もうひとつの部屋

昔の記憶に、もう一度会える場所にしようと思っています。

ねねの日記・29 ・・・おねえちゃんの馬の絵 ③ 

2017-09-13 09:23:59 | E市での記憶
「ねねの日記・27」の記事を書いた後の「釈然としない」気分は
自分で読んでさえ面白いと思わないこと
なのに「いつか書かないと」と思ったらしいこと

つまり・・・

一体何を「書いとかないとイケナイ」などと思ったのか
自分でもわからなかったからだと思う。
(忘れたのではなくてそもそも「わからない」)


前回書いたエピソードも、元々忘れていたわけじゃなかった。

ただ、これも別に面白くない?話であって
わざわざ書く気にならなかっただけ。

それが、ぼんやり考えているうちに
全然別の輪郭の話に見えてきたんだと思う。



「おねえちゃんの馬の絵」の何が私を魅了したかというと
あの風を纏ったような「自在さ」だったと思う。

と、突然閃いた。


「あの馬たちは、おねえちゃんの中の
『自由』の結晶だったんだ!」


そう思ったら、謎がバラバラ解けていった。


「アタシたちは、あの頃ほんとに自由が無かった。
おねえちゃんにとっては、『自由』って
あの馬たちみたいなもんだったんでしょ?」


アタシは言葉には出来なかったけど
「なあんとなく」でも気がついていた。

あの頃どんなに『自由』に飢えたか
アタシとおねえちゃんは
よく似た立場だったから。


外から見たらアタシたちだって
普通に言いたいこと言ってる
子どもに見えたと思う。

でも、実際は・・・何も言えなかった。
何もさせてもらえなかった。

何を望んでも
どんなに勇気を出して頑張って言っても
絶対聞き入れてもらえないのもわかってた。

たとえば・・・


髪は絶対伸ばせない。
(髪型はいつも前髪プッツンの後ろ刈り上げ)

ピンクや赤のお洋服もダメ。
(「そんな野暮ったい色!」)

夕方来る、みんなが見てる紙芝居も見せてもらえない。
(ついてくるお菓子が「フエイセイ」だから)

よその家でお菓子なんかもらっても
他の子は食べてるのに食べられない。
(一度帰っておかあちゃんに見せてから)

学校から帰ったら、毎日!家庭教師の所へ。
(友だちと遊ぶ約束も出来ない)

土曜日はピアノの先生のとこ。
日曜日はお茶とお花。
(アタシはどっちも全然やりたくない!)

食べ物の好き嫌いは言っちゃいけない。
(キライなもの飲み下すのに涙が出た)


でも、そんなのは大したことじゃない。


おねえちゃんは、「学校から言われた」って説明だけで
行きたくもない遠くの新しい中学を受験させられて
「こんな田舎にいるのに受かるなんて思わなかった」って
おかあちゃんに言われながら
電車で1時間以上かかる町に「下宿」させられて
1年間その学校に通った。

初めて都会に出る中学1年生の女の子。

でもその「下宿」は知り合いでもなんでもない
「お金目当て」の「シロート下宿」で
おねえちゃんは「しつけのなってない子」って言われて
冷たい扱いを受けたらしい。(大人になって初めて聞いた)

おかあちゃんが様子を見にいったという話も
アタシは聞いたことがない。


うちではその頃、開業医をやめて金沢に行こうとしている
おとうちゃんとおかあちゃんと、反対するおじいちゃんたちとで
別の嵐が吹き荒れていた。

おねえちゃんに「手紙頂だい」って言われても
アタシは一度も出さなかった。

なぜかはわからない。でも書けなかった。

アタシはアタシで周りに誰もいなかったけど
おねえちゃんは「他人に囲まれて」
誰もいなかったんだって
ずっと後になってから、やっと気づいた。


おねえちゃんとアタシたちとは
1年後の4月に、金沢の新しいおうちで
また一緒に暮らすようになった。

ちょっと前の12月、アタシたちは3人で
先に金沢に引っ越していた。

おねえちゃんにも「こっちに来ないか?」って
おとうちゃんは聞いたらしい。

おねえちゃんは「この学年終わってからにする」
って言ったって、おとうちゃんは感心してた。

アタシはおねえちゃんの気持ちが
よくわからなかった。

ほんとにそれでいいのかな?って
ほんのちょっとだけ思ったけど。


3ヶ月間、親子3人で暮らした。

新しい学校では、もしかして
いじめられてたのかもしれないけど
そんなことなんでもなかった。

おかあちゃんと暮らせるのが嬉しくて。

金沢弁を必死で覚えた。
2ヶ月で自由に喋れるようになった。


おねえちゃんのこと・・・
アタシは忘れてたかもしれない。



「午年」の年賀状の話は
おねえちゃんも一緒に暮らすようになって
半年くらい経った頃。

中学生になったおねえちゃんは
もう「山を駆け回って」遊んでた頃の
おねえちゃんじゃなくなってたけど
アタシは「そんなもん」なんだと
勝手に思ってた。

ただ・・・

おねえちゃんは友だちを
作らなくなった。

友だちなんて
要らなくなったみたいに。

寂しくないのかなあ・・・って
アタシはいつも不思議だった。



おねえちゃんの描いた年賀状の馬たちと
大学の馬場での経緯を思い出したことで
アタシは初めて、おねえちゃんを
可哀想・・・と思った。

アタマでは、おねえちゃんの方がアタシより
ずっと辛い目にあって育ったって
解ってるつもりだったけど・・・

おねえちゃんは誇り高いヒトなので余計に
「かわいそう」なんて思ったことなかった。


でも、おねえちゃんは「馬」を描いてるときが
一番自然な顔してるって、あのとき思ったの
思い出したから。

おねえちゃんは、『自由』の結晶みたいな
馬たちのいる空間でだけ、ほんとのおねえちゃんに
戻るのかもしれない・・・って、そんなこと
心のどこかでアタシは感じてたと思うから。


あの「馬に乗る」話のとき、誰も
おねえちゃんが本気で嫌がってるのに
気がつかなかった。

おねえちゃんの描く馬が
動物の馬じゃあないかもしれないって
誰もカケラも思ってないみたいだった。

おねえちゃんにちょっとでも目を向けて
ときどきでもじっと見てたら
なあんとなくでもわかることなのに。

誰もそれくらいのことも
してくれてなかった・・・


おねえちゃんは寂しかったと思う。

自分じゃ気がついてなかったかもしれないけど。


アタシはおねえちゃんのこと
あんまり好きじゃなかったかもしれない。

でも、おねえちゃんのこと
なあんとなくでも見てたよ。


だからあの馬たちのことも
おねえちゃんが可哀想な目にあったことも
アタシは絶対忘れない。

死ぬまで忘れない。初めてそう思ったの。


だからこんなショーモナイもん
長々と書いたんだって
やっとわかった。







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ねねの日記・28 ・・・おねえちゃんの馬の絵 ②

2017-09-12 13:57:03 | E市での記憶
前の記事を書いた後
なんだか釈然としなくて
ずっとぼんやり考えていた。

なんでこんな、そう面白くもないこと
わざわざ書こうと思ったのかなあ・・・って。

「私のおねえちゃんは
子どもの頃馬の絵が上手でした」

それだけのこと。

だからタイトルだけ立てて
何年も下書きファイルに
放ってあったのに・・・


そんなことを思ってたら
おねえちゃんの「馬」の話は
もう一つあったのを思い出した。


「午年」の年賀状より後のこと
じゃないかと思う。

その頃、うちには大学生のおねえさんが
「下宿」してた。

「下宿」っていうのは
一緒に晩ご飯食べるし
夜一緒にTV見たりもする。

その人はおかあちゃんの
女学校時代の「親友」の妹さんで
アタシたちとも普通に話をしてくれる
優しい感じの人だった。
「理学部」で「生物」の勉強してる
学生さんだって言われた。


夏休みだった気がするけど
違ってるかもしれない。


ある朝、その人がおねえちゃんに

「馬に乗ってみたくない?」

馬術部の友達に聞いたら
いいよって言ってたから・・・って。

そんなに馬が好きなら・・・って
その人は、おねえちゃんが喜ぶと思って
言ってくれてるのがわかった。


おねえちゃんはちょっと
困ったような顔をした。

正直、アタシも困ってた。

アタシは知らない人と会うのもイヤだし
馬なんて大きな動物に
近づくのもコワイし。

でも、おねえちゃんは
もっとフクザツそうな困り方で

「乗りたいわけじゃないんだけど」

みたいなことをボソボソ言った。

結局、「せっかく言ってくれてるんだから
行くだけ行ってみなさいよ」って
おかあちゃんに言われたりして
そのおねえさんと3人で
大学の「馬場」に行ったんだと思う。


しばらく待っていたら、おねえさんのお友だちが
馬に乗ってきてヒラリと降りると

「さあ、こっち来て」

下宿してるおねえさんも

「さあ・・・乗せてくれるって」


おねえちゃんが本当に困ってるのが
アタシはわかった。

アタシはもちろんイヤだけど
おねえちゃんも乗りたくないんだ。

家にいたときからそうだったのに
どうしてみんなわからないんだろ・・・
と思ってるうちに、おねえちゃんは

「あたしは見てるだけでいい」

おねえさんたちは
せっかく来たのにそんなこと言わないでとか
ちゃんと手綱持ってるから怖くないよとか
おねえちゃんを説得しようとしたけど
おねえちゃんはジリジリ後ろに下がって
小さな声で

「見てる方がいいの・・・」


その後は、お友だちが乗るのを
おねえちゃんは黙って見てた。


風がさやさや吹いてきて・・・

馬が走っているときは
おねえちゃんも
気持ち良さそうだった。

でも「馬術部」の練習だから
馬は走るより歩く方が多くて・・・

退屈になったアタシたちは
早めに帰ってきたんだったと思う。


家で「馬場」での話が出たときも
乗ろうとしなかったおねえちゃんが
責められるようなことはなかったけれど
下宿してるおねえさんは
やっぱり不思議そうな顔をしてた。

食卓でも、おとうちゃんが
「軍隊で乗った」馬の話とか
とにかく「生き物」としての馬の話ばかりで
アタシはアタシで妙な気分だった。


アタシの眼には、おねえちゃんの描く「馬」は
「生き物(哺乳類)」としての馬には
なあんとなく見えてなかった。

だから、ホンモノの馬に乗りたいとか
思うわけがないって、最初から
わかってたんだと思う。

おねえちゃんが困ってたのもわかったし
なぜ困ってるのかも(なあんとなくでも)
わかる気がした。

なのに、どうして
おねえさんもおかあちゃんも
わからないんだろう・・・って。


お姉ちゃんの「馬」は
普通の馬じゃあないんだよ。

手綱つけたり、鞍乗っけて
人が上に乗ったりなんかしない!


あの馬たちは、おねえちゃんの
アタマの中にしかいない
生き物なんだから。

だからあんなにきれいで
描いてるときのおねえちゃんは
あんなにシアワセそうなんだって。

小学生のアタシにわかるのに
たぶんおとうちゃんも
わかってない・・・

なんでなの???


そんな気持ちが
当時の私はしたんだと思う。





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ねねの日記・27  ・・・ おねえちゃんの馬の絵

2017-09-11 12:32:40 | E市での記憶
おねえちゃんは、絵ェ描くのが好き。

白い紙があると、さ、さ、さっと
女の子とか、走ってる馬とか
あっという間に描いてしまう。

すごーく上手なの。でも・・・

女の子はアタシも描くけど
馬は・・・なんでなんやろ。

走ってるとこなんて
見たこともないのに。


こっち見てる馬。

後ろ足で立ってる馬。

何か飛び越えようとしてる馬。

頭だけだったり
走ってる脚だけだったりもする。

脚四本だけでも
走ってるってわかる。


おねえちゃんは
ちょっと描いてみて
うまくいかないと
その紙がイヤになるみたい。

ポイッって放って
次のチラシの裏にまた描く。

それもダメだと
それもポイッ。

「ねねちゃん、使う?」なんて
描き古しを何枚もくれたりする。

なんか・・・嬉しくない。
(ま、アタシは絵がへただし
いいんだけどさ)


おねえちゃんが
あんまり絵が好きだから
白い紙、文房具屋さんで
買っておいでって
おかあちゃんが言ってくれた。

二人で買いに行ったら
「もぞーし」っていうのが
安くてきれいだったんで
それにした。

最初10枚買ったんだけど
あっというまに無くなって
次から20枚ずつ買うことになった。

広告の紙と違って裏表両方描けて
おまけに絵がきれいに見えて
なんだかすごーく
ゼイタクしてるみたいな気がした。

おねえちゃんはそれからも
何枚も何枚も馬の絵を描いた。



アタシたちがずっと大きくなってから
おとうちゃんは、「午年」の年賀状を
おねえちゃんに頼んだことがある。

「どんなのでもいいから
馬の絵を描いてほしい」

お父ちゃんの年賀状は
毎年200枚くらい。

表書きはおかあちゃんがして
裏側にはアタシやおねえちゃんが
芋版とか簡単な絵で干支を描いた。

でも、せっかく「午年」なんだから
おねえちゃんに馬の絵描いてもらおうって
話が自然に出たらしい。


お姉ちゃんは全然ためらわず
さっさと引き受けて描き始めた。

表書きと同じように
筆と墨とで走り書きする。

お習字も習ってないし
普段筆なんて使わないのに。

アタシなんて、見てるだけでも
書き損じたらどうしよう・・・って
緊張して手が震えそうなのに
おねえちゃんは平気みたい。

いろんな姿の馬、馬、馬・・・

タテガミと尻尾がカールしてるのも
脚が長いのも太いのも
サラブレッドみたいなのも
もっとちんまりしてるのも。


何日かかかって描き終えた後
「飽きなかった?」って聞かれて
「一番最後の頃、ちょっと飽きた」って
おねえちゃんば笑ってた。

アタシの目には「飽き」てたようには
全然見えなかった。



今思うと、私は午年だから11歳
辰年の姉は13歳の中学2年生。

姉はそれ以降、馬の絵も何の絵も
ほとんど描かなくなったと思う。

「なぜ馬だけ絵に描いたの?」と
いつか聞こうと思っていたのに
それもそのまま・・・

50年が経ってしまった。




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