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福祉について考えるUMEMOTOのブログ

要介護認定見直しなるか?

2007-02-25 12:05:24 | 介護保険
平成18年4月から新たに要支援1・2という区分ができ、全部で7段階になった要介護認定を、全面的に見直す方針を厚労省が固めた。

制度開始から、さまざまな問題点が浮き彫りになってきた要介護認定をここに来て見直すという。これまでの82項目の質問項目に、心身の状態をきめ細かく把握するため、洗濯を一人でできるかといった日常活動や損得の判断力といった認識機能などを問う項目を追加し、調査票を試作した。
試作票の追加質問は、100項目を超えることになる。炊事や掃除、ゴミ捨てなどの日常活動、人間関係を構築できるか、日中はどのように過ごしているかなど多岐にわたっている。
介護保険サービスを障害者へ拡大することも視野に、早ければ2009年度から新認定制度を導入したいようだ。

認定調査項目は、研究者が介護における負担を「1分間タイムスタディ」で計測し、綿密な計算のもと作成されている。しかし、対象者が施設における高齢者であったことも影響してか、身体状況については反映されやすいが、認知症などの精神面の症状や、それに伴う生活の状況は反映されにくいことが指摘されていた。
そこにきて、自立支援法との統合となると、知的障害者や精神障害者の状態を正しく把握する調査票ができるのか、大きな不安が残る。特に精神障害については、人のより症状も千差万別で、質問項目という枠組みを作ってしまうことで、そこから漏れてしまう可能性も考えられる。

また、現行では要支援2と要介護1の判別は、審査会による二次判定で審査されているが、審査会の作業の手間がかかり過ぎるとして、その他の区分と同様に一次判定で割り切れるように、手続きを簡素化する方向でも検討している。
要支援2と要介護1の判別に関しては、厚労省が当初から言っていた要介護1の7~8割が要支援2になるという数値に加え、各保険者の要介護認定を低く抑えたいという思惑が重なり、審査会の判断を偏らせてしまう危険性もある。現段階では、要介護1と要支援2の判別の仕方が一定ではなく、基準があいまいなままだ。手続きの簡素化だけではなく、そういった不具合も是正したいのだおう。

認知症が反映されにくいというのも、そもそも30分程度の短い訪問調査の間で、認知症や生活の実態をどこまで調査できるか大きな課題が残る。訪問調査員の技術や経験にも大きく左右されてしまう。
一方、かかりつけ医による認知症についての正しい理解と適切な鑑別がなければ、主治医の意見書にも認知症であることが記載されなくなってしまう。
新たに調査項目が追加されることで、少しでもその人の状態が正しく判断されることを願うばかりである。

払えぬ?払わない!治療費・国保料の滞納

2007-02-15 19:31:49 | 福祉雑記録
治療費を払わない患者が増えている。

全国の6割以上の病院が加入する四病院団体協議会(以下、四病協)は、未払い患者が加入する国民健康保険などの保険者に肩代わりを求める方針を固めているという。
2004年までの3年間での未集金額は、把握しているだけで426億円に及んでいる。未収金の原因は、治療費さえ払うことができないほど生活が困窮している例もあるが、最近では、支払能力があるのに治療費を何度も踏み倒したり、患者を入院させて行方不明になる家族など、モラル低下に伴う悪質な例も目立ってきている。各病院は、治療費の徴収努力にも限界があり、今回の決断に踏み切っている。

そもそも、保険者に肩代わりを依頼することは可能なのだろうか。そこは両者で見解が分かれているところだ。
国民健康保険法と健康保険法には「医療機関が相当の徴収努力をしたにもかかわらず、患者から支払いを受けられない場合は、保険者が医療機関の請求に基づいて患者から徴収できる」と規定されている。これを根拠に「保険者に請求をできる」と四病協は解釈しているが、厚労省は「診療行為は、医療機関と患者の契約」という立場で、肩代わりをする義務はないという考え。

確かに、契約の側面はあるが、病院は救急であれば受け入れざるを得ず、毎回支払い能力の有無を調べてから治療を行うことができるわけではない。
医療は欠かすことのできないセーフティネットである。セーフティネットであれば、国や各保険者は病院まかせにはできないはずである。未収金の増加により、医療機関が潰れるようなことがあれば、私たちの生活の根幹に関わる一大事である。

その医療を受ける前提に関わるもう一つの問題として、国民健康保険料の滞納による個人の預金口座や不動産の差し押さえが増加しているという。
国民健康保険料の滞納者に対し、自治体は預金口座や保険、不動産などの差し押さえができると地方自治法に定められている。この数年で、差し押さえをしている自治体も39%から55%に増加している。つまり、それだけ滞納者が増えているということである。
滞納者は、差し押さえに先立ち保険証を返還させられ、代わりに「資格証明書」をもらうことになる。その状態で受診すれば、いったん全額自己負担になってしまう。

滞納者が増える背景には、高すぎる保険料と低所得がある。差し押さえでは何も解決にはならず、生活の根本的な問題を解決しなければならない場合が多い。

一方、前者の問題と同じように、モラルの低下による悪質な滞納も目立つという。支払う能力がありながら、滞納している場合には差し押さえは有効な手段と言える。保険料によって医療が受けられる状況にあり、なるべく多くの人から徴収しなければ、適切な医療を受けられなくなる状況に陥ってしまうかもしれない。

今の医療費をめぐる現状からセーフティネットの構造的な変革と、私たちのモラルの向上が求められている。

『介護支援ボランティア』が与える影響とは

2007-01-31 19:08:18 | 介護保険
東京都稲城市が提案する『介護支援ボランティア控除』という制度がある。
これは、元気な高齢者が、他の高齢者のために介護支援ボランティアを行い、地域社会で互いに助け合う高齢者の社会参加・地域貢献を奨励するというねらいがある。
介護支援ボランティアをした高齢者は、申請をすると年額5,000円の介護保険料控除を受けることができる。稲城市と千代田区は厚労省に対して平成17年8月制度創設を要望したが、今回の制度改正では見送られた経緯がある。

そこで、稲城市では「「介護支援ボランティア特区」の提案を内閣府に提案している。
介護予防の取り組みにも力を入れている稲城市が、何を意図して介護支援ボランティア制度を提案したのか。内容を一部紹介していきたい。

まず、最も賛否を分けているのが、ボランティアの対価として保険料控除を上げているところである。稲城市がボランティア関係者(105人)を対象に行ったアンケート調査にも、「本来のボランティア精神に反する」という意見が寄せられている。また、ボランティア控除で減額される分、ボランティアに参加していない人がこれまでより多く保険料を負担する必要があるのではないか、ということを危惧する声もある。
それに対して稲城市としては、現状から鑑みてボランティアに参加する人数は50~100人程度(高齢人口比0.5~1.0%)であり、大きな影響はないとしている。
また、控除は申請する必要があり、単純にボランティアの対価とはなりにくいという見解を示している。

具体的には、市が指定する高齢者施設や地域支援事業において、一定回数・期間ボランティアを行い、スタンプ帳に証明スタンプを押してもらう必要がある。
ボランティアの内容も決まっており、レクリエーションの指導や参加支援、食堂内の配膳・下膳の補助、外出等の補助、話し相手、洗濯物整理やシーツ交換等の補助的な活動などがある。
在宅の介護支援ボランティアは対象となっていない。

この特区申請が認められるかは分からないが、実施に至ればこれまでのボランティアのあり方や介護保険制度のあり方に対しても一石を投じる取り組みになるだろう。
現在、各市区町村は介護予防事業や地域支援事業として、特定高齢者や一般高齢者を対象として、筋力アップ教室や栄養改善教室、口腔機能向上教室などを取り組んでいる。
しかし、現実はその教室を担う人材が少なく、またサポートできる人材も不足している状態である。そこでサポート役にボランティアを募り、ともに運営していく取り組みはなされているが、多く集まらないという声も聞かれている。

保険料控除があるということは、当然介護支援ボランティアを自治体が主導で行うということになる。現在、各地域の社会福祉協議会ではボランティアセンターがあり、ボランティアのコーディネートをしているが、社会福祉協議会の役割が多様化しているなか、どれだけ実働性があるのか疑問の声もある。
社会福祉協議会の業務には、自治体が委託している業務も多く、その運営には一定の責任もあるが、実際は丸投げしていたり、打開策がない状態もあるだろう。
自治体が介護支援ボランティアの運営をすることにより、そこに生まれる相互作用も期待したい。

ボランティアに対する対価的な性格があるという批判もあるようだが、そもそもボランティアとは何かという定義は一律に括れないところがあり、ボランティアをしている人たちがよければ、それを外野からとやかく言う問題ではないと考える。
ただ、残念なのは、在宅を支援するボランティアが控除の対象にならないことである。それを証明する人がいないというのが理由なのだろうが、本人や家族が証明者となれるような工夫をすることで、活動の幅が広がることを期待している。

平成19年度の認知症対策等総合支援事業

2007-01-22 19:16:54 | 認知症
現在の全国で認知症高齢者は170万人いると言われている。20年後には倍の数になるという統計まである。
また、認知症とはいえなくても、その予備軍である軽度認知障害(MCI)の人は認知症と診断を受けている人の3倍(現在は400万人以上)はいると言われている。

65歳以上の10人に1人、85歳以上の4人に1人は認知症であり、認知症対策は目下の課題である。そこで、厚労省では認知症対策として『認知症対策等総合支援事業』を計画し、予算化している。
平成18年度の予算額が15億5千万円だったのに対し、平成19年度の予算案では20億8百万円と増額している。それだけ、国も認知症対策に力を入れているという表れであろう。

その中身は、これまでの医療体制の充実、認知症ケアの質の向上等を柱とした事業を継続して推進していくとともに、新たに「権利擁護に関する取り組みの充実」「地域における総合的な支援体制の構築・充実」を推進していく内容になっており、6つの事業に分かれている。
以下、6つの事業を簡単に紹介したい。

1.認知症介護実践者等養成事業
 認知症介護の質の向上を図るため、認知症介護指導者の養成や介護従事者等に対する研修を行う事業。認知症介護研究・研修センターで行われている指導者研修や、県単位で行われている実践者・実践リーダー研修等。
 実施主体:都道府県・指定都市
 負担割合:国1/2 都道府県・指定都市1/2

2.認知症地域医療支援事業
 地域における認知症発見・対応システムを充実するため、認知症の主治医(かかりつけ医)に助言等を行うサポート医を養成するとともに、主治医に対し、認知症の診断や相談等の対応の向上を図るための研修を行う。
 かかりつけ医に対して、適切な認知症診断の知識・技術や家族からの話・悩みを聞く姿勢を身に付けてもらい、認知症の早期発見・支援の体制をつくる。
 実施主体:都道府県・指定都市
 負担割合:国1/2 都道府県・指定都市1/2

3.認知症地域支援体制構築等推進事業(平成19年度新事業)
 各都道府県のモデル地域を選定し、認知症への対応を行うマンパワーや拠点などの「資源」をネットワーク化し相互に連携することができる体制をつくる。具体的には、地域包括支援センターと連携して地域資源マップの作成したり、認知症の専門的な相談に対して助言をすることができる体制、徘徊高齢者のSOSネットワーク等、専門知識のあるコーディネーターが中心となり構築していく。そのモデル地域の取り組みを分析・評価し、情報提供していく。
 実施主体:都道府県
 負担割合:国10/10 ※2年間限りのモデル事業

4.高齢者権利擁護等推進事業(旧:身体拘束廃止推進事業)
 介護施設・サービス事業従事者に対する権利擁護意識の向上を図るための研修を行うとともに、各都道府県内における、高齢者虐待を中心とした権利擁護に関連する専門的相談・支援体制を構築する事業。
 実施主体:都道府県
 負担割合:国1/2 都道府県1/2

5.認知症理解・早期サービス普及等促進事業
 認知症の理解を促進するための普及啓発や、認知症予防・早期対応等の先駆的な活動事例の収集・紹介。認知症の本人や家族が、認知症の本人や家族が地域の経験者等と交流を持つことができる相談窓口の設置や、家族向けの研修会・交流会の開催。
 実施主体:都道府県・指定都市
 負担割合:国1/2 都道府県・指定都市1/2

6.認知症介護研究・研修センター運営事業費
 認知症介護の質の向上を図るための研究や研修を行う「認知症介護研究・研修センター」(全国で3ヶ所(東京・仙台・愛知県大府市))の運営費。
 実施主体:各3ヶ所の法人
 負担割合:定額(10/10)

以上が、来年度の事業内容である。1の認知症介護実践者等養成事業以外は予算が増えている。
実施主体を見ても分かる通り、ほとんどが都道府県が行うため、まずは都道府県が手を挙げ取り組む意志を示す必要がある。そうして初めて市町村が取り組むことができる。つまり、いくら市町村にやる気があっても都道府県にやる気がなければどうしようもないのである。

近年、認知症の当事者が声を上げ始めたことで、認知症に対する関心が高まっている。これを気に、少しずつでも認知症の人が地域で暮らし続けることができるような支援体制が構築されることを願うばかりである。

高齢者の検挙率が高まる背景には

2007-01-12 23:29:28 | ノーマリゼーション
65歳以上の高齢者が加害者になる犯罪が増加しているという。ある県では、謙虚された65歳以上の高齢者が10年前の6倍、全検挙数に占める割合が2.8%から8%まで増加しているという。

内容はさまざまで、夫婦間の殺人事件もあれば、老人ホーム内で入居者の男性が別の入居者をナイフで刺してしまった事件、介護疲れによる介護殺人・・・。
それらを伝える記事は、「長く勤めた職場などに代わる『自分の居場所』が見いだせず、閉塞感から突発的に罪を犯す人が多いのでは」と伝えている。
果たしてそうだろうか。

冒頭で示した数字では、数としては6倍なのに対して、割合(%)としては、2.5倍程度の増加でしかない。
この10年間で高齢者数もかなり増加しているし、全人口の20%程度が65歳以上であることを考えると、高齢者の検挙数が増えるのはおかしいことでもなんでもない。
年齢別の検挙率データがないので何とも言えないが、『自分の居場所』という問題で片付けてしまっては、物事が見えにくくなるおそれがある。

高齢者の犯罪件数が増えたことを問題にするのではなく、その理由を問題にすべきだろう。例えば、老人ホーム内の死傷事件が目立つのは、今までそのような事件があまりなかったことが原因の一つである。
なぜあまりなかったのかというと、老人ホームの数が少なかったからである。近年、元気なうちから入居する有料老人ホームが増えたことで、身体的にも精神的にも元気な高齢者が一つ屋根の下で生活する環境が生まれている。
いくら個室になっているとはいえ、一つずつが家として独立しているわけではないので、食堂などで顔を合わせる機会も多いだろう。折り合いが悪くなったり、ぶつかり合うのも不自然なことではない。

介護疲れが原因の介護殺人は、その根本的な理由を取り除くことが先決であり、『介護殺人』として社会問題化していかなければならない問題である。
認知症の理解や支援する体制、正しい介護の仕方や適切な情報提供など課題は山積みである。

また、高齢者が交通事故の加害者になるケースも増えているだろう。車社会の中で、運転する高齢者も増えており、高齢者が安全に運転できる環境づくりも待ったなしの状態である。

一言で高齢者の事件と言っても、さまざまなケース・原因があり、並べて論ずることはできない。一つずつ解決していくのが、早道になるだろう。

地域づくりとネットワーク

2006-12-09 20:51:30 | まちづくり
地域のつながり(コミュニティ)が希薄になってきていると言われている。『向こう三軒両隣』、『トントントンカラリっと隣組/障子を開ければ顔なじみ』という言葉にみられるような地域の繋がりは、大都市圏に行けば行くほど薄くなっていると感じる。
昔からの農村部などでは、今でも住民相互の互助の意識は強く、さまざまな活動が展開されているが、集合住宅や新興住宅街では隣近所の住民と挨拶をすればよいほうで、誰が住んでいるのか分からないということも多いだろう。

戦後、欧米から民主主義と個人主義という概念が入ってきたことで、個人の権利ばかりを主張する機会が多くなってしまったことも無関係ではないだろう。
自分の生活さえなんとかなれば、他人からとやかく言われる筋合いはないという意見もあるだろう。『自己責任』という言葉が持て囃されるのも、このような時代背景が関係している。

そのような中、新潟県見附市では、要援護者の避難訓練に力を入れている。2004年7月の「新潟豪雨」で出た死者15人のうち、12人が65歳以上の高齢者だったことを受け、自主防災会が立ち上がっている。住民一人ひとりが自分たちのこととして考え、取組んだ結果が「サポート員」という体制で、災害時にはそれぞれ事前に定められている担当の家に直行し、要援護者の避難誘導を援助することにしている。
災害により、要援護者や高齢者が被害にあうことは少なくない。その時に毎回のように話題になるのが、地域住民の関係の希薄さである。そもそも、どこにどのような高齢者がいるのかも分からなくなってしまっていることが多い。
災害対策は行政の仕事であると考える人もいるかもしれない。確かに、基本的なことは行政がしっかりと体制を整えなければならないが、全員を非難誘導できるわけではない。最終的には住民の自助努力であったり、相互扶助であったりするのである。それは福祉に関しても、まったく同じことが言える。

新潟県見附市のように、実際に被害にあったところでは取り組みが始まっている。その他にも、孤独死が問題になった地域では、孤独死をなくすためのネットワークが動き出しているし、認知症の人が徘徊の末、亡くなってしまった地域では捜索・発見するためのネットワークが作られている。最近では、登下校の子どもたちを見守る保護者や住民のネットワークも多いのではないだろうか。
それらは、既存のネットワークを活用しているところもあるだろうし、新たに形づくられたところもあるだろう。

コミュニティが無くなって久しいと言われているが、だからといって簡単に作り出せるものではない。コミュニティを作るということは、とても大きなエネルギーが必要である。
農村部や昔からの住宅地では、親の代からネットワークが形づくられ、そこで生まれた子どももネットワークが始めからネットワークの一員になる。しかし、新興住宅街では、その関係を一から作らなければならない。自然、共通項(同世代、子育て等)があるところでしかネットワークが作られないし、それ以上広げるエネルギーは費やすことができないのが現状である。

ネットワークは全員がつながらなければならないものではない。興味のある人、関係者が形づくればよいのである。目に見えないため、実感としては乏しいが、さまざまなネットワークが現存しているはずである。また、地域によってニーズはさまざまであるため、そのニーズに対して、既存のネットワークを強化することで対応できることがまだまだあるのではないだろうか。

地域のニーズと、ネットワークのリーダーにきちんと光を当てることが地域づくりの第一歩になる。

特養・老健の機能見直しの先には…

2006-11-27 23:14:14 | 介護保険
特別養護老人ホーム(以下、特養)と老人保健施設(以下、老健)のあり方が見直され始めている。
厚労省は社会保障審議会に「介護施設の在り方委員会」を設置し、それぞれの機能のあり方を議論することにしている。介護保険で受けられる医療サービスの適用範囲や医師、看護師の配置基準見直しなどが重要課題となる。

特養と老健が見直される背景には、介護型療養病床の廃止・医療型療養病床の縮小がある。現在の約38万床が、2011年には15万床まで縮小されることになっている。残りは、ケアハウスや有料老人ホームに転換するような方向性は示されているが、その際の補助金などの金銭的な支援は明らかにされていない。
医療報酬、介護報酬の削減が本来の目的であることを考えると、金銭的な支援が今後期待できるかも分からない状態だ。

そのような中、これまで療養病床において比較的医療ニーズが高かった利用者が、特養や老健で対応ができるようにすることが今回のあり方検討のねらいである。
現在、常勤医師のいない特養においてはできる医療行為はほとんどない。常勤医師が一人の老健でも、療養病床で行っている超音波検査やエックス線診断などはできず、医療行為は限られている。
このため、特養、老健が受け皿となっていくためには、看護師を含めた医療スタッフの拡大が必要との指摘があるが、社会保障費の抑制圧力が続くなか、介護報酬を増加することは考えにくい。厚労省としては、外部の医療機関や往診、訪問看護といった「外部サービス」を導入したいというのが本音のようだ。

そもそも、特養や老健のあり方を見直す議論は、療養病床縮小の受け皿の一面だけしか捉えていない。
未だに多くの人が待機している両施設に、療養病床からの退院者が優先して入居できることは難しい。その人たちの行き先はどこになるのか。
在宅療養支援診療所は、受け皿の一つである自宅での生活を支える制度として、今年度から始まったが、実際に動き出しているところはまだ少ないというのが実感だ。24時間の訪問というのは、かなりハードルが高い。
前述したように、療養病床からケアハウス、有料老人ホームへ転換する際の金銭的な補助はまだ示されていない。そのような中で、移行していくのはかなり難しいだろう。

日本における施設は、外国と比較しても少なくないというデータがある。しかし、介護が必要となる前に住み替え用としての高齢者住宅は圧倒的に不足している。これは、日本人にあまり住み替えの意識がなかったこともあるし、まずは特養や老健などの介護保険施設の整備が急務であったからだろう。
しかし、これからは高齢者住宅の整備に力を入れていくことになるだろう。その手始めとして始まっているのが、公営住宅の建替えである。現在、古くなってきた兼営住宅や市営住宅を建て直す際に、1階部分にデイサービスやヘルパーステーション、配食サービスなどの介護保険サービスの拠点を整備し、社会福祉法人等に運営を委託するケースがみられ始めている。
住居の何割かは単身独居の高齢者住宅とし、見守り体制を作っていくことになる。こうすることで入居している高齢者は安心を買うことができるし、安易に施設に入居することなく、自宅での生活を継続することができる。

このような高齢者住宅は、これから高齢者となる世代にはさほど違和感なく受け入れられるのではないだろうか。選択の幅を制限するだけではなく、私たちの選択の幅が広がるように整備をしてもらいたい。

認知症の告知について考える

2006-11-15 22:16:06 | 認知症
若年性認知症という言葉を聞いたことがあるだろう。65歳未満で発症した認知症を若年性認知症と呼んでいる。全国で約4万人の患者がいるとも言われている。

若年性認知症が知られるようになってきた一つには、映画『私の頭の中の消しゴム』や、『明日の記憶』の影響があるだろう。20歳代から認知症になる例も報告されているし、『明日の記憶』で渡辺謙、樋口可南子が役づくりのために参考にしたのも実際の若年性認知症の夫婦の姿だという。
もう一つの要因は、若年性認知症になった本人が、自分の言葉で話すことを始めたことにある。
徐々に失われていく記憶や、愛する人への想い、仕事を辞めざるを得なくなったことでの厳しい経済的負担。本人たちの言葉には、専門家が想像で考えていた言葉よりも遥かに重みがあり、認知症の人や支える家族、介護職などに大きな影響を与えている。

当事者がそのような活動をすることができる背景には、『告知』の問題がある。本人に告知をするということは、早い段階での発見が欠かすことができない。その後、まだ何年もある生活をどのように送るのか。医師や家族、その他多くの関係者がどのように支えていくのか。
告知には、その人や周りの人のその後の人生を大きく変える力がある。

告知というと真っ先に思い浮かべるのは『癌』である。癌患者に対する告知もさまざまな問題を多く孕んでいるが、全体的には告知をするという方向に向いてるのではないだろうか。
一つには、癌は治る可能性もあるということ。もう一つの理由は、医療界におけるインフォームドコンセントの普及である。事前に事実を適切に伝えなかったことに対する、医療裁判の増加の影響もあるのかもしれない。

そう考えると、認知症においても告知をしていくながれになるのかもしれない。しかし、癌と認知症の大きな違いは、認知症は今はまだ治らない病気だということ。数年後にワクチン(根本治療薬)が開発されるかもしれないが、現状では告知をすることで大きな絶望を与えかねない。
また、癌は最期まで自分らしさを保つことができるが、認知症は自分を失っていく恐怖と向き合わなければならない。本人の絶望は計り知れない。
当然、誰でも告知をすればよいというものでもないだろう。本人を支える家族の存在や環境、もちろん本人の気持ちというものもある。

長崎県諫早市に住む若年性認知症の当事者である太田正博さん(56歳)は、初診から告知まで2年半かかった主治医に対して次のように語っている。
「先生も悩んでいるのが見えていました。また、うすうす自分が認知症ではないかと感じていたこともあったものですから。告知は、もう少し早くてもよかった。」

若年性認知症の人は、自分で病状から認知症であることを調べる能力を持っていることも多い。不正確な情報や他人からの情報で、自分が認知症であることを知るよりは、主治医から適切に伝えてもらったほうがよいのかもしれない。
そして何より、太田さんの言葉にもあるように、一緒に悩んでくれる医師の存在が重要なのは言うまでもない。

いつだって心は生きている ~認知症の絵本~

2006-11-01 18:41:57 | 認知症
『いつだって心は生きている』

このタイトルに、伝えたいことはすべて凝縮されている。
認知症について書かれた本はたくさんあるが、子どもたちに向けられた本はほとんどない。それだけ、認知症という病気が身近ではないということだろう。
それゆえに、地域の中での認知症に対する偏見はなかなか消えることはない。隣近所でおかしな言動をする高齢者がいれば、危ないからすぐに施設に入れたほうがよい、という意見を聞くことがある。
また、認知症の家族が恥ずかしいからと家に閉じ込め、介護サービスも使わずに自分たちだけで介護をしようとする家族も多い。認知症が病気ということすら知らない人も多い。

いつだって一番苦しいのは認知症になった本人なのに、その本人の気持ちなどは無視して、家族の辛さが前面にきてしまう病気。知識がないために、本人も家族も辛いという状況を作ってしまっている。

この絵本を作成した大牟田市の認知症ケア研究会は、絵本を使って、市内の小中学校で絵本教室を定期的に開催している。事前に子どもたちに絵本を読んでもらい、どのように感じたのか感想を書いてもらう。

子どもたちは物語の中から、おばあさんの「いいとこ探し」をすることが大切ということや、徘徊はおじいさんいとっては「冒険」なのではないかという本人視点の大切さを学んでいく。
絵本教室の当日は、絵本の朗読から始まり、認知症は病気だということを子どもたちが興味を引くやり方で話をしていく。その後、少人数のグループに分かれて「認知症とはどのような病気か」「自分たちには何ができるのか」を話し合い、最後に発表をする。

なぜ子どもたちと認知症の勉強をするのか。
それは、認知症は家族だけで支えられるものではないからだ。最終的には、地域の見守りの目や支える手が必要になってくる。その時に、子どもたちは大きな力になるのである。
子どもは純粋なので、しっかりとした知識があれば、先入観なしに接することができる。また、子どもが変われば、親も変わっていく。子どもを中心に、その輪が少しずつでも広がっていけば…というねらいがある。

そして何より、認知症の人を支えるということを真剣に考えると、認知症だけにとどまらず、人(相手)を理解しようとすることにつながっていく。隣に座っている友だちも『いつだって心は生きている』んだということに気付いていく。
認知症の絵本は、「思いやりの心」を教えてくれるのである。

知ってる?在宅療養支援診療所

2006-10-28 18:36:48 | シリーズ 医療制度改革
在宅療養支援診療所がスタートして、7ヶ月が経過しようとしている。全国の一般診療所のうち、約1割が届け出をしているというが、その存在はなかなか実感することはできない。
それもそのはずで、地域によっては届け出をしている診療所がないところもある。都道府県別にみると、10倍以上の開きがあり、都市部に偏在していることがわかっている。

「最期を自宅で迎える」ことを支えるための診療所ができたものの、現状では、これまでの往診を大幅に増やすことは人員的にも難しいのが現状だ。
また、連携先の医療機関や訪問看護ステーションを設定する必要があり、新たに取り組もうとする診療所にとっては、これまでのネットワークの有無が大きく影響する。
実際に届け出はしたものの、条件の厳しさや患者への負担(診療報酬が上がる分、患者負担も上がる)のため、実際には行っていないところもある。
私たちが地域において、在宅療養支援診療所の存在を実感できないのは、この辺りに理由があるのだろう。

自宅での最期を望む人は多い。しかし、現状ではその人たちが安心して自宅での最期を迎える仕組みには至っていない。
在宅での看取りを支援する診療所を増やすために、手厚い診療報酬を設定したものの、その1~3割は患者の負担になる。当然、患者も満足できるような体制を取らなければならない。
地域の病院において医師不足が叫ばれている中、在宅医療を志す医師はどのくらいいるのだろうか。さらに、限られた空間、設備、人員体制の中で患者を看取るためには、医師の経験、幅広い知識が欠かせない。
それだけではない。在宅で最期を迎えるためには、さまざまな関係機関の協力が必要だ。往診のほかに、訪問介護や訪問看護などの介護保険サービス、それらをマネジメントするケアマネジャーの存在も欠かすことはできない。
医師、事業所の管理者、ケアマネジャーそれぞれが対等な立場で、役割分担のもと連携する必要がある。これまでの縦型の組織が当たり前と思っている医師では勤まらない。

療養型病床の縮小に伴い、一部の患者は在宅へ戻ることが想定されている。その鍵になるのが、この在宅療養支援診療所だ。
医療費抑制に端を発しているとはいえ、多くの人が望んでいる在宅での死を支える仕組みの第一歩でもある。しかし、その存在はまだまだ知られていない。
スタートして半年以上経つのに、これだけ知られていなければ、どこかに問題があるのかもしれないと考えてしまう。
ぜひ、大きな存在にまで育ってほしい。