月光院璋子の映画日記

気ままな映画備忘録日記です。

★2008年1月後半の映画三昧リスト

2008年01月30日 | ■2008年 1月の映画鑑賞

いよいよ1月も終わりですね。ということで、2月になってしまう前に今月観た映画の第二弾、「1月の映画三昧」備忘録の後編です。今回は、ちょっと感想を付記。

   ◎は、今回初めて観た映画
   ●は、以前にも観ている映画

●「カットスロート・アイランド」
●「ロングキス グッドナイト」

◎「スイ二ー・トッド フリート街の悪魔の理髪師」
◎「クリムト」
ーーーhttp://www.klimt-movie.com/   

●「チャイナ・シンドローム」
◎「テニスの王子様」
●「黒水仙」
●「エイリアン」
●「エイリアンVSプレデター」

◎「エイリアンVSプレデター2」
◎「かごめかごめ」
◎「ザ・ミラー」
◎「デイ・ウォッチ」

◎「レッド・ウォール」
●「ザ・コントラクター」
◎「もう一人いる」
◎「口裂け女」

◎「30デイズ オブ ナイト」
●TV時代劇「白虎隊」
◎「北村透谷 わが冬の歌」
●「乱」

 

*ご希望があれば、その映画について画像付きで記事を繰上げでアップさせていただきますので、コメント欄にその映画のタイトルをお知らせください。もっとも、私的感想付きになりますけど。


レッド ウォール

2008年01月28日 | ◆ラ行
アメリカのイエローストーン国立公園を舞台にした火災パニック映画。
アメリカに限りませんが、近年多くなっている山火事をめぐって、
自然消化政策と消防団による人為消化の問題も出てくるので、
映画そのものはB級ですが、考えさせられました。

映像は、時間が出来た時にでも。
簡単な感想でごめんなさい。

★2008年1月前半の映画三昧リスト

2008年01月18日 | ■2008年 1月の映画鑑賞

1月の前半分の映画鑑賞リスト。

  は、初めて観た映画
  は、以前にも観ている映画
  △は、映画ではなく、ドラマ(不要かな・・・)

●「クレオパトラ
△「新撰組で一番強かった男 壬生義士伝」
△「雪之状変化」
●「ミステリアス ピカソ 天才の秘密」
●「太陽と月に背いて」
●「パパとマチルダ」
●「交渉人真下正義」
●「ロック アップ」
●「プルーフ オブ マイ ライフ」
●「影武者」
●「ダイ ハード」
●「47人の刺客」
●「金閣寺」
●「東京タワー」
●「EUREKA ユリイカ」
●「アリゾナ・ドリーム」
●「妹の恋人」
●「歌麿をめぐる五人の女」

●「殺人狂時代」
●「ライムライト」
●「スプラッシュ」
●「帰郷」
●「単騎、千里を走る」
△「鬼平犯科帳 第二十九話」
●「荒野の七人」

●「田舎司祭の日記」---★
●「アロマ神父の罪」
●「エラゴン 意志を継ぐもの」

 


田舎司祭の日記(後半)

2008年01月16日 | ◆ア行

青春の危うさ

私の犠牲が実を結ぶためにも

この映画、今日二回観て、二度目に観たときに、
ここの台詞がどんなに大きな意味を持つかに、
初めて気づいたわたくしでした。

初赴任先の教区となった村から出て行くことになった神父が、領主の娘の従兄にあたる男(ここで初登場)に
バイクで駅まで送ってもらうことになったとき、
その後部座席で神父が自らに語る言葉。

何て迂闊なわたくしだったことか。

兵士との会話1

兵士との会話2

駅についてからの二人の会話、
そこで交わされたこの会話でも、
気づかなかったわたくし。

兵士との会話3

兵士との会話4

兵士との会話11


この外人部隊に入っているという男との会話が、
ここまで進んだとき初めて、
そう初めてここで、
わたくしはこの映画の神父の立場を理解したのです。

出発までのわずかな時間に交わされたこの会話で、
わたくしは神父が神に祈れなくなるほどに悩んでいた苦悩が何であったのかを、理解し、その苦悩に慄然とした思いになりました。

兵士との会話5

神に仕えるあなたも、「まかり間違えば」われわれ外人部隊の兵士と同じ兵士になっていたかもしれないと苦笑しながら語る男。

兵士との会話9

兵士との会話10

けれど、信仰を持つものにとっては、ましてや聖職者にとっては神にその存在を問わずにはいられないかもしれない。神が禁じた行為なのか、教会が禁じた行為なのかは不明ながら。
この男が語る「兵士」という立場を神父が苦悩する存在を問う言葉に置き換えたとき、神父自身は、「仕方がないことです」と言えない自身と対峙することになる。

涙

かつて、司教が神父の健康を案じて神の愛を説教したときに、無意識に神父の頬を伝って流れた涙、神に祈れなくなるほどの苦悩とは、身もだえするほど神に祈りたい苦悩でもあります。だからこそ、「仕方がないことです」とは思えない神父なのではないか。


この神父を演じているのは、
クロード・レイデュという俳優です。
映画のラスト近くで
死を前にした神父が見せた表情・・・

死を前にして

あのジェラール・フィリップが見せた表情と同じなので、当時、こうした苦悩の表情が映画では評価されたのかなとちらっと思いつつ、兵士と神父との会話に戻ると、

兵士との会話17

兵士との会話18

この「取るに足らぬ石ころ」という言葉に、
神父は目を見張ります。

兵士との会話7

この後はネタバレとなりますので、
お嫌な方はここで、
お読みになるのはお止めくださいね。

 

神父は胃がんであることを知り、
命がもはやそう長くはないことを悟りますが、
まだ死を受け入れる準備は出来ていません。
自らが自らに問い神に祈ることができなくなったほどの苦悩の源を、見据えるという仕事が残っている。

 

訪ねた先は、
神学校時代の仲間であった男のところ。

友人宅1

男は≪病気≫が原因で病院に長く入院していたらしい。
退院後、聖職者たることをやめ肉体を酷使する仕事を探したという。人には言えないような根性の要る仕事もしてきたと。いまは身の回りの世話をしてくれる≪知的生活とは無縁≫の女性がいて、薬の販売の仕事をして儲かっているらしい。

彼は、語る。

友人宅2

友人宅4

友人宅5

神父は、もしかしたらここで初めて
自分の意思での言葉を語ったのではないでしょうか。

友人宅7

友人宅8

友人宅9


映画は、最後に、
この神父がどのような状況でどんな死に方をしたか、
この神学校時代の仲間として登場した男の口を通して(彼が司教に当てた手紙で)語られて終わりますが・・・・・神父の最期の言葉をお知りになりたい方は、このロベール・ブレッソン監督の映画、ぜひご覧ください。万人向けの映画とは言えない映画だと思いますので。

 

ブログで個人的な宗教心情を吐露する趣味はないわたくしなれど、正直申して、わたくしはキリスト教というもの、
あの宗教会議で成立したともいえるこの世俗宗教の原理主義的かつ禁欲精神の欺瞞には、少なからぬ抵抗感を抱いている一人なれど、映画を観終えた後、何だか無性に聖書を読みたくなり、しばらくぶりに聖書を開いて読みたくなりました。

この神父の秘めた愛、同性愛と神への愛の狭間で苦悩した人間への、追悼の気持ちからかもしれません。

 


田舎司祭の日記(前半)

2008年01月16日 | ◆ア行

日記の導入1

日記の導入2

では、この日記をつづる若き司祭にとって、
つづることの出来ない≪秘密≫とは何だろう。

映画を見始めたとき、
一瞬そんなことを思ったわたくし・・・・・

田舎の教区

フランスの片田舎の小さな教区に赴任してきた神父。
なぜかいつも沈鬱な表情で、胃の調子も悪く蒼白な顔は貧血のせいか。食欲もなく口にするものといえば、ワインと固いパンとほんの少しの果物。

苦悩

神父の表情から苦悩の影は消えません。

電気も通っていない教会ながら、隣家の議員の家では、夜毎大盤振る舞いながら、教会に電気を通すのに数ヶ月もかかると言う。腹を立てつつも反論しない神父はすっかり舐められているようです。貧しい村人は妻の葬儀代を支払うのにも文句を言ってくる。

教区の女の子にもからかわれる

聖体拝領の意味をすらすらと答える小悪魔的な少女にはこんな風にあしらわれ、ポットの水にクスリも盛られ、悪口を言いふらされ、

人生の秘密を問う女の子

家族の心になど関心のない領主である父を憎み、
その父親と愛人関係にある家庭教師を憎み、
自分に何の関心も持たない母を憎む少女。

人生の秘密は何かとまるで神に問うがごとき質問をして神父を悩ませます。そんな少女の淡い思いに気づかず、このままでは自殺する恐れがあると案じ、教区内の神父として働くべく出かける神父。

教区を回る神父

なのに、信仰に揺るぎのない神父という感じもなく、相変わらず顔面蒼白で病気のようです。

領主の妻

溺愛していた息子を亡くしてからは、神を憎んで家族をも省みない領主の妻。夫が愛人を囲って家政を切り盛りしようとしていても、それを屈辱と頭では思っていても引きこもって無関心のまま。愛する息子を奪った神など恐れるに足るぬと心を閉じたまま。悩む神父・・・・・

周囲が期待するように世俗の権力者である領主との関係も築けないまま、教区の司祭として勤めていこうとすれど、

P1160057.jpg

相談に行く先の司教さまは、

相手にするな

追い出せばいい

この司祭さまの助言、お年寄りのそれと侮っては惜しいものがあるので、ちょっとご紹介させていただくと、

わしの時代は

途中で投げ出すくせに

こんなはずではなかったと

いまの自分を愛して欲しいと

本物の司祭は

尊敬させ従わせること

何だかマキュアベリが納得しそうな統治論ですが、教区における司祭の立場に求められるものは、教区の村人の心の救いとか祈りへの指導といったことよりも、そういったものだったのかもしれません。

領主の妻が自殺した夜、神父宛に彼女から感謝の手紙が届きますが、神父から傲慢の罪を指摘され、死の直前に癒しを得たという彼女の言葉。


この映画、こんな風に淡々と続いていくのですが、この段階ではまるで、若い神父の成長の姿を描いた映画かと勘違いしてしまいます。が、どうも、そういったものではないらしい。

領主の妻が亡くなる前夜に神父と口論をしていたという噂(娘が誤解から流した噂)から、神父は教区内の村人から疑惑の目を向けられ、領主は神父を他所の教区に移動させてしまおうと画策。神父を取り巻く状況はかなり悪くなります。が、鈍感なのか関心がないのか、神父には分かっていません。状況を打開しなければいけなくなった司教がやってきます。

司教1

司教3

こんな風に司教に理解を示される神父ですが、身の潔白を明かすべく「実は・・・」と言うこともない。領主の妻からの手紙のことは語ろうとはせず、沈黙したままです。

司教2

確かに、司教の言うとおりの神父です。
けれど、どうでしょう。
嘘をつかないからといって、秘密がまったくないということにはならない。嘘をつけないからこその、苦悩というものもある。

教区の村を出る神父

教区の村を出て行くことになる神父。
この村に赴任して来たときと変わらない顔。

祈れない神父

神父が夜も眠れず、とうとう「祈れない」と言って苦悩する。いったい、神父が祈れなくなるほどに抱えている苦悩というのは、何なのか。

 

今日観た映画『田舎司祭の日記』ですが、このブログ(1)は、映画のご紹介の導入としてアップさせていただきました。

映画『田舎司祭の日記』のご紹介は、
次回のブログでしたいと思います。