこと、嬉しかったことも、きっと」 

「だから、今覚えている自分より

ちょっだけ明るい「自分」を主人公にして

日記を書いてみたら… 過去の記憶が

ほんの少しでも明るく見えてこないかなあ」

 

この「もうひとつの部屋」の最初の方にある

「ねねの日記」(カテゴリーとしては「E市での記憶」)

という記事は、そうして書かれた。


「書かれた」なんて妙な?言い方をするのは

「作りものの主人公」だけれど

起きているのは「事実」そのままだから。


自分で書いたのだけれど

自分で書いたんじゃないような気がするくらい

「手が、どんどん勝手に書いてくれた」から。

 

今思うと、「眺めのいい部屋」で、過去の出来事

もう会うことのない人たちのことを書くのは

当時のわたしにとっては結構タイヘンな作業だった。


エネルギーも時間も、相当たまらないと

出来なかった…という意味で。

 

でも、こちらの「もうひとつの部屋」では

そんなたいへんさを感じたことがなかったと思う。

 

そして、大変だったことも、そうでなかったことも

どちらもわたしにとっては、「ブログを書く理由」に

直結していることだった… というのに

今、自分でもちょっと驚いている。

 

物事を論理立てて整理・説明したり

自分なりに解釈して、次につなげたり…といった

作業をしたがらないわたしのアタマでは  

ここまでしかワカラナイけれど…

 

今回、gooからのブログの引っ越しなどせず

過去記事も全部消えて、オシマイになるのもいいかも…と

半ば本気で思ったりした。

 

なのに、こうして今(はてなでも)書き続けているなんて

ずいぶんわたしもメンドクサイ人やなあ…と改めて思う。

 

この先もこれまで同様、いろんな人、いろんなモノに

助けられて、支えられて、なんとか人生が続くんやろな……


そんな気がする。

 

 

 

(タイトル 2023年5月30日)

 

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「そうかあ… あこがれだったんだ、あれは」

2025-05-20 13:10:11 | 若い友人との会話

最近、文旦(ブンタン:地元の柑橘)の皮をむきながら

若い友人が言ったひとりごと。

文旦で思い出すのは、やっぱり

○○村にいた頃なんだよね。


あの頃、ほんと~に思った。

「文旦って、いいなあ」


自分でもヨクワカラナイまま、ずうっと

果物として(味が)好きなんだと思ってたけど

そうじゃないって、今わかった。


「あれはあこがれだったんだ」


果物として好きだったんじゃなくて

この… なんていうか、たくましさ?

「タフさ」に憧れたんだな、ぼくは。


皮が厚くて、重たくて

放っておいても長持ちして

少しくらい手荒に扱っても

全然大丈夫。

 


「ぼくは、あの頃

ほんと~にそうなりたかった」


そう言いたげに見えて、でも

そんなことはひとことも言わなかった友人。

 

いつもどおり、ただ文旦の皮をむいて

中身だけ取り出したのを

わたしにも分けてくれた。


なんでもないことのように。



その「村」から「大都会」に引っ越した後

彼は学校に行かなくなった。


親二人は、その理由が薄々わかっていながら

いまひとつ(全然?)わかっていなかった。



黙って、文旦の薄皮をていねいにむいていた

友人の横顔を思い出す。


文旦にあこがれた少年は

もうすぐ40歳の誕生日を迎える。

 

 

 

 

 

引っ越し先は以下の通りです(「はてな」に移りました)

https://muma-muma.hateblo.jp/


当分は記事を書くとき、gooとはてなの両方に載せます。
(なるべく長くgooに居たいので。めったに更新しないブログですが(^^;)

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