penso che ・・・

サッカー愛する皆さまご機嫌いかがでしょうか? ・・・盛り上がりましょう!

矯正プログラム

2016-04-17 21:18:35 | Weblog
先生との差しのみでの会話。

もちろん、その時代に昨日先生に聞いたことなど
考えていたわけではない。

これまでを振り返り、そうだったのでは?という推測を
ぶつけてみたら・・・
やはり、そうだったということ。

中学校時代のことも、あくまでも推測なので
実際に聞いてみないことには!
というところでもある。

「ヌマン先生」が、自分のことをどう思っていたかというと

目立つ子だったらしい。
何が目立ったかというと・・・
やはり、サッカーだったらしい。

熱心だけど、人の言うことを利かない子供。
群れない子供。

ま、先生はオブラートに包んで会話してくれたけど

自分勝手
自己中心的
思いやりに欠ける
友達が少ない

ワルではないけど、問題が多い子供だったんだろう。

学年ごと(代替わり)の引き継ぎ事項だったのではないかな?

キャプテンに指名するに際して
自分の矯正というよりも、キャプテンではなかったら
自分本位で考え、行動し、チームの輪を乱してしまう
のではないだろうか?という心配が、先生方の中で
あったようだ。

敢えて、キャプテンに指名することで
自分を抑えてチームをまとめられるか?そういうことが
できるか?

そういう話を聞くと、ある意味「賭け」みたいなものだったのだな
と感じた。

先生方の役割としては
自分はサッカーが人よりも上手いと思っていたクチだったから
すぐ「天狗」になる。

その鼻をへし折るのが「ヌマン先生」の役割。
ほとんど、褒められた記憶がない!
父親にも殴られたことがないのに(アムロじゃないけど)
先生からは、3発喰らった。

とにかく「ボロクソ」にやられた。

そのあと、どういうワケか?
隣のクラスの「ミヤセン」が、墜ちるところまで墜ちた自分を
褒め言葉の連発で、盛り上げてくれた。

ミヤセンは、学年のサッカー大会での大会の総評のときも
「雅104のサッカーは大人びている」とべた褒めしてくれたっけ。

そして担任の「タナセン」は普通に普通に接してくれた。
と、いうのは自分の感想で、ヌマン先生の話では、相当、自分のことを
考えてくれていたという。

そして、今は亡き「オヤカタ」
「オヤカタ」も「ミヤセン」と同じく褒める役回りだったと思うけど
より実践的な例えをだし、褒めてくれたっけ。

ほぼほぼ、自分の推測は合っていたわけで
でも、それが自分の矯正プログラムとしり、一瞬「絶句」した。

だんだん矯正されていったのかと思うのだが
サッカーに熱心な割には、しんどい練習をサボる癖や少しでも
調子が悪いところを探しては、あっちが痛い、こっちが痛いと言って
楽な方に逃げようとすることが多々あった自分。

天狗になる習性は相変わらず。
サボろうとする弱い心もたびたび姿を現す。

そういった点は、小学校の先生からの中学校の先生への
引継事項だったのだろう。

中学に入学すると当時の顧問のマサル先生からは、3年、2年の先輩に対して
も言わないことを自分だけに厳重に言われたある動作があった。
きつい練習をしたあと、膝に手をあて息を整える動作は自分だけ
厳禁だった。

一番最初に1年のときに3年の先輩との試合に出場したのはピカ
ではなく、実は自分だった。
その時も「試合に出たことを同じ学年の連中にひけらかすな」と
釘を刺された。

自分が特別とは、思わなくなった。
なんで?とも思わなかったけど
精神的にタフになっていく自分が居た。

ただ、まだまだ自分だけで精一杯。

ダメを押したのは、マサル先生が異動となり最後の挨拶の時
サッカー部員を前にして、優しく語り掛ける先生だったが、一瞬、
間を空け

「雅104、お前がしっかりやらなきゃダメなんだからな!」と・・・
自分だけが、自身を律するような言葉を投げかけられた。
当時は、なんで?だけとしか思わなかったが・・・

肉体的にも精神的にもタフになっていったが
その仕上げが、同窓会(定例)に参加いただいたサッカー部の顧問の先生。

先生には、なぜ?自分がキャプテンだったのか?
一昨日は確認できなかったが

キャプテン候補のピカが、キャプテンじゃないのは
彼が「完璧」だったからであって、自分が不完全故の選択
だったのだろう。そのような推測が、恐らく正解と思う。

それと、マサル先生からの引き続き事項ではないかと!。


矯正プログラムによって、雅104少年は
中学校卒業の頃には、ようやく人並みの生徒になることができた。
遅ればせながらだけど・・・

昨日、感慨深げに語ってくれました。
「社会人リーグの試合にチーム事情で、キーパーをやっているお前を
グランド外から見ていると・・・
チームをまとめられるようになったんだな!」と

ただ・・・矯正プログラムは
肉体的にも精神的にも効果が出すぎて

左手首骨折
左手中指骨折
クビ痛打による意識不明で気が付けばCTスキャン
右足骨折
左側上顎骨骨折
左肩脱臼
左膝半月板損傷
左膝十字靭帯損傷

クビ痛打以外は、全部退場することなくプレーしたことを伝えたら


先生は、「おかあさんに謝ってくれ!」と
「こんなサッカーキチガイにしてしまって!」だって(笑)

そう言えば・・・
映画でも、矯正プログラムによって違う人間になった話が
あったよね。

自分の場合は、「サッカーマシン」
そう、明日から自分のことを「ジェイソン・ボーン」と
呼んでくれてもいいよ!(笑)



雅104















恩師との差しのみ(3)

2016-04-17 12:19:07 | Weblog
前日にあった台中同窓会の定例にサッカー部の恩師に
参加いただいた・・・

という話を振ったら
ヌマン先生との面識は、やはり!
あったようで

それならば!と
革新をつく話をたくさん聞きました。

付属の中学ではないけれど・・・

ある生徒に関する「申し送り」みたいなものは
あったのですか?との問いに

あった!
とのこと。

先生たちの生徒への役割分担が、あったのですか?との
問いに

「お前、そんな役割も勘づいていたの?」と
反応されつつも・・・
そういう役割があった!とのこと。

自分が、キャプテンに選ばれた理由も、聞きました。

ある意味、人としての「矯正プログラム」
小学校、中学校を通じての!

確かに、記憶から消そうとしていたかもしれませんが
ワルではないけど、扱うにはむずかしい

この話題については、のちほど!

恩師との差しのみ(1)

2016-04-17 12:02:25 | Weblog
週末先生というタイトルのログを残しましたが
昨日は、小学校の時にサッカーを教わった先生と
先生宅での「差しのみ」でした。

サッカーを教わった
「だけ」と思うことなかれ!

サッカーを通じて学んだこと。
計り知れないんです。
イアン・カズさん、リーガKさん、デメトリオ真也くんといった関西の友人。
そして、バンドビッチさんや、我がチームのメンバーをはじめてとする
関東の友人。

サッカーをやっていなかったら
めぐり合うことはなかったでしょう。

サッカーは、今の自分が成り立った、成り立つうえでの
「礎」なんです。

前振りが長くなりましたが(笑)

先生宅での「差しのみ」は
バーベキュー」!

肉だけでなく、魚介系も豊富なものでした。
「ヌマン先生」らしいバーベキューでした。




雅104