もうひとつの部屋

昔の記憶に、もう一度会える場所にしようと思っています。

リジンさんのいない世界② ・・・ 離人症と「痛み」の関係

2020-12-24 16:18:05 | ひとりごと
私は自分が、特に痛みに弱いとは
これまで思ったことがありません。

基本「怖がり」「ヘタレ」の弱虫ですが
歯医者さんが苦手とか、予防注射がイヤだとか
思ったことはないのです。

30代になって出産も経験しましたが
誰かに付き添ってもらいたいとか
陣痛に耐えられるだろうか…とか
不安を感じたこともなく
「せいぜい何日かで終わりが来る」
「インターバルがある痛みだから大丈夫」
なあんて、不思議なくらい楽観的でした。

実際「予想をはるかに超えるような」
痛みではなかったと、後から思いました。

6年前の乳がんの手術でも
麻酔の進歩に驚かされたくらいで
とにかく「治療」と「痛み」を結びつけて
考えたことはなかったのです。

それなのに…


この夏、自室で転んで手首を骨折した際は
日曜日の救急外来で治療を受けました。

整形外科の若い医師が、骨の整復・ギプス装着を
して下さったのですが、その際事前の局所麻酔(腋下から)が
信じられないくらい痛かったのです。

何回かに分けて麻酔薬が(場所を変えて?)注入されるのか
ズキン、ズキン、とほとんど電撃のような痛みが腕に走ります。

それは全身を貫くような痛みとして
私には感じられて… しかもなかなか終わらない。

「いつまでかかるんだろう。ただの麻酔(の筈)なのに」
「私、これ最後まで我慢できるかしら…」

そんな心配を病院でしたのは初めてです。

悲鳴を上げないようにしようとすると
どうしても身体に力が入ります。

他のスタッフの方が
「力入れないで。深呼吸して。リラックスしてください」

「そんなこと、できるわけないでしょう!」
と言いたかったけど、声が出せないので仕方ない。

いい加減我慢の限界…という頃になって
やっと麻酔が効いてきて、本当にほっとしました。

ところが…


無事ギプスを巻いてもらって
あとは点滴を外すだけ…となったときのこと。

腕に貼ってある絆創膏を外しながら
また別のスタッフの方に言われました。

「そんなにビクビクしなくていいですよ。
血管に金属の針が入ってるんじゃなくて
プラスチックの管だから、血管突き破るようなこと
ないんですから」

そのちょっと小ばかにしたような口調に
私も一瞬、本気で腹が立ちました。

「それくらいわかってます。でもね
腕を空中に浮かせて絆創膏外されると
金属の注射針じゃなくても
血管内で揺れて、痛みを感じるんですよ。
せめて腕をどこかに固定して、外してもらえませんか」

・・・なあんて、もちろん言いませんでしたが。


それより、どうしてこれほど「痛い」のか
そのことの方が気になって
家に着くまで、ずっと考えていました。

折れた手首は、ギプス固定と麻酔の続きとで
痛みは感じてなかったのに。


その後、そのときの麻酔について、別のドクターから
「そんなに痛かったですか(オカシイなあ)」と
不思議そう言われたとき… 

私は初めて、自分が以前の自分とは違う状況に
いるのかもしれない…と気づきました。


次の瞬間、すごい衝撃。

「離人症が消えてしまったんだ…」


脈絡も何もないまま、突然閃いたことなのに。

「これまでの『痛みを怖がらない自分』というのは
『離人症』に守られた自分だったんだ」と。


私の長年にわたる離人症の原点には、幼い頃に何度も受けた
「大腿部に直接太い針を刺す」補液の経験が
あったのかもしれないと、改めて思いました。

逃げようにも逃げられない「痛い」治療。

私は、こどもが苦しむのは病気そのものより
治療の苦しさだと思っています。

「それはあなたが重い病気の経験がないからだ」
と言われれば、確かにそうでしょう。

でもこどもの場合、説明されたとしても
「治療」の必要性を心底納得しているかどうかは
少なくとも、ケース・バイ・ケースでしょう。
納得してないこどもも少なくないはず。


私はたまたま医者の家に生まれ
幼い頃は身体が弱いと思われ
過剰なほどの医療を受けてきた経験から
「こどもにとっては、病気の苦しみより
治療の苦しみ方がよっぽど辛い」と
思うようになってしまった…

そんなことを思い出しながら、私は
「本当にリジンさんはいなくなったんだ」と
納得する気持ちになりました。


そこまで「離人症」が自分という人間に
「組み込まれて」いたのには驚いたものの…

母親のややエキセントリックな子育て
父親の理想主義と「戦争」の影
祖父母と両親の間の諍い…

そういった「精神的」な理由だけで
ここまで長期にわたって続くような
ヘンな離人症につきまとわれたとは
私としても正直考えにくいところがあって…

それよりは、子どもにとっては大問題である
「痛み」も引き金のひとつになったのだと思った方が
今となると、納得しやすいのです。

私はそもそも「怖がり」のこどもでした。



それにしても…

今後の自分が、ちょっと心配ではあります。

骨折についても「骨が折れた」痛みそのものより
麻酔その他の「治療」の方が、私にとっては辛かった。

「とにかくケガしないように気をつけること」

「自分が痛みに弱い(「痛みの閾値が低い」)のを
自覚しておくこと」


昔、長年の友人から
「あなたも私同様『痛みの閾値が低い』人だと思うよ」と
断言されたことがありました。

「なぜそこまで言い切れるのかなあ」と不思議でしたが… 

今となると、その人の言葉は当たっていたことになります。

その人には私が、私自身より
よく見えていたのかもしれません。






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                     「ねねの日-37 フーセンがいっぱい」
コメント (2)
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