月光院璋子の映画日記

気ままな映画備忘録日記です。

★2009年1月下旬の映画鑑賞メモ

2009年01月31日 | ■2009年 1月の映画鑑賞
 ●=以前も観ている映画、あるいは繰り返し観てしまった映画
 ★=今回初めての(ある意味、じっくり見た)映画

●「聖衣」
★「4時間のピアニスト」
★「恋愛睡眠のススメ」
●「マイ ガール」
●「ロビンフッド」
●「上海から来た女」
●「仕組まれた罠」
★「俯瞰風景」(アニメ)
★「痛覚残留」(アニメ)
●「ヒート(Heat)」
★「誰も守ってくれない」
★「感染列島」
●「エントラップメント」
●「スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ」
★「20世紀少年」
●「モジリアーニ 真実の愛」

何度も観ている映画を繰り返し観ることが多くなったので、
今月は公開中の映画を観に劇場に何度か足を運びました。
ご招待券がまだ59作品数分あるので、
料金の問題ではないのだけれど、
「こういう映画をお金を出して制作したなんて」
それ自体が信じられないような駄作に出会うと、
娘じゃないけれど、本当に「金、返せー」と言いたくなるから不思議です。
映画館で上映するのは配給会社や劇場運営会社の自由だとはいえ、
「金、取るなよな」と言いたくなるような映画に出会うと、
街中のビルの小さな映画館で名画を上映しているような零細企業の劇場を
無性に応援したくなります。けれど、
なかなか足を運ぶこともないわたくし・・・・・

映画館って、昔はもっと「行くこと自体に夢があった」ものです。
そういったものを取り戻さないと、
名画上映オンリーの零細経営映画館もシネコンも、
先は見えるなあと思うのはわたくしだけかしら。

ところで、
シネコンの中で営業しているあのファーストフード店、
何とかならないかしら・・・
まずい珈琲の類とべたべたした甘い菓子類しか売ってない!
これが、我慢ならないのよね。






「誰も守ってくれない」

2009年01月31日 | ◆タ行&ダ行

今週封切られたばかりなので、あまり書けないですね。
本作は随分宣伝広報に力が入れられているので、リベラの歌う主題曲「あなたがいるから」とともに紹介された映画の中のいくつかのシーンは、すでに皆さんのイメージの中に叩き込まれてしまっているのではないでしょうか。ゆえに、もう多くの方がストーリーをご存知かなと。正直な感想として本作は徹頭徹尾、そのリベラの歌の世界、つまり、祈りに行き着くような流れになっているので、リベラの起用が功を制したと言っても過言ではない、そういう作品に仕上がっていると感じました。
なので、ここでは出演者と登場人物のことを書こうかと思います。

まずは、佐藤浩市。言わずとしれた名優三国連太郎のご子息。実にいい俳優になったと感動を覚えました。彼の背中が物語っている重さが、この作品のテーマと言えるほど、本当に良い俳優を起用したなあと感服。
人生において昨日までの暮らしがいきなり破綻するようなことが起こったとき、その衝撃の只中に立たされてしまった人間なら誰でも体験する思い、「誰も守ってなんかくれないんだよ」
佐藤浩市が演じる勝浦刑事、彼のこの言葉の重さは、勝浦自身がそうした思いを抱えた人間の一人だからです。


(勝浦刑事を演じる佐藤浩市 48歳)

仕事での使命と責任を果たすべく努めている人間なら皆、守るべき家族守りたいはずの家族を守れないような状況に置かれるといった状況に立たされることもままあるに違いない。そうしたときの胸が圧縮されるような焦り、苦しさ・・・・に、外で働く仕事を持つ親なら一度は背筋が凍るような体験をするのではないか。特に
仕事で家に帰れないということのある仕事を持つ親なら、そうした体験のない人はいないのではないでしょうか。
勝浦は、事件の加害者の家族を保護するという仕事を命じられた刑事ですが、そのせいで自分の家族を自分で守りたくとも守ってやれない。不本意ながらも、そうした不条理の中でかろうじてバランスを取りながら、勝浦刑事は任務に付くわけです。

映画の公開に先立ってTV放映された「誰も守ってくれない」をご覧になった方なら、勝浦刑事が抱える背景はご存知でしょうが、刑事として、守るべき市民を守れなかったという事件の責任をずっとひきずっているわけです。


(学校にいる志田未来演じる容疑者の妹に、先生から連絡が入るシーンですが、台詞は一切無し。リベラの音楽だけが流されるという冒頭は実に見事な演出でした)

あまりにも凄惨な事件が多いいまの日本社会の縮図として、本作は事件が起こった場合に発生するもろもろの事象を同時発生的にに取り上げていくので、社会派ドラマであると同時にサスペンス仕立てのエンターテイメントになっているけれでも、事件の加害者家族と被害者家族を取り上げている点で、家族のドラマともいえる作品になっています。猟奇的な殺人事件を起した犯人(裁判で有罪が確定しない段階ゆえに”容疑者”という法的な呼び方をしている)が逮捕された後、容疑者の家族がどういう状況に置かれるか。
ちょっと頭をかしげる場面ではあるけれど、押しかけるマスコミが容疑者の家を包囲する中、容疑者家族は別々に事情聴取を受けるために別々に保護される中、未成年の15歳の妹を勝浦刑事が担当することになる。


(このマスコミ報道陣に取り囲まれるシーンの臨場感、日本映画では久しぶりに観たような気がします)

その15歳の妹沙織を演じていた志田未来。役柄の中学三年生の女の子と同じ15歳ですが、実にそのままというか、誰も守ってはくれないのだという状況になったなら、自分はどうなるか。そういったことをしっかり考えての演技になっていたのではないでしょうか。
さすが、「女王の教室」もとい「14歳の母」の女の子。

カメラが彼女の目を捉えるとき、
その目が凄まじく良かった!
志田未来の目の力でもありますが、
撮影担当の栢野直樹の力量ですね。

本作で空振りだったのが、こちら。
勝浦刑事のカウンセラー役の木村佳乃です。


(最近いろいろの意欲作に出ているなアと思う木村佳乃 32歳)

こういうシチュエーションでそういう台詞はないだろうと思われた台詞の責任は彼女にはないけれど、勝浦と沙織が身を潜ませていた彼女のマンションをマスコミにかぎつけられたとき、他所に移動する二人を見送るときの表情は、ちょっと浮いていたように感じられて残念な気がしました。
ただ、彼女のマンションのダイニングキッチンに置かれていたエスプレッソマシンと電気ポット、リビングのインテリアなどで玲子さんというカウンセラーのタイプが分かるようになっているので、インテリアに関心のある方にとっては見所の一つですね。

木村佳乃はイマイチの役柄でしたが、
凄みのある表情を思いがけなく見せてくれていたのはこちら。


(こちらもいろいろの作品でいろいろの役を演じている佐々木蔵之介ですが、まだ40歳なんですね)

容疑者の妹を保護してマスコミから逃げる勝浦刑事の顔を見て、数年前の事件を思い起こし、容疑者の家族からではなく、犯人の家族を保護する刑事である勝浦からインタビューを取ろうとするマスコミの記者。その執拗な取材ぶりを凄みをもって演じる佐々木蔵之介の役どころもまた、「誰も守ってくれない」の体験者。

いじめが原因で学校に行けなくなった子供を持つ父親として、いじめた生徒ではなくいじめられた生徒を切り捨てた学校の姿勢に、「誰も(我が子を)守ってくれない」といういまの日本の教育という現実に怒りを溜めつつ、学校に行けなくなった我が子を家に残して仕事をしている。彼もまた、こうした不条理の中であがき苦しんでいる親の一人。

そうした「誰も守ってくれない」という思いを抱く登場人物たちの思いが重なり交差する本作の中で圧巻なのは、何といっても「室井さん」のイメージを残しながらも、殺傷事件でまだ幼かった一人息子を失った父親を演じている柳葉敏郎の演技。


(数年前の事件の被害者の遺族を演じている柳葉敏郎。本作が制作されたときは47歳で、佐藤浩市より一歳年下ながら、老け込んだ感じが被害者の遺族として生きる時間の重さを感じさせるものでした。)

この柳葉演じる父親と佐藤浩市が向き合うシーン、二人の台詞はそのままお互いの胸を抉るものですが、そういう台詞を口にしなければならない双方の思い、双方の立場、それらに思いを馳せるとたまらなかったですね・・・

そうした状況の勝浦刑事に娘から電話でSOSが入る・・・・犯罪者の家族を保護しているためにマスコミが自宅に押しかけ境遇が一変してしまった中で「お父さん、帰ってきて」と叫ぶ娘。勝浦刑事の胸中を推し量ることのできる観客は幸いです。離婚寸前で崩壊しそうな家庭で一生懸命な娘なのに、帰れない帰ることができない父親というものに思いを馳せるとき、家族としてわたしたちは成長できるかも。

ところで、志田未来が演じた沙織、そして彼女の兄の容疑者の少年にも父親がいます。映画では冒頭に出てくるだけで、本作が進行している間どこかで警察の事情聴取を受けているはずという設定ながら、あの父親ではパニックになり娘のことなど頭にないだろうなぁ・・・とぼんやり思ってしまいました。

殺人事件を我が子が起してしまった親の気持ち・・・・
想像するだけで卒倒しそうになりますけれど、
我が子を守りたいと思う気持ちは、
奮い立たせなければ、闘う気持ちを持たなければ、
きっと何かに負けて失ってしまう気がします。
人間って、セルフィッシュで弱くて、
いつだって壊れる壊れ物だから。


(石田ゆり子、39歳。今年40歳になるんですね・・・・)

柳葉の妻役、同じ可愛い盛りの息子を事件で失った母親役を演じていた石田ゆり子ですが、本作ではリベラの歌声が一番染み入る存在でした。彼女の声と話し方、台詞・・・・、柳葉敏郎同様に、大変な緊張感を覚えました。脚本の良さですね。

本作は、脚本担当の君塚良一と音楽担当の村松崇継、そして、撮影担当の栢野直樹といずれも記憶に留めたいスタッフです。

こうしたシリアスなテーマを持つ本作が、エンターテイメントになっているのは、やはり以下の個性派のお二人ゆえでしょうか。


(佐野史郎、53歳。個性派俳優ながらいい役者さんになりましたよね。晴彦さんだったか、あの異様なマザコンン息子の役が思い出されますが・・・)

自分の判断ミスを部下のせいにして平気でいる厚顔さに加えて、組織の非人間性といった部分を体現しているあたり、”はまり役”の佐野史郎で、エンターテイメントの定番としてのキャスティングという印象を受けました。気負わずにこういう役を見事に演ってみせるのですから、さすがといっていいかも。

そして、もう一人はこちら。本作ではカーチェイスのシーンとラストでの車でのシーンでいい味を出して見せてくれていましたが、佐藤演じる勝浦刑事との相棒ぶりが「セスジ ガ コオル」という繰り返される台詞で表現されているところ、唸らせられますね。


(松田龍平 25歳。デビューした「ご法度」当時の顔とは随分違ってきましたね。あれからいろいろな作品に出ていますが、NHKの大河ドラマでは今回、伊達政宗を演じるとか、楽しみです。10年後が楽しみな俳優になりましたね)

15歳の志田未来が15歳の中学三年生を演じる中、その同級生のボーイフレンドの男子生徒を演じたのは、この富浦智嗣(さとし)という若手ですが、


(沙織のボーイフレンド役の富浦智嗣 17歳)

高校2年の娘が言うには彼は17歳だとか。それにしては幼いというか、中坊に見えました。声変わりしていないせいでしょうか。
はたまた演技力のたまものか。
匿名性のネット世界のおぞましさを印象付ける役でしたが、糾弾というものが匿名でなされるときの怖さ、そして劇場型で展開される2チャンネル社会というものを、私たちはどう考えどう対応していけばいいのか、考えさせられます。

少年法は改正されたけれども、未成年の犯罪をなくしていくには家庭や学校を構成する大人たちがどう変わればいいのか。我が子が被害者にも加害者にもならない社会をどうすれば作っていけるのか。組織の歯車などという古い言葉を持ち出しても始まらないけれど、仕事をして生きていくときに私たちが直面する問題の中で最大の矛盾、「家族のために働いている、その仕事のせいで家族が崩壊する」「家族を守りたくて仕事をしている、その仕事のせいでその家族を守れず失ってしまう」という状況とどう向き合い家族を守っていくか・・・・
言うは易く行うのは難しいことばかりです。
まさに砂漠に如雨露で水を撒く様な感じを抱かされることばかりですが・・・・考え続けていかないと、失ってからでは遅すぎる。覆水盆に帰らずです。


それにしても、冒頭から前半、一こま2秒という「ボーン アルティメイタム」同様の切り替わりのスピード感、そしてシャブ漬けになったチョット前の過去が嘘みたいな清涼感ではあったけれども、その松田龍平と佐藤浩市の両刑事の相棒ぶりなど、シリアスさと両立するエンターテイメント性でしたが、映画全体の統一感が損なわれていないのは脚本が良かったからでしょうか。良く出来た脚本だと思いました。ただ、佐藤浩市の勝浦刑事に歩かせるラストの演出は、「ああ、こういったところ、やっぱり日本映画だなあ」とちょっと残念で、もうちょっとどうにかならなかったかなあと。

末尾ながら、実は、個人的に「〇〇してくれない」という発想が普段あまりないせいか、映画のタイトルには少なからず違和感がありました。こういう「〇〇してくれない」という発想って、世界に通じるのでしょうか。

 


「4分間のピアニスト」(原題「VIER MINUTEN」)

2009年01月27日 | ◆ヤ行

 

2006年ドイツ映画
クリス・クラウス 監督


(迫真の演技、まさに燻した銀のような演技が圧巻だったモニカ・ブライプトロイが演じているのは、クリューガーという監獄でピアノを教える教師)

長年刑務所でピアノ教師を務めてきたクリューガー。老いたりとはいえ、戦争前はフルトヴェングラーの弟子だったという過去がやがて明らかにされる設定ながら、この存在感が只者ではないという印象を観客に与えずにはおかないところ、さすがというべきでしょうか。



それほど才能あるピアニストとして陽の当る道を歩むはずだった女性が、なぜ刑務所で受刑者にピアノレッスンをするピアノ教師になっているのか・・・、戦前&戦争中に何があったのかと観客に考えさせる奥行きのある芸術家魂全開の老ピアノ教師トラウデ・クリューガーの役を見事に演じているのはモニカ・ブライプトロイ (Monica Bleibtreu)という、いまやドイツが世界に誇る女優です。
彼女のプロフィールを見て驚いたのは、5年間ハンブルグ大学で演劇と音楽を教える演劇科で教鞭を取っていることでした。まさに凛とした忍耐強い教師役ははまり役でしたね。

そんな教師役の彼女が受刑者の一人、しかも殺人罪で服役している少女のピアノの才能に出会い、彼女をピアノコンクールで優勝させることが自分の使命だと思う。

ほとんど台詞がないにも関わらず口にする台詞の多くが実にきっぱりとした断定。所長をはじめ関係者の保身や思惑などに動じない強さは、いったいどこからくるのかと観ている側は驚かされるほどです。猫背気味に前かがみとなって立ち歩く小さな体に鋭い眼光、凛とした寡黙なピアノ教師の老女がピアノの天才少女と運命的な出会いをしピアノコンクールで優勝を目指すのですが、目指すのではなく「優勝する」と断言する様子には、息を呑みます。

さりながら、そこは刑務所。しかもその天才少女は殺人罪で服役中。ファイルに記載された記録は消せない。そんな使命感を抱いた老ピアノ教師から、レッスンを受けることになるジェニーですが、感情の抑制が出来ずすぐにかっとなり暴力を振る自暴自棄の問題児と成り果てている。彼女の全身から立ち上ってくる抵抗するハート、方法はむちゃくちゃながらプロテストするスプリット、誰をも信じず誰にも心を開かず荒れ狂う孤独なハート・・・・


(ピアノを弾けば天才的な才能を垣間見せるのに、心を通わせることができない少女の心の闇・・・そんなジェニー・フォン・レーベンを演じているのはハンナー・ヘルツシュプルング)

けれど、クリューガーは動じない。音楽にしか興味がないと語る頑迷な老ピアノ教師の凄み・・・ジェニーにピアノコンクールで優勝させること、それこそが自分の使命だと語るクリューガー。



やがて、少しづつ独房でピアノのレッスンに集中するようになるジェニーですが・・・・、

音楽を愛し音楽に救われ音楽に生きてきたであろう自らの人生、でも、通常考えられるピアノストの人生ではない・・・そんな人生を生きてきたかのようなクリューガーと、服役するまでは天才の名を欲しいままにしてきたピアノストだったジェニーの心は、それぞれ別のところを見ているかのようです。
流れるシューベルトの曲が、効果的なシーンです。

ピアノコンクールで数々の入賞暦を誇った少女が一体何故、服役するようなことになったのか。ブランクを乗り越えピアノを弾けば天才的な才能を垣間見せる少女と心を通わせることができないクリューガー

そんな少女の心の闇・・・ジェニー・フォン・レーベンという少女を凄みのある演技で垣間見せてくれていたのがハンナー・ヘルツシュプルング (Hannah Herzsprung)という新人ですが、


(いい女優になりそうなハンナー・ヘルツシュプルング

意志の強そうな少女のこの眼光は、何に抵抗し何を見つめているのか。予選をクリアした後も、刑務所の中ではさまざまな抑圧が彼女の内なる抵抗に追い討ちをかけます。実に緊張感のある場面の連続となりますが、人間の弱さと危うさ、いつでも間違いを犯すわたしたち人間というもの、見方を変えれば人生は綱渡りのような側面に満ちているのだと考えさせられます。

ここで、本作に厚みを持たせてくれている俳優をご紹介します。刑務所の厳格な監視員の一人コワルフスキーという男をリッキー・ミューラー(Richy Müller)が演じています。


(素敵ですね~もっと多くの映画で見たいリッキー・ミューラー)

個人的に、リッキー・ミューラーというと、映画『CLUBファンダンゴ』(「FANDANGO」)での、あのクラブオーナー役が印象的ですが、本作でもちょっと似たようなキャラだと感じたのは私だけでしょうか。
彼の出演する映画はもっともっと見たいですね。

ところで、この『ファンタンゴ』をご覧になった方、偽の盲目のDJをやっていた青年を覚えていらっしゃるでしょうか。この青年、本作の主演女優モニカ・ブライプトロイのご子息です。


(将来が楽しみなモーリッツ・ブライプトロイ)

『ラン!ローラ!ラン!』(「Lola rennt 」)では、共演のフランカ・ポテンテばかりが注目されましたけれど、『ファンダンゴ』と『ミュンヘン』(「Munich」)以降、活躍が期待されているドイツの若手俳優です。以上の3作は見ましたが、見たいと思いながら未見の『素粒子』(「Elementarteilchen」)は期待できそうです。ドイツの若手俳優として、モーリッツ・ブライプトロイという名は記憶しておいきたいですね。

もう一人、本作で取り上げたい役者として、監獄の監視員ミュッツァを演じている俳優も取り上げておきたいと思います。スヴェン・ピッピッヒ (Sven Pippig)という俳優が演じています。


(難しい役どころを好演していたスヴェン・ピッピッヒ )

尊敬するピアノ教師クリューガーに自分の娘にレッスンを施してもらいたいのに相手にされない悲しみと悔しさ・・・・。

その思いがジェニーの才能への嫉妬となり、監獄内での権力を行使できる立場を悪用し、ジェニーを抑圧していく役どころですが、



音楽を愛する心が他の心を凌駕する・・・
音楽の持つ偉大さでもあり、人間がもてる高貴さでもあるかと思われたラストのミュッツァの、この眼差し・・・・

彼が演じた監視員(刑務官)は、人間の卑小さと高貴さを感じさせてくれる役柄で、とてもいい味を出していたと思います。このシーンなど、胸に染み入りましたもの。いろいろな作品で見かける俳優だなァと思いましたが、どの映画だったか・・・・ハノーヴァー出身の舞台俳優なんですね。実に存在感のある演技でした。 

そして、最後の一人は、こちら。


(ジェニーの無実を告白する父親役のヤスタミン・タバタバイとモニカ・ブライプトロイ

ジェニーの父親役のヤスタミン・タバタバイ。主演の二人の女優に隠れてはいますが、彼こそがこの映画をドイツ映画たらしめているキーパーソンですね。娘を愛し娘のピアノの才能に凄まじく期待してきた男。なのに、やってはいけないことをやってしまった悪魔のような男でもある。そのために娘の無実を知りながらも、それを公にできない父親とは何だろう。
進むも地獄退くも地獄という状況を招いた父親である一人の男の苦悩と恥辱には身がすくむけれども、刑務所から抜け出してコンクール会場にたどり着いたジェニーの参加資格を調べる相手に、彼女が自分の娘であることを家族と共に写した家族写真で証明するシーン、
こちらが、その直後の父と娘の緊迫感あるやり取りのシーン。

「ジェニー、優勝してくれ」
「パパ、死んでよ」

この会話こそ、先の戦争でナチスを生んだドイツ現代史の陰の部分を象徴するように思われました。そんなおどろおどろした過去やトラウマをそれぞれがそれぞれに持つ登場人者たちながら、本作で流れるピアノ曲はまぎれもなく同じドイツが誇るベートーヴェンやシューベルトやシューマンらの魂に触れるピアノ曲。
こうした音楽を盛り込みながら、本作をただの哀愁感で終わらせなかったところがドイツ映画たる由縁でしょうか。拍手ですね。

ラスト、シューマンのピアノ協奏曲を弾く予定だったジェニーの魂が、警官たちに包囲された会場の舞台の上で炸裂する4分間!
その4分間の彼女の演奏パフォーマンスは、ジェニーとクリューガーという老若二人の、ピアノに天性の才を持った女性たちの、まさに抱えんとして抱えきれずに背負ってきた罪の重さと愛の重さという相克、それゆえの傷を負った人生からの跳躍となります。

運命を受け入れて負けない・・・・まさにドイツが誇る、ドイツ的な映画の名作の一本となった由縁ですね。

ちなみに、緊張が続く本作において、このラストのシーン、モニカ・ブライプトロイ演じるクリューガー先生が、背中を丸めてワインをがぶ飲みするシーン、

なかなか良かったです。好きですね、こういうシーン。
全編緊張感のある映像で撮影を担当したのは、ジュティス・カウフマンというカメラマンですが、素晴らしい才能だと思いました。是非記憶に留めたい名前です。

新年最初のおススメの映画です。 

★ご参考までに。
http://www.vierminuten.de/

 


★2009年 ご挨拶・・・・1月前半の映画鑑賞

2009年01月18日 | ■2009年 1月の映画鑑賞

           

松の内に新年のご挨拶を、と思っておりましたのに、小正月のご挨拶となりました。何せ画像の愛猫同様、マイペースを保持しつつブログを書いておりますので、留守中にお越し下さった方にはお詫び申し上げます。お許しくださいね。

今年に入って見た映画、ティッシュペーパーの箱にメモしたものは覚えていて書けるのですけれど、そうじゃないのは失念して思い出せません。以下、赤で表示した映画が、今年に入ってから見た映画です。スタッフ情報とキャストについての委細は省略。

まずは、邦画から。
中村義洋(よしひろ)監督の『アヒルと鴨とコインロッカー』は今回が初見。この映画は食わず嫌いで見なかった1本でした。何せ原作者もロケも当地。それにボブ・ディラン!ボブ・ディランに郷愁を感じるのは伊坂さんと中村監督の親世代じゃないかという先入観も見損ねていた理由かもしれませんね。そんな青春時代を送った世代の影響で60年代の青春映画の焼き直しのような映画かもしれないと思ってしまったわけで、そういうのはたまらないなあと。
けれど、この映画はマル。繊細な演出が気持ちよく、瑛太がNHKの大河ドラマ「篤姫」で小松帯刀の役が回ってくるほどに人気を得ている理由が分かる気がしました。

ところで、崔監督の『刑務所の中』が面白かったので、あの映画で中村義洋監督が脚本を書いたんだったかしらと思い調べてみたら脚色担当でした。中村義洋監督って、今後どういう映画を作るんだろうと興味を抱かされましたね。

次なる映画は、WOWOWでだったか山口百恵特集で彼女の映画を久しぶりに観ました。といっても、彼女の映画で見たことのあるのは『伊伊の踊り子』だけですが・・・
今回は、『エデンの海』という映画で、もう何と言ったらいいのか、いったいいつの時代の映画だ!?と半ば呆れ半ば眩暈を覚えてしまう出来で、徹頭徹尾山口百恵という(当時何故か人気が出始めた)十代のタレントを売り出すための広報映画だなあと。
そういう意味では成功しているのかもしれませんね。本作で彼女の魅力は十分に堪能できるのではないかと思われました。彼女のファンだった男性にとってはたまらないかも。

三作目は、勝新太郎の『座頭市』、この映画は勝新太郎の座頭市最後の映画ながら、見逃していました。迫力の内田裕也、無言で斬られる緒方拳、イカレタ陣内孝則というそれぞれが凄まじい役柄で、久々に勝新の座頭市が見られて、それはそれで面白かったのですけれど、やはり昔の座頭市の映画群の方がダントツに面白いですね!名優必ずしも名監督にはなれずという証左を見たような気がしました。


次は、洋画で見た作品のご紹介。
ガンマンじゃなくてガンウーマンの西部劇『クイック&デッド』(「The Quick & the Dead」)、そう、シャロン・ストーンが親の敵討ちでジーン・ハックマンの胸に風穴を開けるラストが印象的な西部劇です。スカッとしますね、こういうエンターテイメント西部劇は。これを観るのは三回目でしょうか。ラッセル・クロウが彼女を守り立てる役になっているのが前回も印象的でしたが、レオナルド・ディカプリオが出ていたなんて気付かなかったです。(笑) こういうところで、出演者の当時の力関係(もとい年齢)が分かるなァと。
ちなみに、ラッセル・クロウは1964年生まれ。レオナルド・ディカプリオは1974年生まれ。主演のシャロン・ストーンは1958年生まれ。いくつになっても”男”を張っているジーン・ハックマンは1930年生まれ。主演女優のシャローン・ストーン演じる女ガンマンにとってジーン・ハックマン以外の男優は年下の男性ですね。しかもかなり年下ですもんね。(笑)親子ほどの年齢差のあるシャロン・ストーン相手に欲情する役が少しも違和感を抱かせないジーン・ハックマンはさすがですね。そして彼女に憧れを抱くキッド役のディカプリオも、可愛かったです。そういうあたりが、男優陣のガンさばき以上に見所の一つでしょうか。

次は、『エイリアン2』。シガニー・ウィーバーをスターダムに押し上げた映画ですけれど、さすがに古さを感じてしまいました。これも3回は観ていると思います。彼女に救出されるニュートという少女役の女の子、いまどうしているのでしょうね。キャリー・ヘン(Carrie Henn)で検索してみましたが、本作以外にヒットしませんでした。

またまた見てしまった『ハンニバル』(「Hannibal」)。あの『羊たちの沈黙』の第二弾ですが、当時、前作ほどにはセンセーショナルじゃなかったのは観客に”抗体”が出来たせいか、あるいは”慣れ”のせいだったのでしょうか。本作は前作以上に何度見ても面白く、観るたびに発見がありますけれど、アンソニー・ホプキンスが好きだからでしょうか。ジョディ・フォスターが前作で演じたクラリスを本作ではジュリアン・ムーアが演じています。ジュリアン・ムーアは評価できる女優ですが、個人的には本作でもジョディ・フォスターが演じていたら、映画の雰囲気は随分変わっていたのではないかという気がします。つまりアメリカの匂いになっていたかなと。

胸打たれた映画は、ロバート・デ・ニーロの『容疑者』(「City By The Sea」)。今回が初見ですが、いつもながらデ・ニーロの表情には唸らされました。親子の、特に父と息子の宿命的な関係が胸を打つ映画です。息子役が、ジェームズ・ディーンを彷彿させるジェームズ・フランコ。これが成功の鍵でもあったかなと。ジェームズ・フランコという若手を初めて見たとき、ジェームズ・ディーンに似ているなァと思ったものですけれど・・・・、映画によっては親子かと思いたくなるほど似ていると思う瞬間があります。そのジェイムズ・ディーンを演じたというTVドラマ『DEAN/ディーン』は、いまだに観ていませんので、観たいなァ・・・と思っているところです。
彼をご存じない方には『スパイダーマン』のハリー役の青年といえばいいでしょうか。

同じくデ・ニーロのアル・パチーノとの再びの共演作『ライチャス・キル(「Righteous Kill 」)も、今回が初見ですが、イマイチ感情移入できなくて終わった気がします。殺人、ドラッグ、売春と何でもありの犯罪都市としてのNYに対してイマイチ感情移入できなかったせいかもしれません。無論、あの『ヒート』以来の2大スターの共演&競演ですので、歳を感じさせない迫力ある両優の演技と表情は見ごたえ十分なのですが、刑事役はもういいかなと。
二人にはもっと違う映画での共演&競演を期待したいなあと個人的には思いますね。

つまらないと思いつつ観てしまった映画は、『続西太后』。清王朝の末路を思うと歴史の勉強になるかもしれないですが、映画としては「何だ、これ」でした。リュウ・シャオチンという女優が苦手なせいかも。

途中まで以前観た映画であることをすっかり忘れて見てしまい、自分でも呆れたのが、映画『イナ』(「Enough」)。DVの夫に立ち向かうヒロインのジェニファー・ロペス、自衛のためとはいえ殺人を正当防衛に見せかけてハッピーエンドというのは、いかにサスペンスとはいえ以前観たときに抱いたのと同じで後味が悪かったです。正当防衛が認められず過剰防衛として殺人罪に問われた主人公、映画『フェロン』(「Felon」)のことが脳裏を過ぎったせいかもしれませんね。ジュリエット・ルイスがヒロインの女友達という脇役だったのにも違和感がありました。彼女を起用するなら、脚本を何とかしろと言いたかったです。

爆笑した映画は、『アメリカン・スィートハート』(「America's Sweethearts」)。以前観たときはつまらないと思ったのに、今回は大いに笑えました。妹役のジュリア・ロバーツに「キキちゃん、キキ、うう~ん」と唇を突き出して甘えるキャサリン・ゼタ・ジョーンズにも笑えました。姉でスターという役どころ。その彼女と別居中の夫で、同じくムーヴィースター役のジョン・キューザックはミスキャストだなァと何故か今回も思いました。 スパイスの効いたコメディとして本作が笑えるのは、ビリー・クリスタルやスタンリー・トゥッチ、クリストファー・ウォーケンといった味のある個性派が脇を固めているからでしょう。彼らを配した辺りがイカシてますね。

勘違いして観る事になったのが『アローン イン ザ ダーク 2』(「Alone in the Dark 2」)。これって、誰だって勘違いしますよね!クリスチャン・スレイターとスティーヴン・ドーフの『アローン イン ザ ダーク』(「Alone in the Dark」)の第二弾かと思ったら、全然別の代物で、目が点になってしまいました。監督もマイケル・ロッシュという知らない監督で、B級の面白さもなくてさすがに見たことを後悔。オカルトになりそこねたオカルト映画。

さて、今日ご紹介する最後の映画は、去年公開の『ブラインドネス』(「Blindness」)、木村佳乃のハリウッド映画出演作ということでも話題となったらしいですが、やっと見ました。これは別立てでアップしたいと思います。

ということで、
本年もこの映画ブログを続けたいと思いますので、
どうぞよろしくお願い致します。

 

                         月光院璋子