「もうギリギリ、間に合わないってときに限って
なぜか遅刻せずにすむんだよね。
今日はラク勝、ゆうゆう間に合うってときは
あれほどいつも遅刻するのに(苦笑)」
わ~ わたしの映画と一緒。
この頃はもう、映画は毎回ほぼ遅刻なの。
昔は遅刻なんてしなかったのに。
「不思議や~なんでなんやろ」
危機感が足りないんかも。
って、危機感ってほどのコトやないけど(笑)
「やっぱり安心してると、ついつい遅くなる」
そうゆうモンだよね~
なんて話を、仕事に行く前の若い友人とした。
仕事と言っても、彼はボランティア(有償)で
以前スーパーみたいな場所で
バイトしてたときとは違う(らしい)
当時の彼は、遅刻どころか
オッソロシク早く出勤していた。
たぶん無遅刻で無断欠勤なんて考えられない
優良バイト生だったはず(想像)
……とここまで来て、わが身を振り返る。
彼のことはよくわからないけれど
わたし自身は、こどもの頃から
どうしたら遅刻するものなのか
正直ワカラナイ人だった。
まして好きな映画に遅れるなんて
もったいなくて出来ない。
それなのに、いつごろからだろう
自主上映会には必ずと言っていいほど
遅刻してしまうようになった。
(お金払う側だからいいよね…とでも
厚かましく思うようになったのだろーか)
きっかけとしてひとつだけ思い当たるのは
化学物質過敏がひどくなったころ
「ギリギリに行って、大急ぎで出る」のが
いちばん「人」(香料その他のカタマリ)に
接触せずに済むと思ったこと。
でも、それも十数年のうちにずいぶん良くなって、
あまり気にしなくてもよくなった。
「遅刻」が頻発する理由には…ならないと思う。
ここまでボンヤリ考えるうちに、ふと
「危機感」というキツイ言葉が口から出た理由が
うっすらわかった気がした。
「危機感」などというものがあったとしたら
(若い友人ではなく)過去のわたしの方だったと。
わたしが育ったのは
「いつ叱責が飛んでくるかワカラナイ」
こどもとしては安心できない?環境だった。
オトナはいつ怒りだすかワカラナイ。
何がきっかけで叱られるかワカラナイ。
なので、家から出るとき(家に居てさえ)
ある種の緊張感はついて回った。
「〈遅刻〉なんて絶対ダメ!」
と思い込むように育ったわたしは
遅刻の仕方がワカラナイという
ヘンなこどもだったと思う。
間に合うように、早めに準備して
家を出るのがあたりまえ。
「遅刻なんてしたら、とんでもなく
悪いコトが起きるにちがいない」
それはほとんど「危機感」を伴うもので
わたしはそういう多くの細かい事柄に囲まれて
育ったのだと、今になって思う。
ということは、平然と遅刻する自分は
過去(の呪縛)から自由になったという
ことなのかもしれない。
なあんて、遅刻の正当化に努めてる自分に
ちょっと笑ってしまったけど。
若い友人もこどもの頃
わたしが感じたような緊張感・危機感を
家で感じていたんじゃないといいけどな~(^^;
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