もうひとつの部屋

昔の記憶に、もう一度会える場所にしようと思っています。

「18才と81才の違い」

2024-05-21 17:18:19 | なんでもないハナシ

資源ゴミの準備で

紙類の整理をしていたら

「18才と81才の違い」というプリントが

古新聞の間から見つかりました。


以前に流行ったようなモノで

既にご存じかもしれませんが

プリント自体は、たしか地元の高齢女性たちが

自分たちで作ったもの…と聞いた記憶が。


読み返して、やっぱりオモシロかったので

30個ほどの中から選んだものを載せます。

お暇なときにどうぞ(^^)

 


    人生につまづくのが18才  小石につまづくのが81才

      心がもろいのが18才  骨がもろいのが81才

     恋におぼれるのが18才  風呂におぼれるのが81才

    道路を爆走するのが18才  道路を逆走するのが81才

   アメを噛み砕けるのが18才  アメを噛んだら歯が砕けるのが81才

ゴルフで前の組に打ち込むのが18才  後の組から打ち込まれるのが81才

  自分探しをしているのが18才  帰れなくなり家を探しているのが81才

   偏差値が気になるのが18才  血糖値が気になるのが81才

    知らないと悩むのが18才  知ってると疎んじられるのが81才

人の言うことを聞かないのが18才  人の言うことが聞こえないのが81才

   学校で友達に会うのが18才  病院で友達に会うのが81才

     思い出を作るのが18才  思い出を思い出せないのが81才

   女房を探し始めるのが18才  女房に探され始めるのが81才

 

 

う~ん、18才はロマンがあるなあ。

81才は現実オンリーでつまらない?

いえいえ、こういうのを自分たちで作って

大笑いしよう!という土地柄なのです。

今となっては、わたしも一緒になって

笑えるオバアサンでありたい。


(最初にこのプリントを見たときは

自分のこととは思ってなかった(^^;

最近は現実ヒシヒシです)

 

 

 

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起きろ、海行こ、海!

2022-10-25 16:30:02 | なんでもないハナシ

TVの朝のバラエティーで

あるときたまたま見かけたシーン。


毛布かぶって寝てる女性を

ドア開けて現れた男性が

「そっとやさしく」?起こす設定(らしい)


見ている他の出演者たちは

「どーやって起こすかな?」

「どんな言葉、かけるかな~」

 

好奇心あふれる?雰囲気の中

現れた男性(俳優)は、問答無用

毛布を女性(お笑い系タレント?)の

足の方から引っぺがして

ひとこと


「起きろ、海行こ、海」

 

その後もボー然としてる女性を

せきたてるように

「さあ、起きて起きて」の一点張り。


寝ていた女性はもちろん

会場のみんなもア然。


司会者は彼女に

「どう?これは。あり(OK)?それともナシ(ダメ)?」


彼女はしばらく黙ったあと

どこも見てない目線で、小さく「あり…」


すぐに気を取り直して、大きな声で

「もちろんあり」 


そして自分につぶやくように

「わたし、ほんとにこうして起こされたことある…」

 


そのときの情景が、なぜか忘れられない。

「やさしくそっと」起こすより

「起きろ、起きろ」

「海行こ、海!」


私はたぶん、男優さんの

「人との距離の取り方」

その鮮やかさ、巧みさに

ショックを受けたんだと思う。

 

最近、その記憶がなぜか浮かんできて

自分で自分に使う合言葉にした。


起き出すのがシンドイとき

小さな楽しみも見つからないとき

こうして朽ちていくんだな…と思うとき


自分で自分にそっとささやく。

「起きろ、 海行こ、海!」

 

海がそこまで好きじゃなくても

こどもの頃「海」に行った記憶と

どこかで共鳴して、誰かの顔が浮かんで

「何か」に励まされてる気がするんだと思う。

 

 

 

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フィクションだったんだ(知らなかった~)

2020-01-23 15:51:26 | なんでもないハナシ
村田沙耶香さんの朝日新聞への投稿記事(「気持ちよさという罪」)を読んで
村田さんの子ども時代や、その後の友人との関係などが
あまりに自分と共通だったのに驚き、何か一冊読んでみよう・・・と
芥川賞受賞作「コンビニ人間」(2016)を図書館で借りました。


主人公の感覚はよくわかる(と思いました)。

コンビニがある現在だから「コンビニ人間」だけれど
無い時代を選んでも書ける小説かもしれない・・・とも。

少なくとも、この主人公の感覚は
いつの時代にもあるもののような気が
私はしたので。


でも、もしかしたら「時代性」と絡めて
「分析」される場合が多いような
そんな作品かもしれないとも。

文芸作品を読むのはごく稀な私としては
受賞当時、どういう批評をされたのかも全く知らないので
個人的に想像するだけですが。


それより、私にとって読んだことに意味があったのは
「書く」ことを、初めて本気で(多分)考えさせてくれたことです。


自分の書くモノ(ブログ記事)は、ある種の「砂糖菓子」だと
以前から自分で思っていました。

脚色というほどのことはせず、ただ
過去に自分が見聞きしたコトを、ほとんどそのまま
書いているだけなのですが・・・

10年後くらいに自分で読んだとき、
カッコつけてるなあ・・・とか
イヤなこと(わざわざ)文章化してるんだなあ・・・とか
はたまた、何言ってるのか自分でもヨーワカランとか
そういうことだけは避けたいと。


気をつけていたのはそれだけ。
なので、「創作」からは程遠い
(将来の自分のための)覚書のつもりでした。

「読む人」としては、何年後かの
「過去を忘れてしまった」自分しか想定していないので
文章が少しでも上手になりたいとか
ほんのちょっぴりでも洗練?されたいとか
全く考えたことがなく、実際「進歩」がないまま
今に至っています。


でも・・・

村田沙耶香さんを読み出すとまもなく
記憶の倉庫のどこやらから
「思い出したくない」ことが、バラバラいくつも現れて
最初は愕然! その後は・・・ただただ呆れました。

「書くつもりがなかった」コトどもは
埋もれたままで時が過ぎていただけ。
消えてしまった訳じゃなかったんだと。


愚かな私は、「砂糖菓子」だけを記憶に定着させるつもりで
耳ざわりがいいことだけ書いてた・・・
だから「書くと元気になる」って「経験的に」気づいてた。

「書く」ことは時間もエネルギーも要する
なかなか思うに任せないコト。

それでも「気持ちよかった」んですね、書くことは。

「砂糖菓子」の甘さが、ちっぽけな自尊心に
美味、快感、心地よさを与えてくれる。

怖がりで依存症体質の自分が
そこに浸りたかった気持ちはワカル。
書いてる間は全然わからなかったけど。



人の記憶というのは(私ほど空っぽのアタマでも)

「亡くなった人の名誉を傷つけない」
「見たくないモノを見せられずに済む」・・・つまり

「自分にとって都合がいいものだけ残す」なあんて
自分で「操作」できるようなものじゃなかった。


この「もうひとつの部屋」の「ねねの日記」はもちろん
「眺めのいい部屋」の家族や身内、知人の風景も
ぜ~んぶフィクションだったのです。(ダラダラ日記ブログさえ)


気づいてなかった・・・(ほんとに?)

「あったこと、聞いたことを、そのまま書いただけ」
な~んて思ってた自分は
な~んて「カッコつけて」たんでしょ。

「砂糖菓子」は「創作」なんぞというほど
高尚なもんじゃあもちろんないけど
それでも「虚構」ではあったのです(当ったり前じゃないのォ)


その後、「地球星人」(2018)を読んだときには
もう「思い出したくない」コトばかりが
波のように次々押し寄せて・・・ほとんど茫然。

そんなにまで、私には
「忘れたい!」ことがあったのか。

その記憶はどうするつもりだったのか
書いた当時の自分に聞いてみたい。

(「考えてなかったの。ソンナコトまで」って
きっと言うな~ 薄っぺらなアホやから)



という訳で、「書く」ということについて
もう少し真剣に考えないとイケナイ・・・なんて
(65歳にして漸く)考える機会を与えられたような気が・・・

(って、ウソでしょ? またカッコつけて。

ま、でもショックだったのはホントかも。
胸騒ぎばっかり忙しくて、まだアタマの方は全然働いてないけど)


「今更思い出さない方がいいのに」って声は
ちゃんと聞こえる。 
その方がまだしもカシコイのかも・・・と思うのは
現実に65歳である私でしょう。

でも・・・

「砂糖菓子はさんざん作ったやないの。
砂のお城よりヤワやったけど、ま仕方ない。
それでも結構長持ちした方」

「アンタ甘党でもないくせに・・・飽きてきたんちゃう?
さっさと次探しにいった方がマシよォ~」

などなど、コドモとも何ともつかない
(でも絶対オトナじゃない)私の声も
矯正メッキが剥げた今じゃあ、無視できない。


「次」を探す道の歩きにくさも
さすがに見えてるし・・・おまけに
「飽きっぽくて、低エネルギー」な自分。

歩きだして迷子になる前に
すでに迷いっぱなし。


「どーしよーかなー」 


(でも、「好奇心はネコをもコロす」・・・なんだよね)


  

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ボンヤリを矯正すると・・・

2019-12-14 18:33:39 | なんでもないハナシ
新聞一面のコラムで見た言葉。

「グズは魂と直結しているので
グズを矯正すれば魂も死ぬ」 (by岸本佐知子)


いつだったか、他のところでも
見かけたことがあったけど・・・

どうしてこんなに胸にしみるんだろって
不思議なような不可解なよーな。


でも今朝になって、突然思った。

「私の場合は(グズじゃなくて)、ボンヤリかも」


ボンヤリはタマシイと直結しているので
ボンヤリを ”矯正” すればタマシイも死ぬ。

ボンヤリには、ノロマとか
ドンクサイとかがついてくる。

ノロマとかドンクサさとかを矯正すると
ボンヤリも(少しは)シャッキリ?になって・・・

で、タマシイはどっかへ行っちゃうんだ(多分)。


私は、ごくごく幼い頃は
「いつまで経ってもご飯が終わらない子」
だった。

何をやっても時間がかかった。
何をやらせても、上手じゃなかった。


でも、少し大きくなると
(オトナの前では)ボンヤリしないように
「いつも気をつけてる子」になった。

自分がオトナになる頃には
「普通のはやさで一応できる」
フツーの人になったつもり。


オトナは人中で
ボンヤリなんかしない。

「そんなヒマはない」し
それだと(何かの)流れに
取り残されてしまうから。


それでも私は、ひとりのときは
「ボンヤリ」してたと思う。

全然気分良くない
ボンヤリだったけど。


でも・・・


私はソモソモ(何事によらず)
「矯正」されない人らしい。

「矯正」に見えて、大抵は
メッキに過ぎないんだと思う。

歳と共に、少しずつ
最近ではゴソッ、ゴソッと
みるみるうちに剥げてきて・・・


この数か月で、「ボンヤリ」な私に
戻ってしまった(らしい)。

スローモー(死語ですね)で、鈍クサい
何事にも時間のかかる、なのに
ムダにオシャベリな?自分・・・

ン十年続いた「仮の姿」は
一体何だったんだろう。


多忙で責任の重い「定職」についてた
家族がいなくなったら、身の回りには
「オトナ」が一人も居なくなって・・・

「気をつけてた」自分はあっさり消えて
「ボンヤリ」と一緒にタマシイが
どこ吹く風~で帰ってきた?


何のことはない、いつまでたっても
私は「振り出し」にいる
コドモのまま。

「努力」なんてしない出来ない
立ち止まったまま空を見ている

ただただボンヤリ夢を見ている

そんなこども。


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空と海と「青」の関係(追伸)

2019-10-26 07:21:39 | なんでもないハナシ

これまで空と海を、対にして
考えたこと、なかったけど・・・

Hさんが書いてくれたこと
読み返してて、ふと思ったの。


「空は、私のあこがれ

何もなくて、ただただ広い
だからこそ、美しい

でも、だからこそ
そこにずっとは居られない」


「海は私の内面そのもの
黒く、暗く、おそろしい

波の高さも、生き物の気配も

でも、あの「青い海」の記憶も
黒い海に沈んでる

私の記憶は、何もかも
「海」にしまい込まれているから」


「嵐の後は、大きなクラゲの
傘をかぶって、プカプカ浮いてる

そのまま、海の上で大の字になって
眠った翌朝・・・、目覚めたときに

目に入る空
一体どんな色なんだろう」


「私はほんとは空になんかいない

ずっと海にいて、時々海面から
身を乗り出して、空を見上げる

遠い空にあこがれ続けた

そんな生き物だったのかも」





あーなんかさっぱりしました。

今回のコメント、本当にありがとう。

それが言いたかっただけ。(シツコクて、ゴメン)






「『海』と書いて『空』と読んでた(信じてた!)自分~」
http://blog.livedoor.jp/hayasinonene/archives/53933598.html
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空と海と「青」の関係

2019-10-25 16:16:31 | なんでもないハナシ
私は、「元気」なときは空をオンボロヒコーキで飛び
元気じゃなくなってくると、だんだん「高度」が下がって
どこかの離れ小島に不時着する。

浜辺に座って、何もせず、ただ
水平線を眺めていると・・・

やがてどこからか何かが補給され
ヒコーキの応急修理も済んで
なんとか飛び立てるようになる。

そしてまた、へろへろと空を飛ぶ。
その繰り返し・・・と思ってた。


でも・・・


「全然元気じゃない」ときというのは
地上にいる気がしないのも本当。

重力が何倍にもなって
「地べた」に張り付けられて
立ち上がれないときもあるけれど・・・

海の上で、落ち葉の小舟に乗って
揺られてる・・・そんな気がすることもある。


傍を通る船の立てる
さざ波にホンロウされ
嵐が来たりしたら、即転覆。

それでもなんとか溺れずに
天気が良くなるのを待っていると・・・

あるとき浜辺に打ち上げられて
そこにオンボロヒコーキが待っている。


私の日常は、そうして
「上下」を行き来することで
成り立ってると思ってた。

「空」は「元気なとき」の居場所で
ただただ広く美しい。

「海」は不調が進行?しての行先。
どこまでも深くオソロシイ。


でも、どちらも地上じゃないのは同じ。

そして、私の中ではどちらも
「青」と結びついている。



現実の私は「長い坂をゆく」ような
「人生」も(一応)通ってきたのに・・・

それはとても遠い風景。

私とは違う、誰かのもののよう。


「青くない海」「青くない空」も
さんざん見てきたはずなのに・・・

私にとっては「空」も「海」も
やっぱり「青い」ものなのだろう。


私は「青」が好きなのだ。

たぶん。






「『海』と書いて『空』と読んでた(信じてた!)自分~」
http://blog.livedoor.jp/hayasinonene/archives/53933598.html

「『空の青さを知る人よ』を観てきました~」
http://blog.livedoor.jp/hayasinonene/archives/53930565.html

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そこにいるの?

2019-09-09 12:03:45 | なんでもないハナシ
おかあちゃん、そこにいるの?

おとうちゃんもそこにいる?

おばあちゃん、迎え火焚かなくてごめん。

おじいちゃんも・・・来てるのかな。


お盆って、不思議な感じ。

香港じゃ、色んなもの紙で作って
それを燃やしてお供えするんだって。

本物のお札燃やしたり
お金持ちで、本物の車燃やした
人もいたって。(ほんとかなあ)


いつだったか、メキシコの
お盆みたいな日のアニメも見たよ。

すごーく大掛かりなお祭りで
亡くなった人が、みんな揃って
おうちに帰ってくるんだって。

でも、待っててくれる人がいないと
帰れないみたいだった。

覚えてて、迎えてくれる人がいないと。


うちは、っていうかあたしは
お盆っていっても、何もしないから・・・

ナマケモノでごめんね。

でも、あたしがそんな人だってこと
みんなもう知ってるよね。


ほんというと、あたしはお盆じゃなくても
「そこにいるの?」って
思うこと、あるんだ。

なあんとなくアタマに浮かんで
「ねえ、そこにいるんでしょ?」って
話しかけたくなる感じ。


お義母さんから聞いた通り
おからを煮る最後に
結構たくさん「酢」を入れるとき。

朝の散歩で、なぜかふっと
毎朝走りに行ってた
お義父さんを思い出したとき。


テレビでお相撲やってるときは
お相撲好きだったヒロコおばあちゃん。

たまにお寿司をとったときは
お寿司屋さんに連れてってくれた
ひいおばあちゃん。


向こう岸に行ったはずの人たちも
あたしは、みんな好きな時に
こちらに戻って来てる気が
するんだと思う。

もっというと・・・あたしは

もう会えないかもしれないくらい
遠く離れている人は
亡くなった人と
区別がついてないのかも。

やっぱり、何かの拍子に
「そこにいるの?」って思うから。


生きてる人も、亡くなった人も

「そこにいる」

なんて、オカシイかなあ・・・


でも、ほんとにそう思うんだから
みんなゆるしてくれるよね。


いつになるかわからないけど
またほんとに会えるよね。



     

  
        (2019年8月14日タイトル)
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星空との会話

2018-08-11 09:06:23 | なんでもないハナシ


渡り鳥たちは呼ぶ


わたしはここよ あなたはどこ?

わたしはここよ あなたはどこ?




昔、夜空を見上げて思った。



わたしはここよ ここにいるのに

どうして迎えにきてくれないの?


ここにいるのに ここにいるのに 

お願いだから 迎えに来て!




・・・誰も来ない。

どこからも来ない。 



それでも時は過ぎて・・・





マンションの屋上。星空との会話。



わたしはここよ ここにいるの

いつか きっと 帰るからね





そして、あるとき・・・


ふと思った。



わたしはここよ もう帰らない


どうぞ みんな 元気でいて




驚いた。


なぜか、涙が出た。






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