月光院璋子の映画日記

気ままな映画備忘録日記です。

「太陽を盗んだ男」

2008年05月11日 | ◆タ行&ダ行

1979年製作日本映画
監督:長谷川和彦

 

当時、邦画はほとんど観なかったせいか、
沢田研二が こういう映画に出ていたとは寡聞にして知らなかった。でも、観終えて納得。

あの時代は、この映画で描かれた通りの時代だったように思えるし、そういう意味では、当時、≪時代の寵児≫だったジュリーがこうした映画に出ることはちっとも不思議じゃない。何と言っても彼はその≪時代≫を体現したスターだったから。

長髪にサングラス、アメリカ人のまねをしてガムをくちゃくちゃしながら歩く男。これが中学教師という公務員だ。すでに教師はそういう存在と化し、学校という職場を離れたらセンセーですらなく、「先生にでもなろうか」という学生が大挙して教育現場に押し寄せ、教師の権威などなくなった≪時代≫だったし。

高度成長時代を迎えて戦後は遠くなったと言われ、どこの家庭にもテレビが入り、一億総中流意識となったとされながらも、現実は、ささやかなプロ野球観戦においてすら、
放送が打ち切られるタイミングに不満を抱きながらも大人は誰一人、それを変えるために動こうとはしなかったし。
そんな小市民の大人が何を口にしようと、若者はしらけるばかりという≪時代≫だったろうし。

原爆のダミーを国会内のトイレに置いて、政府を脅迫する彼の要求が、「プロ野球のナイターのTV放映を試合の最後までTV局に放映させろ」というものだったことも、当時、若者ならず視聴者の多くが思っていたこと。我が老親も、9階裏でバッター4番2ストライク3ボールなどというところでTV中継が終るたび怒っていた。そういう記憶がある。日本人の怒りがそういう小市民的な次元のことに留まり始めた≪時代≫だったから、閉塞感を抱いた若者は多かったに違いない。

東海村からプルト二ウムを盗んで、それで原子爆弾を製造するという発想も、本音を言えば、「誰かやらないかなあ・・・」と若者は思っていたはずだ。
というのも、「唯一の被爆国」と言いながら、プルトニウムを国策として取り入れ、主語の不明瞭な「過ちはくりかえしません」という広島の原爆記念碑の言葉の偽善性に若者はしらけていた≪時代≫だったろうから。
そんな若者=原爆男のネーミングが「9番」という呼称も、原爆から連想すると「原爆を持つ9番目」の国ジャパンというアイロニーだと分かる。

それほどにタイムリー且つ「時代を体現」する若者誠(まこと)を沢田研二が熱演している。

そうした「白け世代」を代表した原爆男と対峙するのが、
警視庁捜査一課山下警部に扮する文さんこと菅原文太。(きゃ~~、と言いたい私)

背後に国家権力を背負う象徴ながら、愚直にも一般市民を守るという使命感と責任感に生きている男。その愚直さが哀れでならないのは、誠の言葉、「この町の人間なんか、とっくに死んでいるんだ」という指摘が、妙に信憑性をもってこちら側に迫ってくるからだ。
 

原爆病にかかり余命わずかの誠。
生きている証に、生きた証に、全存在をかけて戦えるような「戦い」をやりたかった誠。しらけ=虚無を打ち破るものは生を実感できる「戦い」であり、その「戦い」には納得できる大義名分と戦う相手として「ふさわしい相手」が必要になる。

映画を見ているうちに、誠がその「戦い」の相手に菅原文太扮する山下警部を選んだ理由が理解できる・・・・と思われてくる。≪時代≫から生み出された苛立ちや虚しさや空虚な人生を意味あるものにするには、意味ある人生を生きている人間の生きた熱い血を浴びるしかないからだ。

そんな二人の死闘となった映画ラストのローリング・ストーンズ来日公演の会場近くのコンクリートの上。
死闘といったが、死闘を繰り広げるのは重傷を負った山下警部一人であり、誠=沢田研二はそこから必死で逃げようとして必死で足掻く・・・

この直前にも山下警部と誠はカーチェイスを繰り広げたが、追いかけるのは山下警部だ。
テレビ局のヘリコプターが待機しているところまで走り、そこでヘリに乗って逃走するはずが、そのヘリコプターにしがみついて追いかけてきたのも山下警部。彼の人間離れしたこの執念は実に凄まじい。誠の顔は恐怖に引きつりぶざまに抵抗するけれども、そのぶざまさにおいて彼は初めて必死というものを体験する。しらけている暇などどこにもないまさに命のやり取り・・・・
このラストの屋上からの落下シーンは凄まじい。


こんな面白い日本映画があったのかと
驚愕してしまったほど。

同じ頃に「西部警察」などのアクションものがTVドラマがあったと記憶するけれど、こんな面白い映画があったのに、どうしてつまらないアクションドラマばかりだったのかと不思議なほど。 

このイッチャッテル誠の表情をご覧あれ。
美男でならしたジュリーこと沢田研二の演技に徹した顔でもある。

誠、イッチャッテルよ~~~

 

そう、山下亡き直後、原爆が入った鞄を抱きながら街を徘徊する誠の表情に見ているこちらの臓腑が踊りだしそうになった。この直後にセットされた原爆が何もかも破壊する。

 

 


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2 コメント

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私も当時この映画を観ました。 (原左都子)
2008-05-12 13:28:35
月光院様、初めてお邪魔致します。

本当に偶然、同時期にジュリーの話題だったのですね!
私の方は、ザ・タイガース初期のデビュー仕立ての頃の初々しいジュリー、そして月光院様の方は既に表現者として円熟しかけた頃のジュリーで、取り上げ方としては対照的なのですが。

実は私も当時この映画を観ています。
私も日本映画はほとんど観ない方だったのですが、オールナイト日本映画4本立ての1本としてこの映画を観たのです。すべて当時のヒット作ばかりだったのですが、後の3本は今となってはうろ覚えです。歌手のジュリーが主役?と実は一番期待していなかったこの「太陽を盗んだ男」が予想に大きく反して大変衝撃的だったため今でも鮮明に覚えています。ジュリーの役者魂に驚いたものです。
ジュリーはやはり大物ですね。

月光院様の解説を拝見して、また是非観たくなりました。何十年か経過した今観ると、当時とはまた大きく趣が異なることと思います。
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時代が生んだもの (Ms gekkouinn)
2008-05-29 13:50:03
原さま、コメントをいただいていたことに今日まで気づかずにおりました。失礼してしまいました。非礼をお許し下さいませ。

>ジュリーはやはり大物ですね。

ジュリーのファンでいらっしゃる原さまに叱られてしまいそうですが、わたくしはジュリーをそのようには思ったことはないのです。この映画、当時のジュリーというスターはまさに当時の「時代」というものが作ったのだと思われてなりませんでした。

というのも、沢田研二という役者はその後作品にめぐまれないのか代表的な映画といえるものはこの後にはないと思うからです。才能ある役者であれば、そうしたことはないだろうと。彼は、やはり歌の世界でこそジュリーなのではないかと。

以前「あの人はいま」という番組がございましたけれど、いまジュリーはどうしているのでしょう。還暦を迎えられたはずですよね。

今度もしまた映画に出演することがあれば、そのときは「時代」に作られた映画ではなく、彼の出演する映画が「時代」を作るというような、そういう映画になるといいなあと。そういう映画を期したいと思いますね。
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