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福祉について考えるUMEMOTOのブログ

これからの生活を支えるためには…

2006-10-18 21:44:30 | 福祉雑記録
最近はいろんな商売があると関心していたが、亡くなった人の『遺品整理サービス』なんてものまであるらしい。

引越しをしていた会社が、遺品の整理を頼まれることが多くなったのをきっかけにサービス化したそうだ。家具などの大きいものから、食器、衣類など身の回りのものまで生活の跡をそのまま請け負っている。中には、仏具関係のものまであり、お寺さんに処分を頼むなどの適切な処理をしているとのこと。

家族の形態は時代とともに変化してきている。三世代家族から核家族へ。兄弟の数も少なくなり、夫婦共働きの世帯も増えている。
家族のかたちが変わっただけでなく、家族に対する考え方も変わったように感じるのは私だけだろうか。
自分のことは自分で。親のことよりも自分たちのこと。
遺品整理サービスがクローズアップされることは、家族のつながり、意識というものの変化を感じさせる。

成年後見制度や地域福祉権利擁護事業のニーズが高まっているのも、社会全体の方向性が個人主義に向かっているからかもしれない。
家族、親戚がいても関わることを拒否することはめずらしくない。親を思う気持ちよりも、煩わしさのほうが勝るのだろう。
日本の法律には、養護者を定める法律はない。相続権や順位などは決められていても、親族だからといって養護する義務はないのが現状だ。

判断能力が衰えても、自立して暮らしていくための方法の一つとして期待されている成年後見制度だが、問題も露見している。
制度利用者も増え、広く知られるようになってはきているが、その分さまざまな人が法を悪用するようになってきている。
代理権があることを悪用し、自らの利益になるように財産を操作したり、サラ金業者と結託し、認知症の親族からお金を騙し取ったりという事件が連日報道されている。
また、職業後見人(弁護士、司法書士、社会福祉士など)と呼ばれている人たちの数が圧倒的に不足していることも問題になっている。今後、身寄りのない人や、いても誰も面倒をみないような人が増えてくることを考えると、急務の課題である。

これからの社会において、生活を支えるための手立てはないだろうか。
金銭管理だけでみれば、地域福祉権利擁護事業の機能をより拡大・強化し、判断能力の有無に問わず、利用ができるようにすることはどうだろうか。
また、後見人が不足していることに対しては、一般市民から募集・養成した市民後見人を起用する動きはすでに始まっている。
最も有効なのは、自らが来たる時に備えておくことかもしれない。信用できる人を任意後見人にしておいたり、早めに住み換えをするなど自分たちができることはまだまだある。
制度などが分からなければ、まずは相談をすることが第一歩だろう。

改正介護保険 6ヶ月

2006-10-03 19:08:54 | 介護保険
介護保険法が改正され、この10月で6ヶ月が経ったことになる。
今回はまさに抜本的と言ってもよいほどの改正で、各自治体は準備も含め対応に追われた半年だったことだろう。
地域包括支援センターの設置、地域密着型サービスの創設、それに伴う指定・育成業務の市町村への移譲、予防給付(要支援1・2)の創設・・・。
市町村への宿題が多く、そして重い制度改正であったことを改めて感じる行政職員も多かったに違いない。

地域包括支援センターにおいては、高齢者虐待防止・養護者支援法の施行と共に、高齢者虐待の相談・対応窓口としての役割を受けることになったし、介護予防のプランを作成する中心機関として『介護予防プランセンター』と皮肉交じりに呼ばれたりもしている。
居宅介護支援事業所のケアマネジャー、が予防給付のプランを受け持つ上限が8件までという8件問題の期限は今年度いっぱいまで延長はしたが、根本的な解決には至っていない。
また、要支援1・2と要介護1の人の福祉用具貸与が制限される延長期間も9月いっぱいで終了となっている。今月以降は、各保険者(自治体や広域連合)は福祉用具販売・貸与の事業所に調査をすることになるだろう。

地域密着型サービスの中でも、特に小規模多機能型居宅介護施設が新たに創設され、自治体により整備状況に大きく差が出始めている。当初より懸念されてはいたが、自治体の取り組む姿勢によって、地域のサービスに差が出始める結果となった。
自治体が指定・育成することになった、地域密着型サービスの質も自治体の能力、やる気によって左右される時代になったのである。

改正介護保険がスタートして6ヶ月経ったが、どの取り組みも軌道には乗っておららず、むしろ課題がより鮮明に見えてくる結果になったのではないだろうか。
これからの下半期をどのように乗り切るかで、次に見えてくる山の大きさが変わってくるだろう。

あなたの勤める、もしくは住んでいる行政職員は燃えているだろうか。地方が声高に叫んでいる地方分権は福祉の世界ではすでに始まっている。自分たちの地域をよくする絶好のチャンスを逃しはしていないだろうか。
あなたの街の政治家は福祉に対して言及しているだろうか。今行っていることは、5年10年先のことだけではなく、30年50年先に影響を与えることかもしれない。
ぜひ、自分の街の行政・政治家にも目を向けて欲しい。

人に求めるか 制度に求めるか

2006-09-27 20:43:49 | ノーマリゼーション
今年1月、山口県下関市でJR下関駅の駅舎が焼けた放火事件、放火の罪に問われている被告が事件前日に北九州市の福祉事務所の相談窓口を訪れていたことがわかった。
被告は「(出身地の)京都に帰りたい。お金はなくなった」と保護課で相談。話を聞いた職員は市の「行旅困窮者旅費」の取り決めに従い、隣接する自治体の役所までの交通費として、JR西小倉駅から下関駅までの回数券1枚と、下関駅から下関市役所までのバス賃190円を手渡した。
被告は同夜下関駅に降り立ち、「刑務所に戻る」ために放火したとされる。被告はその1週間前に刑務所を出ており、出所時は所内の労働で得た20万円を持っていたが、ほぼ1週間で使い果たしている。

上記の福祉事務所職員の対応に、福祉関係者からは「下関市に追い払ったようなもの」との指摘も出ているというが、問題はそんなに簡単ではない。
ここ最近、北九州市の生活保護に対する姿勢や対応が新聞などで批判を受けることが多かったことが、今回の事件を見えにくくしているように思われる。

今回の事件は、放火という犯罪で幕を閉じたことで、福祉事務所職員の対応がクローズアップされる結果となったが、本人の意思と市の制度の中で対応した結果であるため、それを批判することはできない。
問題は他の部分に多いように思われる。例えば、本人の性格の問題。刑務所を出た後の就労の問題。刑務所内での更正教育の問題。さまざまな問題が絡み合っていることを忘れてはならないだろう。

ホームレス対策でも同じことが言えるが、本人の意思・希望というのは何にも増して重みがある。相談を受けた職員が良かれと思っても、本人の意思が伴わなければどうしようもなく、板ばさみに悩むことも多い。
本人の意思を無視して対応すれば一定の問題は解決される反面、本人の心理に影を落とす危険性もある。一部からは「公務員の公権力の行使」「民事介入」という批判の声が上がる可能性もある。

公務員は制度・法律に則って対応している。むしろ制度・法律に則ってしか動くことができないとも言える。それゆえに、私たちの生活を守るためにさまざまな制度や法律が整備されてきているのである。堅実な(石橋を叩いて渡るような)対応が公務員の信頼につながっている側面もある。
しかし最近は、問題が複雑化していることもあり、制度・法律の枠内だけでは対応できないことが増えており、融通が利かない対応を非難されることも多くなっている。

『人に求めるか 制度に求めるか』

私たちの目の前にある課題である。制度や法律で対応しきれない問題の解決を、相談に対応した『人』に求めるのか、『制度』に求めるのか。人に求めれば、対応する人の裁量に大きく左右されることになり、安定さを欠くことになる。制度に求めれば、制度化されるまでに時間を要することになる。
結局は、人と制度のバランスの問題ではあるが、このような状況を認識しておく必要はあるだろう。
状況を踏まえずに、単に『人』を批判することだけは避けたい。

「負担増」で退所0.4%

2006-09-14 21:01:58 | 介護保険
昨年10月に介護保険施設(特養、老健、療養病床)の食費と居住費が自己負担になったことにより、「負担増」を理由に施設を退所した人が全国で少なくとも1000人以上いることが、厚生労働省の調査で明らかになった。

調査は、都道府県と全国の市区町村に、これまでに各自治体が把握した退所者数の報告を求め、24県44市区町から回答を得たもの。
それによると、退所者数は1267人で、調査した施設の入所者に占める割合は0.4%であった。利用者の所得段階では、低所得者ではない一般の所得層が大半を占めたという。
退所者のほとんどが、在宅サービスの利用などにより自宅での生活が可能な人や、より居住費の安い相部屋や他の施設に移った人ということで、厚労省は問題にはならないとしている。

低所得者でないとはいえ、「負担増」を苦にしたことには変わりない。介護保険施設においては、負担が増えたとはいえ、全体の費用は年金額から払えないほどにはならないのが現状だ。
数が少ないことと、深刻な状況が少ないことで、厚労省も問題視していないのかもしれない。しかし、療養病床23万床が整理されることになる6年後に、同じように暢気なことを言うことができるだろうか。

療養病床の転換先は有料老人ホームである。
有料老人ホームの利用料は、安くて1ヶ月13万円からである。上を見ればきりがない。そのような値段になったときに、「負担増」を苦に退所せざるを得ない人がどれほど出てくるのか。
今回の調査結果を違った角度から見ると、近い将来の深刻さが滲み出してくるようである。

そもそも国のねらいは、より介護報酬が低い在宅サービスへの移行である。
厚労省の調査結果では、入院患者のうちの何割かが在宅での生活が可能だとしているが、果たしてそうだろうか。
療養病床では長期入院患者が多く、家を長く空けている人も多いだろう。また、障害を持った状態で生活できるような環境(内も外も含め)ではないかもしれない。
そのような人が在宅に戻るためには、適切なケアマネジメントが欠かせない。また、家族や地域の見守りの目も必要になってくるだろう。認知症があればなおさらである。
そして何より、本人が家で「生活をしたい」という意欲が欠かせない。生活がない入院生活を長く経た後、意欲を取り戻すことができるのか。家は患者を暖かく迎え入れてくれるのか。乗り越えるべき壁は多い。

以前も書いた通り、療養病床が転換されること自体は賛成できる。しかし、お金がなければ施設に入所したり、病院に入院することができない社会は反対だ。

高齢者虐待防止法 5ヶ月・・・

2006-09-04 22:23:56 | 福祉雑記録
高齢者虐待防止・養護者支援法が施行されてはや5ヶ月。これまでのところ、それほど劇的な変化の兆しはない。
市民の間に、この法律の影響があることはまだ実感できない。それは、高齢者虐待防止法自体がメディアで扱われないことにもよるだろう。そもそも、高齢者虐待は児童虐待とは異なり事件になりにくく、表面化しにくいという面があった。それに加えて、高齢者の虐待がまだ社会問題化する前の法施行ということもあって、未だに市民に認知されるには至っていない。
果たして、本当に法施行の影響はみられないのだろうか。

この5ヶ月の間にも、高齢者虐待防止法に違反する事件は多数起きているが、法律には虐待行為そのものに罰則規定がないため、報道にもその文字は出てこない。
『介護殺人』や『介護心中』という名でメディアを騒がす事件も、高齢者の虐待であることには変わりない。また、施設における身体拘束も虐待に当たる。
身体拘束においては①非代替性、②切迫性、③一時性の3要件をすべて満たさなければ、虐待に当たる。その上、本人や家族に説明し、記録もしっかりととることが要求される。
施設における虐待事件が報道された時は、さすがに法との関連性にも触れていることが多かった。

高齢者虐待防止法では、高齢者を65歳以上と規定しているが、65歳未満の人が虐待を受けた場合はどのように対応するのか。
その答えは『介護保険法』にある。介護保険法には、保険者の責務として虐待を防ぐことが明記されている。介護保険の被保険者は40歳以上であるから、市町村は40歳以上でも虐待に対して責任があることになる。また、被虐待者が障害者であれば『障害者虐待防止法』が適用されることになる。児童であれば『児童虐待防止法』だ。

そもそも、虐待とはどのような行為のことを言うのだろうか。
法では、養護者が高齢者に対して以下のような行為をすることを虐待としている。
①身体的虐待・・・殴る、蹴る、つねる、閉じ込める・閉め出す、身体拘束等
②心理的虐待・・・暴言、無視、友人から遠ざける等
③世話の放任・・・治療や薬を与えない、介護をしない等
④性的虐待 ・・・わいせつな行為をする・させる等
⑤経済的虐待・・・年金を勝手に使う、必要な生活費を渡さない等
ここで問題になってくるのは、養護者(介護している人)ではない人の虐待行為はどうなるのか。しかしそれも、上記のように介護保険法やその他の法律に基づき、市町村としては適切に対応することが望まれる。

今回の法施行の一番効果は、高齢者虐待における市町村の責務が明確になったことだろう。地域包括支援センターが同時期に創設されたことも相乗効果になっている。
事件にまではなっていないが、地域における高齢者虐待は確実に市町村まで届くようになってきている。法律ができたことで、行政の職員が無視できなくなってしまったのだ。相談窓口としては地域包括支援センターでもよいが、最終的な責任はやはり市町村が担わなければならない。
直営の地域包括支援センターでは、これまでよりもすばやい連携が可能になったことで、迅速な対応が期待できるだろう。問題は、すべての地域包括支援センターが委託しているところである。現場の職員と行政の職員の間の温度差が悲劇を生まないように、連携体制を構築していく必要がある。

障害者福祉のながれが分かる本

2006-08-29 20:26:07 | 読書感想文
措置から支援費、
支援費から自立支援法に。
そして、自立支援法から介護保険へ。

障害者制度は、この数年目まぐるしい変化を見せている。ほんの数年で制度のあり方が変わってしまう。それだけ柔軟であるということだが、反面無計画さが際立つ。
そんな障害者の制度の歴史やこれからのながれを分かりやすく掴めるのが、『施設解体宣言から、福祉改革へ 障害をもつ人への支援も介護保険で』2004年,ぶどう社,田島良昭著である。

著者である田島良昭氏は、長崎県にある知的障害者更生施設・コロニー雲仙更生寮での先進的な取り組みで知られ、その後、宮城県福祉事業団に転身している。田島氏を朋友と語る元宮城県知事浅野史郎氏と協力し、宮城県を福祉立国にするべく立ち上がった人である。役人や政治家との激しい応酬の末、宮城県の施設解体宣言を出したことはあまりに有名である。

この本では、介護保険制度の導入により大きく変わった高齢者福祉の側で障害者福祉がどのような変遷をたどってきたのかが、田島氏の熱い想いと共に分かりやすくまとまっている。
支援費制度がなぜすぐに破綻し、自立支援法になったのか。そして、なぜ3年後には介護保険と一緒にならなければならないのか。
氏は、介護保険は福祉の構造改革であったと言っている。それは、お金の流れが変わった(税方式から社会保険方式へ)ことで、利用者の権利意識が大きく変わったと同時に介護サービスにも規制緩和がなされたからである。
それと同じことを障害者福祉でも行おうとしたのが、支援費であった(そのため理念は同じになった)が、予算が税方式のままであったため、予算が限られており、すぐに破綻してしまったのである。税方式では、国が補助金という形でお金を分配するため、サービス事業所は昔ながらの社会福祉法人に限られ、新規参入が難しくサービスが充分に整わないのである。

まだまだ課題の多い自立支援法ではあるが、根本的な部分では一定の評価がなされている。障害者福祉が広く普及していくことにはつながるだろう。低所得の人への対応や雇用対策では、まだまだ課題は多い(多すぎる)が、これから修正をしながら制度を運用していくしかなさそうだ。
田島氏はこれまで障害者福祉の現場にいただけに、言葉には重みがある。それを理解できずに、田島氏の政治手法を批判する人も多くいる。しかし、福祉現場の人が忘れてはいけない想いがこの一冊の中には凝縮されている。

最近の認知症についての話題

2006-08-21 22:41:02 | 認知症
認知症の人が運転する車の4割が事故に合っていることが、高知大医学部の研究でわかった。
認知症で運転免許証を持つ83人のうち、41%にあたる34人が58件の事故を起こしていた。うち人身事故は14件。42人は運転免許の更新手続きを行い、全員が成功していることもわかった。
道路交通法の改正で、運転に支障がある認知症の人は公安委員会が免許を取り消すことができるようになったが、現在は自己申告制を元に判断しているため、処分は年間数十件にとどまっている。
認知症になると、赤信号とわかっていても「赤=止まる」という判断ができなくなってしまうことがある。時折、高速道路で逆走した車を運転しているのも認知症の人が多いという。

               *    *    *

長崎市にある病院で医師が認知症の患者から無断で採血をしたとして、家族から抗議を受けていたことがわかった。患者が認知症のため、意思表示ができない状態だった。
医師は大腿骨の骨折手術を受けた患者の回復状態を調査し、学会で発表する予定で、無断で採血をされた人も大腿骨の骨折手術を受けていた。
医師は「家族と連絡が取れなかった」と釈明している。

               *    *    *

認知症の進行を抑えることを目的に、簡単な計算や音読を中心にした『学習療法』に取り組む高齢者施設が全国で300施設になるという。
個々の能力に応じて、誰でも100点満点が取れるような問題を用意し、スタッフは目の前ですぐに採点し、「よくできましたね」などとほめる。それを1日10分~20分をできるだけ毎日取り組む。
効果として、認知機能に改善傾向がみられたり、笑顔や会話が増えているという。しかし、スタッフとの交流が効果として現れているのではないかと、学習療法の効果を疑問視する声もあがっている。

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これらの話題は認知症というキーワードのもと、ここ1ヶ月程度で話題になったことである。どれだけ認知症という病気が理解されておらず、まだまだ研究が未発達な分野であるかが分かる。
それは兎にも角にも、「脳」自体の研究が発展途上の段階であることも影響している。脳の機能はまだまだ分かっていないことも多く、その上に立っている認知症ケアはまだまだ不安定な部分が多いとも言える。
しかし、脳が萎縮していようが、損傷を受けていようが、人間であることには変わりない。一人の価値ある人間として、医師や警察、研究者、そして看護師や介護士などの認知症に関わる人が向き合っているか。それだけのことでもある。

一人の変わらない人間として関わっている人がどれだけいるのだろうか。最近のニュースで虐待が取り上げられることが多いのも気になる。
とどのつまり、私たちは『人間』というものを理解していないだけなのかもしれない。

シリーズ 医療制度改革④ 「手探りの在宅療養支援」

2006-08-19 11:00:51 | シリーズ 医療制度改革
『病院ではなく、住み慣れた自宅などへ』

介護保険制度ではすでに馴染みの言葉になっているが、医療においても自宅療養を支援するための制度改正がされている。
しかし、その裏にあるのは「膨張する医療費の抑制」だ。理念と本心が噛み合わない制度改正はうまく行くのか?これから現場の手探りが始まる。

新しい診療所の枠組みとして登場したのが『在宅療養支援診療所』だ。その要件を簡単に示すと、
*患者や家族が24時間連絡が取れる
*患者の求めに応じて24時間往診や訪問看護ができる体制がある
*他の病院と連携するなどして、患者の緊急入院の受け入れ体制がある
その他、医療機関同士の連携のため、本人の同意のうえ、患者の治療計画を随時情報提供することなどが求められる。

夜間や緊急時の往診には診療報酬に加算がつき、自宅で看取った場合にもターミナルケア加算がつくことになる。これらの手厚い診療報酬の影にちらつくのが、2012年度までに15万床まで縮小する療養病床だ。
23万床減る分の受け皿の一つに自宅が加わる格好になる。しかし、自宅療養には同居の家族の支援が欠かせず、誰もが選択できるものではない。現状では、あまり浸透しないのではないだろうか。

2007年4月から認められる薬剤師の「薬宅配」も追い風になるかどうか。
薬剤師法の改正により、往診した医師が書いた処方箋を薬局にファックスで送ると、薬剤師が薬を調合して患者を訪問し薬を渡す仕組みができる。通院が困難な患者にとっては朗報だが、自宅療養の推進の手助けになるかは疑問だ。

平成18年5月1日時点では、全国で8,595ヶ所の診療所が『在宅療養支援診療所』の届出をしている。これは、全国の診療所数の約1割に及ぶ。
在宅療養支援診療所の医師は、特養や老健、ケアハウスなど自宅に限らず往診をし、看取り支援を行うことになる。医療費抑制という本心とは別にして、最期の場を自分で選ぶことができる環境が少しでも整ったことは評価したい。

増税・保険料増!あえぐ高齢者

2006-08-13 09:13:35 | ノーマリゼーション
将来介護が必要になったときに、安心して介護を受けることができるように国民の保険料で制度を運営する『介護保険制度』は、いくつかの課題はありながらも定着したと言っていいだろう。介護保険料の納付も一定の理解を得られている。

しかし、ここにきて保険料の増額が各地でみられている。それに加えて税制改正により、高齢者の住民税・所得税が増え、さらには国民健康保険料、介護保険料も大幅な増額になっている。なぜこのようなことが起きるのか。

まず、介護保険料は3年毎に見直すことになっており、平成12~14年度が第1期で全国平均が2,911円。平成15~17年度の第2期が平均3,293円。今期(第3期:平成18~20年度)が4,090円となっている。毎回、増額になるのは、介護を利用する人が増えていることもあるが、施設入所が多かったり、当初の見込み違いにより次期で増額せざるを得ないことなど理由はいくつかある。
第3期の最高額は沖縄県与那国町の6,100円で、離島や過疎地などが高額になる傾向がある。最低額は岐阜県七宗町の2,200円で、その差は3,900円(年間46,800円)になる。保険料が安い要因としては、介護サービスがあまり多くなく(施設がなかったり)、高齢化があまり進んでいないなどの要因が考えられる。

ただ、これらの介護保険料は基準額(非課税世帯が対象)で、収入に応じて増減がある。住民税課税世帯になると、課税額に合わせてさらに何千円かずつ増していくことになる。
そこで影響してくるのが、2004年の税制改正だ。2005年1月から
①公的年金等控除の上乗せ廃止
②老年者控除全廃
などが決まり、今年度の住民税から課税額が変わってきている。

例えば、高齢者夫婦二人暮しで年金収入が年間277万円の場合。
・公的年金控除が144万円から120万円に縮小されるため、所得額の計算が133万円から157万円にアップ。
・老年者控除が廃止になり、48万円が控除になっていたのが控除なしになる。
その他の控除などの結果、前年度の課税対象額が0円に対し、今年度が59万円となり、
*住民税は4,000円から31,100円に増額
*所得税は0円から42,000円
*国民健康保険料は21万円から24万5千円
*介護保険料は5万円から7万円
年金額は変わらないのに、納める税金が多くなるため、生活に大きな影響を受けることになる。

小泉内閣が高い支持率のもと、痛みを伴う構造改革を断行した結果、今になって高齢者など社会的立場の弱い人たちに大きな負担が重くのしかかってきている。
今回の税制改正で多くの増税を余儀なくされた人たちも、その当時の内閣を支持していたのかもしれない。大した国民的な議論もないまま、勢いに乗って改革をしてきたつけは国民が払わなければならない結果となっている。
もうすぐ、自民党総裁選があり、首相も変わることになる。その時にはぜひ社会保障や年金・税のことも議論の場に上げてもらいたい。私たちはその意見を吟味して、今後の行く末をしっかりと見守りたい。

介護施設の新しい経営理論

2006-08-01 21:15:55 | 福祉雑記録
株式会社が介護の世界で活躍している。

介護保険制度スタートと同時にコムスンが福祉業界に参入し、注目を集めたのは記憶に新しい。
その当時のコムスンは、ヘルパー事業所と居宅介護支援事業所を全国津々浦々、すみずみまで整備し、数の論理で経営を行ってきた。
それにより、コムスンのブランドイメージは一気に顧客に定着し、今でも第一線を走っている。当初の計算とは違い、撤退した事業所も数多くあったが。

そのコムスンが、関東を中心に35ヶ所の有料老人ホームを経営する日本シルバーサービスを買収した。買収額は62億円。これでコムスンの所有する老人ホームは50ヶ所となった。
コムスンとしては、老人ホームのブランド『桜湯園』が欲しく、経営がうまくいっていないところを買収した形になる。

福祉業界は社会福祉法人しか参入することができない閉ざされた世界であった。閉ざされた世界の中で、必ずしも健全とは言えない発展の仕方もしてきている。
社会福祉法人のこれまでの役割を批判するつもりはないが、税金が免除され、お上(国や県)の顔色を伺いながら運営してきた社会福祉法人に「甘え」はなかっただろうか。いつまでも自分たちがアンタッチャブルな存在であるという・・・

昨年、外食産業大手のワタミが介護事業に参入したことを覚えている方は多いだろう。若い社長がメディアの前で明確なビジョンを語っていた覚えがある。
そのワタミの介護施設は昨年度末で17拠点。2009年度末までに2.5倍の45ヶ所に拡大する方針を出している。建物は新築ではなく、既存の建築物を改装し投資額を抑えるという。
来月(8月)からは介護教育事業に参入する。まずは、ケアマネジャー育成の講座を開設し、来春には介護事業の教科書を出版する。2008年度までに学校法人として登録する計画のようだ。2011年には大学院を設立する計画を立てているという。

コムスンもワタミも「経営」戦略のもと、事業の拡大を目指している。そして、それだけではなく、理念も兼ね備えているように思われる。それが末端まで浸透しているかはまた別の話だが。
それに比べ、社会福祉法人はさまざまな合議を経て「運営」をしてきた歴史を持つ。そのため、社会福祉法人のトップに経営感覚を備えている人は少なく、お金儲けを「経営」と勘違いしている法人も少なくない。
規制緩和が進み、株式会社が福祉業界に入ってきた今、社会福祉法人が同じ土俵の上で戦っても勝てる見込みはかなり低い。
「経営」という言葉、姿に踊らされることなく、地域における社会資源としての役割を忘れることなく「運営」をしていくことが社会福祉法人の生き残る道だろう。顧客の絶対数は減ることはない。新たな住み分けの中で、現在の顧客に逃げられないようにすることが社会福祉法人における急務の課題である。