もうひとつの部屋

昔の記憶に、もう一度会える場所にしようと思っています。

うつくしいもの

2024-08-04 17:13:14 | ひとりごと


よあけのそら そらのいろ

こくいっこくと かわってく いろあい


もうすこし そのままでいて って

おもっても かなわない


なんていったか 

にほんでつくられた バラのなまえ


はな ひとつ ひとつ

はなびら いちまい いちまい

そこはかとなく あいまいに

いろとふぜいをかえながら

いつのまにか ちっているバラ


よあけまえ ベランダからみる

そらのいろは そのはなに にてる。



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70歳になって、ふと思うこと

2024-07-11 15:55:13 | ひとりごと

わたしの人生は、長くてもあと10年。

数少ない身内の女性たち(二人の祖母と母親)は

大体80歳前後で亡くなっている。

(母の兄弟姉妹は、皆こどもの頃に

亡くなっているので参考にできない)


「長くても、あと10年」と区切ると

なんだか寿命を知らされたようで(錯覚)

「じゃあ、その間は何をしようかなあ」

 

わたしの家族(連れ合い)は同い年で

わたしより2ヵ月早く誕生日を迎えた。


その前後によく口にしたのは

「寿命が前もって知らされればいいのに」


なぜかと訊くと

「残り時間がわかっていれば

そのつもりで計画が立てられる。

あと数年なのか、10年あるのか

20年、30年あるならどうしようか…って」


家族は長寿の家系なのだ。

しかも、目標に向かって、計画を立てて

「努力するのが好き」という人。


若い頃からの持病に加えて

加齢による?病気も現れ

それでも前向き。

コップ半分の水は「まだ半分ある」と

考えたい、考えるべきだという人。

 

わたしは全く違う人種で

「努力」も「向上心」も、いつのまにか

わたしの辞書からは消えている。


前向きな性格とは言い難く、むしろ

過去のことばかり考えているうちに

時が過ぎた… という人。


妙に運命論者なところもあって

重要なコトほど、モノの弾みや

その場の勢いで決めてきた。


これまでも、人生の残り時間なんて

気にしたことはなかった。



「早く人生が終わればいい」とは

こどもの頃から思っていたけど

「長生きしたい(死にたくない)」と

思ったことはなかった。



特に、この10年は

「もう十分、生かしてもらいました」

「ほんとに、もういいんです。十分です」と

寿命を決める存在?に訴えたいような気分だった。



なのに今、「残り時間は長くて10年」なんて

あっけらかんと思う自分。

10年を長いとも短いとも感じない。

ただ「終わりが具体的になったなあ」とだけ。


若い頃にあれほど近く感じた「死」と

高齢になって、着実に近づいてくる「死」とでは

自分の受け止め方だけでなく、「死」の種類も

違うのかもしれない。


仕事をせずに生きてこられたわたしは

身体を酷使せずに済んだ。

命に係わりかねないような持病を

抱えずに済んだのには、それも大きいと思う。


要するに「深刻な苦労はせずに済んだ」 

そういう70年だったのだろう。

 

家族は言う。

「人生ほんとに100年の時代

あと10年で終われるかどうか…(苦笑)

でも、自分で自分のことが決められる

やりたいことがまだ出来る…っていうのは

確かに、あと10年だろなあ」


55年間、身近に暮らしながら

全く違う道を歩いてきた気がするけれど

すれ違いをくりかえして、回りまわって

ちょっとは似た場所に、いつのまにか偶然

たどり着いたみたいで… 可笑しい。

 

家族はまず手始めに…と

長年勉強してきた英語の仕上げに

外国へ2週間の研修に出かけた。

これで英語はおしまいにして

次は他の外国語をやってみたいと。


そのお陰でわたしは

「100% 好きなように暮らせる」

2週間の休暇を、目下楽しんでいる。

 

5年前、家族が「ピースボートで世界1周」に出たときは

「貴重な自由時間(3ヶ月!)が出来たのだから

『何か意味のあること』をしたい(しなければイケナイ)」と

源氏物語をせっせと読んだりしたけれど…


自分でもなんだか、檻の中のクマが

ウロウロ歩き回りながら、仕方なく

古典なるモノに挑戦してるような気もした。


「100% 自分の自由だった」とは思えない。



今回の2週間(まだ6日目)は

あのときのような「勉強」要素のない

「ただ楽しく心地よく暮らせる」時間に

なっていると思う。


わたしが自分でそうしたいと思い

そういう時間の使い方、暮らし方を考えた。



どういう理由で、何がきっかけでそう決めたのか

例によって自分ではワカラナイ。


正直に言うと、ただ「そうなった」のだ。

自分でそうしたのだという自覚はあっても。



「70歳になる」というのは、わたしにとっては

そういうことだったらしい。


この後の10年は、果たしてその延長上にあるかどうか…

実のところはわからない。

良いコトばかりが続くはずはないし、かといって

この期に及んで、悪い想像をしてもはじまらない。

 

「これまでどおり、何があろうと

家族みんなで助け合えますように」

 

なんのことはない、何歳になろうと

そこだけは変わらないのを再確認して…



今日はここまで。

取りあえず、洗濯物でも取り込もう(^^)

 




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時間がつながらなくて…

2024-04-29 21:16:56 | ひとりごと


毎日、映画を観たり、ドラマを見たり。


…すると、その前のことが

思い出せなくなる。


わたし、今朝は散歩に行ったっけ。とか

わたし、朝ごはん何食べたっけ。とか


掃除機かけたっけ(かけるつもりだったけど)

洗濯もの、どーしたっけ。



ま、いいのよ。ソンナコト。


わたしにとっては

映画の方が大事(たぶん)


でも、こーゆーのが当たり前になるのも

それはそれで、ちょっと困る?


でも、困っても

なるものはなる(きっと)



モノが脱走して見えなくなるのは

モノの自由?かもしれないから

モノスゴク大事なものじゃなければ

帰ってくるの待っててもいい。


でも、わたしの「時間」が

つながらなくなっちゃうのは

ウレシクないなあ(どーしよう)

 

すごーく不思議なんだけど…


それでも人生は続くのね。

「人生」は続くけど

「わたしの時間」はブツブツ切れてる。

 

これって一体、なんなんだろう…って

この頃毎日思ってる。

 

 

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生と死は、同時にそこに存在する  ・・・「超絶技巧を超えて 吉村芳生展」

2023-08-20 15:12:52 | ひとりごと

「美しさ」の持つ力を

久々に実感する機会がありました。



鉛筆で、色とりどりの花を描いた

吉村芳生という方の展覧会。

 

向かい合わせに飾られた

それぞれ壁一面を占める

鉛筆画(2m×7m位)二枚。



一枚は、数多の長い花房を

カーテンのように垂らして

静まりかえる、藤。


向かい合うのは、菜の花の咲く

川の中州を描いて、しかもそれを

上下さかさまに「完成」とした、風景。

 

その二枚にはさまれるように

部屋の中央に立ってみて

初めてわたしの意識に昇ったこと。



「死と生は、別々には存在しない」



「生」がなければ、「死」はあり得ない。

「死」がなければ、「生」はおそらく意識されない。



敢えて言葉(理屈)で説明すると

そんな風になるけれど

そんなことをしなくても

「死」と「生」は、いつも

同時にそこに存在してるんだと。



二枚の美しい鉛筆画は、そういう空気で

わたしをふうわり包みました。



たくさんの藤の花房。

「その花もつぼみも、ひとつひとつ

東北の大震災で亡くなった方々

ひとりひとりの命だと思って

描いてました」


という画家の言葉が

小さな文字で添えられて。



菜の花と枯れたススキの中州

川面はその影を映しています。


「花は、自分にとっては浄土のよう。

生まれることを繰り返す世界」と。

 


「人間の主観の入らない方法で

世界を描きたい」


若い頃から、敢えて

徹底した機械的・単純作業で

モノクロの版画や鉛筆画を描いてきた人が

さまざまな経験の後

200色?という色鉛筆を用いて

あれほどの「精神性」(それこそ主観そのもの)を

感じさせる作品にまで昇りつめた…



もしかしたら、そのことの重さが

わたしの心をこれほどまでに

揺さぶったのかもしれません。



絶筆はコスモス畑。


方眼紙のように、ひとコマひとコマ

色鉛筆を塗っていて…

描き手の亡くなった後の部分は

白紙のまま。



最後まで「機械的・単純作業」で

絵を描いておられたこと。


人生を通じての膨大な仕事量

その根気、思いの強さにも

圧倒された時間でした。

 

 

 

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知らないうちに「橋」の上

2023-07-28 12:17:05 | ひとりごと

 

最近は毎日、足元ばっかり

見て暮らしている(らしい)


そのせいだろうか

ずっと同じ道を

歩いてるつもりだったのに…


ふと気づいたら、どこかの広い川にかかる

橋の上を歩いてた。



渡り始めたばっかりか

もう渡り切る寸前なのかも

よくわからない。


霧がかかってるみたいに

辺りの様子もボンヤリとして…



わかっているのは

どこかとどこかの「境界」に

自分がいるらしいということだけ。


どことどこの境目なのかは

訊かれてもワカラナイけれど。

 

最初は、自分がいつのまにか

「どこかの川を渡ってしまった(らしい)」

という風に感じてた。


それはそれでオドロキで

早から「川を渡る」なんて、いったい

どーゆー意味??(すごーく不可解)

 

でも… 


「これまでとは違う自分」に

なりつつあるという感覚は

確かにあって…

 

来年70歳になるっていうのは

そんなにタイソウなコトなのかしら。


自分では、自分のこと

オバーサンだと思っていても

いわゆる「老人」とは

思ってなかったのかな?



いやまあ、何をどう思うとか

そういう話じゃなくて…


「明らかに身体が変わりつつある」のが

問題なのです(^^;


「身体」は「アタマ」も含みます。

 


橋の上から見る風景は

たとえ霧に隠されていても

一生に一度の景色でしょう。


渡り切ってしまったら

これまでの世界のことは

思い出さなくなっていきそう。



向こうの世界が

「当たり前」の毎日になったら

どんな自分になってるのかな。


怖いような、でも

ちょっとわくわくするような

「橋の上」での貴重な残り時間…なのかも。

 

 

 

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欲しかったのは、自由と勇気

2023-07-23 14:08:40 | ひとりごと

わたしがずっと欲しかったのは

「自由」だったと、やっと気づいた。


そのためにこそ

「勇気」という言葉に憧れたんだと。


私にはないモノ・・・そう思っていたけど。

 


「ただただ自由になりたかった」のは

「このままじゃ生きていけなくなる」って


「窒息して死ぬしかない」って

こどもの目にも見えてたから?

 


自由がなかったのは

わたしのせいじゃなかった。


あそこまでがんじがらめに

恐怖でしばりつけられたら

こどもは自分ではほどけなくなる。


それも

しばられてることもわからないくらい

巧妙なやりかたでもって。


でも・・・

 

「勇気がなかった」のは

自分のせいだったと

今でも思う。


勇気は深紅のルビィみたい。


わたしはソンナモノ

持ったことも

見たことさえ

なかったと、今も思う。

 

 

 

 

(タイトル 2021年11月1日)

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今となっては「今」しかない?

2023-06-02 21:42:55 | ひとりごと

最近、朝の散歩で

自分の視野がずいぶん

狭くなってるのを感じる。


物理的な視野もそうだけれど

どちらかというと精神的な視野。


何かに注意を向けたり

興味を惹かれたりすると

他のことはぜ~んぶ消えてしまう。


わたしは元々そういう傾向の

ある人だったけれど

それに磨きがかかる一方。


しっかり足元なんか見てたら

前から来る自転車にも

後ろから近づく車の気配にも

気付かないんじゃないかしら。


ましてや鳥を探して、はたまた

木に咲く花を見上げたりしてれば

足元も危うくて当然。



それに加えて、この頃は

時間的視野も狭くなってきた。


昨日のことが思い出せない。

今朝したことも忘れたりする。


人の名前、モノの名前は

モ、チ、ロ、ン、思い出せない。

観た映画、読んだ本の中身も

まったくアタマに残らない。


そもそも、観たかどうか

読んだかどうかが、既にアヤシイ。

(こういうコトを皆で自慢し合ったら

きっと盛り上がるだろうと思う)

 

今朝、歩きながら

ソンナコトを考えていて

遅まきながら、やっと気づいた。


要するに、わたしはだんだん

「今」に集約?されつつあるんだと。



前も後ろも上も下も

遠い過去も近い過去も

だんだん薄ぼんやりしつつある自分。


未來はあんまり考えない方だし

考えても覚えてられないだろうし…


それって「今」しか

なくなるってことじゃない?



その昔、『今を生きる』って映画を観た。


名門全寮制学校の男の子たちが

型破り新任教師との出会いで

自由な生き方に目覚めていく話。

 
つまり、70歳を目前にして

あの高校生たちと同じ立場に

わたしもなったってことなのね。



こーゆーのを、確か

ケンキョ―フカイとか

言った気がするけど…


「まあ、いいよ、なんだって」

太っ腹になる一方のわたし。


今しかない「今」を生きる。


なんかカッコいいような気がしてきた。


(それともやっぱり、認知症へ一直線?(^^;)

 

 

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「保護区」に暮らす

2023-05-28 17:40:40 | ひとりごと

うちは4人家族。

親たちは60代もそろそろ終わり。

息子たちは30代。


各人かろうじて個室がある程度の

マンションに住んで22年。


家を建てるにはお金が足りず

比較的安かったマンションを購入。


そのときの条件が

「一人一部屋確保できること」

20年に10回引っ越した挙句の

ギリギリの結論だった。



その後、住人は変わっていない。

誰も出ていかず、だれも(もちろん?)

入ってこない。


小学生たちが、毎日何人も

出入りしたのも、ほんの数年。


あとはずっと

「4人用シェアハウス」のまま。



住人たちも(血縁の家族とはいえ)

早くから「隣人同士」になっている。

特別な努力も、細々とした喧嘩もなしに

暗黙の了解?でそうなった(と思う)


「隣の人に言わない、しない」ようなコトは

誰も言わない。しない。それだけのこと。



お蔭でわたしは、気づいてみたら

「保護区」で、のうのうと暮らしている。


共通スペースの管理人ですらなくなって

ただの一人暮らしの高齢者。



同じことを何度口にしようと

とがめられることはない。


家事の要領がわるかろうが

むやみと時間が掛かろうが

誰からも何も言われない。


出来ないと思ったことは

そう思った時点で放り出して

誰かに丸投げしてもいい。




今わたしにあるのは、ただ

「みんな元気でいてほしい」

それだけ。


こんな「保護区」でなら、どんな人も

脅かされずに、その人のままで

暮らしていけるんじゃないか…

 

そんなことをふと思う一方で

「早くボケますよ」と言った知人のことも

思い出して、可笑しくなる(^^;

 

先のことなど誰にもわからない。


「保護区」は、つかのまのサンクチュアリ…

それならそれでかまわない。


「今」を大切に、生きていけるものなら。

 

 

 

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だんだん速くなる汽車

2023-04-28 18:01:59 | ひとりごと


いつのまにこんなに

しわだらけの顔に

なったんだろ。


いつのまに、こんな

曲がった指の

手になったんだろ。



でも、いいよね、そんなの。

じぃっと見なきゃ

いいんだから。


問題(でもないか)は

「時間泥棒」


わたしの時間はオイシイらしくて

ちょっと気を許すと

パクパク食われちゃう。


あれ?って思うと1時間、2時間

わたし何してたっけ… なんて

考えちゃいけない(さらに深みに)


元々ショーモナイこと

「つい考えちゃう」人種って

自分でも思ってたんだけど…


うそうそ、ホントは

「ついぼーっとしちゃう」

ただそれだけの人だったのね。


でもって…

ぼーっとしちゃうと

あったりまえみたいに

もうこの世にいないはずの

知り合いたちが現れる。


川の向こうなんかじゃないよ。


いつのまにか、この世もあの世も

一緒くたになったのかしら。


それとも、よっぽど

心配されてるのかしら(まさかね)


あんなこと、こんなこと

あったこと、なかった?コト

オシャベリしてる間に

泥棒さんはせっせとお仕事。 


おかげで1日がとっても短い。

1週間も、あっという間。


そろそろ1ヵ月も「いつのまに?」で

1年前も「つい最近…でもいつだったっけ」



年を取るって

だんだん速くなる汽車に

乗るようなものだったのね。


で、どこかで何かで事故ったら

とりあえず停車。その後は…

 

汽車の走り方が

また変わるんだろな

いつのまにか。

 

 

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「ぼく」の正体は… 

2022-07-24 11:30:02 | ひとりごと

父親へのアンチテーゼみたいな「自分の本体」?

「ぼく」が言葉を発しない(たぶんそもそも言葉を持たない)のは
すべてを理屈と言語で説明・表現できる(そうありたい)と思っていた
父親に対抗する(あるいはそこから逃げて「自分」を守る)
ためだったんじゃないかなあ…とか。


或いは、すぐに現実の時間から振り落とされて
迷子になる「ほよよ~ん」なタマシイ?

私の場合、「自分」の大部分は「からだ」で
タマシイは、あってもごくごく小さな存在?なのかも。

「からだ」はアタマも含んでいるので
「からだ」が一応、思考も担っている(らしい)

なので、私が「よく考える」と
まず間違える?気がする。

本能的に自分でもわかっていたのか、重要な選択・決断ほど
「その場の勢い」「思いつき」「山カン」?でされてきたけれど
あまり後悔したこともない。

それは結局「ぼく」に決めさせていたから…なのだろうか。


高校大学を通じて「ぼんやり」ながら切実にもがいていた自分は
卒業後追い詰められて「口を利くのをやめ」
すべて放り出すように精神科に入院した。


退院後、結婚してからの数年間
執拗に追いかけてきた
魑魅魍魎のような「影」の大群。

あのとき私を支えようとしてくれた?
分別臭いおしゃべりな「猫」は父の幻影?

その傍に立つ銀髪・碧眼・白衣の「エレーン」は
ひとこともものを言わなかった。

もしかしたら…あれは「ぼく」?


たとえ幻覚幻視であっても
私には彼らがはっきり見えていた。でも…


やがて私は「猫」の首を撥ね
それを止めようとした「エレーン」にも
刃を向けて…


血みどろの中に倒れた白い姿は
その後もずっと記憶から消えなかった。

 


前回の記事「ぼくの「宿主」」は、私自身
漠然とながらその存在を感じてきた「ぼく」を想像して
今のオバアサンの「からだ」で書いてみたもの。


「ぼく」が何をどう思っているのか
私には今もわからない。


それでも、何か
とても大切なもののような気がして

失くさないよう、見放されないよう

その無言の声に耳を傾けるよう
心しておかないといけないのかも…

そう思った。



書く前に実は、「ぼく」の正体について
「好奇心」? 美や陶酔を求める「恋ごころ」?
それとも「こどもごころ」「無邪気」とか??

時間をかけて、色々挙げてみたけれど
なんせ「からだ(アタマ)」の「考える」ことで
やっぱりしっくりこない…

ところが最近、別ブログで父親のことを
ある本の感想に交えて書いた後、ふと閃いたのが


「「ぼく」はこの人(父親)への
アンチテーゼ?だったのかも」


そこからこの記事は始まった。


前回以上に「人に読ませるようなモノじゃない」と
わかっていても、自分のために書いておきたかった。


リジンさん(離人症)などに引っかからずに
直接社会に接することが出来ていたら…

「ぼく」はもっと成長・成熟し、やがては
「からだ」とコミュニケーションできるような
「言葉」を獲得できたかもしれない…


などというのは、また別の話で
考える時間が残されているかどうかも…


とにかく最期まで「ぼく」と行けますように。


今願うのは、それだけです。




これまでに別ブログ(「眺めのいい部屋」)で書いた
父と関係のある記事を 、自分の備忘用に載せておきます。

(映画や本の感想もあります。ムダに長いので
どうぞスルーなさって下さい)



https://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/2bf0db58e788c0eb776774a83f68e75d 「帰還兵じゃなくっても・・・『帰還兵はなぜ自殺するのか』」

https://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/3fad34affcc364168b02d50f98c50346 「「父親」?の出現(「楽しい夢」の長い前置き)」

https://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/9f69495a1b9f0e21a4097edbe301c3fd 「楽しい夢」

https://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/f2befe13632e973837ec4f510f9af21c 「豪雪・多病・貧困・・・『いのちの山河~日本の青空Ⅱ~』」

https://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/1f0c7d43f797f65592d0c290766546c7 「「洗脳という嵐・・・『ヒトラー/最期の12日間』『白バラの祈り』」

 

 

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