むじな@金沢よろず批評ブログ

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10月はシラヤ族の夜祭を連続して見た

2011-11-22 16:56:01 | 台湾言語・族群
台湾人は中華系というより、マレー系だ。
表象文化は言語や生活習慣は中華系になっているが、人間性の部分では依然としてマレー系平埔族の祖先を受け継いでいると思う。
今回越南を訪れてその感を強くしたが、その前の10月には、台南に残っている平埔族シラヤ族集落の宗教儀式を連続してみる機会があった。

今は台南市東山区東河村に吉貝〓{而の下に女}(カブアスア)という集落がある。
ここの儀式はシラヤ族本来の宗教儀式をほぼ純粋な形で残しているところとして知られている。
シラヤ族の宗教儀式は、壷を神と見立てて、それを祀(まつ)る。厳密には壷じたいよりも、その中に入れた水を「清らかなもの」と見たてているのだそうだ。
シラヤ族の神は「Alid(アリッ)」と呼ばれているが、カブアスア地区では台湾語の漢字で「阿立母(アリッブー)」という。儀式があるお堂のような場所をシラヤ語で「kuwa(クワ)」、台湾語で「公〓{まだれに解}(コンカイ)」という。
年に何度神を祀る行事があるが、最大の行事は、旧暦9月4日夜から15日未明、今年は9月30日夜から10月1日未明に行われた「夜祭」という儀式だ。
夜祭は「阿立母」にいけにえのブタを捧げ、村落と家内の安全を祈願する。カブアスアの夜祭は象徴的なものなので、頼清徳・台南市長が直々に挨拶に来ていた。
今年のいけにえは12頭。午後11時儀式が始まる前にコンカイの前にいけにえが並べられ、村人たちがコンカイに入って壷の前でお参りする。
ビンロウの実を手に捧げ、壷の前に置いた後、「お神酒」である米焼酎を口に含んで自分の四方に「プーッ、プーッ」と吹き出す。さすがに若い女性は1回だけにとどめている人が多かったが、中年以上は豪快に吹き出していた。
村人のコンカイでのお参りが何巡かした後で、午前1時過ぎからブタをさばいていく。遅くなったので筆者は引き上げたが、その後午前3時ごろから、白と黒を基調にした民族衣装をまとった女性たちが輪になってシラヤ語の歌を歌いながら踊る「牽曲(カンキョク)」があって、最後を飾る。
夜祭の翌日は午後1時半過ぎから「〓{口へんに孝}海(ハウハイ)」と呼ばれる儀式が近くの水田で行われた。これは海を渡ってきたという伝説を持つ先祖を祀る儀式だ。

漢文化を受け入れた一般の台湾人の儀式の場合は、いろんな神様の偶像の前で線香を持ってお参りするが、シラヤ族のものはまったく違う。
おそらくシラヤ族の形態のものが、200年以上前には台湾各地で行われていたのだろう。
だがそうしたシラヤ族の文化も、かつては圧倒的な優勢を誇った漢文化の波に飲み込まれ、徐々に消えていったのだ。
この「漢化の波」を示しているのは、他のシラヤ族集落の儀式だ。集落によって「夜祭」の日は異なるが、カブアスアほど「純粋」な形を残しているところは少なく、大なり小なり漢人・道教的なお参り=線香を炊く「拝拝(パイパイ)」の儀式を取り入れている。
旧暦9月14日夜、今年は10月10日夜に行われた台南市白河区六重渓(ラクティンケー)の夜祭は規模も小さく、ブタのいけにえも2頭だけで、儀式も午後11時から1時間半ほどで終わった。「牽曲」もシラヤ語でなく台湾語になっていて、壷に向かって線香を持ってお参りをする。半分くらい漢化したものだといえる。
今年実際に見に行ったのは、カブアスアとラクティンケーだけだったが、伝聞によると、陳水扁の故郷すぐそばにある台南市官田区の番仔田(ファナツァン)となると、もっと漢化が進んでいて、道教的な部分が色濃いという。
そしてシラヤ族の部分がまったくなくなると、「漢人」となるわけだ。
今の台湾人の多くが「漢文化」を体現していて、福建系の台湾語や客家語を使っているからといって、決して人間のすべても中国からやってきたとは言えない。
混血の繰り返しもあれば、優勢な漢文化に文化的に同化して、「平埔族」という意識がなくなった人もいるだろう。
その痕跡がカブアスアであり、ラクティンケーだ。

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