むじな@金沢よろず批評ブログ

台湾、国際情勢、アニメなどについて批評

セデック・バレ後編見てきた 原住民と日本人の共通点、シナ人との違いが浮き彫りに

2011-10-03 17:00:39 | 台湾言語・族群
「賽克巴萊(セデック・バレ、日本語で近い表記はシェジェック・バレか)下集(後編)彩虹橋(虹の橋)」を3日に見てきた。本党は30日の封切日に見に行きたかったのだけれど、後で書くようにその日夜に台南のシラヤ族の夜祭を見る予定があったので、同じ日に長丁場の演目を二回も見るのは体力的にけっこうきつい、そして台北に戻ってきて土日は一時帰国の疲れも出てきてぐっすり寝ていたので、今日まで延びた次第だ。

前編では日本人に優しくない描き方がされていて、けっこう精神的に見るのがきつかったが、後編は一転して原住民と日本人の精神構造の近似性が描かれていて、後味はけっこうよかった。
やはり台湾人、しかも民進党支持の監督だけに、「反日」ということにはならなかった!
戦闘・自決シーンが多い点では、きついといえばきついが、最後に日本の司令官が「300人で5000人を相手に最後まで戦って、戦死でなければ自決したのは、100年前に失った武士道を見ているようだ」との台詞で、けっこう救われたと思う。

そう。司馬遼太郎も「台湾紀行」で描いたように、原住民の気質のある部分についてはきわめて日本人に近い。
面子が失われたり大失敗すると自決する。負けると命乞いなんかせずに自決する。

最初は単なる暴動だといえたが、最後の一兵まで戦い、そして包囲されると潔く割腹自殺するシーンは、日本人としては共感できるものだった。
これがシナ人だったら、泣き叫んで命乞いをするか、我先に逃げようとするだろうw。

実は監督がいいたかったのは、シナ人国民党への当てつけだったりしてw。

原作では「国際条約で禁止されている毒ガスで掃討した」という根拠のない俗説が書かれていたが、映画後編では「試験中の糜爛性ガス」に改められるなど、反日性を極力抑えた表現になっていた。

気になった点。
冒頭近くで埔里を「プーリー」などと北京語で読んでいたのはアウト!当時、北京語なんて台湾に存在しないから、これは「ほり」か台湾語の「ポーリー」と読むべきだ。ただし台北はちゃんと「たいほく」と読んでいたが。

それから旧知の林田氏も登場していて、けっこう目立っていたし、しかも首を刈られないおいしい役回りだったw。しかも林田氏、演技が以前と比べると見違えるようにうまくなっている。やっぱり精進の賜物ですなw。

エンドロールでは、CG処理が韓国になっていたが、関係者によると、あとで北京の会社に差し換えたらしい。どうやら韓国的なルーズさでもめたようだ。台湾と韓国のルーズさは方向性が違うので、衝突しやすい。
そして衝突するといえば、林田氏の役回りが最初日本の舞台俳優呼ぶ予定が、台湾的ルーズさに腹を立てた日本人が来なくなって代わりにお鉢が回ってきたとのこと。まあ、台湾人と日本人がまともに仕事をすると、こうなりやすいわなw。

エンドロール上では、台湾、日本、韓国、オーストラリア(音楽演奏)、シンガポール(演奏録音)となっていて、中国が出てこなかったように思う。意図的にはずしたのか。しかもこのリスト、アジア太平洋諸国の中でまともで質が高いのばかりを並べているところも、実は意図的だったのかも知れないね。

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