眺めのいい部屋

人、映画、本・・・記憶の小箱の中身を文字に直す作業をしています。

『リズと青い鳥』 

2018-05-03 13:52:20 | 映画・本

(解りにくい下手クソな長文で、しかもまだ上映中なのに結末にも触れています。ゴメンナサイ)


「響け!ユーフォニアム」シリーズの劇場版のスピンオフ作品。山田尚子監督で京都アニメーションの「小品」が観られる(私は初めて!)とあって、以前からずっと楽しみにしていた。

でも・・・原作小説を何冊か若い友人に勧められて読んで、劇場版の1,2も誘われて観たけれど、なんせちょっと時間が経つとぜ~んぶ忘れてしまう自分(^^;。今観ても、登場キャラの判別がつかないかもしれない・・・

というわけで、観にいく直前に、TV版アニメ「2」の第1話だけ、大急ぎで見てから出かけた。(実際「予習」したのはとても役に立って、映画開始からずっとキャラの判別がスムーズに行って助かった(^^))

シリーズ本編とは違い、高校の吹奏楽部という舞台を借りてはいるけれど、物語の主な部分は二人の少女の関係の変遷を描いた作品で、「リズと青い鳥」というのは中に登場する絵本のタイトル。それを題材にした吹奏楽曲を、二人が互いのパート(オーボエとフルート)のソロ部分で「かけ合い」で演奏することをきっかけに、中学校以来の二人の間柄に大きな変化が訪れる。

物語とシンクロする、絵本の「リズと青い鳥」のあらすじを少し説明すると・・・

「両親を亡くしたリズは、街外れの湖畔の家で一人暮らし。パン屋で働きつつも、ひとりぼっちの生活で孤独をずっと感じてきた。ある日、大嵐の去った後、リズは湖畔に青い髪の少女が倒れているのを見つける。介抱の甲斐もあって少女は目を覚まし、二人は一緒に暮らし始める。それからは、楽しい日々が続いたのだけれど・・・

ある朝リズは、窓から入ってきた青い小鳥が、少女に姿を変えるのを見る。一人ぼっちだった頃に、売れ残ったパンをやっていた青い小鳥。「リズと一緒に遊びたくてここへ来たの」と少女が言った意味を知ったリズは、自分が小鳥から翼を奪い、カゴに閉じ込めているのではないか・・・と疑い始める。けれど少女を解放すれば、自分はまた一人ぼっち。一度手に入れた幸せを、自分は手放すことが出来るのだろうか。それでも少女(小鳥)のいるべき場所はここではないのだ・・・

苦しんだリズの下した決断と、それに聞いた少女の反応は・・・」

映画の終盤、私は主人公の少女二人(みぞれ・希美)の会話を聞きながら、「これほどまでのすれ違いを、この二人はしていたのか」と、ほとんど呆然となった。「 希美は私の特別なの! 希美が私の全部!!」に対して、静かに「私はみぞれのオーボエが好きだった」・・・これほど(ある種)残酷なシーンを自分が観ているということが信じられなかった。

希美(フルート奏者・「小鳥」を表現するパート)は、みぞれの見ている自分が、希美自身が思う自分とは違っているのを説明しようとするのだけれど、みぞれは耳を傾けようとはしない。みぞれにとっては、それは大したことじゃない。中学時代に声を掛けてくれたたった一人の人として、希美は他の人たちとは「別格」で、ただそのままで、希美だというそれだけで、みぞれにとっては「私のすべて」と言える存在なのだ。だからこそ「希美がそう言うなら・・・」と、すべて希美の希望に沿うように振舞ってきたし、それがみぞれの喜びでもあった。

「恋」に近いほどの情熱。信仰と呼びたくなるほどの献身。でも、この感じは私にも微かにだけれどわかる気がする。内向的?なみぞれはそれほど孤独で、希美に出会って初めて、みぞれの生活(人生かもしれない)は意味のあるものになったのかもしれない・・・と

でも、希美自身は「相手の言うことを理解しようともせず、ただ勝手に思い込んでいる」みぞれを、好きだとは到底言えないだろう。だからこそ、翼(音楽の才能)が自分にないことも含めて、たった一言、(みぞれという一人の人間ではなく)「みぞれのオーボエ」が好きだったと告げたのだ・・・と、私は感じた。

二人は互いに、一番相手から言ってもらいたかった言葉を聞くことは、(少なくとも今は)できない。「あなたが好き!」とは言ってもらえないみぞれと、相手の「理解」は望めないと感じる希美・・・「ある種残酷」と書いたのはそういう意味で、私は涙が込み上げてきた。


希美は自分の才能の不足を見せつけられながら、それ以外のさまざまな思いは口にせず、ただ「ありがとう」とだけ言って会話を終える。(自分はフルートで受け持つパートの「青い鳥の少女」ではなく、翼を持たない「リズ」だった・・・)

みぞれは自分がオーボエで奏でる「リズ」の立場だと思っていたけれど、実は「青い鳥の少女」でもあったことを知る。そして「リズ(この場合は希美)」が望んでいるからこそ、その願いを叶えるために、鳥かごから飛び立とうと決心する。

私自身は映画の最初の頃から、青い小鳥の少女は、みぞれの夢の象徴のように見えていたし、リズの「孤独」を、社交的で屈託のない性格に見える希美の中にも感じていたので、物語の成り行きと、絵本とのシンクロに違和感はなかった。

「希美はいつも勝手だ」でも「希美が好き!」「希美は私の全部!!」と口にできたみぞれは、これで外の世界に出ていける。ハグする手にためらいの残る希美にも、みぞれに音楽への道を開いたのは自分・・・という納得がいつか訪れるかもしれないし・・・などなど、「最後はハッピーエンドがいいよね」と言ってきた希美を信じている自分にも、ちょっと驚いた。


この映画で描かれているのは、単純なハッピーエンドにはもちろん見えない。というか、そもそもラストも「エンド」じゃないんだろうと思う。この先二人の関係がどうなっていくのかも、私にはわからない。

不思議といえば不思議だけれど、このアニメーションの印象を一言で言うなら「静謐」という言葉が浮かぶ。

言葉の少ない映像からは、この年頃の少女たちの「今」この一瞬がどれほど貴重なものかが、透明な雫がポタリ、ポタリ、と落ちてくるように私の中に溜まっていく。コップの中とか壜の底みたいに「ささやかに守られてる」場所でのこういう日々、火花の散るようなこういう経験が、「人間」を形作っていくんだな・・・とでもいうような、微笑ましいものを見ている気持ちでいる自分(の年齢)にも気がついて、ちょっと可笑しかったけれど。


スピンオフ作品だという制約(やっぱり「顔」「名前」と多少の背景はわかっていたほうが集中しやすいし、映画の魅力も増すと思う)はあっても、誰が見てもその年齢なりの感慨が浮かびそうな、(その昔の日本映画にも相通ずるような?)風情のあるアニメーションが、今はこうして、ほんとに作られるようになったんだ・・・私はそれが一番嬉しかったのかもしれない。

(ただ、ご覧になった男性の方の感想を聞いてみたいとは思った。普段はあまり、こういう場合に性別を意識することはないのだけれど)




http://blog.livedoor.jp/hayasinonene/archives/51928946.html

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