月光院璋子の映画日記

気ままな映画備忘録日記です。

デニス・へイスバート

2008年06月30日 | ★俳優&他人の空似

思い出したので書いておきます。
このブログで取り合げた映画「ランダムハート」と「ヒート」に出ていた黒人俳優の名前、デニス・へイスバートでした。

この写真は風格が出ていますが、
前述の映画のときは、もうちょっと痩せていて、
デンゼル・ワシントンの原理主義的な頑迷さをもつ繊細なキャラと違って、清濁併せ呑めるような不気味さがありました。
年齢と共にそうしたキャラがどういうふうに変わっていくか、
それを俳優や女優を通して眺めていけるというのは、
映画ファンならではの楽しみかもしれませんね。

 

 

 

 


☆6月下旬の映画三昧リスト

2008年06月29日 | ■2008年 6月の映画鑑賞

は今回初めて観た映画。
は以前も観ている映画。

6月も後半に入りました。PCの映画の画像の整理が追いつかず、なかなかブログを新規更新できないでいますが、せめて観終えた映画のタイトルだけでもアップしていこうと思います。

【6月後半に観た映画】

★「ヒトラーの贋札」---後日別立てでアップします。
●「隠し砦の三悪人」(旧作)---新作も見ることにしました。
★「チャーリー・ウィルソンズ・ウォ」---別立てでアップします。
★「ストリート・キング」---後日別立てでアップします。

★「トロイの秘宝を追え:ホメロスの黄金伝説
★「トロイの秘宝を追え:ヒッサリクの奇跡」 ---この2本、前編後編になっていて、あのシュリーマンの物語。高校時代、世界史の授業で必読書として勧められて読んだ本「古代への情熱」を思わず思い出してしまいました。そう、シュリーマンのトロイの遺跡発見までの苦難を描いた映画です。シュリーマンを演じている俳優は、ハイノ・フェルヒという俳優ですが、どこかで見た顔だなあ・・・と。ヒロインのマルタ・ジョアンナ・クラシンスキーという女優も若い頃のキャサリン・ターナーに似ていて馴染みのあるお顔でしたが、今後楽しみな女優です。

★「ルート666」---B級映画の常連俳優たちが出揃っていますが、発想がとにかく面白い。舗装された道路から離れられず、人間の血で活力を取り戻すゾンビたちが出没するルート666という発想が面白かったのですが、出演者が悪いわけではないにせよ、何とも迫力不足で、唯一存在感があったのはそのルート666の所轄の保安官役の俳優でした。

★「エネミーゾーン 沈黙の作戦」----一般人を狙い打ちにした敵の戦闘機の攻撃を受ける駅でのシーン、迫真の演出。敵がどことは言わないけれど、中東における戦闘をアラブ側から描いている点で、イスラエル&アメリカということになるのだろうと思ってみていたら、イランイラク戦争を扱った戦争映画でした。以前観たイラン映画でもなかなか考えさせられるものがあり、イラン映画には関心はあるのですが、俳優の顔が皆同じ顔に見えてしまう。そのくら見慣れていないということなのでしょう。監督はアーマド・レザ・ダルビッシュ。

★「非情の罠」----1955年のアメリカ映画。昔の映画は映像的にこういう掘り出し物があるからやめられない。かなり乱暴な(単純な)展開のストーリーなのに思わずドキドキして見てしまうのは、カメラワークでのアングルや、今となっては郷愁の感のある懐かしい陰影あるフィルム・ノワール的な映像とか、ダンスホールで働く女性を演じた女優の貧相さとか、ボクシングの試合のシーンはまるで、若い頃のデ・ニーロのボクシング映画みたいでとても興味深く、殺人が絡んだ場面での陰影ある白黒映像はまさに映画的・・・と思って見ていたら、監督がスタンリー・キューブリックだった。
ラストの裸のマネキン置き場で殺しあう二人の男(フランク・シルヴェラとジェイミー・スミスという往年の俳優)の格闘シーン、マネキンを持って殺しあうところ、こういう発想いまの映画にも欲しいところです。

●「ホワット ライズ ビニーズ----ブログで別立てでアップしました。
★ 「LEATHAL -----あまりのB級ぶりに笑えました。このアクション女優のへザー・マリー・マースデン、B級アクション映画で結構活躍しています。B級映画ファンの方達はご存知でしょうが、こういうお顔です。⇒http://www.heathermariemarsden.com/film/film.html

●「Don't Say A Word」---マイケル・ダグラスの映画は久々ということで観始めました。いきなりショーン・ビーンが銀行強盗役でドアップで出てきたので、わお~とわくわく感が増しましたが、マイケル・ダグラスとどう絡むのかと興味深く思っていたら(何と言っても初めて見る映画だと思っていたので)、何となくちょっと昔の映画かなあ・・・・と感じ始めつつも、ファムケ・ジャンセンが脚を骨折してベッドで寝たきりのシーンを見ても気づかず、精神病棟にいるブリタニー・マーフィが出てきた時点でやっと、ああ、あれかと以前観た映画であることを思い出した。クライムサスペンスとしてとてもよく出来ている映画なので、未見の方にはおススメです。
http://www.imdb.com/title/tt0260866/

●「The Eyes」---オカルトサスペンスというべきか。角膜移植を受けた主人公の眼に次ぎから次と不思議なものが見えるようになり、死者の霊がフラッシュバックのように襲う。彼女は術後のカウンセリングにあたっている医師とその原因を究明するため角膜の提供者がいたメキシコへと旅立つ・・・まあ、細胞の記憶のがキーなのだけど、意外と共感できるから不思議。B級としてはおもしろい。

★「One missed call」---携帯電話スリラー。児童虐待で死んだ女の子の怨念が携帯電話を介して次々と殺人を行っていくというホラー。こういう映画、多いですね~いい加減にネタ切れの話だと思うのだけれど、オチを変えればまだ続けられると思っているのだろうか。

★「Mother of Tears」---キリスト教とオカルトの相性の良さに関心するB級オカルトスプラッター映画。冒頭ローマ古代史美術館が舞台となるので美術愛好家ならば期待してわくわくしてしまうけれど、この手の映画は往々にしてストーリーはあってないに等しく、この映画もその類。尻切れトンボとも言えますね。出ている俳優も女優もB級ではお馴染みの面々。
この映画はイタリアのアパートのインテリアを楽しむために観た方がいいかも。ただ黒魔術のしもべたちがローマに集結する中に凄い化粧をした北東アジア系の女性たちが出てきて、韓国人かな~と思っているといきなり日本語が出てきて笑えました。が、
スプラッターに不慣れな方にはおススメしませんね。ブログで別立てでアップしました。
http://www.allsubs.org/movie-trailer/mother+of+tears/5Z2FolPbu2s

★「Be Traded」---う~ん、どういうべきか。「本当の美に出会ったものは、うんぬん」というのは聞いているだけで恥ずかしくなる台詞でしたね。映画冒頭では刑事アクション映画かと思ってしまう導入ですが、そう思っていると裏切られます。NYのソーホーを舞台にした殺人事件が起こり、冒頭の事件で左遷された刑事とアル中から復帰した黒人刑事が組んで犯人を追うことになるのですが、容疑者の女性アーティストがいつしか警備される人間になり、刑事を誘惑して不倫関係になったり、刑事の妻との家庭生活が出てきたり、そうかと思うと彼女を崇拝する変態狂信者が同じビルの中に隠れているのに探そうともせず彼女に夢中になって(爆)刑事同士が確執したり・・・・内容的にあれもこれもてんこ盛りゆえにすっかり間延びしているB級映画。そのB級ぶりが笑えます。

★「譜めくりの女」---怖くて悲しい映画でした。
   http://piano.cinemacafe.net/

★「天使とデート」---エマニュエル・ベアールがまさか天使に扮するとは・・・・・でも彼女の「天使の鳴き声」が何ともユニーク。 http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD6145/

★「三国志 龍の復活」---香港のアクション映画で刑事役をやっていたという印象だったアンディ・ラウ。映画「墨攻」以来、史劇のイメージのそのアンディ・ラウが三国志ラストの英雄蜀の子龍を演じた映画です。せっかく関羽や超飛なども出てくるのだから、もうちょっと全体としてのクライマックスが欲しいところ。そうしたところがないのは、監督は違うが「墨攻」と似てるなあと。どうも監督に恵まれていないというか、作品に恵まれない俳優だなあという印象が今回も拭えなかった。

★「ジェイン オースティンの読書会」---とてもおしゃれな映画でした。ただ、ジェイン・オースティンの本を読んでいたら、もっと楽しめたかもしれないので、彼女を読んでいない私としては映画的にはイマイチの感がありました。http://www.sonypictures.jp/movies/janeaustenbookclub/
 

★「木と市長と文化会館/または七つの偶然」---ブログに別立てアップ。

★「オトコのキモチ」---こちらはいかにもハリウッド的なというか、ドタバタではないラヴコメディで、いかにもアメリカの白人好みのラヴコメです。それなりによく出来ていて、そういうラヴコメディがお嫌いじゃなければ、十分楽しめる作品かもしれませんね。

★「西の魔女が死んだ」 ---画像の整理ができたらアップします。 

★「The Happening」---先行上映会にて試写したホラーサスペンスでありました。が、いまいちよくわからない映画で、そのわからなさに恐怖&わくわく感を感じてしまう自分が怖い。*公式サイト⇒http://movies.foxjapan.com/happening/

★「SS 」---哀川翔と遠藤憲一の絡みがなかなかよかった。
       *公式サイト⇒http://specialstage.net/

★「The machine girl」(「片腕マシンガール」)----いじめで金品を要求され自殺した子供たちの復讐から映画が始まるので、沈鬱になりそうな映かと思って観始めたら、映画「隣人13号」以上に劇画的でした。確かにいじめ自殺という社会問題と化している事件やそういう家庭の問題や親子の問題などが通奏低音のように流れているけれども、暴力シーンでは思わず抱腹絶倒。観終えた後、久々にすっきりした気分になった。血がドバーッというシーンや、ちょっとスプラッター系の描写は駄目という方にはおススメできないが、ヴァイオレンス映画OKという方には十分に楽しんでもらえるのではないかと思う。http://www.spopro.net/machinegirl/

★「In the land of woman」---特にファンというのではないけれど、メグ・ライアンの出ている映画を久々に観た気がする。映画「白いドレスの女」から「ワイアット・アープ」にいたるまで、ジャンルは違えどもどことなく似たテイストがあるそれらの映画の監督ローレンス・カスダンの子息の初監督作品。名前は失念。
そのせいか、彼らになじみの深いミシガンの住宅地が舞台。ロケ地がどこかはわからないけれど、その住宅地の落ち着いた佇まいの季節の移り変わりと登場人物の心情を映す自然描写の場面場面には好感が持てたけれども、イマイチ退屈さが否めない作品だった。

 

 


「SS」(邦画)

2008年06月29日 | ◆ア行

小林義則監督、脚本が十川誠志というコンビネーションは、いいのか悪いのか。
コミックの映画化に依存しなければ映画が作れないことを不毛と思えば、唸らされてしまうけれど、純粋に低予算映画として観るなら、

哀川翔と遠藤憲一という個性派の絡みは悪くなかったし、若向けというばかりではなく、家族でいっしょ観ることもできるファミリー映画としては、熊やライオンやペンギンが出てくる駄作よりはずっと上等だ。車といえば出てくるミッキー・カーチスの存在も今回は◎かな。

息子:「お父さん、負け組みってなあに」
娘:「ディズニーランドに連れて行ってもらえない家のことよ」
父:「失うことを恐れて戦わないことだよ」

ああ、この臭い台詞が臭くても許せるところが、
いかにも哀川翔のための台詞だと思われた次第です。
こうした台詞が出てくるのを見ればわかるように、この映画は、クルマに関心がない人たちでも観て楽しめるものになっていて、スタリオン4WDなどの登場はアクセサリーに過ぎないものになっていまて、ちょっと残念。

★ご参考までに。⇒http://specialstage.net/

それにしても、竹内力は、いったいいつまで難波金融伝でミナミの帝王役をやっているつもりだろう。やくざ映画しかやれない顔から脱出しても、今度は満田銀次郎のままで顔が固まってしまうのではないかと心配。


 


「The Happening」

2008年06月29日 | ◆ハ行&バ・パ・ヴ行

わくわくしながら観始めたのだけれども・・・・サスペンスホラーというべきか、ホラーサスペンスタッチのSFというべきか。よくわからない映画で、映画の中の面々の恐怖や不安にひきつった顔やパニックを起こして逃げ惑う表情で感じる怖さは伝播するけれども、こちらは観客側なので「怖さの正体」への興味の方が勝ってしまうのはやむをえない。

そのわからなさが最後まで怖い・・・かも、という感じを惹起させるけれど、
かわくわくする方が大きい。正直、ラストにはのけぞってしまいました。

監督はだれだ!と思えば、ああと納得。
映画「シックスセンス」同様のつまらなさは同じ。言いすぎかしら。

映画「ザ・シューター」が面白かっただけに、
マーク・ウォールバーグの不安と恐怖におののいた迫真の表情も、
せっかくの表情なのにィ・・と残念。

★ご参考までに。⇒http://movies.foxjapan.com/happening/


「西の魔女が死んだ」

2008年06月29日 | ◆ナ行

映像は、頃合を見て後日掲載します。

★ご参考までにーーーhttp://nishimajo.com/top.html

繊細な映画です。サチ・パーカーが、すばらしかったですね。
その日本語の丁寧語と同様に。

映画「ナースコール」のように、人が人を思いやるやさしさに濁りのなさを見出す感性、映画「死国」のように土地や森や自然や風土への畏敬の眼差し、自然の恵みの中で人は生き生かされるという思い、映画「8月のクリスマス」のような繊細さが、今回もまた映像を通して観る側に静かに伝わる作品になっていました。

長崎俊一監督の今後の作品も楽しみです。演出と映像からよけいなものをそぎ落とすには観客への信頼がベースにあれば十分で、この「西の魔女が死んだ」という映画は、実は観客への信頼なくしては成り立たない。不要な説明がそぎ落とされたのは、そういった踏み込みがあったからでしょう。

説明的な場面というのがいかにいまどきの映画には多いことか。それがいかに映画を退屈なものにしているか。

長崎監督の真骨頂というものが、今後どういった作品に結実していくか実に楽しみな監督です。


「木と市長と文化会館/または七つの偶然」

2008年06月29日 | ◆カ行&ガ行

数日前に観たばかりの映画「譜めくりの女」の中で、カロリーヌ・フロが演じた心的外傷を負ったピアニストの夫の、音楽愛好家の大物弁護士を演じていたパスカル・グレゴリーがここでは左翼政治家をエレガントに演じていて笑えた。

1992年製作のフランス映画。監督は、エリック・ロメール。
ストーリーは、こちらをお読みいただくとして、
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD16597/story.html

そのパスカル・グレゴリーが扮する左翼政党所属の市長がとにかく笑える。彼は、エレガントさが単純さやひ弱さ、そして善良さに結びつくような存在を演じるのにぴったりの俳優かもしれない。
そして文化会館建設推進派の彼と敵対するエコロジストの田舎の学校教師をファブリス・ルキーニが演じているのだが、こちらの方がよほど左翼闘士といった風で、当然理屈をこねるのだが、観念派で自分では何一つ行動しない。その理由が、選挙に出ても負けるからという理由が笑えたが、自分などより娘の方が政治家に向いている、彼女は生まれながらの政治家だからと大真面目に記者に語るところ、

狂信的な中にもキラリと光る真実があるというのは実に風刺的で、父親の彼が大真面目に語る生まれながらの政治家というのが10歳の娘。このエゾという少女が何ともユニークなのは、健全に育っている普通の田舎の10歳の女の子というところがユニークになるということさえもが風刺的に感じられるほど映画全体が風刺に満ちているともいえるのだけれど、とにかく笑える。

その少女がたまたま市長の娘と遊んでいるとき、偶然市長と話し合うことになって建設問題が「政治的に」解決していくというあたり、つまりは何もしないという結論が一番皆の望む結果となるというのが何とも「政治的」に笑えた。
ファブリス・ルキーニというのは、得がたい役者だ。

ロメール監督は、こういうフランス的ペーソスの効いた喜劇作りが似合っているのでは・・・・。

★画像は整理が出来次第、アップする予定です。


「ランダム ハーツ」----(2)

2008年06月24日 | ◆ラ行

こちらの(2)では、映画「ランダムハート」のストーリーの中で演じられたクリスティン・スコット・トーマスの演技、その表情を中心に見ていきたいと思います。ハリソン・フォードも熱演でしたが、彼女に比べたら、まだまだ大根役者だと思えましたものね。

出張に行くと言って出かけた妻の乗った飛行機が墜落したかもしれない・・・・不安におののくハリソン・フォードの表情、熱演でした。妻が乗ったと思われる搭乗者名簿に妻の名前がない。代わりに知らない男の妻として乗っていた・・・・・というシチュエーションは、映画的設定というだけでここでは問題ではない。
衝撃を受けて狼狽する愛妻家のハリソン・フォードは、やがてその男の妻が政治家と知り真実を知りたくて訪ねていきます。それが、冒頭の画像ですが、

夫が知らない女性と夫婦として搭乗しいっしょに死んだ。あまりのことにピンと来ない妻。それに政治家というレアな仕事にとって最大の選挙が目前で超多忙・・・・思わず「それどころじゃない」と言いたくなるはず。そんなときにその相手の女性の夫と名乗る男が訪ねてくる。政治家ならずともいったいどういう顔をすればいいのか。
そのときのクリスティン・スコット・トーマスの表情をご覧アレ。

とぼけているわけじゃない。選挙という現実に追われながら、実はもう一つの現実、「夫が他の知らない女性と夫婦として搭乗した飛行機で墜落して死んだ」という現実と向き合うゆとりもなく、自分のこころと向き合っていないがゆえの予防線バリバリの顔だ。 

けれど、妻としてそれで何とか体裁を保っても、
母親としてはそうはいかない。



娘から「パパは浮気してたの?その女の人を愛してたの?」なんて聞かれて答えられる母親がいるだろうか。自分のこころと向き合っていない状態で。



政治家としてスキャンダルが漏れる事を恐れ、そのことで娘が傷つくことを恐れ、良妻賢母として愛するものを守ってきたつもりだったのに、娘の問いに言葉を失う

あまりのことに思考停止・・・・・
けれど、こんな状況下で、先に娘にこんな顔をされて
動揺しない母親がいるだろうか。



大好きな尊敬する頼もしい父親の突然の死・・・それだけでもダメージが大きいのに、その父親が他の女性といっしょだったと知ったとき、世界がぐらりとゆがむほどの衝撃をこころに受けたに違いない。娘が傷ついて平気でいられる母親などいない。
葬儀でも涙が出なかった彼女が、部屋に閉じこもってしまった娘の傷心を前にして、ここで初めて心がはじける。

やがて涙も乾くが、けれど、
何をどう考え受け止めればいいのか。
なんていったって思考停止状態なのだから。

彼女は、ハリソン・フォードに電話する・・・・

妻が他の男と不倫していたことが分かっても、
その現実を受け入れられない夫と、
自分を愛し支えていてくれていたはずの夫が他の女性を愛していたかもしれないという現実を前にして思考停止したままの妻、

二人は、ただただいっしょにいて、
虚ろな暗闇に視線を投げかけるだけだった。
いくら聞きたくても答えは、返ってこない。
相手は、もうこの世にいないのだから・・・・

けれど、その現実を現実として認めて受け入れるには、
自分の知らない(知らなかった)妻を知らなければならない。
動き出したのは、男の方だった。

妻の職場の同僚たちや上司に妻の事を聞き、妻の友人たちに妻の本音を、彼女たちの語る話(離婚、不倫、浮気などの体験)を聞かされていく男・・・・それでも妻に限って、という思いが夫を混乱させ苦しめる。そう、彼は妻を愛していたから苦しいのだ。
男は、女に語る。「ぼくは、それでも、妻を愛していた」

その男の真実に撃たれる女・・・・
クリスティン・スコット・トーマスのこのときの表情も、
実に秀悦です。

やがて、真相を、亡き妻と見知らぬ男との関係を探るべく、妻が出張で出かけていた先のホテルやそこでの妻の様子を自ら調査しようとします。刑事ですもんね・・・
そんなハリソン・フォードの後を追うように彼女も飛行機に飛び乗り夫の旅先に出かけていきます。

けれど、妻には男関係の影が浮かんでは来ないことに疑心暗鬼になっていく男と、夫には自分の知らない一面があったことを悟る女。

いつしか二人は同じ立場にいる男と女としてお互いに引かれるものを感じあっていく・・・・
選挙の資金集めのパーティ。主役は支持者からの協力支援に謝意を表し挨拶回りで忙しい。そこへ思いがけず姿を見せたハリソン・フォードは彼女に近寄ってきて「選挙のカンパもしたよ。選挙に勝て」と励まします。 

どうです。そのときのこの彼女の表情・・・・
最初の予防線バリバリのときの表情と見比べてみて欲しいですね。 

けれど、二人は故人のキーの中に見知らぬキーがあることを発見します。 これは、亡くなった二人の「愛の巣」の部屋の鍵・・・・ではないのかと男は妻のこれまでの自分との生活は何だったのかと信じられない思いにのた打ち回ることになる。
映画では、男のその思いが犯人追跡の異様な執念に向けられ、犯人への憎悪となって爆発し、相棒への信頼が不信感に切り替わっていく中で高まっていくわけですが・・・

 

やがて、ハリソン・フォードは妻と男の愛の巣だったアパートにたどり着きますが、そこには部屋を黙々と片付けているクリスティン・スコット・トーマスがいた・・・・

そこにあった電話の留守録には、
飛行機墜落のあった朝の二人の通話でのやりとりが残されていた。まぎれもなくそれは懐かしい妻の声・・・けれど、その内容は男にとっては残酷極まりないものだった。
妻と男が取り交わした会話に衝撃を受けアパートを出たハリソン・フォードだったが、その姿を冷徹な眼で捉えている男がいた。

ずっと追跡してきた例の殺人犯だった。
サスペンスなのでこのくらいにして、

ハリソン・フォードの妻と自分の夫が不倫関係にあったことをマスコミに嗅ぎつかれ部屋を出たところでいきなり記者団に囲まれるクリスティン・スコット・トーマス、フラッシュを浴びせられ、あまつさえ自分とハリソン・フォード扮する刑事との関係を下賎な関心で問われたときのクリスティン・スコット・トーマスの表情こそが、この映画のクライマックスと言えるのではないかと思います。
 

彼女のこのときの表情が、実に素晴らしい・・・・・。
「間」を演じることのできる数少ない女優だと感心させられます。

メリー・ストリープのような女優も素晴らしい役者ではあるけれど、メリル・ストリープのように台詞と身体演技がリンクして初めて味わい深さが出てくる女優と違って、クリスティン・スコット・トーマスのこの静止したまま陰影のある表情だけで演じて魅せてくれる味わい深さはどうでしょう・・・・たまらないですね。
やはり私は、こちらの方が好きです。

ということで、
映画のストーリーのご紹介ではありませんでしたが、
それをお知りになりたい方は、ネットでご検索くださいね。

★ご参考までに⇒http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD31804/

 

 


 

 


「ランダム ハーツ」---(1)

2008年06月24日 | ◆ラ行

息詰まるような心理サスペンスと上質なヒューマンサスペンスが合体したような映画だと改めて思う。1999年制作、シドニー・ポラック監督作品。

映画三昧リストの欄の一言感想でも書いたけれど、大根役者だった「推定無罪」や「心の旅」といった作品と違って、ハリソン・フォードにとって演技開眼となった映画なのではないかと思われるくらい、サスペンスフルなエンターテイメントとして成功している映画。
競演してくれたクリスティン・スコット・トーマスの演技が素晴らしいための相乗効果だろうか。

★そのクリスティン・スコット・トーマスの演技は、別立てで「ランダム ハート(2)」でアップしたいと思いますので、こちらでは、キャスティングについて感心させられたので、そのことに絞って書くことにしました。


この映画の成功のキーは何といってもキャスティングにある。この映画を観るのは何度目か忘れたが、心憎いほどのキャスティングだと感服させられてしまう。

配偶者にそれぞれ裏切られていたことを知って苦悩する主役二人の男女ハリソン・フォードとクリスティン・スコット・トーマス。
彼らのそれぞれの苦悩に見合うミステリアスで存在感ある役者をそれぞれの配偶者に配せるかどうか。
その二人の役者イメージで不倫関係をリアルにイメージできるかどうか。そこがこの作品の鍵でもある。

ハリソン・フォード扮する正義感のある刑事(内務調査の刑事というところがミソ)は妻を裏切るなど思いも付かないフツーの愛妻家。


(ハリソン・フォードの妻役のスザンナ・トンプソン)

この妻はファッション関係の仕事をしており、出勤前に夫をベッドに誘う粋なゆとりも見せる女性。子供はないが夫婦共働きの家庭は円満に見える。

一方のクリスティン・スコット・トーマスが演じるのは選挙前の女性政治家。こちらは一般の家庭とはちょっと異なるが、父親が政治家だったという家庭で育った娘ということで生育環境も推測できる。親の七光りではなく実績で選挙を戦おうとしているところからも彼女の気性と自己を律する生真面目な性格がわかるが、


(クリスティン・スコット・トーマスの夫役のピーター・コヨーテ)

そんな政治家の妻を嫌味なく支え公私共にパートナーシップを育んできた夫の存在は大きい。うまく育っている愛娘が一人いてこちらも家庭は円満。

そんな二つの家庭のそれぞれの夫と妻が実はお互いの配偶者に裏切られていたという事実。それを、飛行機の墜落事故による二人の死亡によって知ることになるのだから残された方もたまらない。いまさら事実が分かったところで離婚も出来ないから。

その受け入れがたい事実を受け入れる過程で残された夫と妻の苦悩が深まっていくとき、見えていなかった真実に出会っていく・・・・。その重苦しさに見合う存在感のある役者を配していけるかどうか。
円満な家庭を保持してた一方で二人だけの愛の巣で二人だけの時間を持っていた男と女。その二人にどんな俳優と女優を配するかで映画の質が決まってしまう。


(この二人、映画の冒頭にちらっと出てくるだけ!)

そういう役どころにスザンナ・トンプソンとピーター・コヨーテを配したところが作品を成功させるキーになったのでしょう。
冒頭にしか出てこないのに!映画全編を通して主役の二人の心の中で存在し続けるわけだから、半端な存在感では絵空事になってしまう。絵空事になってしまうかリアルになるかはそれこそ役者の存在感というものかもしれないが、まさにキャスティングの成功だという所以だ。


(監督のシドニー・ポラック)

クリスティンが演じている女性代議士ケイの選対を司っていた男、選挙の世界に生きる男という意味でも妙に映画の外の現実世界を背負っていて、それが映画に奥行きをもたらしているのだが、その男の役を監督のシドニー・ポラック自身が演じているところもまた、巧妙なキャスティングとなっている。

ケイの周辺の人物でもう一人ユニークな存在感を発揮しているのが、ボニー・ハント。ケイの選挙を夫婦で骨身を惜しまず応援してくれている親友の女性ウェンディ。


(クリスティン・スコット・トーマスの親友夫妻の妻役を演じるボニー・ハント)

そんな彼女にアットホームな女優ボニー・ハントを配することで、映画を主役二人の息詰まるような緊迫した心理劇のみに堕ち入らないよう、「現実」にケイを引き戻す役目を担って見事。
コメディタッチな彼女の存在感は、映画の中における「世界」の多重性と重層性を観客に感じさせる一つの大事なキーになっているのだから感心させられる。が、このボニー・ハントもまた夫と愛の巣を一時持っていた相手だったというところは、さすがにやりすぎかもしれない。

この二人のキャスティングが秀悦なのは、ケイの中で「重」だったシドニー・ポラック扮する選対の男が映画後半で「軽」となり、前半に「軽」だったシドニー・ポラックがやがて「重」に変換されるところ。二人ともケイの心理の変化によって映画が心理劇に陥ることを防ぐという大事な役回り。この難しい役回りをこなす絶妙なキャスティングだと感服せられてしまった。

そして、ハリソン・フォードの周囲の配役もいい。
まずは相棒で彼をよく理解しているパートナーの黒人刑事アルシー役にチャールズ・ダットン。


(ハリソン・フォードに猜疑心をもたれる相棒の刑事役のチャールズ・ダットン)

事件の追跡と妻の不倫の追跡という二重苦で心のバランスを逸していくハリソン・フォードという相棒を案じる刑事という役どころにチャールズ・ダットンという俳優を配しているところが、この映画を実にスリリングにしているからです。
一見刑事ドラマ的ながら実は刑事ドラマじゃないというサスペンスフルな演出も見事ながら、それは実に上手いキャスティングゆえだと思う。彼の顔を見ていると、いまにも血みどろの追跡劇が起こりそうで絶妙な配役。
ご参考までに⇒http://www.fmstar.com/movie/c/c0018.html

そしてもう一人、デンゼル・ワシントンに良く似た風貌の黒人俳優、名前が思い出せないけれど、この俳優も心憎い。

この殺人を犯し逃げおおせている男をハリソン・フォードが執拗に追跡するのは彼の刑事としての仕事だが、この殺人犯を演じる俳優も難しい。刑事ドラマになってはいけないのだから。
そうならないためのキャスティングにしなければならないのだが、同時に今にも何かやらかしそうでスリリングな存在感も必要というところで、はまり役だった。何という名前だったか・・・
               ↓
   ★デニス・へイスバート

犯罪の目撃者でありながら口を閉ざしている黒人の少女もなかなか良かった。

まだまだあるけれど、このように細かいところまで計算されたキャスティングというのは、実に心地よいもので、こういう映画は間違いなく面白い。また観ようかなと思うほど。

デーヴ・グルーシンの音楽もよかった。

映画の香りとしては、製作総指揮が「ジョー・ブラックをよろしく」のロナルド・L・シュワリーというのが納得できるような上質さだと改めて感服。

 

★6月13日の日記ですが、画像をPCに取り入れることができるようになりましたので画像を本日掲載しました。


「Mother of tears」

2008年06月24日 | ◆マ行

2007年制作のイタリア映画。オカルトスプラッター&ホラー映画。
主演は、この手の映画ではお馴染みのイタリアのアーシア・アルジェントという女優です。

黙っていると雰囲気のある女優なのですが、台詞を言わせるとダメなタイプというのが残念。でも、その雰囲気はホラー系映画では貴重で、だから、つい騙されて最後まで観てしまう・・・・

監督は、この手の映画では鬼才と呼ばれるかもしれないダリオ・アルジェントという監督で、ホラー系映画をご覧にならない方達のためにちょっとご紹介すると、昔のホラー映画としてタイトルくらいは記憶になるかもしれない「サスペリア」というホラー映画を作った監督です。「マスターズ・オブ・ホラー/悪夢の狂宴」「フェノミナ」というのは、わたくしも結構好んで観たものですが、ホラーがダメという方にはおススメしません。それでもこの監督の「オペラ座の怪人」は良かったですよ!「オペラ座の怪人」のお好きな方はいくつもの「オペラ座の怪人」映画があるので、見比べてご覧になるのも一興かもしれませんが・・・・・残虐シーンはダメという方には、ちょっとおススメできないかも。クリスティーヌ役は、やはり同じくアーシア・アルジェントでした。ここで同じアジェントという姓に気が付かれた方もおられるでしょう。そう、監督と彼女は親子です。

このデヴィ夫人に似た女優は、ヴァレリア・カヴァッリというイタリアの女優です。ああ、見たことある!と思われる方も多いのではないでしょうか。よくいろんな映画に出ていますよね~

この映画では、主人公サラの亡き母エリーザの友人として登場。白魔女として戦って殺された母親のことをサラに知らせ彼女の導き役として登場しますが、殺され方が凄まじい。女性にとっては実におぞましい死に方をさせられますが・・・・史実として魔女狩りの時代、魔女として殺された女性の多くがそういう殺され方をしたようで、つくづく今の時代に生まれてよかったとわたくしなどは安堵してしまう次第です。

ウド・キアーというドイツの俳優で、ホラー映画には欠かせない俳優ですが、変わった映画にはよく出演していて、二コール・キッドマン主演の「ドッグヴィル」のような映画にも出ていたり、ビョーク主演の「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のようなカトリーヌ・ド・ヌーヴなども出ている、国際色豊かなキャスティングの映画にお呼びがかかるのでしょう。ホラー映画の俳優や女優って存在感が独特なものがありますからね。本当にいろいろなところでお見かけします。
ウド・キアーといえば、「サスペリア」にも出ていますが、やっぱり「悪魔のはらわた」や「ドイツチェーンソー」などが印象的。
この映画では、神父だったか司祭だったか。

さて、この映画、

冒頭はあたかも、トム・ハンクス主演のハリウッド映画「ダ・ヴィンチ・コード」のイタリア版か!?と思ってしまうような導入と映像で始まるので、ついつい期待してしまいますけれど、ファンの方は別の見方をされるかもしれませんが、一般的には内容的にはどうということのないB級オカルト映画です。黒魔術と白魔術のいわば魔女同士の対決・・・・。主人公が白魔術の戦士だった亡き母親の霊に守られながらこの世に道徳の退廃と悪行と死をもたらす「涙の母」と戦うという内容ながら、イマイチ尻切れトンボで、アーシア・アルジェントは中途半端。

ただ、イタリアのモダンな駅なども出てはくるけれど、こうした古い石畳の街並みやローマ近郊でしょうか、こうした建造物などが出てくるたび、わくわくさせられました。

そう、この映画の楽しみ方は、いろいろ。
こちら(↓)のような絵画のようなイタリアの家屋の窓辺や、

イタリアのアンティークファンには嬉しくなるような、
以下のようなアパート内のインテリアや、
いい味わいの出ているイタリア家具が見られるので、
それが楽しみと言えば楽しみ。



このテーブル、素敵ですよね。

書斎にこうしたブロンズが置かれている!
この映画には、いくつかの書斎の場面が出てきますが、それぞれになかなか味わいがありました。



古代美術が専門だったか美術館に研究員として勤務しているという役柄上、アパート住まいでも本がなければ格好付かない。とはいえ、こうした書棚の設定が心憎いですね。
ドアの作りや、廊下や壁に掛けられている図柄も、「もっとゆっくり拡大して見せてっ!」と言いたいほど。



この図書館の書棚の無垢材や床の素晴らしさはどうでしょう!
思わず目がいってしまいました。

ところで、
ダリオ・アルジェントという監督は
私的関係にある女優を使いたがるクセがあるのか、
この映画でも、娘のアーシア・アルジェントだけじゃなく、

内縁関係だったダリア・二コラディをサラの亡くなった母親役として出演させています。が、霊なので写真に収めている暇がなく、ネットから彼女の画像を拝借。アルジェントの実の母親ですが、往年の彼女、存在感がありましたね~
この作品では、それほどではなかったです。

何といっても、存在感があったというか印象的だったのはこちら。
      ↓

JUN ICHIKAWAという日系の女優。(国籍がどうなっているのかが不明なので、そのようにご紹介させていただきます)バイオグラフィーによれば、日本生まれながら7歳以降はローマ在住。日本語もイタリア語もどちらも堪能らしいけれど、映画の中でいきなり語られる日本語はちょっとヘンでした。
彼女の画像(こんな化粧なしのお顔)を眺めていて、どこかで見た様な顔だなあと思ったら、ハリーポッターの中に出てくる「チョウ・チャン」という東洋人の女の子役で出演していました。
同じ魔女ながら随分違うので驚き!ですね。(苦笑)
http://www.imdb.com/name/nm1536634/

 


 

★ご参考までに。
http://movies.nytimes.com/2008/06/06/movies/06arge.html


「非情の罠」(「Killer’s Kiss」)

2008年06月22日 | ◆ハ行&バ・パ・ヴ行

1955年のアメリカ映画。昔の映画は映像的にこういう掘り出し物はあるからやめられないと思ってしまいます。かなり単純な、というか乱暴な展開のよくある話というストーリーなのですが、思わずドキドキして見てしまうのは、映像がそうさせるから。

思わず眼を見張るアングルの映像や、中にはそこまでするかと恥ずかしくなるような凝ったアングルの映像とか、今となっては昔懐かしい陰影ある映像のフィルム・ノワール的な映像とか。

ここでご紹介したかったボクシングの試合のシーンは、若い頃のデ・ニーロだったか、凄みのある白黒のボクシング映画を思い出させられたほどで、最近の映画しかご覧になっていない方にはおススメです。凝り過ぎてはいるカメラワークだのアングルだのといったことは横に置いて、これが映画前半の見せ場であることは間違いありません。
けれど、何といっても殺人が絡んだ場面での陰影ある白黒映像はまるで「第三の男」ばりだわと思っていたら、監督がスタンリー・キューブリックでした。キューブリック作品はほぼ見てはいるけれど、あまりよくは知らない。キャロル・リード監督のファンだったとも思えないけれど、チャップリンやオーソン・ウェルズから影響を受けなかった映画人は少なかったでしょうから、キューブリックもこの時代は40年代の映画から学ぶことも多かったのかも。



このシーン、好きなシーンの一つ。キューブリックの好きな格子模様があるからではなく、人生を出直す夢を抱いて給料を受け取りに出向いた彼女が、一度は支払いを拒否された給金を支払ってもらえるということで受け取りに「階段を上っていく」このシーンが、女にしてみれば「階段を上っていく」シーンでも、映画を見ているこちらからは「階段を上ってくる」シーンとして印象付けられるのは、それが罠とも知らずに上ってくる姿だからか。

ダンスホールで働く女性として支配人の情婦となる姿もなかなか絵になっていましたが、

さらに驚愕したのは、貧相さが絵になるところです。
ヘアースタイルや顔立ちはグレース・ケリーばりながら、回想の中で現れる自殺した姉の立ち姿(バレーリーナだった)とはまるで異なる立ち姿で、歩いているとき、走っているときでさえ背中を丸めて駆ける姿の貧相さは、演じて得られるものではないという見本のような・・・・。何という女優か名前を失念しましたが、あれは無意識なのか演技なのか、とても興味が湧きます。



この俳優も往年の50年代を髣髴とさせる俳優で、映画ではローガンというもうじき30になる顎の弱いボクサー役。ジェイミー・スミスという俳優で見たような顔なのにどんな映画に出ていたのか、さっぱり思い出せない。

プロボクサーを引退し田舎のおじ夫婦の牧場で働くことを決めたとき、隣のアパートから女の悲鳴が聞こえかけつける場面で、てっきりこれが罠だと思ってしまったものです。悪党がお金儲けのために落ち目のボクサーに八百長試合させる計らいかと。それで一儲けすべく自分の情婦をローガンに近づける罠かと先走ってしまったほど。

が、ストーリーは思わぬ方向に・・・・・


(悪党振りがとても良かったフランク・シルヴェラです)

ラストの裸のマネキン置き場で殺しあう二人の男(フランク・シルヴェラとジェイミー・スミスという往年の俳優)の格闘シーン、銃がなくなってマネキンを振り回しもぎ取られたマネキンオ腕や脚を武器代わりにして殺し合うところ・・・・、何ともいえない鬼気迫る場面で怖かったですよ~。
こういう象徴的な小道具を殺し合いに使うところは、実にキューブリック監督ならではの発想だと感心。

ホラー映画やスリラーサスペンス映画にも、こうした発想がもっともっと欲しいですね。