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What’s ノーマリゼーション?

福祉について考えるUMEMOTOのブログ

デンマークの抑制論

2005-08-14 22:53:33 | ノーマリゼーション
先日、デンマークの『認知症コーディネーター』の人の話を聞く機会があった。認知症コーディネーターとは、認知症の人やその家族をサポートし、利用するサービスのコーディネートから必要によっては入所施設(主にグループホーム)の選定などをおこなう専門職で、ドクターや行政などの橋渡しにもなる役割をもっている。日本でいう認知症専門のケアマネージャー兼ソーシャルワーカーのようなもので、専門的な養成課程を経てなることができるデンマークの資格である。

その話の中で、デンマークにおける近年の不安要素は、2000年頃に策定されたある法律だという。これまで、デンマークを含め欧州では、個人の人権というのが非常に重視されてきた。欧州各国で、人々が自らの手で人権を獲得してきた歴史的経緯をみれば納得できるだろうが、本当の意味での民主主義が根付いている国が多い。
そのため、ケアの現場においても、これまでは抑制・拘束に対しては非常に厳しい状況であった。具体的には刑法において、どんな場合においても抑制・拘束をおこなってはならず、おこなった場合は刑法による罰則まで決まっている。そのため、認知症の人をケアするグループホームなどでは、どんな状況でも外に出ようとする人を止めることができず、また他の入居者に対して危害を加えようとしたときにも対応に苦慮することが多かったという。
そのため数年前に、一部の状況においては抑制・拘束を認めるように刑法が改正されたのだという。つまり、現状に即した形に法律が改正されたということになる。

日本のまったく逆の展開である。
日本においは、これまで抑制・拘束をしてきた歴史があり、数年前の平成10年頃に抑制廃止『福岡宣言』が出されたことにより、本格的に抑制はなくす方向に動き始めている。介護保険導入も大きな契機になったことは言うまでもない。
デンマークにおける小さな不安は、刑法の改正により抑制・拘束をする状況が進んでしまうのではないかということだろう。
私からみれば、民主主義の合理的な部分があらわれただけで、これまでの人権尊重の歴史が崩されることはないと思うのだが、当のデンマーク人はそうは感じていないのだろう。
心配はいらないと思うが、これからの動向にも注目したい。

高齢者福祉三原則

2005-03-09 21:55:23 | ノーマリゼーション
高齢者福祉三原則という言葉を聞いたことがあるだろうか。福祉の専門学校や大学で勉強したことがある人なら、一度は耳にしたことがあるかもしれない。

「継続性の維持」 「残存能力の活性化」 「自己決定」

どれも介護の分野では、大切なキーワードになっている。この言葉は1982年デンマークで生まれたものである。きっかけは、1970年代プライエム(特別養護老人ホームにあたる)が多く建設されたデンマークにおいて、「入所しているお年寄りがひどい目にあっている」という投書が新聞に載せられたことであった。それを目にした社会大臣(日本の厚生労働大臣)が、すぐにマスコミ関係者、医者、議員など15人前後のメンバーを集め、高齢者政策委員会を立ち上げたのである。
また、中央政府の仕事としてだけ取り組むのではなく、「住民の問題は生活の場で」という視点から、各市で高齢者によるワーキンググループを構成し、当事者が話し合いを行うようにした。その数はおよそ100。そこで出された意見を委員会でまとめたものが高齢者福祉三原則なのである。

ワーキンググループにより明らかにされたのは以下の3点であった。
①高齢者はケアされることを求めれているのではなく、むしろ社会的な交流や役割を持ち続けたいと望んでいる。
②約10万人の高齢者が、誰かの援助を受けなければ外出できない状況にある。
③住居に関する問題こそ、高齢者政策における最も重要で深刻な問題である。

この後、デンマークでは施設から住宅へと政策転換していくのである。民主主義が実践されているデンマークらしい展開であるといえる。高齢者問題(この言葉は適切ではないが)を、他人に任せることなく、また一部のケアが必要な人のみを対象とするでもなく、取り組んでる。そうした結果、全体像が浮き彫りになり、社会全体の問題として他人ごとにならずにいる。日本はまったく反対だが。
しかし、ケアの現場に携わる私たちには、少なくとも当事者つまり利用者本人の意思を確認することはできる。介護する側の思い込み、予想、おせっかいでケアをしていないか、もう一度自分のケアを振り返ってみたい。

ハンドル型車いす利用拒否について考える。

2004-12-17 21:12:49 | ノーマリゼーション
今日のニュースで、JR東海が列車や駅でのハンドル型車椅子(スクーターのようなもの)の利用を一律で拒否していることが重大な人権侵害にあたるとして、大阪法務局より改善勧告が出されていることがわかりました。
事の発端は、昨年2月にハンドル型車椅子を使用している男性(62歳)が新大阪駅内にあるJR東海の駅長室を訪ねようとしたところ、構内に入れてもらえなかったということです。

ハンドル型車椅子は現在約6千人の利用者がおり、街中でも高齢者が乗っているのを見かける機会もあります。それだけ浸透している移動手段として、国土交通省でも駅での利用が可能になるように、順次バリアフリー化を行っている矢先の出来事だといえます。
ハンドル型車椅子の何が問題とされているかというと、その回転半径がスティックで操作するタイプの電動車椅子より大きくなってしまうということです。JR東海側としては、狭い車内や駅構内で移動するのは困難などの理由で利用を認めていませんでした。

今回何が問題だったのか。それは、JR東海の職員の意識、ひいては私たちの障害者を人事としか思っていない感覚のせいではないでしょうか。障害をもっている方の生活、移動の手段にあまりにも無関心すぎた結果が今回のことにつながっているように思えます。
なぜ駅の構内に入れることさえさせなかったのか。確かに、移動が困難な駅や車両はあるでしょう。しかし、全部の駅・車両がそうではないはずです(現にJR各社では対応を行っているのですから)。今回のような申し出があった時に、駅員がひとり付き添って安全を確保するということもできたはずです。できなければ、人員不足などの理由を伝えるべきでしょう。しかし、それすらもしなかったというのは、会社が決めているからという理由に過ぎないからでしょう。今回の男性も言っているように、「移動の自由は基本的な人権だ」という当たり前のことを、“障害”“車椅子”という価値観のフィルターを通して見てしまったために、見過ごしてしまったのではないでしょうか。
何も全部の施設で利用を認めないとする必要もないし、少しでも利用してもらえるように可能な部分から少しずつでも開放する努力をしなかったのは、配慮がなさすぎると言われても仕方のないことです。

私の知り合いで、車椅子を使用している人がいるのですが、その人の話。
現在、車椅子の方が電車を利用する時、その駅がバリアフリー化されていないと、駅員が車椅子を載せたまま階段を上り下りできるキャタピラーの付いたリフトで移動を手伝ってくれることになっています。降りる駅の駅員もその情報を受け、ホームで待っています。
ある日、その人がちょうど朝の混雑している時間に電車を利用しようと駅に行くと、駅員が露骨に嫌な顔をしてこう言ったそうです。「何もこんな忙しい時間にこなくてもいいのに。」皆さんはどう思いましたか。車椅子に乗っている障害者は、健常者に気を使って朝のラッシュアワーを避けるべきでしょうか。障害者は電車を使わずに、車で移動するべきでしょうか。障害者の時間の都合はまったく関係ないのでしょうか。
駅員の無理解、それに輪をかける私たち健常者の無理解が今回のニュースにつながっているように思えて仕方がありません。

最後にもう一人の障害をもっている方の話。
ある日、左半身に軽い麻痺がある方が駅のエスカレーターに乗っていた時、後ろから「何で右側に立ってるんだよ!」とボソッと言われたそうです。エスカレーターに乗るとなぜか左側に立つということが当たり前になっていて、それがマナーのようになっています(関西では逆)。しかし、世の中には右側にしか立つことのできない人がいます。私たちはそれを忘れていないでしょうか。そういう人がいることを知っているでしょうか。
もう一度、考えてみてはいかがでしょう。

デンマークの福祉事情 その3。

2004-10-14 22:39:57 | ノーマリゼーション
今日はデンマークでの、障害者の生活支援について触れていきたいと思います。

デンマークの障害者の経済基盤は『早期年金』となっていて、就労者の平均的な収入額が「給与」として支給されるので、就労が困難な障害者も安定した生活を営むことができます。
また、電動車椅子などの生活に必要な用具は、特別な手続きをせずに市の『補助器具センター』から借りることができます。
さらに自分に適したヘルパーを自分で募集し、公費で雇うことができます。このヘルパーは高齢者のホームヘルパーとは異なり、時間単位で交替するのではなく、障害者の“生活秘書”として、日常生活や職場での仕事をサポートし、旅行にも同行します。

例えば、デンマークにおいて24時間の全面介助が必要な障害者の場合、5人のヘルパーを自分で雇用し、その費用はコミューン(自治体)が負担します。ヘルパー1人の月額賃金は約40万円程だそうです。
例え全面介助が必要でも仕事をすることができるように、さまざまな用具が簡単に借りることができるし、ヘルパーも手伝ってくれます。当然、収入の半分近くは所得税として払います。

話を戻すと、重度障害者のほとんどが車椅子のまま乗れるリフトカーを個人で所有していて、ヘルパーの運転でどこでも好きなところに行ける状況です。
自力ではほとんど身体が動かせないほどの重度の障害があっても、在宅での生活が可能で、仕事や余暇などの機会は障害のない人と同じくらいなのです。

デンマークの福祉事情 その2。

2004-10-13 22:51:54 | ノーマリゼーション
この項では、デンマークの高齢者福祉事情について触れていきたいと思います。

デンマークの高齢者施設は、30年前設立のプライエム(高齢者介護施設、日本でいう特別養護老人ホーム)ですらすべて個室で、シャワーとトイレがついています。
しかし現在では、入所施設ではなく、一人当たり2DKが基準の高齢者住宅が作られています。
つまり、“入所施設”ではなく、“住人”として家賃を払い生活する“住居”という考え方なのです。だから、住所番地があり、ポストがある所もあるのです。
また、これは日本で最近言われているユニットケアの考え方にもありますが、デンマークでは早い段階から食事時間、食べるものも自己決定で自由になっています。カフェテリアがあるところは、そこで食べてもいいし、部屋に運んでもらってもいいことになっています。メニューも選ぶことができ、ワイン、ビールなどもあり、当然注文できるようになっています。カフェテリアは誰でも利用ができるので、地域の人はお金を払って食べに来ています。
プライエムや高齢者住宅の費用は年金でまかなうことができ、さらに数万円のお小遣いが残るという状況です。デンマークでは、年金も充実しているのです。

高齢者の生活支援に関しては、①人生の継続性、②自己決定の尊重、③自己資源の開発、の3原則が打ち立てられていて、あらゆるサービスが充実しています。

デンマークでは、無資格者が高齢者の介護をすることはありません。社会保健介護助手や社会保健介護士が担い手となっています。
前者は以前はホームヘルパーと呼ばれていて、7週間の講習でなれましたが(日本でいうホームヘルパー2級のようなもの)、1990年以降は1年2ヶ月の教育期間が必要となりました。後者は、それからさらに1年8ヶ月の教育が必要となっています。
介護の質というものを考えた時に、簡単に取れる資格をもとに誰でもできる仕事ではない、ということなのです。
今の日本にも同じことが言えると思います。当初は人材確保の為に資格要件を低く設定したものの、実際に動き始めるとそれゆえのほころびがあちらこちらに見え始めてきています。
つまりは誰でもできる仕事ではないからです。いくら専門知識をしっかり身につけたところで、人間性や向き不向きなどにより、福祉の仕事に会わない人も出てくるでしょう。
ケアマネージャーにしても、何人かの心もとない人の不正により、大きな問題になっています。
これから、介護の質をどのように考えていくかが日本にとっても大きな課題になってくるといえます。

話を戻すと、デンマークでは介護職の労働環境として、介護者の身体を傷めないように、持ち上げる動作は禁止され、押すか引くかの動作で介護をしています。
持ち上げるときは、リフトを使用しています。ベッドから車椅子への移乗もリフトを使用して、介護者の腰を守るようにされているし、事務用机なども、その人に高さがあわせられるようなつくりが義務付けられているのです。

デンマークの福祉事情 その1。

2004-10-12 22:10:53 | ノーマリゼーション
「ノーマリゼーション」が浸透している国、デンマークは福祉大国として知られていますが、実際はどうなのでしょうか。前項でも少し触れましたが、今回は少し掘り下げていきたいと思います。

まずは医療面ですが、医療費はすべて無料です。(歯科医療は18歳未満まで無料)
18歳以上の歯科、理学療法、脊椎指圧療法、薬局は一部自己負担があります。
旅行者も無料で治療を受けることができます。

病院はほとんどが県立で、一部私立もありますがごくわずかです。
そして、国民一人ひとりすべてにホームドクター、ケースワーカー(ソーシャルワーカー)がついていて、病気はまずホームドクターが治療します。
そこで治療が出来ない場合に、はじめて病院に紹介されるのです。
約80%がホームドクターで治療が終わる状況だそうです。

ケースワーカーは、福祉サービスが必要になった時に相談にのりアドバイスをしてくれます。
ノーマリゼーションの考えのもと、できるだけ在宅で生活ができるよう政策がすすめられており、またそれが可能なように手厚い福祉サービスが準備されています。
ホームドクターにしろ、ケースワーカーにしろ、生まれた時から個人の担当のようについてくれているので、何かあった時でもその人のことをよく知っているのです。
日本のように、生活記録やサマリーを急遽こしらえることもなく、自然にサポートしてくれる体制なのです。

医療費が無料ということは、すべて税金でまかなわれているということです。
前項でも書きましたが、所得税の約50%、消費税25%の高税がそれを支えています。
収入が決められているということは、支出も限界があるということです。
デンマークでも課題になっているそうですが、手術は順番待ち(ウエイティングリスト)で行われるため、すぐに手術が受けられないということもあるそうです。
そのため、お金を払って数少ない私立病院で手術を受けるという人も増えているとか…。

それでは、また次回以降に高齢者や障害者福祉について触れたいと思います。

平等の考え方。

2004-10-08 10:07:15 | ノーマリゼーション
「ノーマリゼーション」を考える時に、「平等」という考え方も重要になってきます。
なぜ、デンマークなどの北欧の福祉先進国の人たちは、すべてが自分たちのためにはならないと分かっていながら高い税金を払っているのか?
そこには、「平等」という考え方に日本と大きな違いがあるのです。

日本でいう「平等」とは、「かたよりや差別がなく、みな等しいこと(大辞泉)」となっています。
つまり、3人でケーキを分けるとしたら、3等分するのが日本の「平等」です。
デンマークなどの国ではどうかというと、「必要な人に必要なだけ」というのが基本的な考え方です。
3人でケーキを分ける時には、まず3人で話し合います。そこで、お腹の空いている人には多めに、甘いものが苦手な人には少なめに、など話し合い納得したうえで分けるのです。
そこに、20~21世紀的自由の社会権的基本権の考え方があります。
つまり、「より必要な人」に「より多く」与えることで、実質的な平等を確保しているのです。

日本はというと、3等分することが平等という、形式的平等なのです。
この考え方は、自由権的基本権といい、18世紀~19世紀的自由であるとされています。
つまり、時代遅れということです。

この「平等」の考え方はいろんな機会に目にすることがあると思います。
例えば、特別養護老人ホームなどでよくみられる光景として、入浴に対する平等があります。
基本的に皆が週2回お風呂に入ることが平等で、それ以上入ることも、それ以下というのも、不公平だから…と認められないことが多いのです。
そういうところに限って、利用者本人にはどのくらい入りたいのか聞いていないところが多かったりします。
皆さんのところは、形式的な平等になっていませんか?

デンマークってどんな国?

2004-10-07 17:17:42 | ノーマリゼーション
「ノーマリゼーション」という言葉が生まれたのは、デンマークという北欧にある小さな国なんです。
どのくらい小さいかというと、九州とほぼ同じくらい。(フェロー諸島とグリーンランドは除く)
そこに約538万人の人たちが暮らしています。
デンマークという国には、よく『社会福祉国家』や『生活大国』という言葉が併せて用いられます。
それは単に社会福祉が整備されているという制度的なことだけではなく、実際の調査でも明らかになっています。
アメリカのペンシルバニア大学の調査によると、世界中で一番住みやすい国として、1位デンマーク、2位ノルウェー、3位スウェーデンとなっているのです。

よく言われることですが、デンマークでは医療費はすべて無料(歯科医療は18歳未満)で、旅行者も無料で治療を受けられます。幼稚園から大学までの教育費も無料で、さらには高校や大学では返済不要の奨学金6~8万円/月も希望によっては支払われます。
この「高福祉」を支えているのが、所得税平均50%と消費税25%の税金なのです。

デンマークを語る上でかかせないのが、民主主義に対する国民の意識です。
デンマークでは、日本の与えられた形だけの民主主義とは違い、自ら勝ち取って得たものなのです。それゆえ、いかに民主主義を守っていくかという観点から、教育も行われています。
「参加し協議して決議し、協議したことに責任を持ち、結果を共有する」という民主主義の教えが、家庭内でも学校内でも徹底して行われているのです。
それは、投票率という形にもあらわれています。
2001年の国政選挙の投票率は87%で、ここ20年でみても80%を下回ったことはないのです。
これだけでも、日本との大きな違いを痛感せざるをえません。

デンマークにおける「高福祉・高税」の考え方も、国民が皆で考えそれを支持している構造がわかると思います。
このことに関しては、次の項で詳しく書きたいと思います。

ノーマリゼーションとは何か。

2004-10-04 23:20:54 | ノーマリゼーション
1950年代にデンマークで生まれた言葉で、日本では1981年国際障害者年から広く知られるようになりました。「ノーマライゼーション」とは同義語。

「ノーマリゼーション」という言葉を生み出したのは、その父と呼ばれる故バンク・ミケルセンという人物で、知的障害をもつ子どもたちが生活している施設を何とか変えようと強く思ったのが始まりでした。

この言葉は、私たちが福祉の専門学校や大学で勉強すると、福祉の根底にある理念として必ず目にする言葉です。しかし、実際の現場ではほとんど聞かれることはなく、また改めて問われることがないのが現実です。しかし、とても大切な言葉であると同時に、今まさに私たちの現場に問われている問題そのものではないかとも思うのです。

では、その「ノーマリゼーション」とは何なのか。このブログを通して考えていきたいと思います。

最後に―
バンク・ミケルセンの言葉から

「学生時代には― ナチスに捕らえられ強制収容所にも入れられました。もし私が誇りにすることは何かと聞かれれば、それはナチスへの抵抗運動で強制収容所に入れられたこと、そこで悲惨な人間抑圧の実態を体験したことというのが答えです。」

「ノーマリゼーション― の考え方は、人間は、人種の違いや障害の状態がどんなであっても、すべて平等なのだという、人間尊重の考え方です。ですから、“ノーマリゼーション”とは、哲学的な難しい言葉ではなく、“ごく当たり前のこと”という一語につきるのです。」

「ノーマリゼーションとは― もし自分がその立場になったらどうあってほしいかを考えれば、そこから自然に導き出されてくる答えなのです。」

「『ノーマリゼーションの父』N.E.バンクミケルセンその生涯と思想」花村春樹 訳・著より