眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

15歳のとき満州で ・・・・・ 『夜明けの祈り』

2018-07-02 13:05:30 | 人の記憶

この映画(『夜明けの祈り』)に出てくる場面
もうどれもいちいち
私が目にしたものと同じでした。


終戦前後のどさくさの頃、私たちが住んでたとこにもソ連兵が入ってきて・・・

ソ連兵っていうのは、ほんとに乱暴だった。あるもの全部盗っていくし
特に、若い女は危ないって大人たちはみんな言ってて
うちの近所の子どもたちも、ソ連兵を見つけると
「ソ連兵が来た」「ソ連兵が来た」って大声で教えてくれた。

それでも回数が重なると、もうこんなんじゃ逃げ切れないって
母は床板をめくって、床下に私を隠してくれたんです。

あの辺りの家では、床下といっても結構高さがあって
立つことはもちろん無理だけど
大人が正座していられるくらいの余裕はありました。

私はそこに入れられて、母は床板を戻して、その上に
何か家具を置いて、私を隠そうとしたんです。

私はそのとき15歳。母も若かったはずで
きっと怖かったろうと思います。


あるとき、子どもたちの
「ソ連兵が来た!」っていう声がして
いつものように床下に隠れました。

急なことで、母は家具を上に置く時間がなくて
呼び立てるソ連兵の方に行ってしまいました。
でも、その頃にはもう、床下に人が隠れてるのを
ソ連兵側も知ってるって言われてて・・・

怖くなった私は、途中で床下からソォッと出て
庭の隅の納屋に逃げ込んだんです。

ところが、納屋に入ってみたら
鍵が無かった!

内側から鍵がかかると思って入ったのに
らくらく戸が開くって判って、もう
頭の中が真っ白になりました。

でも、もう他に行く時間はない・・・

ソ連兵たちは玄関から入ってきて
部屋にあるものを物色していたようでしたが
もう何度も来て、持っていけるものは全部持ってった後で
何もなかったんでしょう。
結構長いこと家のあちこちをあさった後、ようやく
あきらめて帰ろうしたようです。でも・・・

玄関から来たんだから、元来たとこから出てけばいいのに
庭の方を通って行こうとしたの。


扉一枚外を、ソ連兵が通ってく。

あの人たちは、歩くとガチャガチャ音がするのね。
銃だの何だのの音なんでしょう。

今、戸が開くか、もうだめか・・・って
ほんとに生きた心地がしなかった。
あの音は今も耳について離れません。


結局、そのときはそれで無事に過ぎました。

でも、あのときの怖さは忘れられない。
今日映画を観ている間、ずっと
同じものを見てる気がした。

本当に、ああだったんです。


その後、母は父から前もって言われていた通りに
仕事から戻ってこない父を待たずに
日本に帰ることにしたようです。

私は私で、ソ連兵のことではあんなに怖い思いをしたのに
少し町の様子が落ち着いてからは
タバコや何やを売ったりして
日銭を稼ぐのに一生懸命でした。

少し医療の心得がある・・・なんて言ったら
「それならあなたは救護班に」って言われて
何も知らないのに、もう見よう見真似で
予防注射までしたりして・・・
今思うと空恐ろしいようなことでしたけど
そのときはもう無我夢中で。


そんなこんなで、うちは家族が皆バラバラに
それでも、結局全員が日本に帰りつきました。
その話をすると、他の方たちが口々に
「運が良かったねえ」
「一人も欠けずに帰れたなんて家は、めったにないよ」
と言われました。

でも・・・

当時、自分は何も解ってなかったんだなあって
後から思いました。

どこでだったか、もうすぐ日本に着くって頃に
「相談したいことのある人は申し出なさい」って
女の人一人一人に聞いて回る人がいたんです。

誰も「申し出る」様子が無くて
お金のこととか家族のこととか
相談したい人がいないのかなあ・・・なんて
私は不思議な気がしたんですが
そんな相談じゃなかったんですね。

おなかの赤ちゃんを産みたくない人に
処置できる場所を紹介する・・・
そういう「相談」だったんだと
聞いたときには驚きました。

「あそこのおばちゃんはソ連兵に乱暴された」なんて
人から聞いて、自分でも人に言ったりしたのに
「乱暴」の意味するところが、当時の自分は
全然解ってなかった。

ほんとに、この映画の修道女さんたちと
同じだったんです。


当時、私たちの近くに居たソ連兵のことを
大人は「囚人兵」って呼んでました。
シベリアに流刑になってる囚人たちを
急遽兵士に仕立てて差し向けたってことなんでしょうけど
そんなこと有り得ない!

あれは、ドイツとの戦争が終わった部隊が
こちらに向けられたんです。
やっと故郷に帰れると思ってたのに
また戦地に来させられたんだと。
(だからといって、あの荒れようが
正当化されるわけではありませんが)


薄々予想してたことだったんで
この映画見にくるのに、ずいぶん迷いました。

でも、やっぱり
来て良かったと思います。

今でもこんな映画が作られるなんて
考えたこともなかったけど
若い人にも見てもらいたいと思います。




 

お手伝いに行った自主上映会で、初回上映終了後、偶然耳にしたことです。
上映スタッフの一人に話しておられたその女性は、敗戦当時15歳ということは今80代後半の筈ですが、話される内容もその表現の仕方もくっきりと明瞭で、とても知的な方でした。
すぐそばで話しておられたのを幸いと、(途中からではありましたが)私も聞き入ってしまいました。第二次大戦直後のポーランドの修道院で起きた事件(実話に基づく)のことを、「本当にあの通りでした」と言われる方がいようとは、私も想像もしていなかったのです。
見ず知らずの私がそばでじっと聞いているのに気づいておられたようでしたが、不快そうには見えなかったので、どうしても書いておきたくてここに載せました。『夜明けの祈り』という映画と同じくらい、私には記憶に残る出来事になると思います。


個人的なことですが、私の父親は「医学生のアルバイト」として、戦後間もなくの舞鶴港で「14歳から45歳までの女性に妊娠の有無を訊いて、処置を望む人には医者を紹介する」作業に従事したそうです。「僕は泣きながら仕事をした」と言ったときの表情を、女性の話から思い出しました。(以前そのことを書いた記事を、自分のために下に貼っておきます)

戦争があとに残すものの大きさ、深刻さに、私はいつも呆然となります。

https://blog.goo.ne.jp/muma_may/e/9f69495a1b9f0e21a4097edbe301c3fd 『楽しい夢』




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2 コメント

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映画が触発した、戦争の記憶 (ガビー)
2018-07-22 12:09:53
映画に触発されて実体験が甦ってくる、これほど深い映画体験はないと思います。鑑賞された方にとっては、苦しい思い出だったかもしれませんが、どうしても伝えておきたかったことを、ムーマさんがこんなふうに書き残してくれたことを喜ばれると思いますよ。お父様の、舞鶴での体験も含めて。
返信する
ありがとうございます(^^) (ムーマ)
2018-07-22 15:05:43
私は上映会より前に、録画でこの映画を観ていました。
なので、その女性の実体験と『夜明けの祈り』の各シーンが
重なり合って目の前に映し出されるようで
息詰まる思いでお話を聞いていました。

映画自体の感想は書けないままに終わるかもしれません。
でも、得がたい映画経験(としか言いようがないもの)をさせて頂いた気がします。

『夜明けの祈り』は忘れられない映画になると思います。
返信する

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