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福祉について考えるUMEMOTOのブログ

認知症の告知について考える

2006-11-15 22:16:06 | 認知症
若年性認知症という言葉を聞いたことがあるだろう。65歳未満で発症した認知症を若年性認知症と呼んでいる。全国で約4万人の患者がいるとも言われている。

若年性認知症が知られるようになってきた一つには、映画『私の頭の中の消しゴム』や、『明日の記憶』の影響があるだろう。20歳代から認知症になる例も報告されているし、『明日の記憶』で渡辺謙、樋口可南子が役づくりのために参考にしたのも実際の若年性認知症の夫婦の姿だという。
もう一つの要因は、若年性認知症になった本人が、自分の言葉で話すことを始めたことにある。
徐々に失われていく記憶や、愛する人への想い、仕事を辞めざるを得なくなったことでの厳しい経済的負担。本人たちの言葉には、専門家が想像で考えていた言葉よりも遥かに重みがあり、認知症の人や支える家族、介護職などに大きな影響を与えている。

当事者がそのような活動をすることができる背景には、『告知』の問題がある。本人に告知をするということは、早い段階での発見が欠かすことができない。その後、まだ何年もある生活をどのように送るのか。医師や家族、その他多くの関係者がどのように支えていくのか。
告知には、その人や周りの人のその後の人生を大きく変える力がある。

告知というと真っ先に思い浮かべるのは『癌』である。癌患者に対する告知もさまざまな問題を多く孕んでいるが、全体的には告知をするという方向に向いてるのではないだろうか。
一つには、癌は治る可能性もあるということ。もう一つの理由は、医療界におけるインフォームドコンセントの普及である。事前に事実を適切に伝えなかったことに対する、医療裁判の増加の影響もあるのかもしれない。

そう考えると、認知症においても告知をしていくながれになるのかもしれない。しかし、癌と認知症の大きな違いは、認知症は今はまだ治らない病気だということ。数年後にワクチン(根本治療薬)が開発されるかもしれないが、現状では告知をすることで大きな絶望を与えかねない。
また、癌は最期まで自分らしさを保つことができるが、認知症は自分を失っていく恐怖と向き合わなければならない。本人の絶望は計り知れない。
当然、誰でも告知をすればよいというものでもないだろう。本人を支える家族の存在や環境、もちろん本人の気持ちというものもある。

長崎県諫早市に住む若年性認知症の当事者である太田正博さん(56歳)は、初診から告知まで2年半かかった主治医に対して次のように語っている。
「先生も悩んでいるのが見えていました。また、うすうす自分が認知症ではないかと感じていたこともあったものですから。告知は、もう少し早くてもよかった。」

若年性認知症の人は、自分で病状から認知症であることを調べる能力を持っていることも多い。不正確な情報や他人からの情報で、自分が認知症であることを知るよりは、主治医から適切に伝えてもらったほうがよいのかもしれない。
そして何より、太田さんの言葉にもあるように、一緒に悩んでくれる医師の存在が重要なのは言うまでもない。

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