もうひとつの部屋

昔の記憶に、もう一度会える場所にしようと思っています。

音匣 おるごおる

2024-08-18 15:16:13 | K市での記憶

オルゴールが好きだと言っていた父は

晩年になって、外国のメロディーの入った

大きなオルゴールを買った。


なんていう曲かはわからなかったけれど

父の書斎の「箱型の棚」に置くと

棚が共鳴して、素晴らしい響きになるとわかった。


テーブルに置いて、ふたを開けたときは

ごく普通に「きれいな音色」


でも、棚に置いて開けると、突然

魔法の楽団が現れたみたいになる。


「共鳴ってすごいね」

「音の魔術だね」


姉もわたしも、ただうっとり聞きほれた。


オルゴールの秘密を教えてくれた母は

発見したのは自分と言いたそうだった。

 

ほんの数分の室内楽。

音の箱をじっと見つめて。

 

オルゴールを「音匣」と書くと知ってから

あのときの光景が

一枚の静止画になって目に浮かぶ。

 

あれから40年以上。

今はオルゴールも、あの家もなく

父も母も別世界の人。


姉の声を聞くこともなくなって…

 

それでも、またいつか

いっしょにあの曲を聴ける日が

来るような気がして、仕方ないのだ。

 

 

 

 

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うつくしいもの

2024-08-04 17:13:14 | ひとりごと


よあけのそら そらのいろ

こくいっこくと かわってく いろあい


もうすこし そのままでいて って

おもっても かなわない


なんていったか 

にほんでつくられた バラのなまえ


はな ひとつ ひとつ

はなびら いちまい いちまい

そこはかとなく あいまいに

いろとふぜいをかえながら

いつのまにか ちっているバラ


よあけまえ ベランダからみる

そらのいろは そのはなに にてる。



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70歳になって、ふと思うこと

2024-07-11 15:55:13 | ひとりごと

わたしの人生は、長くてもあと10年。

数少ない身内の女性たち(二人の祖母と母親)は

大体80歳前後で亡くなっている。

(母の兄弟姉妹は、皆こどもの頃に

亡くなっているので参考にできない)


「長くても、あと10年」と区切ると

なんだか寿命を知らされたようで(錯覚)

「じゃあ、その間は何をしようかなあ」

 

わたしの家族(連れ合い)は同い年で

わたしより2ヵ月早く誕生日を迎えた。


その前後によく口にしたのは

「寿命が前もって知らされればいいのに」


なぜかと訊くと

「残り時間がわかっていれば

そのつもりで計画が立てられる。

あと数年なのか、10年あるのか

20年、30年あるならどうしようか…って」


家族は長寿の家系なのだ。

しかも、目標に向かって、計画を立てて

「努力するのが好き」という人。


若い頃からの持病に加えて

加齢による?病気も現れ

それでも前向き。

コップ半分の水は「まだ半分ある」と

考えたい、考えるべきだという人。

 

わたしは全く違う人種で

「努力」も「向上心」も、いつのまにか

わたしの辞書からは消えている。


前向きな性格とは言い難く、むしろ

過去のことばかり考えているうちに

時が過ぎた… という人。


妙に運命論者なところもあって

重要なコトほど、モノの弾みや

その場の勢いで決めてきた。


これまでも、人生の残り時間なんて

気にしたことはなかった。



「早く人生が終わればいい」とは

こどもの頃から思っていたけど

「長生きしたい(死にたくない)」と

思ったことはなかった。



特に、この10年は

「もう十分、生かしてもらいました」

「ほんとに、もういいんです。十分です」と

寿命を決める存在?に訴えたいような気分だった。



なのに今、「残り時間は長くて10年」なんて

あっけらかんと思う自分。

10年を長いとも短いとも感じない。

ただ「終わりが具体的になったなあ」とだけ。


若い頃にあれほど近く感じた「死」と

高齢になって、着実に近づいてくる「死」とでは

自分の受け止め方だけでなく、「死」の種類も

違うのかもしれない。


仕事をせずに生きてこられたわたしは

身体を酷使せずに済んだ。

命に係わりかねないような持病を

抱えずに済んだのには、それも大きいと思う。


要するに「深刻な苦労はせずに済んだ」 

そういう70年だったのだろう。

 

家族は言う。

「人生ほんとに100年の時代

あと10年で終われるかどうか…(苦笑)

でも、自分で自分のことが決められる

やりたいことがまだ出来る…っていうのは

確かに、あと10年だろなあ」


55年間、身近に暮らしながら

全く違う道を歩いてきた気がするけれど

すれ違いをくりかえして、回りまわって

ちょっとは似た場所に、いつのまにか偶然

たどり着いたみたいで… 可笑しい。

 

家族はまず手始めに…と

長年勉強してきた英語の仕上げに

外国へ2週間の研修に出かけた。

これで英語はおしまいにして

次は他の外国語をやってみたいと。


そのお陰でわたしは

「100% 好きなように暮らせる」

2週間の休暇を、目下楽しんでいる。

 

5年前、家族が「ピースボートで世界1周」に出たときは

「貴重な自由時間(3ヶ月!)が出来たのだから

『何か意味のあること』をしたい(しなければイケナイ)」と

源氏物語をせっせと読んだりしたけれど…


自分でもなんだか、檻の中のクマが

ウロウロ歩き回りながら、仕方なく

古典なるモノに挑戦してるような気もした。


「100% 自分の自由だった」とは思えない。



今回の2週間(まだ6日目)は

あのときのような「勉強」要素のない

「ただ楽しく心地よく暮らせる」時間に

なっていると思う。


わたしが自分でそうしたいと思い

そういう時間の使い方、暮らし方を考えた。



どういう理由で、何がきっかけでそう決めたのか

例によって自分ではワカラナイ。


正直に言うと、ただ「そうなった」のだ。

自分でそうしたのだという自覚はあっても。



「70歳になる」というのは、わたしにとっては

そういうことだったらしい。


この後の10年は、果たしてその延長上にあるかどうか…

実のところはわからない。

良いコトばかりが続くはずはないし、かといって

この期に及んで、悪い想像をしてもはじまらない。

 

「これまでどおり、何があろうと

家族みんなで助け合えますように」

 

なんのことはない、何歳になろうと

そこだけは変わらないのを再確認して…



今日はここまで。

取りあえず、洗濯物でも取り込もう(^^)

 




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「18才と81才の違い」

2024-05-21 17:18:19 | なんでもないハナシ

資源ゴミの準備で

紙類の整理をしていたら

「18才と81才の違い」というプリントが

古新聞の間から見つかりました。


以前に流行ったようなモノで

既にご存じかもしれませんが

プリント自体は、たしか地元の高齢女性たちが

自分たちで作ったもの…と聞いた記憶が。


読み返して、やっぱりオモシロかったので

30個ほどの中から選んだものを載せます。

お暇なときにどうぞ(^^)

 


    人生につまづくのが18才  小石につまづくのが81才

      心がもろいのが18才  骨がもろいのが81才

     恋におぼれるのが18才  風呂におぼれるのが81才

    道路を爆走するのが18才  道路を逆走するのが81才

   アメを噛み砕けるのが18才  アメを噛んだら歯が砕けるのが81才

ゴルフで前の組に打ち込むのが18才  後の組から打ち込まれるのが81才

  自分探しをしているのが18才  帰れなくなり家を探しているのが81才

   偏差値が気になるのが18才  血糖値が気になるのが81才

    知らないと悩むのが18才  知ってると疎んじられるのが81才

人の言うことを聞かないのが18才  人の言うことが聞こえないのが81才

   学校で友達に会うのが18才  病院で友達に会うのが81才

     思い出を作るのが18才  思い出を思い出せないのが81才

   女房を探し始めるのが18才  女房に探され始めるのが81才

 

 

う~ん、18才はロマンがあるなあ。

81才は現実オンリーでつまらない?

いえいえ、こういうのを自分たちで作って

大笑いしよう!という土地柄なのです。

今となっては、わたしも一緒になって

笑えるオバアサンでありたい。


(最初にこのプリントを見たときは

自分のこととは思ってなかった(^^;

最近は現実ヒシヒシです)

 

 

 

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時間がつながらなくて…

2024-04-29 21:16:56 | ひとりごと


毎日、映画を観たり、ドラマを見たり。


…すると、その前のことが

思い出せなくなる。


わたし、今朝は散歩に行ったっけ。とか

わたし、朝ごはん何食べたっけ。とか


掃除機かけたっけ(かけるつもりだったけど)

洗濯もの、どーしたっけ。



ま、いいのよ。ソンナコト。


わたしにとっては

映画の方が大事(たぶん)


でも、こーゆーのが当たり前になるのも

それはそれで、ちょっと困る?


でも、困っても

なるものはなる(きっと)



モノが脱走して見えなくなるのは

モノの自由?かもしれないから

モノスゴク大事なものじゃなければ

帰ってくるの待っててもいい。


でも、わたしの「時間」が

つながらなくなっちゃうのは

ウレシクないなあ(どーしよう)

 

すごーく不思議なんだけど…


それでも人生は続くのね。

「人生」は続くけど

「わたしの時間」はブツブツ切れてる。

 

これって一体、なんなんだろう…って

この頃毎日思ってる。

 

 

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