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もうひとつの部屋

昔の記憶に、もう一度会える場所にしようと思っています。

ねねの日記・39 ・・・ おんなじ、おんなじ

2021-10-03 14:39:40 | E市での記憶

おかあちゃんが洋服屋さんを呼んで
お洋服を作ってもらうときは
いつも「アタシたちの分」も作ってくれた。

おかあちゃんとおんなじ生地で
「デザイン」(っていうんだって)も
おねえちゃんとアタシは「おそろい」

「ぜーんぶおんなじにしてやってね」って
言ってたんだって。

セーター編んでもらうときも
おんなじ模様で頼んでた。

「差をつけちゃいけないから」って。


もしかして…
お洋服だけじゃなかったかも。

何か買ってもらえるときも
なるべくおねえちゃんと同じもの。

アタシはふたつ年下だから
ちょっとは無理が
あったのかもしれないけど。

でも、アタシもそれが
当たり前なんだと思い込んでた。



次の年か、その次の年
あたしもおねえちゃんも、背がのびて
自分の服は着られなくなる。

でも、アタシはおねえちゃんのが
着られるようになるから…


「お古がたくさんあるんよね」って
カンゴフさんたちは笑ってた。

オフルって、はじめは何のことか
わからなかったけど
あんまりいい感じじゃなかった。


でも、そのうちわかったの。

「アタシ、これ着てたおねえちゃんと
おんなじくらい大きくなったんだ」

そう思ったら、お古もそんなに
イヤな感じじゃなくなった(かな?)



「おんなじ」だと
便利なこともあったみたい。


おとうちゃんがお休みの日
フクイまでタクシーで遊びにいったの。

おねえちゃんはおとうちゃんと
アタシはおかあちゃんと
手ぇつないで
デパートの中歩いてたら…

おとうちゃんたちとはぐれちゃった。


おかあちゃんは、さっさと
近くの人に聞いた。

「この子とおんなじ格好した子連れてる
男の人、見ませんでしたか」

「ああ、確かさっきそっちの方へ…」

とかなんとか言ってるうちに
遠くの階段の近くで、おとうちゃんが
手ぇ振ってるのが見えた。


おとうちゃんは笑ってたけど
おねえちゃんは困ったみたいな顔。

どっちが迷子になったのか
わかんなかったけど
おかあちゃんは知らんかお。


「こうゆうときにも役に立つでしょ?」


おそろいの洋服のことだったけど
なんか、おねえちゃんかわいそうだった。

違う格好でいいから
いっしょに歩きたかったんじゃないかなあ。

…なんて、そのときはアタシも
全然気がつかなかった。

「そうかあ、便利なんだ」って
素直に思っただけ。



それでも、ずうっと後になって
高校生の姉と中学生のわたしで
その頃着た「こども服」の話はよくした。

デザインのひとつひとつを
お互いにちゃんと覚えてた。


「あの頃のことで、一番いい思い出って
もしかして、あのときの洋服かもね」

「ほんと、みーんな可愛かったよねえ」

で、意見が一致。


縫ったのは洋服屋さんの人たちでも
生地を選んでデザインを考えたのは
たぶん母自身だったはず。


娘ふたりは、母の目論見通りには
育たなかったかもしれないけれど…


それでも「デザイナー」志望だった母の
一番いい部分を、私たちは
こども時代に味わうことができたんだ…



こうして書きながら
初めてそんなことを思った自分に
今、驚いている。




(「ねねの日記」じゃなくなってゴメンナサイ)

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ねねの日記・38 ・・・ 「トーダイ」と地図と音楽と  

2019-05-27 15:08:06 | E市での記憶
おとうちゃんもおかあちゃんも
エーガが好きだったんだと思う。


アタシ、初めてみたエーガ
ダイメイぜんぜんおぼえてない。

誰が連れてってくれたのかも
おぼえてないけど・・・

とにかくおねえちゃんは
一緒にいた!

アタシはほんとに小さかったから
きっとおかあちゃんも
いたんだと思う。


うちの裏のエーガカン行って
た~くさんある椅子にすわって
前みるとすごーくおおきなマクがあって

エーガってそこにうつるんだよ。

アタシが初めてみたエーガは
水色の上に黒い線の
ヨクワカラナイ絵があって
そこでおんなじ音楽がなるの。

げんきみたいな
かなしいみたいな
さびしいみたいな音楽。

なんどもなんども
そんな絵と音楽が出てきて
その間にオトナとかコドモとか
いろんなヒトがいたと思う。

アタシは何がどーなってるのか
ぜんぜんわからなかった。

でも・・・絵と絵の間で
みんな汽車とか船に乗ってた。

あちこちおひっこし
してるんだと思った。

アタシもそのとき
おひっこししてきたばっかだったし。


どこに行っても
トーダイが出てくる。

青い海と白いトーダイ。
きれえだよね。いいよね~

音楽きいてるうちに
アタシ寝ちゃったみたい。


次の日の朝、おねえちゃんと
カンゴフさんたちが話してた。

それ聞いてて
アタシはぜんぜん
わかってなかったんだって
わかった。


あの絵は「地図」っていって
あの丸の真ん中に黒い点があって
トゲトゲのついてるのが「灯台」で
あの映画のオトウサンは
そこの灯りが消えないように
番をする人だったんだって。

で、日本中の灯台を回って
旅をしてたんだって。


あのオカアサンが泣いてたのは
きっと悲しいことがあったんだろな。

アタシは何が悲しいのかも
わからなかったけど
みんな「よかったよね~」って。

アタシも早く大きくなって
みんなと一緒に
「よかったねえ」って言いたい。


でも、あとで聞いたら
おねえちゃんも
「お話のすじはようわからんかった」って。

アタシだけじゃなかったんだ。





(ずっと後になって『喜びも悲しみも幾年月』(1957年10月公開)と知った。当時私は3才?姉は5~6才)
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ねねの日記・37 ・・・ フーセンがいっぱい

2019-05-21 18:12:52 | E市での記憶
アタシ、小学校に入ってすぐ
病気で長いこと休んだことある。


ああいうときって
ほんとにシンドかった間のことは
あんまり覚えてないんだよね。

「シンドイ波」が、ざぶ~んざぶ~ん
次々来る・・・ただもうそれだけ。

なんか、神サマにされるままって感じ。
そこまでイヤでもツラくもないの。


それより、ほんとにイヤだったのは
「これをしないと治らない」って
ムリヤリ何かされたとき。

タタミ針みたいな太い針を
両方のあしに突き刺したり
細い針を手首に刺したり。

アタシ一度、イヤだって
逃げ回ったことある。

逃げても捕まっちゃうんだけどね。

でも、逃げられるくらい元気なのに
なんでタタミ針・・・ってこどもは思う。

「ちりょう」なんて
ほんとオトナの勝手だ。


いつもだと、病気の大波小波と
大っきらいな「ちりょう」とが
ひととおり過ぎちゃうと
あとは別にどうってことなくなる。

こどもにとっては「病気」って
そういうものなんだと思う。


でも、そのときは
いつもとちょっと違ってた。


いつまでたっても
「良くなった」って
言ってもらえない。

学校も行っちゃダメ。

だいたい「蔵」から出ちゃダメ。
(行けるのはお便所だけ)

お風呂もひと月くらい
入らなかったと思う。


おねえちゃんとも
ずっと会えないまま。

おねえちゃんは
「ねねちゃんの寝てる蔵には
行っちゃダメよ」って
ずっと言われてたんだって。

ときどきお庭で、お友だちと
遊んでる声がしたけど
すぐに「追い出されて」
聞こえなくなった。


アタシは元々「食べない子」って
言われてたけど・・・

あのときは「好きなモノ」も
全然食べられなかった。

「タンパクシツは全部ダメ」って
タマゴもソーセージも牛乳も
お魚もお肉も、ぜ~んぶ
ごはんから消えちゃった。

イタダキモノのカステラも
アイスクリームも「ダメ!」

・・・悲しかった。


オナカはそんなにすかなかった。

でも、みんなが食べるお菓子は
やっぱり食べたかったな~

タンパクシツってどんなモノかも
ちゃんと説明してくれたから
「でも食べたい!」って言えなかった。

「食べちゃいけない」の
自分でもわかってたから。


でもでも、もっとイヤだったのは
「起きちゃダメ」
「動いちゃダメ」って
ずっと言われてたこと。


たいくつだよねって
誰かが風船持ってきて
いくつもふくらましてくれたのに・・・

部屋の中で、手のひらで
風船ポンポンついて歩いたら
おかあちゃんに見つかって

「・・・それは駄目よ」


そんなあ・・・


おかあちゃんも
ちょっと困った顔してた。

そのあと丁度「しんでんず」とりに
「しょうにか」のお医者さんが来て・・・

おかあちゃんが風船のこと聞いたら
お医者さんは笑って「それはダメ」。


アタシはそのあと
みんないなくなってから
誰にも聞こえないように
ひとりで泣いた。

いつもわあわあ泣くから
「ねねちゃんは泣き虫」って
おねえちゃんはよく笑ったけど

おふとんの上に坐って
ひとりで声出さずに泣いたのは
あれが初めてだったかも。



夏休みが始まる少し前
アタシはやっと
また学校に行けるようになった。

でも、まだ走っちゃいけないって。
(ムリだよお・・・そんなの)



アタシは「ジフテリア」っていう
病気だったんだって。

でも、人に聞かれたら
「ジンエン」だったって言いなさいねって
おねえちゃんはおかあちゃんに
言われたみたい。


「ジフテリア」だと、おうちには
いられなくなるから・・・とか
言われた気もするけど
アタシはよく覚えてない。



初めての「つうちぼ」は
数字のところが真っ白だった。

この次は、いろんな数字の書いてある
おねえちゃんみたいなのがいいな~

これもフーセンなんだな~って
あのとき、ちょっと思っちゃった。




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ねねの日記・36 ・・・ おとうちゃんの描いた「木」

2019-04-14 16:31:00 | E市での記憶
おとうちゃんは、絵が好きなんだって。

おとうちゃんが、ヒゲモジャで
スケッチブック膝にのせて
何か、一生懸命描いてる写真
前に見たことある。

一緒に山行ったお友だちが
撮ってくれたんだって。

描いてるおとうちゃんの絵
もうひとりのお友だちが
そばからのぞき込んでる。

その人も、絵ェ描くの好きで
おとうちゃんとおかあちゃんが
「けっこん」するとき、お祝いに
ヒマワリの絵くれたんだよ。

真っ青な空に、背高ノッポな
黄色いヒマワリがあっち向いてる絵。

おとうちゃんは大事にしてる。


アタシ1回だけ、おとうちゃんから
「絵」の描き方教わったことある。


学校の写生大会で
描き終わらなかった子は
宿題になっちゃったんだけど・・・

アタシ図工はダメなんだよね。

絵の続きも、もうイヤイヤ
茶の間で描いてたんだけど・・・


日曜日だったのかなあ。

おとうちゃんが通りかかって

「お、ねねコ、絵描いてるんか」

で、じーっとアタシの絵見てる。

(ハズカシイからやめて~)

でも、しばらくしてから
おとうちゃんは手を伸ばして

「ちょっと筆貸してごらん」


さっさっさ~っと縦に3本
薄い絵の具で線引いて・・・

「林だったらこんな感じかな」

縦棒の茶色をもう少し濃くして
ちょっちょっと、薄い緑や黄色で
短い横棒つけてくと・・・

「どんな色つけてもいいんだよ」

あっというまにアタシが描いてた
「松林」になった。


「1本だけ書くんだったら
こういうのもあるよ」

って、もっと大きな「木」も描いた。

そっちは赤も青も黄色も
もちろん緑も茶色も使って・・・

葉っぱばっかりのはずなのに、
なんだか花ざかりな「木」ができた。

もちろんそれも「あっというま」。


アタシはもうもう
ほんと~~にビックリした。

「おとうちゃんは絵がほんとに
上手だったんだァ」


・・・で、おとうちゃんはさっさと
また診察場の方に行っちゃった。


アタシはおとうちゃんの絵
宿題の役に立つかと思ったけど
ぜんぜんダメだって、すぐわかった。

オトナに教えてもらっても
コドモの絵にはダメなんだって。

仕方ないから、やっぱりイヤイヤ
また続き描いたんだけど・・・


オトナになったら、アタシも
あんな風に「木」とか「林」が
描けるようになったらいいな~

図工が大好きになれるのにな~って
あのとき本気で思ったんだけどな・・・




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ねねの日記・35 ・・・ おもちとおぞうに  

2019-01-08 16:15:48 | E市での記憶
お正月が来る前に
おもちがうちに来る。

まるくて白いおもちと
ペターっと大きい長四角のと
黒いお豆さんのはいったのと。

みーんなお盆みたいなのに
白い粉まみれで並んでる。

アタシはお豆さんのはいったのも好き。


白くてまんまるいのは
粉をはらってお雑煮に入れる。

お味噌汁におもちが
はいってるみたい。

アタシは食べるのが遅いから
おもちがだんだんとけてきて
おしまいには、なにがなんだか
わかんなくなる。

でもおいしい。


長四角のおっきいのは
かたくなってから
おばあちゃんが包丁で切る。

かたくなり過ぎると
おばあちゃんは大変そう。

焼いておしょうゆつけたり
引っ張ってのばして黒砂糖包んだり。

アタシは黒砂糖だけのほうが
ほんとはいいんだけど。


おもちはすぐにオナカがすくって
みんな言うけど、ほんとかなあ。

あたしはいつも
もっと食べたいのに
すぐにオナカいっぱいになって
食べられなくなっちゃう。

なんかソンしてる気がする。


おとうちゃんは、おぞうに食べるとき
子どもの頃食べたおぞうにの話する。

「いろんなモン入ってるんやぞォ。
だいこん、にんじん、さといも、しいたけ
鮭にイクラに・・・あとなんやったっけ」

おとうちゃんはおにいさんが二人いて
「そんながを競争して何杯も食べた」んだって。

そこまで来ると、アタシとおねえちゃんの方見て
「オンナノコはほんとに食べないなあ」って言うの。

いつもなんだよ。

でも目が笑ってるから
叱られてるんじゃないってわかる。

おとうちゃんは、ちょっとだけ
遠くを見てるみたいな感じ。



それでね、「カガミモチ」にヒビが入って
カチンカチンになっちゃう頃に
また学校が始まるんだ。







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ねねの日記・34 ・・・ カンナ屋敷

2018-12-23 16:05:52 | E市での記憶
これは、小学生の頃
おかあちゃんから聞いた話。

カゼひいたのか、ケガしたのか
もう忘れちゃったけど
男の人が、おとうちゃんに
診てもらいに来たんだって。

まだ若い人で
手当てしてもらいながら
いろんな話してくれたって。


その人は、38度線とかを
何度も行ったり来たりしたって。

「38度線ってなに?」

「チョウセンハントウの南と北を
分ける線のことよ」って
カンゴフさんが教えてくれた。


その人は、北側に元々おうちがあって
でも南に行かなきゃいけない
大事な用があったんだって。

南に行ってからも
友だちとかお父さんお母さんに
どうしても会わなきゃいけなかったりして
また北に戻ったりしたんだって。


でも、その「38度線」っていうのは
行ったり来たりしちゃいけないモノみたい。

カンゴフさんたちは
「ベルリンの壁と同じよね」

ベルリンの壁って、アタシも
テレビで見たことある。


その人は「見張り」に見つかって
後ろから銃で撃たれたりしたって。

それでも「どうしても」っていうほど
大事な用だったんだって。


チョウセンの人だから
アカネ川沿いの「チョウセン」に
今は住んでるみたい。

チョウセンのはしっこの
空き家借りて、そのまわりに
カンナの球根、いっぱい植えたんだって。

「カンナの花が好きだから」

カンナは背が高くなるから
花がいっぱい咲くと、目立って
みんなが「カンナ屋敷」って
呼ぶようになって・・・

「郵便も"カンナ屋敷"で届く」って
その人は笑ってたって。そして

「こっちにいられるのもあと少しで
また向こうに帰る」って。


あちこちすぐ移らないといけないから
着るものも「今着てるものだけ」
上着の裏地がボロボロでも
「このままでいい」って。
とにかく「モノは持たない」んだって。


「ああなるともうスパイ小説みたい」
って、おかあちゃんは言った。

「若い子たちはもうキャアキャア言って」って
笑ってたけど。

「でもスパイじゃないんでしょ?」

「そりゃあ本物のスパイだったら
こんな話こんな所でしないよ」

「でも・・・」

おかあちゃんは、ちょっと目ェ伏せて

「どこで命落とすかわからんわね」って。



アタシやおねえちゃんのクラスにも
チョウセンから来てる子いるけど
みんな、そんな大変な目に
あってきたんやろか・・・

アタシ、前にその子に
「どこで生まれたの?」って
聞いたことある。

リイさんていうその子は
とっても可愛い顔なのに
怖い顔して、しばらく黙って
「いなか」って。

あとはなんにも言わなかった。


なんも考えずに聞いたアタシが
いけなかったのかもしれないけど
ゴメンナサイっていうのも
変な気がして・・・でも


それからリィさんは
アタシとは口を利かなくなった。





今でも、真夏にカンナの花を見かけると
「カンナ屋敷」のあの人と
黙ってしまったリィさんの横顔が浮かぶ。

朝鮮戦争からほんの10年という頃。

「戦時中は戦闘機に乗ってた」患者さんが来られたときは
「パイロットになりたかった」おとうちゃんは
夢中でその人と話してた・・・


60年代初頭、田舎の小さな医院には
いろんな人がやってきた。





(今カンナのことを調べてみたら
「コロンブスがアメリカ大陸発見時に見つけた花として有名」とか。
花言葉は「情熱・快活・妄想」或いは「永遠」というのも。
私の勝手な想像だけれど、あの人に似合ってる気がして・・・驚いた)
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ねねの日記・33 ・・・ 「エト」ってなに?

2018-11-29 09:14:43 | E市での記憶
アタシはウマ年。

おねえちゃんはタツ年だって。

「タツってなに?」

「竜のことよ」って、カンゴフさん。


いいなあ・・・なんかカッコイイ。

「アタシもリュウがいい」って言ったら
みんな笑って

「生まれたときから決まってるんよ」
「でも、竜なんていいよね」

おねえちゃんはなんだか嬉しそう。
(アタシは・・・ちょっとクヤシイ)


「おとうちゃんとおかあちゃんは?」

「ナッさんはトラ。ちぃはサル年やの」

おばあちゃんはおとうちゃんのこと
ナッさんて呼ぶ。

おかあちゃんのことは「ちぃ」。
小さいお嬢さんってことだって。


「おじいちゃんとおばあちゃんは?」

「オジィサンは・・・ネズミやの」

おばあちゃんは、ちょっと口をすぼめて
オカシそう。

あのオッカナイおじいちゃんが
ネズミなんだあ(うふふ)

「おばあちゃんは?」ってもう1回聞くと

「・・・ウマ」

わっ、いっしょだ!

アタシは嬉しかったんだけど
おばあちゃんはそこまでで
エトの話はやめちゃった。


あ、ほんとは「エトってなに?」
「どーしてエトなんていうの?」って
聞くつもりだったのに・・・

アタシはいつも忘れちゃうんだよね。


がっかりしてたら、カンゴフさんが
「ヒノエウマっていうのもあるよ」

みんな笑い出して

「そうそう。ジャジャウマなんてのも」
「ヒノエウマはジャジャウマで
お嫁のもらい手がなくなるんだって」
「そんなのメイシンよぉ」


よくわからないけど
アタシはヒノエウマかもしれない。

やっぱり、あとでおばあちゃんに
ちゃんと聞かなくちゃ。


もしそうなら・・・

やっぱり、おばあちゃんも
いっしょだといいな。






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ねねの日記・32 ・・・ 「わかる」ってどういうこと?

2018-10-25 14:45:41 | E市での記憶
アタシ、4年生ぐらいのころ
みんなの前で大泣きしたことある。

日曜日、お仕事もお休みで
遅めの朝ご飯食べてたのかもしれない。

おとうちゃんもおかあちゃんも
茶の間に一緒にいたと思う。

おねえちゃんは、もう中学生で
遠くの町に「げしゅく」してて
お休みだけど帰ってきてなかったのかな。
そのときはいなかったと思う。


アタシはどうしても聞きたいことがあって
思い切っておとうちゃんに聞いてみた。

「ねえ、わかるってどういうこと?」

おとうちゃんは一瞬
目が大きくなった。

「・・・どんな時のこと、言ってるのかな」


アタシはつっかえつっかえ
それでも説明しようとした。

「あのね、誰かと話するでしょ」

「そのとき、相手の子が言ってること
アタシほんとにわかってるのかな」

「相手の子もアタシの言うこと
ほんとにわかってるのかどうか
どーしたらわかるの?」


おとうちゃんはなかなか
返事してくれなかった。

「うーん・・・」って。


アタシはアタシの説明が悪いんだと思って
もっとくわしく言ってみた。

「たとえばね・・・」

「相手の子とアタシとで
おんなじ言葉使ったとしても
意味はおんなじなのかなあ」

「相手の子は、アタシの言うこと
わかってるみたいに返事するけど・・・
で、アタシもまた、それわかったつもりで
もっとしゃべるけど・・・」

「でも、ほんとにアタシの言うコト
相手の子に通じてるんかなあ」

「アタシも相手のいうコト、ほんとは
ようわかってないんやないかなあ」

そのあたりから
もう涙が込み上げてくる。


おとうちゃんが黙ってると
集まってきたカンゴフさんたちが
代わりに返事してくれた。

「きっとお友だちはわかってるんよ」
「ねねちゃんもわかってるんだよ」
「そこまで考えなくていいのよ」


おとうちゃんがいるときは
おかあちゃんは答えてくれない。
おとうちゃんにまかせてあるみたい。

おとうちゃんはいつも
何か聞いたら必ず答えてくれる。


でも、そのときは結局
おとうちゃんは、はっきりとは
返事してくれなかった気がする。

お父ちゃんの顔には
ねねに何か答えてやりたいって
書いてあるみたいに見えたのに。


アタシはアタシで
カンゴフさんたちの言ってることは
アタシの聞いてることとは
違ってる気がして
聞けば聞くほど、言えば言うほど
だんだん怖くなってきて・・・

最後は、わあわあ泣いてしまった。


なんだか誰にもわかってもらえない気がした。


でも、とにかく口に出せたし
泣くだけ泣いたら気が済んだのかな。

その後のこと覚えてないのは
その場がそれでおさまったからだと思う。



アタシは「わからない」が苦手だった。
なんだかとっても
悪いことみたいな気がして。

「わからない」と
不安で不安でしょうがなくなって
誰かに聞こうとしても、すぐ
涙ナミダになっちゃって
なかなかうまく聞けなかった。


それでも、あのときのおとうちゃんの
うつむいて考え込んでる顔は覚えてる。


カンゴフさんたちは優しかったけど
おとうちゃんは優しさより
たぶん正確さを優先したんだ・・・って
もっと大きくなってから思った。

もしかしたら、おとうちゃんも
そーゆーこと考えたこと
あったのかも。







(「さよなら クリストファー・ロビン」(高橋源一郎)を読んで思い出したので)


   https://blog.goo.ne.jp/muma_may2/e/5c8df7dcced514def8d3a57cba91f0a1(ねねの日記⑯「なぜ? どーして?」)
 
   https://blog.goo.ne.jp/muma_may2/e/ec782d067ad7b1b6a8cc4c3afb9ca4ac(ねねの日記⑰「おとうちゃんのカマクラ」)


   
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ねねの日記・31 ・・・「レーカ」って真っ白!

2017-12-31 16:21:22 | E市での記憶
アタシがまだちっちゃくて
おじいちゃんとおばあちゃんの
おうちに住んでた頃。

冬はすごーく雪が降るから
あっというまに積もるの
あったりまえだったんだけど・・・

夜遅くに、あんなとこ
なんでみんなで歩いてたんだろ。

どこかへ行った帰りだと
思うんだけど、思い出せない。


もとは野原か
田んぼの真ん中か
とにかく広~いとこだった。

遠くに林みたいなのが
黒く見えてたんだけど
だんだん暗くなってきたし
雪も降ってきて、見えなくなった。


それでも、道はあるし
積もった雪もあけてあるし
アタシの長靴でも
ちゃんと歩ける。

そう思ったんだけど・・・

みんな、ずっとずっと
ずうっと歩くの。

そろそろ知ってるとこに
出てもいいのに・・・って
思うようになっても・・・出ない。

どこまで行くんだろって
思いながら、でも歩いてたら
雪がひどくなってきて・・・

とうとう、前も
見えなくなっちゃった。


アタシは誰かと
手をつないでた。

おねえちゃんじゃなくて
おばあちゃんだったと思う。

手、つないでないと
もう怖くって歩けない感じ。

風が真横から吹くと
飛ばされちゃいそう。


「ふぶき」は知ってたけど
こんなの知らない!!

だって、前が全然見えない!


道の横が、よけた雪の
壁になってるからまっすぐ歩けるけど
壁がなかったら・・・どーなるんだろ。

どこ向いて行っちゃうんだろ。


寒いはずなのに
寒くなかった。

怖いから、もう
せっせと歩いた。

うちの近くまで来ても
まだまだ歩けそうだったくらい。
(アタシもけっこうヤレルじゃん!)


おばあちゃんが
通りかかったおじさんに
いつもみたいにあいさつしたら
「今夜はレーカやのう」って言った。

あとでカンゴフさんたちに
「レーカって何?」って聞いたら
「なんでも凍っちゃうくらい寒いこと」だって。


アタシはちょっと不思議だった。

そんな寒くなかったもん。


寒くなんかなくって
ただ「真っ白」なの。

右も左も(アタシ右と左、もうわかる)
ぜ~んぶ真っ白け、の、け。


雪が降ってるんだけど
どこから降ってるのか
もしかして降ってないんだか
なんかもう、全然ワカラナイ!


「レーカ」って
そんなモンなんだよ。






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ねねの日記・30 ・・・ サンタクロースは絶対いる!!

2017-12-19 11:07:59 | E市での記憶
アタシたちがまだちっちゃいころ
クリスマスが近くなると
「サンタさんに何お願いした?」って
カンゴフさんからよく聞かれた。

アタシもおねえちゃんも
何もお願いしたことなかったけど
朝起きると、枕元にいつも
可愛い長靴にはいったお菓子が
置いてあった。

おねえちゃんは
クリスマスの話になると
いつも本気で言った。

「あのね、サンタさんは
ほんとにいるんだよ。
あたし見たことあるもん!」

カンゴフさんとかおばあちゃんとか
おとなの人たちはニコニコして
「そうだよね」って。

みんなちょっと
嬉しそうな顔に見えた。

でも・・・

少し大きくなるとおねえちゃんは
学校なんかで

「サンタクロースなんていないよ」

って言われるようになったみたい。

「そんなはずない!!
あたしほんとに見たんだもん!」

おねえちゃんの眼は真剣で
アタシがそばにいるときは

「ねねちゃんも見たよね。
覚えてない?」

アタシは何も言えなくて・・・

たまには「見た見た」なんて
ウソもついたけど
ほんとは全然覚えてなかった。

アタシが覚えてないってこと
おねえちゃんはわかってたと思う。


サンタクロースが
おとうちゃんだったこと
おとうちゃんの口から聞いたのは
いつ頃だったのかなあ。

「友だちとそういう話になって
あの赤い服とか帽子とか
白いひげも綿で作って・・・」

夜、暗くなってから
(でもまだおねえちゃんが
眼を覚ましてる間に)
玄関から入ってきて
プレゼントをあげたんだって。

おねえちゃんが
すごーく喜んだって
おとうちゃんも嬉しそうだった。

そのあと、お友だちのおうちにも行って
そこの子どもさんたちも
みんなきゃーきゃー言ってたって。


おとうちゃんは、ずっと後になって
身体の不自由な子どもさんたちの
「施設の医者」になってからも
たまーに「サンタクロース」に
なってたみたい。

「子どもがみ~んな喜んでくれて
やって良かった」って言ってた。

おとうちゃんの膝が悪くなって
仕事場で車椅子使うようになる前の
まだ元気だった頃のことだったのかな。

でも、その日はちょっとクタビレタ顔で
帰ってきたの覚えてる。



おねえちゃんはそれからは
「サンタクロース」のこと
言わなくなっちゃった。

「なあんだ」くらいじゃない
納得いかない感じがしたのかもって
アタシはちょっと思った。

でも、おとうちゃんは
そーゆーヒトだったんだと思う。

話してるときの楽しそうな顔
今もはっきり覚えてるよ。

でも、おねえちゃんも
そーゆー子だったんだよね。


アタシもおとうちゃんのサンタクロース
覚えてたかったな・・・





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