★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「三つ子の魂100まで」

2023-05-31 10:40:49 | ベトナム・ハノイ

 一念発起「アパートに併設しているジムに申し込んだ」出費は痛いが仕方ない。

有効に使うとしよう! この年齢になると「ハードな運動は体を壊す」常日頃、定期的な運動などは

ほぼ1年ほど「会社状況が悪化してからはできないでいた」が昨日久々に泳いだ

時間も無い中で1000m近くを泳いだが、泳ぎは忘れていなかった。不思議なものだ。

 水泳は小学校低学年で学び、(学んだというよりは、父の職場が川のほとりで、夏休みなどは

一日中その川で泳ぎ、魚とりや昆虫取りに興じたことが結果水への恐怖心を無くし、泳げるようになった原因だったと思う、

(自分は従兄、兄弟での一番年下で、多少怖くても彼らの遊びについていくしかなかったことが良かったのかもしれない・・・)

そして4,5,6年ではすで水泳の大会に出ていた。一応利根沼田地区では

平泳ぎのランクでは1位で県ランクでは15位だった。あの頃は200m個人メドレーは泳いだだけで

県のランクに入るような時代だった。自分も小学生ながら200m個人メドレーは

泳ぐことはできた。そして冬でも「四万温泉の温泉プールに行き、水泳合宿に参加」するような

生活だった。今の泳ぎは「あの頃のたまものなのだろう」まさしく「三つ子の魂100まで」なのだ

 その後社会人になって、たるんだ生活に活を入れるため「日本赤十字社の水泳救助員の資格を取った」

現在は海外で更新手続きをしなかったので失効してしまったが? これがあると「公共のプールは全て無料で入れたものである」

自分にとっては「水泳」とはまさに生涯付き合えるスポーツだったのだろう?

だからこの年になっても1年泳がなくても「突然1000m」が泳げるのだろうと思う。

大病を患い「手術後に泳いだ時には25mも苦しく泳げなったが?」肺が1/4無いのだから仕方がない?

しかしその後徐々に慣らしていくことで以前のようなスピードでは無理だが、ノルマにしていた

2000mも可能になったのである。

水泳は自分にとっては「体は疲れるが精神的な面を含め自分にとってはリフレッシュできる」貴重なものなのである。

これからも、年齢に応じ、「水泳と付き合っていこう」と思う。

 ベトナムでも最初の頃は夏のみ「一般のプールで閉所間際に行って2000m泳ぐような生活だった」

しかし現在はありがたいことに「プール併設のジムも数多くできて、1年じゅう泳げる」

そんなベトナムでこれからも「水泳生活」を楽しむつもりだ。

 

 

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