この映画(『夜明けの祈り』)に出てくる場面もうどれもいちいち私が目にしたものと同じでした。
終戦前後のどさくさの頃、私たちが住んでたとこにもソ連兵が入ってきて・・・ソ連兵っていうのは、ほんとに乱暴だった。あるもの全部盗っていくし特に、若い女は危ないって大人たちはみんな言っててうちの近所の子どもたちも、ソ連兵を見つけると「ソ連兵が来た」「ソ連兵が来た」って大声で教えてくれた。それでも回数が重なると . . . 本文を読む
40年ほど前のこと。
白い顔。細く長い指を車椅子の手すりにかけて長い黒髪をゆすって見せた・・・
バスケ用の小回りのきく車椅子。
乗る車も、必需品というだけではなくて走らせることが好きな人の車高の低いスピードの出そうな車種。
一度、飲み会の後各自帰ろうとしていたとき夜更けの車が少ない時間帯とはいえ幹線道路の反対車線を突っ走るのを見たことがある。
彼の年長の友人も呆れて「何考えとるんや、あい . . . 本文を読む
「カクザイって、握ってると、後で手ェ離そうとしても ガチガチで、離せなくなるんですよ」
「・・・火炎ビンとか投げたりしました?」
「う~ん、そーゆー話はまあ置いといて(笑) え~と、何科なんですか?」
「何科?」
「お医者さんなんでしょ?」
「ううん、私は医者じゃなくて・・・ なれなかったんです。あ、でも 卒業だけはし . . . 本文を読む
13年前。今はなくなってしまった映画館で。
「アンタも来ちょったんやね。うちら、後ろの方で観ちょったき気ィつかんかったやろ」
・・・映画お好きなんですか?
「うん。ここも時々来るよ。今日のはアンタ、どーやった?」
・・・う~ん、まあまあかなあ。
「実はうち・・・最近、姉が亡うなってね。乳がんやったんやけど、なんかしてやりとうても何したらいいんかわからんで」「それで、死んでからもずっと考え . . . 本文を読む
今から40年ほど前のこと。私が小学5年生のときの担任の先生の話だ。4年生から上がるときにクラス替えがあって、担任の先生も変わるということだったので、1学期の最初の日には、みんなドキドキザワザワしていたと思う。新しい先生は男性で、背が高く、ガリガリといってもいいくらい痩せた方だったけれど、初めて会ったとき私が一番驚いたのは、大きな眼の中の、底知れないような暗い光だった。(子ども心にも、はっきり「暗い . . . 本文を読む
学生さん? 帰省? どちらまで行かれるんですか。僕は福井までです。お盆だから、久しぶりに妹とお墓参りに行こうかと。
お家は金沢なんですか。金沢は空襲にも遭ってないし、いい所だそうですね。兼六園・・・でしたね。緑が多くてきれいだって、行った人から聞きました。福井は焼けちゃったから、緑は少なくなりました。僕も子どものとき、空襲に遭いました。まだ小学生で、妹連れて夜中に逃げて・・・防空壕もあったんだけ . . . 本文を読む
ヨウコさんが亡くなって、4年半。折にふれてヨウコさんの言葉や姿が浮かぶ・・・という時期は、いつの間にか過ぎたらしい。気がついてみたら、ヨウコさんの思い出と言えそうな記憶は、雲散霧消という言葉が浮かぶような、うっすらとしたものばかりになっている。私の実の母親である「ヨウコさん」のことは、距離が近過ぎるせいか、これまであまり書こうと思わなかった。それでも、6年前に「ショウコさんの戦争」という記事をこの . . . 本文を読む
先週の金曜日、病院で支払いをするために椅子に坐って待っていた時のこと。すぐ隣でおじさんが、大きめのメモ用紙を出してサインペンで何か書き始めて・・・ 傍の車椅子には、ちんまりと可愛らしいおばあちゃんが坐っています。 私もおばあちゃんも、おじさんの書く文字をなんとはなしに見ていると・・・「お医者が、塩辛いもん食べられんと言うとるんやから、そうせなあかん!!!」最後の「!」まで書くと . . . 本文を読む
(今回の記事は、いつも以上に「何が何やら」で「ダラダラ長い」代物です。自分のアタマの整理のために書いているので、スルーして下さって構いません。)
いつものことながら、調子が悪くなってくると「何事にも興味が持てない」日々がやってくる。ここしばらくは、映画を観たいという気持ちも全然起きない。
こういう風に、「世界が(それまでとは)違って見えてくる」感じが、昔は本当に嫌だった。カラー . . . 本文を読む
ショウコさんは82歳になった。 長い間故郷を離れていても、ショウコさんは生粋の薩摩女性(「さつまおごじょ」と言うんだそうな)だ。ショウコさんの中には、娘の頃鹿児島で暮らした日々が今も生きているのが見える。 ショウコさんは早くに両親を亡くしている。 お母さんはショウコさんの弟さんが生まれて間もなく、腎結核で亡くなった。その後抗生剤が手に入るようになった時、町医者だったお父さんは「これがあれば . . . 本文を読む
私の父は大正15年の春、男ばかり3人の兄弟の、歳の離れた末っ子として生まれた。8ヶ月の未熟児だった彼がそれでも何とか育ったのは、当時としては相当幸運な部類に入ることだったらしい。
色白に大きな目、8か月で生まれた華奢さもあって、「女の子が欲しくてたまらんかったお袋が、ほんとに頭もオカッパにして、女の子の格好をずーっとさせた。」と、父は憮然として言っていた。目の前の四十男の父と、「ほんとに女の子に . . . 本文を読む
前回、伯父のことを書いていて(『飛行機嫌い』)、一番強く感じたのは「歳月の力」とでもいうようなものだった。思い出せないことが増えていくという「風化作用」も痛感したけれど、それとは別に、なるほど記憶というものは思い出す度に編集し直されていくんだな・・・という実感があった。
大体、長年にわたって私は、あの「口の悪い」伯父が本当に苦手だったので、伯父の記憶を自分が、これほど大事に抱えてきたのだとは気が . . . 本文を読む
この半年、身辺にいろいろなことがあって、落ち着いてものを書くことが出来なかった。下書きのタイトルだけが増えて、本文はどれも一行も書いてない・・・という状態なので、開き直って、1年前に立てたこのタイトルで書いてみることにした。
これは私のたった一人の伯父の話だ。以前に少し触れた(『「洗脳」という嵐』)けれど、私の母は一人娘だったので、父の兄にあたるこの人とその家族だけが、私にとっては最も近い身内と . . . 本文を読む
先日、久しぶりで金沢に帰った際、実家の近くの美術館で「出光コレクションによるルオー展」をやっていた。たまたま時間があり、何も知らずに入ってみると、「受難」の連作や「ミセレーレ」シリーズの作品が順番に並んでいた。私はこれまで、これだけの枚数のルオーを一度にまとめて観たことがなかったので、突然放り込まれたこの画家の世界に目を瞠った。
私にとっては旅先に等しいような故郷で、さらなる異世界を漂っているよ . . . 本文を読む
昔、3年ほど佐賀市の郊外に住んだことがある。広いバイパス道路が出来たばかりで、大規模な公共施設や車での客を対象にしたレストランといった建物の間には、まだ麦やさまざまな野菜の畑が目についた。私たち家族が住むようになった新築のマンションの最上階にも、元は農家、今はガソリンスタンド経営という大家さんが住んでいたりした。それでも、マンションの周囲にはまだ他に高い建物も無く、幹線道路からも僅かながら離れてい . . . 本文を読む