★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「日本出張の想いで3」

2022-07-13 10:18:01 | ベトナム・ハノイ

 2年半ぶりに「日本出張」した自分は「浦島太郎のような気分だった」

・家に近くには「民家をつぶしてできたスターバックス」ができていた。

・大好きだった「老夫婦がやっていたうまいラーメン屋はつぶれていた」

・そして、買ったはいいが、乗れていなかった「ロードスター」に乗ることができた。

(自分にはこの車しかないので、これで近在出張はもちろん最遠出張は新潟県までこの車で行ってきた・・)

・そして出張中、一番の豪華な食事は「いすゞ自動車のTEAR1メーカの社長と、新規にベトナムビジネスをするための

打ち合わせに呼ばれた時の物だ。(本当に久しぶりに、刺身、しゃぶしゃぶなどをごちそうになった。

出張中、朝昼晩とほとんど一人で食事をしていた自分には「とても豪華で美味しい食事だった」

そして「あっという間に」出張は終わり、今こうして「ベトナムハノイ」のまだ誰もいない会社のデスクで

朝一番のメールチェックを終え、ブロブを記しながら「こんなことを思い出している」

ベトナム新会社の打ち合わせ、ということを理由に友人のO氏と日本料理を堪能した。

ごちそうさまでした。

 

 

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ベトナムハノイの「日本出張の想いで」

2022-07-13 09:45:06 | ベトナム・ハノイ

 2年半ぶりに「日本出張」したが、その際、思いがけない出会いがあった。

自分の父は大正14年生まれですでに亡くなっているが、その昔「鉄道学校」を卒業し

蒸気機関車の免許を取得し「旧国鉄職員」であったそうだ、その後「親族の起業に誘われ」

最終的には「砂利砂、生コン」会社の役員として勤め上げた経歴がある。

 従って自分が小さなときには「その国鉄時代のリレーション」を使い、家族で鉄道での旅行に行ったものである。

恐らく経済的には厳しい時代だったが、父は家族を旅行に連れて行ってくれた、今残っているのはそんな鉄道旅行の記憶である。

自然と鉄道に興味がわき、「電気機関車で動輪が6つだからこれはEFだ」などと覚えていった。

 時は流れ父もなくなり、自分で家庭を持つようになった。学生時代にはHOゲージなどを少しやったが

お金がかかる趣味なので自然と忘れていった、しかし今でも鉄道の「TOUTUBE]などを時々見ている。

「例えば【スーツ君の動画などはよく見ている】」

 そしてべtナムに移住してからは、べトナムの鉄道状況などを見て、戦後直後の日本のような懐かしい気分になる。

(ベトナムでは鉄道は電化されておらず、ほぼすべてがディーゼル機関車で対応している」

 そんな中、先日久しぶりに「日本出張」し新潟県の小出駅という小さな駅のすぐ近くのビジネスホテルに

泊まった時の事、チェクインを済まし、部屋に入ってふと窓の外を見ると「そこには日本で超有名な四季島号」が

いるではないか? もちろん実車を見るのは初めてである。かの「スーツ君」のYOUTUBEで見て「すごい電車があるんだな?」

と覚えていた、その実車を見ることができた。自分の部屋が「たまたま駅ホームを眺められる部屋だったことも幸いしたようだ」

しばしその姿を鑑賞した。後にフロントで聞くと、東京を出発するこの「四季島」は、最初の停車駅がこの小出駅になるそうだ。

その後は北海道にまで足を延ばし、超デラックスな「列車旅を提供しているようだ」(料金も相当高額だった記憶だ

調べてみると1泊2日で最低金額37万円からで上はもう少し長い日程の150万円ということだった。)

うらやましい限りである。

 長話になったが、たまたま来たこの田舎の駅で「四季島号」に出会えるのは、幸運であった。

「日本出張の良い思い出になった」

新潟県小出駅に停車中の四季島

先頭車両には「豪華な白い革張りのソファーのある展望車」がある。

しばらくの間停車していたが、やがて新潟方面に出発していった。

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