★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「パートナー【ミッ】」

2023-05-02 18:36:30 | ベトナム・ハノイ

 2週間ほど前、「5歳友人の母上から」しばらく「ミッ(飼っている犬)」の面倒を見てくれないか?

とお願いされた。自分は子供の時から「数多くの犬を飼い、そして悲しい別れを経験してきた」

「犬を飼うというのは、寝食を共にするパートナーになこることであり、家族を迎えるようである」

事は経験から知っていた。しかし「5歳友人宅でのこのミッの状態を見ていると、とても世話の焼ける状況ではなかった」

「一言で言えば犬が可哀そうだ」と言う状況だった。この家には「家に居る妹さんは居たが、猫の世話で精一杯のようだった」

「このミッは未だ成語3か月、やんちゃな子供と一緒なのだ」・・・この家では「5歳の友人の教育中心」で

休日も出かけ気味、家に居ても「こども優先になるのは仕方がない」折に閉じ込められている時間が長く

満足に「世話もできない状態だった」・・・そして決定的なのは「このミッはかわいくて憎めない奴なのである」

そういうわけで、2週間前に「自宅を改造し、ベランダに【自分が不在用のスペース】を作り預かり始めた」

母上との約束は「とりあえず自宅が落ち着くまで」という約束なのだが?

 そういうわけで「ベトナムで初めてのパートナー生活」が始まった。

もちろん大変だ。「外出時(会社に行くときは)はこのベランダの隔離スペースに隔離する」最初は騒いでいたが

今では「多少クンクン鳴くが」帰ってくる頃には、私が作った日よけの屋根に上って寝るようになっている」

 一番心配していた「トイレのしつけだが」 やはりや大変である。しかしおしっこは決まった場所にするようになった。

しかし「ウンチ」は現状は3-4か所の決まった場所にしている、いずれこの場所を1-2か所にできるよう教育中である。

 このミッは非常に「人好き、さみしがり屋で、家中どこに行くにも私の後を付いてくる」従って「寝るときには

ベッドに潜ってくる」仕方がないので「一緒に寝ている」、それでもベッドでは一度もそそうをしないのは

大したものだ。 2週間たち、そろそろ「日頃の生活には慣れてきた」本宅で心配された「食事も」ちゃんと朝晩

「与えた餌」を「しっかり食べきっている」 私が巣ごとをすると「その机下に寝っ転がり」「ソファーでモニターを見ている時は

同じソファーの背もたれの上で寝っ転がっている」もう、お互い気を遣わない「パートナーとしてなれたようだ。

しかし、さみしがり屋なので「本宅のボン(仲良しの猫)」とは遊びたくて仕方がない。時間があれば「5歳友人宅」に出向き

ミッのストレス解消をしている。遊んでくると、良く寝るのである。

しばらくは「この変なパートナー生活」が続きそうである。

家にいるときは「たいがい、この場所にいる」

まだまだ「生後3か月のわんぱく盛り」である。多くの犬がそうであるように

「母も父も知らない」「5歳友人の母上をこよなく好きな子犬である」

 

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ベトナムハノイの30年ぶりの再会と「終活」

2023-05-02 12:40:22 | ベトナム・ハノイ

 いろんな不運が重なり「日本に金策に出かけた」ついでに「旧友や母、そして兄に会ってきた」

まずは「97歳になった母、何度か会いに行ったがコロナで海外からの帰国者にはすこぶる厳しく」

今回になってしまった。つい最近まで「心臓が弱り」入院をしていたが、ちょうどタイミングよく会えた。

はたして自分を分かっていたのか? ただ「帰りたい」とだけ繰り返していた。母に会う時にはいつも

「これが最後かもしれない」と思って会っている。今回も同様だった。長生きするのはいいが、

「いろんな意味で、人間らしく、生きていられるなら?」と考える。

そして「5年ぶりくらいに兄とも会った」相変わらず「兄らしかった」、そつなく、堅実に、失敗なく「たくましく生きていた」

兄弟で、高校まで同じ学校に通ったが、「勉強では全くかなわなかった」今でも同じ感覚である。いつまでも「兄らしく生きてほしいと思った」

そして「30年以上ぶりに高校大学と親友だったT朗。変わっていなかったが、お互い「環境は変わり」

「大柄で明るかった弟さん」を亡くしていた。お互いに「大病」を患っていた。まさしく「これが最後かな?」

と思って「分かれた」 今回の日本出張は「いわば終活の一旦だったような気がする」

しかしベトナムに帰れば、「現実が待ち受けている」・・・・・「おそらく最後の力を振り絞って」

会社の再生に着手する。ベトナムで10年以上。一番大変な状況だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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