自分は「最初の就職先が世界中に工場を持ち」世界中の自動車メーカをユーザーにしていた
会社だったので「幸か不幸か?」海外出張は嫌と言うほど行かされた。
・パリ1泊3日2回
・明後日デトロイトへ
・韓国出張200回・・・などなど
おかげ?で飛行機搭乗回数は500回をゆうに超えている。
次の就職先も「海外関連の仕事も兼ねていたので」1か月に1回は海外出張(この時は中国、韓国、ベトナム)
があった。ベトナムで起業してからは「コロナ前は1か月に1回以上は日本出張」があったが
コロナ禍以降は1年に2-3回の日本帰国と落ち着いている。
以前の常識外れの時の「飛行機搭乗」は「出張手段として仕方なく乗っていた」感があった。
最初の頃の海外出張は「飛行機に乗ることのわくわくさ」があったのだが?
最近「適度な回数の飛行機搭乗になり」飛行機の「かっこよさ」や飛行機に乗れることへのうれしさを再認識している。
あんな重いものが飛ぶことの不思議さや、非日常の風景や体験など、やっとこの歳になって
飛行機に乗ることへの「楽しみ」を享受できている気がする。
飛行機の搭乗には「ボーディングデッキからの搭乗」と「バスで搭乗機に向かう、通称沖止め」がある。
日本からの国際線では前者が圧倒的に多いが、ベトナムの国内線では後者が多い。
沖止めは「搭乗、降機」共に時間がかかるので好きではないのだが?
最近気づいたのは「沖止めの際のバス搭乗時」「デッキからの搭乗では見ることのできない飛行機の姿が見れる」
もう以前のように「タイトな出張のために急ぐことも無く」「沖止めでも”まあいいか?”」と思える時期になり
こんなことも「楽しめる年次になって来たようだ」
自分の人生、飛行機と言う乗り物とは「平均の人たちとは比較にならないほど多く付き合えた」
これからは「手段としての飛行機搭乗ではなく飛行機搭乗を楽しめるようにしたいものだ」
珍しく787と言う大型機でしかも国際線にもかかわらずホーチミン、タンソンニャット空港での
沖止めに遭遇し、バスの中から「非日常の風景」を見ながらそんなことを考えた。
こういう角度からの飛行機も又「かっこいいものである」
こういう風景が見れるのは「沖止め」ならでは!
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