★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「個人的夏の音楽」

2023-05-31 11:49:40 | ベトナム・ハノイ

 家では「いつも音楽をかけている」暇なときは「お気に入りのYOUTUBE」を見ることが多いが?

最近は「見すぎる傾向だ」それよりも「掃除や片付け、家事をしながら音楽を聴くのは良いものだ」

 この年になると「聞いた曲の頃をよく思い出す」年をとればとるほど「その曲も増え、思い出も増える」

長く過ぎた出来事は「良くも、悪くてもそのいやな感じは薄められ、思い出としてだけ残る」だから

「その思い出の曲も心穏やかに聞けるようになるものだ」

 そして最近は「google」の機能?でよく聞いた曲や「お気に入りの関連サイトなどが良く表示される」

ベトナムに来てからは「のんびりと過ごすことは少ないが、それでもごくたまに一人海に出かけ

ビーチでで何も考えずに聞く曲は最高だ ビーチで必ず聴くアーティストは

*大瀧詠一

*山下達郎

*角松敏生

*高中正義

夜に聞く曲は「JAZZ系」が多い。

 平日の夏、人気のない「ダナンのミーケビーチ」「ダナンとホイアンの途中の名も無いビーチ」

で「キンキンに冷えたビール」を飲みながら聞く「曲」は最高である。

出来ればプライベートビーチのあるホテルで、「手をあげれば注文を聴きに来てくれるビーチは至福である」

この時には「益にも毒にもならない片岡義男などの本を読みながら」ビールを飲んで、本を読んで、眠くなったら

寝て、起きてビルを飲み、本を読んで・・・おなかがすけば「ビーチサイドのプールバーでピザやクラブサンドを食べ」

夕日が沈むまで「こんなことをして、好きな曲を聴く」 日が沈むと部屋に帰りシャワーを浴びてひとしきり涼み

1FのJAZZ BARに行き、今度は生演奏を聴きながら好きな「ジャックダニエルのソーダ割」を飲み、

ローカルのネムザンなどをつまみにひとしきり素敵な時を過ごす。眠くなれば部屋に帰り、シャワーを浴びて寝る。

夜中に目を覚ませば「キンキンに冷えたバドワイザー」を飲み、バルコニーから夜の海を眺め、そしてまた

眠くなったら寝る。・・・・・・・(3年前ほどにダナンビーチ沿いのJAZZ HOTELと言う小さなホテルで経験した内容である)

この前そのホテルの前を通ったら取り壊されていた、改修中なのかもしれないが?)

そんなひと時をこの夏に「過ごせるだろうか?」・・・・もう人生の終盤にかかった今、こんなことを考えても

もうよい時期なのかもしれない。

 

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ベトナムハノイの「三つ子の魂100まで」

2023-05-31 10:40:49 | ベトナム・ハノイ

 一念発起「アパートに併設しているジムに申し込んだ」出費は痛いが仕方ない。

有効に使うとしよう! この年齢になると「ハードな運動は体を壊す」常日頃、定期的な運動などは

ほぼ1年ほど「会社状況が悪化してからはできないでいた」が昨日久々に泳いだ

時間も無い中で1000m近くを泳いだが、泳ぎは忘れていなかった。不思議なものだ。

 水泳は小学校低学年で学び、(学んだというよりは、父の職場が川のほとりで、夏休みなどは

一日中その川で泳ぎ、魚とりや昆虫取りに興じたことが結果水への恐怖心を無くし、泳げるようになった原因だったと思う、

(自分は従兄、兄弟での一番年下で、多少怖くても彼らの遊びについていくしかなかったことが良かったのかもしれない・・・)

そして4,5,6年ではすで水泳の大会に出ていた。一応利根沼田地区では

平泳ぎのランクでは1位で県ランクでは15位だった。あの頃は200m個人メドレーは泳いだだけで

県のランクに入るような時代だった。自分も小学生ながら200m個人メドレーは

泳ぐことはできた。そして冬でも「四万温泉の温泉プールに行き、水泳合宿に参加」するような

生活だった。今の泳ぎは「あの頃のたまものなのだろう」まさしく「三つ子の魂100まで」なのだ

 その後社会人になって、たるんだ生活に活を入れるため「日本赤十字社の水泳救助員の資格を取った」

現在は海外で更新手続きをしなかったので失効してしまったが? これがあると「公共のプールは全て無料で入れたものである」

自分にとっては「水泳」とはまさに生涯付き合えるスポーツだったのだろう?

だからこの年になっても1年泳がなくても「突然1000m」が泳げるのだろうと思う。

大病を患い「手術後に泳いだ時には25mも苦しく泳げなったが?」肺が1/4無いのだから仕方がない?

しかしその後徐々に慣らしていくことで以前のようなスピードでは無理だが、ノルマにしていた

2000mも可能になったのである。

水泳は自分にとっては「体は疲れるが精神的な面を含め自分にとってはリフレッシュできる」貴重なものなのである。

これからも、年齢に応じ、「水泳と付き合っていこう」と思う。

 ベトナムでも最初の頃は夏のみ「一般のプールで閉所間際に行って2000m泳ぐような生活だった」

しかし現在はありがたいことに「プール併設のジムも数多くできて、1年じゅう泳げる」

そんなベトナムでこれからも「水泳生活」を楽しむつもりだ。

 

 

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