月光院璋子の映画日記

気ままな映画備忘録日記です。

映画「龍が如く《劇場版》」(実写版)

2009年03月04日 | ◆ラ行

ゲーム未体験のため、本作の原作となっているゲームの内容も知らないため、本作のファンの方たちと感想とはまるで違うかもしれませんが、三池崇史監督で北村一輝主演の映画と聞けば見たくなるというもの。出演者を見たら、かつてやくざ映画の主演イメージだった哀川翔や個性派の岸谷五郎や遠藤憲一、松重豊、そして真木蔵人と高岡早紀子といった面々もそろってどんなやくざ映画になるのかと。

冒頭、東京の夜景が俯瞰されて、新宿の不夜城 たる歌舞伎町と同じ不夜城の別名の歓楽街に主人公の北村一輝が姿を現す。
10年の刑期を終えて出所したばかりのやくざの桐生です。そんな桐生が、この街で働いてきた母親との連絡が途絶えてしまった少女と出会う。



ひょんな縁から桐生は少女の行方不明となっている母親を一緒に探すことになることで、本作の物語が展開していく。
その同じ日この街で銀行強盗事件が発生。残高ゼロとなっていることも知らずに銃を持って銀行に押し入るとんまな二人組。

お金がなくて出せない支店長切れて、相方の名前を呼んで「さっさと撃ってしまえ」と叫ぶ一方と撃てずに相方の名前を叫ぶ二人の掛け合いは、まさに漫才。どういう展開となるかわからない漫才コンビなので緊張感があるのだが、どうにもおかしく笑わせられます。そんな二人の銀行強盗相手に、

哀川翔が指揮する対策班もまた、すこぶるおかしい。
ヒートアイランドと化した猛暑の中、コートを着ている刑事、警視庁4課の刑事役の松重豊もおかしいし、愛川翔扮する警視庁捜査一課の刑事の無能さも笑えます。
捜査権限を争っていたかと思えば、他所で銃撃戦が発生という知らせを受けて、松重はやくざ絡みということで事件の現場に向かう。

二人はお互いに一目置いている。古巣に戻ったその日からやくざたちから命を狙われる桐生のシリアスさが浮いていないのは、さすが三池ワールド。
桐生の服役した理由はかつて自分が入っていた組織の組長殺し。おまけにかつての抗争相手の組織のお金がその日いっせいに各銀行から消えてしまった。消えたお金も半端じゃない100億円。そこに桐生の出所とあって瞬く間にやくざの世界に情報が飛び交っていたために狙われているのですが、

まるで1970年代と2000年代が入り混じったかのような不夜城で、どこへ行っても追われる桐生ながら、ばったばったと相手を倒していくアクションは必見。

やくざ集団を蹴散らして倒したコンビ二に入ってきたカップルながら、その様子はど素人ながらまさに飛んでるカップル。彼氏の塩谷瞬は、盗んだお金を返そうというモラルがあるけれども、女の子は応じない。彼女に促されるようにして強盗をしてしまう塩谷瞬ですが、サエコの方がなぜかお金が要るらしい。けれど、その理由は彼氏には言えない理由らしい。
こうしたぶっとびカップルと歩調を合わせるかのように、同じ町で子分たちを引き連れるやくざ岸谷五郎のぶっとびぶりがエスカレートしていく様が実におかしい。

本作前半の見せ場は、この岸谷五郎と北村一輝との絡みと対決。というか、岸谷五郎の登場とキャラのぶっ飛びぶりには目が離せなかったですね。松重のひょうひょうとした言動にも笑わせられましたが、かなり不気味な刑事です。


(同じ写真でごめんなさい)

暴力団相手に仕事をしている刑事は、どっちがやくざかわからないとよく言われるけれど、官僚機構の末端で命を張っているのだから、せめて映画や漫画の世界では、より人間的な相手と肩を並べさせてあげたくなるというもので、やくざ映画ではおなじみの人間関係です。その役を松重豊が好演。
そして、こちら、

いわくありげの謎の男。桐生の弟分のホストのクラブに身を寄せている。どこかで見た顔だと思ったら、一言もしゃべらなかった男がいきなり韓国、そう、彼は韓国の俳優 (コン・ユ)ですね。日本の永田町を影で支配しているという怪物退治にソウルから派遣されたという男。この顔で金大中事件のときよりは血は流れないと語る殺し屋なので、逆に怖いですよ~。

ばらばらに見えた登場人物たちがやがてひとつにつながってくるわけですが、そこはこの情報屋のところ。レンタルDVD屋の看板の陰でこの町のあらゆる情報がここで手に入り、その地下では密売の銃も手に入る。
けれど、この画像を見ていると、まるで、裸の大将がほんわかホームドラに出演しているかのようですが、笑えるのはこの情報屋が度Mなこと。岸谷五郎にいたぶられるシーンは必見。これ、遠藤憲一がやっても面白かったかなと。

銀行強盗のとんまな二人とすでにヘルシンキ症候群となっている人質たちが、警察から高いお弁当を差し入れさせて仲良く食事をしているシーン。

やくざ組織のニューリーダーとなるべく上り詰めてきた男、その刺青だけが映されることで、じらされちゃいます。真木蔵人なんですが。。。

警視庁の4課の刑事と組織からはみ出したやくざが肩を並べて、探している女の居場所を教えるが、そこにもう一人の宿命のライバルが永田町の極悪人と手を組んで待っている。情報を龍に与えつつ龍に死ぬなと言うシーンはまさに伝統的なやくざ映画といっしょ。新興やくざ組織と手を組み広域やくざ組織の100億円を奪取した永田町の怪物を相手にこれまでひそかに戦ってきたらしい男たち。

スーツを着ていた桐生がその上着とシャツを脱いで、やっと龍の登場ですが、途中で襲われて撃たれ、同行していたはるかも連れ去られてしまう。

このドリンク剤のシーンが馬鹿にていねいに映し出されるので、いやな予感はしたんですよね、笑える予感ですが・・・
宿命のライバル第二弾的存在の男との再会で、傷を負ったまま戦うことになる龍は、ぼこぼこにやられてダウンしたときに再登場するドリンクは、まさにポパイのほうれん草の缶詰。ここのシーンは三池監督の力技。

これで、ポパイになる北村一輝。爆笑。

龍と鯉の、宿命の肉弾戦が本作後半の見せ場。

探していた女は都内の銀行から消えた100億円といっしょだった。

画像だけ見ると、シリアスドラマのヒロイン。

遠藤憲一がやるから、ここで笑えるんです。

ぶっとびカップルの二人は、じつはどこにでいる恋人同士と変わらなかった。
塩谷瞬とサエコのカップル、よかったです。

塩谷瞬は、井筒和幸監督の『パッチギ』以降、松浦雅子、井坂聡監督の『像の背中』、坂本順治監督の『カメレオン』などの映画に出てきて、今後が楽しみな若手ですね。

北村一輝のマッチョぶり、新鮮でした。
そういえば、大河ドラマ「天地人」の上杉影勝、あれ、ミスキャストですね。

 


「レボルーショナリーロード/燃え尽きるまで 」(「Revolutionary road」)

2009年02月13日 | ◆ラ行

感想は、「2月上旬の映画鑑賞」http://blog.goo.ne.jp/ms-gekkouinn/e/be8fb9cfa1efa6d62c450a0bc1f917a6に記してありますので、ここでは、映画の深読みは避けて、本作に出演している主演&他の印象的な役者さんをストーリーに準じて取り上げたいと思います。



パーティで出会い恋に落ちる二人。女は女優の卵、男は「仕事は?」と尋ねられるがはぐらかす。セールスマンか何かだが、人生において仕事に特に意義を感じていないらしい。やがて普通のサラリーマンだと分かる。ただし、1950年代のアメリカの。

場面は変わり、それから数年後。
いきなり劇場の場面。ディカプリオが花束を持って劇場にかけつける。舞台にたっているのは彼女ケイト・ウィンスレット。けれど、観客席からは、「彼女、期待したほどじゃないわね」といった声・・・・



二人は結婚し郊外にマイホームを持つ夫婦になっていた。ということは、結婚後も女優への「夢」は続いていたことが分かるけれど・・・・、公演への評価は芳しくはないことは誰よりも当事者が分かるものだ。ディカプリオは何とか褒めて彼女を喜ばそうとするが、逆効果。

楽屋を出て外に向かう二人のこのシーン、女と男に交互にライトがあたるシーン、実に演出、撮影が見事だなあと。

劇場を出てからの車の中の二人、

まるで離婚寸前の男と女かと見紛う程の雰囲気に緊張するシーンで、この夫婦の間にある苛立ちとストレスがどっと伝わってきます。



冷静になろうと努力する二人ですが、それぞれが抱いているストレスはそれぞれ別のものながら、根っこには二人のあり方への懐疑と不安と不満が苛立ちと怒りなって現れた場面。愛している相手だからこそ分かってほしいとお互いに望んでいる。愛しているからこそ話したいこと、あるいは話したくないこと話せないこともあるが、愛の形が変わればそれらもやがて変わっていく。

二人のそれぞれの表情を捉えたこの冒頭の車でのシーン、とても印象的な映像でしたね。

夫を送り出した後の女の後姿。恋に落ちてときめくままに将来は薔薇色のはずだったのが、現実は毎日、食事を用意し家の掃除をし、洗濯をし子供の世話・・・・どうして溜息が出るのか。どうして押しつぶされそうな気分になるのか。

一方、夫は毎朝駅まで車を運転し列車の乗って会社に出勤する通勤族。
会社の同僚たちも同じ。特に生きがいというわけでもない仕事を「男だから」「一家の主だから」ということで家族の生計のためにやっている。楽しみと言えば、ランチや会社のあとの仲間との一杯・・・・あるいは、出世。

通勤に1-2時間はかかっているだろう家路ながら、帰宅すれば、いまの暮らし、つまりは結婚後の「お約束の暮らし」「かくあるべきだとされる在り方」に窒息寸前で苛立っている妻が待っている。「あなただって、やりたいことがあったはず」と責め立てられる夫ディカプリオとしてはたまらない。けれど、二人は愛し合っている。話し合った末に、「結婚とはかくあるべきもの」「夫婦はかくあるべし」と迫るもの(同じような暮らしをしている隣近所の人々、そうした考え方を普通だとして受け入れている地域や時代)から脱出し、家も車を売りパリに移住する決意をする二人。そこでは、ディカプリオは家族のために働くのではなく、勉強したり自分の人生の生きがいや遣り甲斐を見つけ、妻であるケイト・ウィンスレットが高給の秘書となって家族を養うという。



隣近所にその挨拶にいく二人。話を聞かされた人たちは皆一様に驚いて笑って祝福しながらも顔をこわばらせる・・・・
計画を実行に移し始めてからの二人はラヴラヴ・・・・特に妻は生き生きとし始める。そうこうしているうちに、夫は堕胎の道具を見つけて妻に険しい顔を見せる・・・「いままでいったい何人俺の子供をトイレに流したんだ」と。「普通の母親なら、母親になった女性ならこんなことは絶対しない」と詰め寄ります。

郊外に瀟洒なマイホームを持ち、二人の可愛い盛りの子供たちにも恵まれ、男には給料のいい仕事があり専業主婦の女は美しく魅力的。傍目には何の不満もない理想の夫婦と見えている男と女ながら、二人の本音が炸裂するシーンです。「子供たちは愛している。けれど、」ここで子供を産んでしまったら、もう自分の人生を取り戻せない!「子供を持つならパリで産みたい!」と懇願する妻。



夫は会社にまだ辞表を出してはいなかった。迷いがあったから。そして妻の妊娠を契機に二人のパリ移住計画はキャンセルに。
叫ぶ妻・・・耳を塞ぐ夫。

とまあ、全編、この夫婦とその近所の夫婦の在り方を通し、個としての夢や野心や自由が結婚後の現実の中で失われていくことへの思いが、男(夫、父親、外で働く人)の、女(妻、母親、専業主婦)の、それぞれの思いを相手に届かない台詞や叫び、微妙に揺れ動く表情や激しく溢れ出る感情の表出によって、これでもかというほど畳み込んで描かれていきます。キャッチコピーそのままに「運命の二人」と言ってしまえばそれまでながら、それでは、「運命」というのは、自分か相手を破滅させないではいられないという意味になる。

ストーリーは、こちらをご覧戴くとして、
⇒http://www.r-road.jp/story.html

この映画は、サム・メンデス監督にとって”個人的に”思い入れのある作品なのでしょう。私にとっては、それ以外にコメントのしようがない内容でした。テーマ自体が1960年代-70年代かと思ってしまったほどで、いまこうした内容が身に染みる方がいらっしゃるとすれば、おそらくは団塊の世代の女性たちではないかなぁと個人的には思いました。本は、早川書房から出ています。ご参考までに。

以下、印象に残った出演者。いずれもいい味を出していたと思います。



夫を演じたディカプリオが勤める会社のボス。仕事が彼の目に留まり、いっきに引き上げられることになる。このボス役の彼が実にアメリカ的な会社重役を演じていました。ジェイ・0・サンダースJay O. Sanders)、肉がついて貫禄もついてきましたね。

二人に満足いく新居を案内して以来、行き来するようになった婦人を演じていたのは名女優キャシー・ベイツKathy Bates

彼女が演じているのは、ごく普通のアメリカの善良な家庭婦人ながら、彼女こそ当時のアメリカの「かくあるべし」というモラルや価値観を象徴する大いなる母像として、いわゆる個を圧迫する存在の象徴として登場。そこに象徴される偽善の鎧は鉄壁。

そんな「りっぱな」母親に過保護に育てられ、自立し損ねて精神を煩ってしまった「自慢の息子だった」はずの息子の成れの果てを演じているのがこちら。



マイケル・シャノンMichael Shannon )。脳に電気治療まで施され精神病院に入院していたキャシー・ベイツ演じる婦人の息子の役。彼の言葉は「狂人」のものとされるが、実は、主演の二人が隠している本音に突き刺さる言葉を吐くという役どころ。原題の感覚でいえば、まともなのは、この息子だけということになるかもしれない。どこかで観ている俳優なのだが、思い出せなかった。

そしてキャシー・ベイツ演じる婦人の夫であり、精神を煩ってしまった息子の父親役を演じたこちら・・・ラストの大写しで映し出されるこの夫に象徴される表情こそ、この映画の隠されたテーマかもしれない。リチャード・イーストン(Richard Easton)という俳優さんですが、凄い表情を見せてくれていました。

そして、忘れてならないのは、ディカプリオたち夫婦の隣に住み家族ぐるみの付き合いをしているこちらの男女。

ちゃんと主婦業をこなしアメリカの中流家庭の模範的婦人となっている妻を演じているのは、キャスリン・ハーンKathryn Hahn)という女優さんですが、二人のパリ移住計画を聞いた後、一人になったときに泣き崩れるシーン・・・・夫に何故泣くのかと聞かれて泣くしかない姿は象徴的。彼女もまた、多くのものを諦め抑圧された中で平穏に暮らす一市民であることを物語っています。

仲のよい夫婦、いつも妻をいたわりこれまたアメリカの中流家庭の夫を見事に演じていたのがこちら。

デイヴィッド・ハーバー(David Harbour)、映画『007慰めの報酬』でもちらっと出ていましたが、隣の普通の夫婦、良き夫婦の夫を演じていますが、彼が演じるこの夫も心の中に秘めた思いがありました。切なくなるほど悲しく罪深い思い。この映画をご覧になる既婚の男性には、思い当たるものがあれば辛いかもしれませんね。

この映画は原作に忠実に制作されたとのこと。原作は読んではいませんが、おそらくいろいろな読み方が可能でしょう。男性と女性では感じ方や読み方がかなり異なる一つかもしれませんが、私はこの映画は女性よりも男性のための映画、男の方により染み入るのではないかと感じますね。 ただ、後味の悪い映画なので、娯楽嗜好の方にはおススメしません。

 


「陸軍中野学校 密命」

2008年11月22日 | ◆ラ行

下書きしたままアップするのを失念していた映画です。
古い映画ですけれど、市川雷蔵ファンの一人としては、
この映画を挙げておくのもいいかなと。

主演、市川雷蔵の1966年制作の映画。
監督は増村保造。

スパイ天国と揶揄されて久しい国家としての背骨が溶解して久しい日本ですが、戦前には諜報活動をしていたなんてこともウソみたいですが、専守防衛を旨とするなら、せめて諜報や防諜、宣伝などに国家として力を入れなくていいのかと疑義の念を抱かされて久しい一人ですが、戦争に負けるまで日本も秘密戦に関する教育や訓練を目的とした部署があったのです。
それが旧日本陸軍の中野学校ですね。

日本がドイツ、イタリアと同盟関係を結んだ頃の日本の諜報部員を描いた本作が、戦後十数年経って制作されたこてゃ感慨深いものがあります。

物語は、日本から機密情報が漏れているということで、ドイツ大使から「こんなことでは同盟国として、日本とは外交機密どころか、軍事機密も共有できない!」と叱責される日本の必死の諜報活動が描かれているわけですが・・・・


(現代劇でも市川雷蔵のこの横顔には、やはりしびれちゃいますね)

機密が漏れるというのは戦前に限ったことではなくて、いまでも同じようです。国家の背骨が溶解しつつある日本ではありますが、日本人というのは、上から下まで国民の国際感覚が他国とはかなり違うのかもしれません。

上司の中佐に召集された場所が、最初の映画で靖国神社だったと記憶していますが、国家のために諜報部員としてやがて命がけで滅私奉公する市川雷蔵たち(無論、役です)がその使命に準じるべく誓いを立てる場所が靖国神社だったというのは、とても象徴的だったなあと。
本作はシリーズ化されて本編は4作目。
この映画を観ていつも思うのは、1960年代にこの映画をご覧になっていたはずの大人たちが、その後、どうして日本に情報省の設置を考えなかったのかなあということです。

さて、映画のお話。
中野学校で訓練を受けた優秀な諜報部員となった一期生たちは、その後世界各地で活躍することになるのですが、本作で活躍する市川雷蔵は椎名次郎という役。軍の上層部の計画で中国から日本に送還された彼は、密命を受けます。
元外務大臣の親英派の政治家高倉周辺から国家機密が漏れているらしいということで、彼の身辺を探りイギリスの諜報機関の人間に情報を漏らしている人間を捕まえること。

ところが、元大臣には怪しいところがない。上司には催促され、彼は、こう言っちゃいます。「この際、自分の身分を≪正直に≫元大臣に話して、彼の本心を聞こう」と。
いかに雷蔵ファンでも、これにはさすがに「あちゃ~」と思わざるを得ませんが、ここが日本人的発想なのでしょう。

ところが、身分を明かした途端、「諜報の人間なんか嫌いだー、出てけー」となる。そこで、彼は、自分の好意をよせる高倉の娘を利用することにします。「お父様のことが心配なんだ。だから、お父様に関していろいろと探って僕に教えてほしい」・・・・

国際情勢に明るい親英派の外務大臣などと聞くと、現首相の祖父の吉田茂のような人物を想像してしまいますが、

当時の日本は、それこそ開戦間際まで勝ち目の無い戦争を回避するため尽力した政治家や官僚や財界人がいたという史実に照らし合わせて考えると、政治はやはりパワーがなければダメなんだと思い知らされますね。この高倉はやがて右翼的な青年将校に暗殺されてしまいます。

各国の在外公館でのパーティで、彼は情報通の男爵未亡人の交友関係の広さと羽振りの良さに注目し、彼女から情報を得ようと接近。

まさに色仕掛けですが、この男爵未亡人えお演じているのは野際陽子。いま70歳くらいになられたと思いますが、ちっとも変わっていない!その容姿に驚かされます。

戦前に外国の要人との交際があった日本女性といえば、多くは貴族階級の女性とその子女だろうと思いますが、そんな女性の一人である彼女の、戦争への関心など超越したニヒリズムには驚かされます。 

なかなか機密を英米に漏らしている人物が特定できないまま、部下がミスを張り込み中の相手に逃げられるというミスを犯してしまう。その責任を取って≪自害せよ≫というところも、実に日本的で・・・・けれど、彼は部下の責任と覚悟を試しただけ。

まあ、こうしたメンタリティでは、日本人はとても諸外国と諜報戦で渡り合えないどころか、100年かかっても無理なんじゃないかと思ってしまいます。昔、日露戦争の頃には明石大佐のような人物もいましたが・・・・もう、敗戦根性が身に染みてしまった日本では、諜報活動の教育をする人間もいないのではないか・・・・

スリリングな展開を経てやがて、スパイを逮捕する陸軍中野学校卒業生たち・・・・・あっと驚く犯人を逮捕後、市川雷蔵は、戦争が逼迫しているため情報を得るべく大陸(中国)に渡っていきますが・・・

極め付けがここ。
彼の上司が、何と元外務大臣の葬儀の後で、
彼から預かった手紙を娘に手渡すシーン。 

諜報活動などという非人間的な仕事をしている男である市川雷蔵扮するスパイにとって、彼を慕う純情な娘というのは、
贖罪と救済の象徴的存在になる。女性側からすれば、そういう存在として祭り上げられるという感じですが・・・

大陸に渡る船上で、
彼女とは二度と会うことは無いだろうと語る雷蔵。

あ~、こんなくわえ煙草でハードボイルドを気取っても似合わない。市川雷蔵に甘ちゃん諜報部員なんかやらせないでほしかったですね。ファンとしては、彼にそんなヤワナ台詞を言わせないでもらいたかったです。(苦笑汗)

 


「Revelation」(邦題「ゴッド・クローン」)

2008年11月14日 | ◆ラ行

イエス・キリストを題材とした映画は多々あれど、その中でも特異なジャンルなのはキリスト教や聖書を題材としたオカルト映画だと個人的には位置づけています。ホラー系のオカルト映画は意外と見逃されるけれども、物議をかもすのは何といってもイエスを巡るバチカンの公式見解から外れる異端とされる流れを汲んだストーリーもの。非キリスト教圏の日本ではあまり問題視されませんが、キリスト教圏ではそうもいかないようで、ミステリー映画『ダ・ヴィンチ・コード』の映画化のときでさえ、制作関係者の広報宣伝の折には≪釈明≫とも取れるコメントが多かったことは記憶に新しい。


(しびれるほど僧衣が似合う反キリストの司教を演じるウド・キァ)

本作は、その『ダ・ヴィンチ・コード』とは比べ物にならないほど、スリリングでオカルティックで、映画としてはこちらの方が数段面白い。上映禁止となったというのも頷けます。
イエスやマグダラのマリアに関するミステリアスな解釈というより、クリスチャンにとってはヴァチカンそのものを、ある意味冒涜するストーリーになっているので、司教の暗殺といった内容を扱った『ゴッド・ファーザー』よりもリスキーです。
そういう意味でも、本作のような映画に出演する主演俳優はちょっと覚悟が要る。だからこそ、スチュアート・アーバン監督を始めとする製作関係者は、この二人を得たことをどれほど幸いと思ったか。彼らは主演俳優がどういう映画に出ている俳優かを説明しさえすれば、敬虔なキリスト教徒はそれだけで本作を糾弾することを諦めるに違いない。製作者は案外そういう計算があったのではないでしょうか。そんな感想を持ちました。なぜなら、その二人を鮮烈に記憶させた映画は、ホラーですもん。

一人は、こちら。映画ファンにはしびれるに違いない俳優の一人、ウド・キァです。


(出てきただけでぞくりとする俳優のウド・キァ)

いろいろな映画に出演していますけれど、何といっても悪魔との戦いを題材にしたオカルティック映画が束になっても歯が立たない『悪魔のはらわた』だの『残酷!女刑罰史』だの『ドイツチェーンソー大量虐殺』だのといった映画や『0嬢の物語』だのといった映画のイメージが強烈だから、映画をあまり見ないキリスト教徒の方達なら、恐らくそうした紹介だけで、「そんな映画に出ているような俳優なら影響力も少ないだろうと思うに違いない」と。

もう一人は、こちら。

(年齢を重ねぞくぞくするほど魅力的になった俳優のテレンス・スタンプ。本作では世界の名だたる研究者を一同に集めて「ロンギュスの箱」に秘められた謎の研究を指揮する富裕な貴族として登場)

同じく、映画が好きな方達にとっては忘れることが出来ない俳優の一人に違いないテレンス・スタンプ。言うまでもなく、こちらは、あの『コレクター』で鮮烈な印象を永久に映画史に留めた俳優。

けれど、ヴァチカン崇拝者にとっては本作は「けしからん」となったのでしょう。凶弾でよく死ななかったと改めて思います。

こうした二人が「ロキュラスの箱」という謎の箱を巡って死闘を繰り広げるのですから、わくわくしないでいられる方がおかしい。ロキュロスの箱というのは、2008年前に磔刑で死んだイエスの、その十字架で作った箱。


(十字架上のイエスのわき腹を刺しぬくよう兵士に命じた百人隊長の役を演じ、その数十年後のキリスト教徒弾圧の指揮官をも演じ、以後の歴史において科学を奉じる反キリスト者の代表として秘密結社の総裁というポジションの人物を演じていきます)

その箱を巡ってキリスト教徒と彼らを弾圧する側(時の為政者や権力者サイド)との死闘が歴史の暗闇で続けられてきた・・・・ということで、本作は冒頭、イエスの磔刑の場面から始まり、その数十年後のキリスト者への弾圧、そしてアイザック・ニュートンの時代と現代(近未来ということならSF映画になる)に至るまでの、実に壮大な時間が流れるので、それも魅力の一つでしょうか。


(古代の暗号を解き目的の場所にたどり着いた主人公たち)

暗号解読が趣味でEUの政府機関のセキュリティを破って侵入するハッカーである青年と西洋占星術と錬金術が専門の女性。ある組織からの襲撃で生き残ったこの二人が、その謎を解くべく行動するというアドヴェンチャー映画でもあります。


(暗号解読が専門の青年役ジェイムズ・ダーシーと錬金術師の役のナターシャ・ワイトマン)

これが本作のいわゆる主人公の二人になりますが、この二人が生き残ったのにも神の意思があると思わせる内容になっているので、その謎解きもまたなかなか唸らせるようなものになっていました。
錬金術が専門の女性を演じた女優は、ナターシャ・ワイトマン。


(ナターシャ・ワイトマン)

そして、ネットのハッキング犯罪で服役し出所したばかりの青年で、テレンス・スタンプの遺志を継ぐ息子役を演じていたのがこちら。
似た様な映画に出ていた顔だなあと思ったら、映画『エクソシスト ビギニング』で神父をやっていた若手俳優ですね。

このジェイムズ・ダーシーというイギリスの俳優、意外とこの先、化けるかもしれない若手(1975年生まれなので33歳)かなと。要チェックですね。

他にも、おやっと思った俳優が何人か出ていました。
彼らを助ける神父で元軍人という男を、ヒースコート・ウィリアムズという俳優が演じていますが、この人、デレク・ジャーマン監督の『テンペスト』にも出ていて、思いがけない映画で結構見かけます。他にもディラン・メグルブリアンというなかなか味わいのある俳優が弾圧される初期キリスト教信者の役で出ていたように思いましたが、この人、ピアース・ブロスナンの007でも司祭役で出ていて、意外とそっち系御用達の俳優なのかなあと勝手に想像したりしています。

本作は、邦題では「ゴッド・クローン」という映画になっているので、ラストまで見たときに初めてその意味が分かる原題の「Revelation」のタイトルのままの方がいいと思われましたが、邦題を考える人にはそういったことを是非熟考していただきたいものです。

ただ、英語で「Revelation 、movie」で検索すると、この映画に関する情報はほとんど得られません。さすがに上映禁止となったといういわくつきの映画のせいでしょうか。
Terence Stamp と Udo Kier で検索してやっと、この映画の情報を若干得ることができたという次第でした。

本作は、テレンス・スタンプやウド・キァという俳優に興味をお持ちの方は無論、ミステリーが好きな方、ホラーサスペンス、スリラーなどがお好きな方、そしてキリスト教のオカルトや占星術に興味がある方なら間違いなく楽しめる映画だと思います。だからといって、そちら方面の知識がなければ楽しめないかというとそんなことはなく、キリスト教の異端やオカルトの知識などなくてもOK。そこは『ダ・ヴィンチ・コード』と同様で、≪それでも楽しめる≫のではなく、≪だからこそ愉しめる≫、そういう作りの映画になっています。
なので、おススメの1本ですね。

 

 


「ランボー 怒りの脱出」

2008年10月22日 | ◆ラ行
●「ランボー 怒りの脱出」(1985年 監督ジョージ・P・コスマトス)

妙に懐かしくなり、観始めた次第でしたが・・・・・・、
アクション映画の醍醐味は、平和を志向する日本的な社民主義や民主党的市民主義的な目から見たら、理解できないものかもしれないと思わされる映画かもしれないと改めて思いました。

無論、この映画を「戦争映画」だと思うことも可能だし、「反戦映画」として観ようと思えば観られないこともないけれど、素直にアクション映画だと思って観る方が、ラストのランボーと大佐の会話も光ってくるのではないかと思います。

兵士の命を捨石として言い放ち、それがかっこいいことだと勘違いしているような驕慢で官僚的な上司の存在=国家が持つ非常さや軍隊組織の融通のなさの象徴とするなら、戦いをゲーム感覚で捉え、現場に行かずに机上で作戦を指揮するダメ上司に対し怒りと憎悪を燃え立たせるランボーと、その思いが祖国アメリカに対する憎しみになっても止むを得ないと思う大佐との会話。



「国家を憎むか」
「(憎む?とんでもない!という表情で)国に対しては命だって捧げる!ただ、その思いに対して、国家が報いてくれることを願っているだけだ」というラストの会話です。


それにしても、
ヘリコプターの一騎打ちの場面は、今観ても巧いですね。
この場面に至っての緊張感、どきどき感、その瞬間を観客はランボーと共有する(させられる)わけですが、そうして初めて彼が一瞬に勝負を賭けられるプロの戦士であるということを、どんなに鈍い人でも理解させられるだろうと思えるシーンです。
無論、そのシーンの前に、

この超有名な場面を私たちは観ているわけですが、
今観ても、実に心躍るほど、キマッテイル。
アクションエンターテイメントとして、こういう「キマッタ!」
というシーンを持った映画は、やはり観客を魅了しますね。

http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD9584/

ランボーの肉体、すなわち30代終わりのシルヴェスター・スタローンの体が若々しく、これほどまでに引き締まっていたことに目を見張りました。映画『トロイ』のブラピも40歳になって頑張って魅せてくれた肉体美、筋肉美でしたけれど、当時のスタローンの方がもっともっと引き締まっていたぞ、と感服。

ところで、
ランボーと言えば、このトラウトマン大佐ですが、



リチャード・クレンナって、ミスキャストじゃないかなァと、
毎回思うわたくしです。

 


「ザ リング 2」

2008年10月17日 | ◆ラ行

●「ザ リング 2」(2005年 アメリカ映画 中田秀夫監督)



まともに見るのはこれが初めてじゃないかと思います。記憶が曖昧なのですが、以前は予告編だけを観たのか、あるいは何本も連続して映画を観ていたときに途中で寝ちゃった映画なのか。
どうもところどころ観た様な記憶があり、もしかすると、日本版の映画の方を観ているせいかもしれませんが、このハリウッドのリメイク版、これがホラー映画として評判になったことが不思議でならない私。ちっともホラー映画に見えないのですよね。

でも、こちらのぼうや、



子役のデイヴィッド・ドーフマンの顔と表情はなかなかでした。
主役の女優ナオミ・ワッツを食っちゃっていましたものね。
ホラー映画専門の子役という印象が強いデイヴィッド・ドーフマンですが、将来どんな俳優になるのか、実は秘かに楽しみにしている私。将来きっちり演技を学んで、ホラー映画でもいいけれど、あっと驚くような作品で活躍してくれる俳優になってほしいと。そんなふうに成長してもらいたいと期待しているのです。



そして、もう一人、娘を殺害した後に精神病院に収容されている母親を演じているこの右側の女優、誰だかわかりますか?
中谷美紀に似てるなァと思って見入ってしまったのですが・・・どこかで見た顔だと思ったら、シシー・スペイセクという女優です。びっくりしちゃいました。前髪を長く垂らしていて顔がはっきりと映らないので、ちょっとわかりにくいけれど、そう、あのホラー映画『キャリー』の彼女です。
シシー・スペイセクは、ホラー映画で鮮烈なデビューをした女優でしたけれど、映画『歌え、ロレッタ。愛のために』でアカデミー賞を受賞したときには個性派女優としての地位を不動のものにたかのように思われましたが・・・・、美人女優やセクシャルな女優が役を奪い合っているハリウッドでは、以後はちょっと変わった映画に脇役で出演しているという印象ながら、その存在感は独特。

この『ザ リング2』のときは50代半ばのはずですが、役柄とはいえちっともそうは見えなかったところが、さすがですね。こちらも、作品にめぐまれたなら、もう一花咲かせられる女優だと期待している私です。

 

内容は映画『リング』(邦画)の続編。そのハリウッドリメイク版ですので、日本でも中学生から大人まで、もう多くの方がご存知でしょうけれど・・・

★ご参考までに。
http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD6982/

 



「リアル鬼ごっこ」

2008年07月19日 | ◆ラ行


(主役の佐藤翼を演じている石田拓也、とにかく走るシーンが多くて、若者はこうでなくっちゃ!と気持ちが良かったですね。)

いつだったか、娘が学校で「今日、大爆笑だったんだよ」と言って話していた「リアル鬼ごっこ」という小説、当時学校で毎日クラスメイトが読書紹介する時間があり、そこで娘の友達がこの小説を上げたとき、担任の先生が「それはどんな小説なのか」と聞き、彼女は「全国の佐藤さんと姓の人が皆殺されていくんです」と説明したら、クラス中が大爆笑し、先生が絶句されたのだということだった。先生の姓が佐藤だったから。

服役中の人間がハンター(オニ)となって、佐藤という姓の人間を捕まえるのだが、このお面と黒合羽みたいなコスチュームには爆笑。

そのオニも夕方になって防災チャイムのようなものが鳴るとタイムアップ。「今日の鬼ごっこは終わりです」となるので、また爆笑。

ということで、山田悠介の小説を映画化したのがこの映画「リアル鬼ごっこ」だが、低予算でもこれだけ面白い映画が作れるという見本みたいなティーンエイジャー向けの映画ながら、娘といっしょに見て大いに笑ってしまった。柄本明がおかしくて・・・・

(←松本莉緒)

松本莉緒が出てきたとき、「あら、お蝶夫人だわ。テニスをやめてニュースキャスターになったのね」と言ったら、娘も爆笑。
主役の佐藤翼役の石田拓也は、将来の竹内力みたいで、
  ↓

その親友役の佐藤洋(ひろし)役の大東俊介もまた、映画「あずみ」のパート3に出てきそうな子で・・・・

(←大東俊介)

小栗旬に人気が集まったのなら、この子もいずれブレイクするだろうと。(笑)

内容は、異次元空間との往来を体験する主人公をはじめ、それぞれの訳アリの子供たち(母親を小さいときに亡くし父親がアルコール依存になっている兄妹、他人とコミュニケーションがとれずにずっと入院している子供、両親を事故で亡くした少年、性同一障害で同性愛の少年、やくざのチンピラに手下として使われる街を徘徊している少年たちなど・・・・・)が登場しているのですが・・・、それぞれぶっちぎれているように見えながら、愛する家族や友人のために自分を犠牲に出来る人間の崇高さというものへの感覚や感性を失っていない彼らと、自分の事しか考えない保身が全てという大人たちが対比されていて、ティーンエイジャーよりも大人たちに見せた方がいいような映画です。

それにしても、笑えました。
原作はこちらです。(クリックしてもリンク先はありません)
  ↓
リアル鬼ごっこ:  幻冬舎文庫

★公式サイト⇒http://www.onigocco.net/


ショーン・コネリーのSF「リーグ オブ レジェンド 時空を超えた戦い」

2008年07月15日 | ◆ラ行

滞在している老親と見る羽目になってしまった映画。日本語吹き替え版なので、吹き替えは若山弦蔵。ショーン・コネリートとほぼ同世代のショーン・コネリー専属の声優なれど、その落ち着いた風格のあるバリトン風の低い美声は、映画によってはイマイチ似合わないので、個人的に吹き替え版の映画というのはどうも苦手。いかにつまらない映画でもショーン・コネリーのファンとしてはあの英語が聞かれるだけでOKだったりする。
老親のためなら仕方がないということで2003年制作のアメリカ映画、スティーヴン・ノリントンという監督、ショーン・コネリー主演のSF「リーグ オブ レジェンド 時空を超えた戦い」というつまらない映画を日曜日のゴールデンタイムというのに観てしまった次第。つまらない映画なれど、家族でお茶しながらキッチンに立ったりしてテキトーに見る分には、こういうのも悪くないかもしれない。
そこで、このブログに取り上げるべく、見所をチェックしてみました。余談ながら、ショーン・コネリーって、結構SF映画にも出ているんですよね。

この映画では西欧の子供たちにとってはお馴染みの小説の登場人物たちが集合して悪と戦うという単純なストーリー。
その悪と戦うためにメンバーを召集するのがMというので笑えてしまう。


(Mを演じているのはリチャード・ロクスバーグという俳優で、ここでもう、あ、彼が演じているならMは悪役に違いないと思ってしまうところが何とも・・・・)

というのも、ショーン・コネリーの「007」が所属するイギリス諜報機関がMI6で、007の上司もMと呼ばれる人物だから。実際の組織は、日英同盟の頃に遡る歴史のある首相直属の軍の諜報機関で、冷戦時代はイギリス情報局秘密情報部として暗躍し機関名はSIS。政府機関としては外務省の特務機関(らしい)が、良く分からないところがいかにも諜報機関です。

さて、時は19世紀後半。
イギリスが大英帝国として栄えていた頃の話。

こういう屋敷は、いかにも大英帝国当時のイギリスの邸宅というインテリアですが、ここにMという男から呼ばれて集まるのが、



一人目は、ショーン・コネリー演じる冒険家アラン・クォーターメイン。まるでインディ・ジョーンズのような格好で、映画でもインディ・ジョーンズのパパとして登場しているので、笑ってしまいますが、アラン・クォーターメインってどこかで聞いた名前だと思ったら、冒険小説『ソロモン王の洞窟』の主人公。彼は射撃の名手としての腕を買われて呼ばれたらしい。当時のイギリスが世界各地に持っていた植民地の一つ、アフリカでの冒険から呼び戻されたという設定。

そして、お次は、以下の画像をご覧になればお分かりのように、小説の中の人物、透明人間。ハーバート・ジョージ・ウェルズの小説で一躍世界中を虜にした透明人間ですが、

その小説『透明人間』との関わりなのか、お次も、『宝島』などの冒険小説を書いたロバート・ルイス・スティーヴンソンの小説『ジキル博士とハイド氏』から、何とジキル博士。



ジェイソン・フレミングという俳優がジキルを繊細で臆病な紳士として演じる一方で、パワー全開の巨人としてハイドを演じてユニークでしたが、ハイドの方はもう超人ハルクか!?というほど酷似していて、映画『ハルク』にはショーン・コネリーの娘のジェニファー・コネリーが出ていたので、(←【注】二人は親子というのは、私の勘違いでした)特殊メイクやVFXの担当者が同じなのではないかと。こちら(↓)の巨人がジキル博士が変身したときのハイド。

既視感があるのが残念ですね。きっと同じスタッフだわ!と一人で思っていたものです。お次は誰かと思えば、ヴァンパイア。ミナ・ハーカーという役柄で、これも小説『吸血鬼ドラキュラ』の登場人物。この怪奇小説の作者は、ブラム・ストーカーですが、面白いのは、Mに召集されたメンバーとしてドリアン・グレイが登場すること。
小説『ドリアン・グレイの肖像』を書いたオスカー・ワイルドと彼は、同郷で浅からぬご縁。

この女吸血鬼を演じている女優、どこかで見た顔だと思えども、思い出せなかったのでチェックしてみたら、「バ二シング・ポイント」「ペンタゴン・クライシス 米国防総省の陰謀」というB級映画に出ていました。彼女はオーストラリア出身なので、大英帝国繋がり・・・凝っていますよね。思わず苦笑。

(ミナ・ハーカー役のペータ・ウィルソン。ショーン・コネリーがクリストファー・ランバートと共演した大好きな映画『ハイランダー』だが、そのテレビシリーズが作られたときに出演しているらしいので、そのご縁でショーン・コネリー主演のこの映画に抜擢されたのか。ロック系音楽の映画に出演しているので、その関係かなあといろいろと想像)



そして、この斜に構えたニヒルな美青年こそ、まさにドリアン・グレイそのままといったイメージですね。ちょっと見にはジョニー・デップであるけれど、彼のように崩れた野性味のないこの俳優、スチュアート・タウンゼントという俳優です。彼もまたダブリン出身のアイルランド人俳優で、この映画、イギリス、アイルランド、スコットランドと勢ぞろい。

面白いのは、このドリアン・グレイと女吸血鬼ミナ・ハーカーをかつて恋人同士だったという関係にしていること。何だか、現実(と言っても、小説の中でのイメージですけれど)と想像が入り混じる仮想空間におけるSFというのが見所でしょうか。

そうして、インド人もびっくりの彼。アラブ人かと思ってしまったけれど、ネモ船長でノーチラス号の船長という設定!


(ナセールディン・シャー)

ネモ船長と言ったら『海底2万マイル』の潜水艦の艦長。もちろん、これも小説の中の人物。空想科学称小説の始祖と称されるジュール・ヴェルヌのSF小説だが、私などネモ艦長というと、ジェイムス・メイスンも演じていたなあと思い出してしまうけれど、小説の続編ではネモ艦長はインド人ということになったらしいので、だから、この映画ではインド人なのだろう。かなりそうしたディテールに細かそうな映画だと、こんなところでも感じる次第。このナセールディン・シャーという俳優、なかなかいい感じなのでチェックしてみたら、



この「モンスーン・ウェディング」というインド映画に出ているので、見てみようかなと思いました。

ところで、この映画で笑えるのは、ここにトム・ソーヤーが出てくること。言わずとしれたマーク・トウェインの『トム・ソーヤーの冒険』の主人公ですが、アメリカの諜報部員というのは無理があるなあと。というか、この映画では、大英帝国の雰囲気だけで締めくくった方が良かったのにと個人的には思いますね。
設定が19世紀後半となっているので、その当時にすでに広く知られた存在になっている架空の人物たちが選ばれていて、単に世界的に有名な小説の主人公や登場人物というのではなく、怪奇小説や冒険小説、SF小説の中からの大集合になっているところは頷けるし、インドやオーストラリアという大英帝国の植民地だったところの出身俳優の起用とか、凝っているなあと思わせるところで止めておいてほしかったですね。

ということで、この映画、以前にも見ているのですけれど、娘に「これ、映画館で見たよね」と指摘されるまで、まさか映画館に観に出かけた映画だったとは・・・そんなこともすっかり忘れていたくいらいなので、内容もどんなだったか忘れていましたが、途中からピアース・ブロスナンの「007」シリーズ、北朝鮮が敵役となる「ダイ・アナザー・デイ」に出てきたような氷の要塞が出てくるので、スタッフは遊び心満載のつもりなのかもしれませんが、ちょっと興ざめしてしまいました。

 

 


「ランダム ハーツ」----(2)

2008年06月24日 | ◆ラ行

こちらの(2)では、映画「ランダムハート」のストーリーの中で演じられたクリスティン・スコット・トーマスの演技、その表情を中心に見ていきたいと思います。ハリソン・フォードも熱演でしたが、彼女に比べたら、まだまだ大根役者だと思えましたものね。

出張に行くと言って出かけた妻の乗った飛行機が墜落したかもしれない・・・・不安におののくハリソン・フォードの表情、熱演でした。妻が乗ったと思われる搭乗者名簿に妻の名前がない。代わりに知らない男の妻として乗っていた・・・・・というシチュエーションは、映画的設定というだけでここでは問題ではない。
衝撃を受けて狼狽する愛妻家のハリソン・フォードは、やがてその男の妻が政治家と知り真実を知りたくて訪ねていきます。それが、冒頭の画像ですが、

夫が知らない女性と夫婦として搭乗しいっしょに死んだ。あまりのことにピンと来ない妻。それに政治家というレアな仕事にとって最大の選挙が目前で超多忙・・・・思わず「それどころじゃない」と言いたくなるはず。そんなときにその相手の女性の夫と名乗る男が訪ねてくる。政治家ならずともいったいどういう顔をすればいいのか。
そのときのクリスティン・スコット・トーマスの表情をご覧アレ。

とぼけているわけじゃない。選挙という現実に追われながら、実はもう一つの現実、「夫が他の知らない女性と夫婦として搭乗した飛行機で墜落して死んだ」という現実と向き合うゆとりもなく、自分のこころと向き合っていないがゆえの予防線バリバリの顔だ。 

けれど、妻としてそれで何とか体裁を保っても、
母親としてはそうはいかない。



娘から「パパは浮気してたの?その女の人を愛してたの?」なんて聞かれて答えられる母親がいるだろうか。自分のこころと向き合っていない状態で。



政治家としてスキャンダルが漏れる事を恐れ、そのことで娘が傷つくことを恐れ、良妻賢母として愛するものを守ってきたつもりだったのに、娘の問いに言葉を失う

あまりのことに思考停止・・・・・
けれど、こんな状況下で、先に娘にこんな顔をされて
動揺しない母親がいるだろうか。



大好きな尊敬する頼もしい父親の突然の死・・・それだけでもダメージが大きいのに、その父親が他の女性といっしょだったと知ったとき、世界がぐらりとゆがむほどの衝撃をこころに受けたに違いない。娘が傷ついて平気でいられる母親などいない。
葬儀でも涙が出なかった彼女が、部屋に閉じこもってしまった娘の傷心を前にして、ここで初めて心がはじける。

やがて涙も乾くが、けれど、
何をどう考え受け止めればいいのか。
なんていったって思考停止状態なのだから。

彼女は、ハリソン・フォードに電話する・・・・

妻が他の男と不倫していたことが分かっても、
その現実を受け入れられない夫と、
自分を愛し支えていてくれていたはずの夫が他の女性を愛していたかもしれないという現実を前にして思考停止したままの妻、

二人は、ただただいっしょにいて、
虚ろな暗闇に視線を投げかけるだけだった。
いくら聞きたくても答えは、返ってこない。
相手は、もうこの世にいないのだから・・・・

けれど、その現実を現実として認めて受け入れるには、
自分の知らない(知らなかった)妻を知らなければならない。
動き出したのは、男の方だった。

妻の職場の同僚たちや上司に妻の事を聞き、妻の友人たちに妻の本音を、彼女たちの語る話(離婚、不倫、浮気などの体験)を聞かされていく男・・・・それでも妻に限って、という思いが夫を混乱させ苦しめる。そう、彼は妻を愛していたから苦しいのだ。
男は、女に語る。「ぼくは、それでも、妻を愛していた」

その男の真実に撃たれる女・・・・
クリスティン・スコット・トーマスのこのときの表情も、
実に秀悦です。

やがて、真相を、亡き妻と見知らぬ男との関係を探るべく、妻が出張で出かけていた先のホテルやそこでの妻の様子を自ら調査しようとします。刑事ですもんね・・・
そんなハリソン・フォードの後を追うように彼女も飛行機に飛び乗り夫の旅先に出かけていきます。

けれど、妻には男関係の影が浮かんでは来ないことに疑心暗鬼になっていく男と、夫には自分の知らない一面があったことを悟る女。

いつしか二人は同じ立場にいる男と女としてお互いに引かれるものを感じあっていく・・・・
選挙の資金集めのパーティ。主役は支持者からの協力支援に謝意を表し挨拶回りで忙しい。そこへ思いがけず姿を見せたハリソン・フォードは彼女に近寄ってきて「選挙のカンパもしたよ。選挙に勝て」と励まします。 

どうです。そのときのこの彼女の表情・・・・
最初の予防線バリバリのときの表情と見比べてみて欲しいですね。 

けれど、二人は故人のキーの中に見知らぬキーがあることを発見します。 これは、亡くなった二人の「愛の巣」の部屋の鍵・・・・ではないのかと男は妻のこれまでの自分との生活は何だったのかと信じられない思いにのた打ち回ることになる。
映画では、男のその思いが犯人追跡の異様な執念に向けられ、犯人への憎悪となって爆発し、相棒への信頼が不信感に切り替わっていく中で高まっていくわけですが・・・

 

やがて、ハリソン・フォードは妻と男の愛の巣だったアパートにたどり着きますが、そこには部屋を黙々と片付けているクリスティン・スコット・トーマスがいた・・・・

そこにあった電話の留守録には、
飛行機墜落のあった朝の二人の通話でのやりとりが残されていた。まぎれもなくそれは懐かしい妻の声・・・けれど、その内容は男にとっては残酷極まりないものだった。
妻と男が取り交わした会話に衝撃を受けアパートを出たハリソン・フォードだったが、その姿を冷徹な眼で捉えている男がいた。

ずっと追跡してきた例の殺人犯だった。
サスペンスなのでこのくらいにして、

ハリソン・フォードの妻と自分の夫が不倫関係にあったことをマスコミに嗅ぎつかれ部屋を出たところでいきなり記者団に囲まれるクリスティン・スコット・トーマス、フラッシュを浴びせられ、あまつさえ自分とハリソン・フォード扮する刑事との関係を下賎な関心で問われたときのクリスティン・スコット・トーマスの表情こそが、この映画のクライマックスと言えるのではないかと思います。
 

彼女のこのときの表情が、実に素晴らしい・・・・・。
「間」を演じることのできる数少ない女優だと感心させられます。

メリー・ストリープのような女優も素晴らしい役者ではあるけれど、メリル・ストリープのように台詞と身体演技がリンクして初めて味わい深さが出てくる女優と違って、クリスティン・スコット・トーマスのこの静止したまま陰影のある表情だけで演じて魅せてくれる味わい深さはどうでしょう・・・・たまらないですね。
やはり私は、こちらの方が好きです。

ということで、
映画のストーリーのご紹介ではありませんでしたが、
それをお知りになりたい方は、ネットでご検索くださいね。

★ご参考までに⇒http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD31804/