penso che ・・・

サッカー愛する皆さまご機嫌いかがでしょうか? ・・・盛り上がりましょう!

2013年の締め

2013-12-31 22:56:20 | Weblog
間もなく2013年が終わろうとしています。

昨年の大晦日のブログでは、ある覚悟を記しています。
父が「痴呆気味」の状況であったため、母と協力して
父を支えるための覚悟だったのですが・・・

その覚悟からひと月も経たずに、父が他界しました。
父を失う覚悟を決めたつもりはないので、医師から危ないとの
宣告を受けたときは、気が動転した時間帯もありました。

父が亡くなる前に母からの「泣くな!」の叱咤激励で、なんとか
乗り切ることのできたそんな1年だったような気がします。

父への供養ということで、父のことを考えない日はなかったですが
考えすぎると悲しくなるので、母の助言を素直に受け入れ平静を保てて
いたのかなとも思います。

ただ・・・
映画を鑑賞しているときに、誰かが亡くなるシーンになると
涙が止まらなくなることもしばしばありました。

1年を振り返り、家族(親戚を含めた)のありがたさ、仲間のありがたさを
強く感じることの出来る1年であったと思います。

将来設計ができていない自分が生意気な事を!と思われるかもしれませんが
「今」をどうするか?が一番大切であることも実感しました。

残された母親も、今は元気ですが年齢が年齢ですのでいつ何時ということも
あるでしょう。父親にしてやれなかったことが「後悔」となっているならば
「後悔」をしないためには、今できることを今するしかないのだなと!

満足の度合いだけなのかもしれないですが、「いつ」がわからないのであれば
「今、やる」しかない。
「今」をやらずして「将来」は無いのだなと!

父は亡くなりましたが
この事が、「父の教え」だったのかもしれません。

出来ていないことが沢山あります。
今年の流行語でしたが、私にとっては来年も「今でしょ!」なのだと思います。


ちょっと辛気臭い年度の締めとなりましたが、皆さん来年もヨロシクお願いいたします。
皆さんにとって来年が良い年でありますように!



雅104





あの日あの時(2013.07.07)

2013-12-31 21:56:14 | Weblog
嬬恋マラソンの当日、速報ではログを残していましたが
2013年のうちに、あのマラソンのことをしっかりとログに
残そうと思っていたら、最終日の今日になってしまいました。

父親が亡くなっていなかったら、ハーフにエントリーをしていなかったと
思います。
嬬恋マラソンとなるコースの難しさを理解しているからです。
正直、「きつく、辛い」ので逃げていました。

10キロの部でも最後の坂を歩かずに走りきることが出来なかった自分が
17キロを走った後に最後の上り坂に対峙できるという考えが、情けない話
まったく起こりませんでした。

しかし、今年は走らなければならないという思いが、拒否する思いを
打破しました。
逃げてばかりではダメなのだと・・・

タイムよりも歩くことなく完走する「完全完走」が目標でした。
そして、父と一緒に、父の故郷を走ると!!

当日の速報でログに残した父への一句。
あれがあの日の自分の気構えでした。
完全完走も目標ですが、
苦しくても下を向かず、常に視線は「前」を向く!

スタートして、5kmまでは下りと思っていたら
バラギ湖のほとりあたりに小高い丘を登るコースであったことは
想定外でしたが、気持ち良く乗り切ることができました。

坂を下りきり、愛妻の丘までは緩やかな起伏が続きましたが
父と対話しながら走ることで疲れを紛らすことができたと思います。

愛妻の丘を過ぎ、緩やかな勾配が続き、最初の難ポイントであったと
記憶しています。

勾配を登り切ったら、折り返し地点までの急坂。
折り返し地点が長引けば長引くほど、登り坂の距離が長くなることを
意味するので、臆病になりながら坂を下っていました。

往路と比べ、折り返してからの復路の方が楽に感じました。

写真は、約15km地点。
左手の親指は父親を意味し、一緒に走っていることをアピール
したのでしょう。

往路の愛妻の丘を通過した後に、左足裏のまめが破れて痛いはず
なのに表情は落ち着いていましたね。多分「ランニングハイ」だった
のでしょう(笑)

この後、最大の難関であるラスト3kmの「地獄の登り坂」を迎え、
過去の大会で歩いてしまった記憶が蘇ります。

「自分の甘え」を払拭すべく前を向き、ただ走ります。
最大勾配が8%の坂なので、周りからみれば歩いているような速度
かもしれませんが、走っているものからすれば、歩いている人と
走っている人の差は歴然なのです。

走ったら歩いて、また走ったら歩いてを繰り返した方が、早い人も
居るかもしれませんが、歩かずに走り続けた方が気持ちが折れていない
ので結果的には、早いということが解ったような気がします。

本当に苦しかった「地獄の坂」が残り500mに迫って、気持ちが
折れそうになったときに
昨年他界した 「今朝男伯父さん」の自分を励ます声が聞こえてきました。
そして、その後に一昨年に他界した「繁吉伯父さん」の自分の励ます声。

最後に父の自分を励ます声が聞こえてきました。

父と父の兄である伯父さん達が、見てくれているんだと思いを最後の
パワーに変えることができ、なんとか目標を達成しゴールすることが
できました。

父が亡くなってからも、常に父のことを思っていましたが
この大会を続けることで、父と父の故郷を思って走り続けたい!
続けなければならない大会であると感じました。

「完全完走」が、今年だけにならぬよう・・・



雅104

今年の最高は?

2013-12-31 17:36:36 | Weblog
昨晩の映画鑑賞が、2013年最後となりましたが
今年鑑賞した映画の中から「最高」を決めたいと思います。

今年は、あまり行けなかったですから
行こうと思っても、足が進まなかったりで、かなり観たい
映画を観損ねています。

では、今年鑑賞した映画を振り返ってみましょうか?

<1月>

96時間リベンジ
LOOPER

<2月>

アウトロー
ストロベリーナイト
PAKER
脳男
遺体 ~明日への10日間~

<3月>

Ted
ゼロ・ダーク・サーティ
プラチナ・データ
相棒 X DAY

<4月>

舟を編む
藁の盾
ライジング・ドラゴン

<5月>

アイアンマン3
L.A.ギャングストーリー
図書館戦争
モネ・ゲーム
探偵はBARにいる

<6月>

オブリビオン
二流小説家
俺はまだ本気を出していないだけ
アフター・アース

<7月>

ワイルドスピード・ユーロミッション
風立ちぬ

<8月>

ワールド・ウォーZ
ホワイトハウス・ダウン

<9月>

スタートレック イントゥザダークネス
エリジウム

<10月>

レッド・ドーン
グランド・イリュージョン

<11月>

SPEC ~結(クローズ)~漸(ゼン)ノ篇
悪の法則
RED リターンズ

<12月>

すべては君に逢えたから
ゼロ・グラビティ


私にとっての2013年度の最高映画は
やはり、「アイアンマン3」

娯楽性に長けていましたし
劇場で、私の座席の周りのお客さん達と一緒に楽しめた。
その印象が強かったですネ。


やはり「楽しい」という想いが優先されます(笑)



雅104



プレイバック同窓会(11)

2013-12-31 17:13:36 | Weblog
プレイバック同窓会の最後となります。

TETSUYAくんとKAIくんとの3ショット。

TETSUYAくんとは、小、中、高と一緒の学校ですが
同じクラスにはなったことはなく・・・

そう、トニーモーリー7の嫁さんの「アンヌ」と一緒!
なんで、同じ扱い!!(笑)

今は、愛知に住んでいるようで
出張先での飲み仲間が、また1人増えたようです。

もう1人のKAIくん。
昔、「イケメン」でしたが、今もまだ「イケメン」でした。

男前、性格が凄くイイ、頭がイイ
彼とは、オカマのようにいつも一緒に居ましたが
私に不足しているものを彼に求めていたかもしれませんネ。

またの再会を希望します。


そうそう、「希望します」とログに残しましたが
写真を掲載した皆さんとは、話しに夢中となり、連絡先を
聞いておりません。

どうするの?
ま、私らしいといえば私らしかったですかね(笑)



雅104

プレイバック同窓会(10)

2013-12-31 17:03:46 | Weblog
写真は「ナカジ」とのツーショット。

彼とは「北小」での5年間、同じクラス。
家も近所だったので、常に一緒に居た記憶があります。

中学校での「部活」が異なるだけで、こんなにも
話さなくなるのかと・・・
今となっては思うほど、会話をしなくなりました。

3次会での居酒屋では、最初に座った座席から2人とも
まったく動かず、食事もほとんど手をつけず、30年振り分の
会話をしていたような(笑)

そして、テニス部だった彼が
まさかの「フロンターレサポーター」だそうです。

「天皇杯」を一緒に観戦しよう!と
約束をしましたが、残念ながらフロンターレは敗退。

約束は、来年のJリーグに持ち越しとなりそうです。



雅104

プレイバック同窓会(9)

2013-12-31 16:50:53 | Weblog
写真は、キングス(少年野球)時代のエースとのものです。

彼が、引っ越してきた頃は、よーく喋ったものですが
少年野球団に入って、エースを張った彼とは「格」の違いを認識し
会話もできなくなってしまいました。

彼はそういう意識もなく、私が勝手に話さなくなっていただけ
だったようで・・・
それもまた、情けないのですが(苦笑)

同窓会後の、専用Facebookでの彼のコメントは心を打つものでした。
エース!やっぱりエエ男やね

って、私はFacebookやりませんが(笑)



雅104

プレイバック同窓会(8)

2013-12-31 16:44:30 | Weblog
1組の担任の「みやせん(先生)」とのツーショット。

14年前、私の仕切りでお会いして以来の再会です。
この先生が居てくれなかったら、性格が歪んだ大人になっていたでしょう(笑)

私のことを「天才サッカー少年」と囃し立ててくれました(笑)

ヘヌマ先生が、私にはガチで厳しかったですからね(笑)
小学校の時の褒め言葉、今も忘れていません。

「雅104のやるサッカーは大人なサッカー」と・・・



雅104

プレイバック同窓会(7)

2013-12-31 16:37:17 | Weblog
ダッペの横に居るのは「ヨコ」。

ちょっと老けて?
最初は誰だか解らなかったけど、昔、やさしかった男は
30年を超えて再会しても、やっぱりやさしい男でした。

ヨコには、謝らなくてはならないことが沢山あって・・・
久々の再会でしたが、話し足りなかったなぁ。

またの再会を希望したいです。



雅104

プレイバック同窓会(6)

2013-12-31 16:14:07 | Weblog
この同窓会で会いたかった人物でもあるダッペ。

中学の部活では、3年間、私のパートナーでした。
考えてみたら、ダッペとは、小学校、中学校共に同じクラスには
なったことが無かった「間柄」でした。

厳しく、辛い練習の時も常に一緒でしたので
自分がどこに、どんなボールが欲しいのかを解る選手でした。

そんなダッペと
あの試合のことを語れたことは有意義な時間でした。
そして、同じ想いでいたことも!

今は、地域コミュニティーの場を提供し、あの時の
サッカーの情熱を注いでいるようで、嬉しいかぎりです。

変わっていないけど、人としては以前に会った時よりも
数倍も大きくなっていました。

来年、ダッペのお店での再会を約束しました(笑)
あの試合のことをもっと語りたいなと・・・



雅104