もうひとつの部屋

昔の記憶に、もう一度会える場所にしようと思っています。

ねねの日々⑥ ・・・ カミサマがいっぱい

2014-09-28 11:45:36 | E市での記憶
おじいちゃんとおばあちゃんのいる
この家に来てから
「神サマ」がどんどん増えた。

水道のある流しにも
庭の井戸のポンプにも
「水の神サマ」がいる。

だから、蛇口はちゃんと閉める。

ポンプも、遊びでフザケて
ガシャコンしちゃいけない。

タタミの縁とか、敷居の角っこにも
何かの神サマがいるらしい。

「神サンがいるから
角ん所をまたいだらあかん」とか
おばあちゃんはけっこうウルサイ。

お便所にも「神サン」はいる。

「モノを投げ込んだり捨てたりしたら
神サンが怒る」って、おじいちゃんも言ってた。

ご飯粒の中にもいるみたい。

「ひと粒のお米ができるにも1年かかる。
だからソマツにしたらアカン」って
これは、おじいちゃんもおばあちゃんも
いっつも言ってる。

タタミにご飯粒をこぼしたら
一粒一粒、拾って食べさせられる。

おねえちゃんは少ないから早いけど
アタシは時々、たくさんこぼして
拾うの、おばあちゃんに手伝ってもらう。

でも、そういう時に
おばあちゃんは怒らない。

「あ~ハナが咲いた、咲いた。明日はお天気やの」
って笑ってる。


この間、まだフトンが上げてないときに
おねえちゃんと部屋で追いかけっこになったら
「布団踏んだらあかん」って
おばあちゃんに叱られた。

もしかしてフトンの神サマもいるのかと思って
聞いてみると、おばあちゃんはちょっと困って
「布団踏むモンでない」って
もういっぺん言った。

たぶん「フトンの神サマ」は
いないんだと思う。

「枕も足で蹴ったらアカン」って言われたけど
そっちも神サマじゃなくて
「蹴ったら足がクサル」からだそーだ。


「神サマがいる」んじゃなくて
「神サマ」ソノモノなのもある。

朝日が上がるとき
おばあちゃんは手を合わせて
小さな声で「ナマンダブナマンダブ」。

夜、廊下でお月さまを見かけても
やっぱり手を合わせて拝んでる。


「仏サマ」とか「神サマ」とかの
形をしてなくても、おばあちゃんはいつも
神サン、仏サンに囲まれてるみたい。

なんだか不思議。

「死んで極楽に行ったら、仏さんのそばで
おんなじハスのウテナに坐って
もうなんも心配はなくなる」って。

ウテナって何?って聞きたかったけど
なんとなく聞きそびれた。
おばあちゃんがいつもと違う
オゴソカな顔してたから。

「死んだら、死んだ人にもまた会える」って。

神サン、仏サンと一緒にいるとき
おばあちゃんはなんかシアワセそう。

おとうちゃんは、神サン仏サンが
あんまり好きじゃないみたい。

「全然理屈にもなんにもなってない」って
いつか言ってたことがある。

おとうちゃんは「シューキョー」は
キライなのかもしれない。

でも、アタシは
おばあちゃんのシアワセそうな顔は
きっと好きなんだと思う。

「シューキョー」ってなんだか
よくわからないけど。
コメント
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