もうひとつの部屋

昔の記憶に、もう一度会える場所にしようと思っています。

リジンさんのいない世界① ・・・ 怖くてたまらない 

2020-10-16 14:45:35 | ひとりごと
リジンさんがいなくなったのに

ようやく気がついたのはよかったものの…

うつっぽい時期には、これまで以上に

朝起きるのがツラくなった。


精神的なエネルギーが足りなくて…というよりは

これまで見てきた人間世界で、これからも

やっていかなければならないのが

ただ、怖くてたまらない… 

そんな不安を、強く感じるようになった。


ある朝、その感覚に出合ってみて

初めて私は、リジンさんについて

本当に「腑に落ちた」気がした。


「だから…だったんだ」


子どもが毎日、これほど怖い思いをしていたら

そのままで済むはずがない。



「明日目が覚めませんように」と

毎晩布団の中で祈ってから、眠りにつく。

それがオカシイと気づく術が

子どもにはなかった。


家を出るときは右足から…

ここからここまでは5歩で歩く…

アタマの中はいつも忙しかった。

大人は私が遊んでいるのだと思っただろう。


できないと戻ってやり直すくらい

本人は真剣だったのに。

きちんとできないと

何か悪いことが起きそうで

不安でたまらなくなるから

一生懸命、数を数えて歩いていたのに。



あのときの自分

あの子どもが感じていたのは

こういう怖さだったんだ…


リジンさんがいなくなって

もう一度それを体験して、やっと

それが私にも見えてきたのだと思う。



今の私は、子どもでも大人でもなく

既にオバアサンの年齢だ。

それでも、同じ「怖さ」を感じる。

この期に及んで、いまだにそうだという自分に

呆れてしまって、何も言えない。


それでも…



リジンさんは、自分が必要でなくなったと感じて

姿を消したような気がしてならない。


「怖い」と感じる私が、本来の私で

それでもそのままで生きていける…と

言ってくれてるのかもしれない。



最近は、昔の記憶が

「反射的に」蘇ることが減った。


子ども時代のことについては

自分のではなく、周囲に居た人たちのことを

「懐かしさ」と共に思い出すだけ。


大人になってからのことも

辛かった記憶はどんどん

薄れていくのがわかる。


ここまで来れば

「記憶」が私を脅かすことは

この先もうないのだろう…という気になる。


これから本当に「怖く」なるのは

家族や自分の「老い」「死」という

「目の前の現実」だけだろうから。

今の私が脅えているのも

そういうものの「怖さ」だろうから。



もう私の周りには誰もいない。


居るのはみんな「死んでしまった」人たち。

ときどき姿を見せて、笑ったり

声を聞かせてくれたりするだけ。



だからきっと、リジンさんは

居なくなったんだと思う。







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リジンさんがいなくなった…  

2020-10-09 13:22:06 | ひとりごと
失踪事件かペットの家出みたいなタイトルだけれど…


こどもの頃からずっと身近だった「リジンさん」の気配が

いつのまにか、きれいさっぱり消えているのに

最近になってようやく気づいた。


キツネにつままれたような気分って、まさにこのこと。

ま、消えているのに全然気づいてなかった

自分にも驚いた(呆れた)けれど。



「リジンさん」が初めて

私のところにやってきたときのことは

今もはっきり覚えている。


両親と祖父母の間で

深刻な(と子ども心に思った)トラブルが起こった頃。

ずっと一緒に育った姉は、遠方の中学に入学して家を離れ

私はひとりでいることが多くなっていた頃。


ある日茶の間の畳に寝転んで、することもなく

自分の右手を持ち上げて、ぼんやり手のひらを眺めていた。

遠くの蔵座敷の方で、大人たちの声が聞こえた。

何を言っているのかは、わからなかった。


ふと、自分の手が、自分のものじゃないような気がした。

近づけても遠ざけても「自分とは関係ない」

ただの「人間の手」にしか見えない。


でも、そのときはそれを

特に不思議とも思わなかったらしい。

その後もひどくなったり軽くなったりしたけれど

こどもの私は、さほど違和感を持たないままだったと思う。


生まれつきの近視で、早くからメガネをかけていて

「肉眼で見る」のと「レンズを通して見る」のとでは

「現実感」が違うことにも気づいていた。

その延長線上の(当たり前の)日常として

そのまま馴染んでいったのかもしれない。


それが「当たり前」でなくなったのは

いつのまにか学校も休みがちになった

高校生の頃…だったと思う。


夕方、あたりが薄暗くなる頃

親には「散歩に行くから」とだけ言って

よく街路を歩いた。


学校に行かなかろうが、夜一人で出かけようが

「受験生」の私のすることに、親は寛容だった。

無闇に刺激しない方がいい…という

大人の判断だったのかもしれない。



町の風景は無彩色。

すれ違う人たちは皆、灰色の魚の群れのよう。

自分もその中のひとりと頭では分かっているのに

同じ空間にいるという感覚がどうしても湧かなくて

いったい自分はどこにいるんだろうと思う。


透明で柔軟なタマゴのカラに包まれて

自分だけ空中から外を見ているような

その実何も見てないような…




親元を離れた学生時代

「離人症」という言葉を初めて聞いた。

それでも、自分の「日常」となっているこの感覚を

その言葉で呼ぶのだとは思わなかった。

病名の一つとして知ることは、自分の「現実」とは

別次元のものだったのかもしれない。



私にとって重荷だったのは

「生きている」こと、それ自体。



小さなこどもの頃からずっと

私はいつも、大人になぜ笑われるのか

(それよりずっと頻繁に)なぜ怒られるのか

いつも不可解なまま、ただ恥ずかしく、恐ろしく

自分がこのまま石になってしまえたら…と。


怒る大人の顔は、怒っていないときと

同じ人とは思えなかった。


けれど、リジンさんが私の傍に居つくようになって

私は「無表情」が使えるようになった。

「鉄面皮」ってこういうのだろうか…と

幼いなりに心に思った記憶がある。


「顔」だけで足りないときは

ひとりになるのを待って

何度も自分に言い聞かせた。


「私は何も聞こえない」

「私は何も感じてない」




オトナになって、精神科に入院するとき医師に言われた。

「離人症は自分を守ってくれてるところもあるから

あまり気にしない方がいい」


カラの中の私はぼんやり

そうなのかなあ… よくわからない。

でも、どうこうできるものでもないし…



「何を考えているのかわからない」

「あの子少し陰険よ」

…あ、こういうのではダメなんだ。


私は極力「おひとよし」を装うようになった。

「人がいいのね(ほんと世間知らず)」

「優しいのよね(ちょっとバカなんじゃない?)」


どう思われてもかまわない。

カラの中まで届かなければ。


私が、私の内側の世界で

「存在しない者たち」とのあれこれに

忙殺されかけていた頃…

リジンさんと透明なタマゴのカラは

私の外側を守ってくれてる

「守護神」だったのかもしれない。




けれど、そんなリジンさんは

数年前から少しずつ影が薄くなって…


今はもうどこにも、気配もなくて…



「守護神」が、ささやかなお守りくらい?になって

やがてそれも見当たらなくなったら

一体どんな世界が待っていたかを

今の私は、日々体験しているのだと思う。


(それがどういうものだったかは、またいつか)


                  
                 

                   8月29日タイトル初出




リジンさんと関係がありそうな?別ブログの記事も載せておきます(自分の備忘・参考用です)

https://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/c49fadd917f5268a41dca8611bb8fae3「車の運転と『離人症』」
https://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/841b5787a09fcf04bd5178fadc9b9cb7「透明なタマゴのカラの中で」
https://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/77fb91181881502fa1f74d88416b82c5「『存在しない』者たち・・・『ビューティフル・マインド』」
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