月光院璋子の映画日記

気ままな映画備忘録日記です。

「4分間のピアニスト」(原題「VIER MINUTEN」)

2009年01月27日 | ◆ヤ行

 

2006年ドイツ映画
クリス・クラウス 監督


(迫真の演技、まさに燻した銀のような演技が圧巻だったモニカ・ブライプトロイが演じているのは、クリューガーという監獄でピアノを教える教師)

長年刑務所でピアノ教師を務めてきたクリューガー。老いたりとはいえ、戦争前はフルトヴェングラーの弟子だったという過去がやがて明らかにされる設定ながら、この存在感が只者ではないという印象を観客に与えずにはおかないところ、さすがというべきでしょうか。



それほど才能あるピアニストとして陽の当る道を歩むはずだった女性が、なぜ刑務所で受刑者にピアノレッスンをするピアノ教師になっているのか・・・、戦前&戦争中に何があったのかと観客に考えさせる奥行きのある芸術家魂全開の老ピアノ教師トラウデ・クリューガーの役を見事に演じているのはモニカ・ブライプトロイ (Monica Bleibtreu)という、いまやドイツが世界に誇る女優です。
彼女のプロフィールを見て驚いたのは、5年間ハンブルグ大学で演劇と音楽を教える演劇科で教鞭を取っていることでした。まさに凛とした忍耐強い教師役ははまり役でしたね。

そんな教師役の彼女が受刑者の一人、しかも殺人罪で服役している少女のピアノの才能に出会い、彼女をピアノコンクールで優勝させることが自分の使命だと思う。

ほとんど台詞がないにも関わらず口にする台詞の多くが実にきっぱりとした断定。所長をはじめ関係者の保身や思惑などに動じない強さは、いったいどこからくるのかと観ている側は驚かされるほどです。猫背気味に前かがみとなって立ち歩く小さな体に鋭い眼光、凛とした寡黙なピアノ教師の老女がピアノの天才少女と運命的な出会いをしピアノコンクールで優勝を目指すのですが、目指すのではなく「優勝する」と断言する様子には、息を呑みます。

さりながら、そこは刑務所。しかもその天才少女は殺人罪で服役中。ファイルに記載された記録は消せない。そんな使命感を抱いた老ピアノ教師から、レッスンを受けることになるジェニーですが、感情の抑制が出来ずすぐにかっとなり暴力を振る自暴自棄の問題児と成り果てている。彼女の全身から立ち上ってくる抵抗するハート、方法はむちゃくちゃながらプロテストするスプリット、誰をも信じず誰にも心を開かず荒れ狂う孤独なハート・・・・


(ピアノを弾けば天才的な才能を垣間見せるのに、心を通わせることができない少女の心の闇・・・そんなジェニー・フォン・レーベンを演じているのはハンナー・ヘルツシュプルング)

けれど、クリューガーは動じない。音楽にしか興味がないと語る頑迷な老ピアノ教師の凄み・・・ジェニーにピアノコンクールで優勝させること、それこそが自分の使命だと語るクリューガー。



やがて、少しづつ独房でピアノのレッスンに集中するようになるジェニーですが・・・・、

音楽を愛し音楽に救われ音楽に生きてきたであろう自らの人生、でも、通常考えられるピアノストの人生ではない・・・そんな人生を生きてきたかのようなクリューガーと、服役するまでは天才の名を欲しいままにしてきたピアノストだったジェニーの心は、それぞれ別のところを見ているかのようです。
流れるシューベルトの曲が、効果的なシーンです。

ピアノコンクールで数々の入賞暦を誇った少女が一体何故、服役するようなことになったのか。ブランクを乗り越えピアノを弾けば天才的な才能を垣間見せる少女と心を通わせることができないクリューガー

そんな少女の心の闇・・・ジェニー・フォン・レーベンという少女を凄みのある演技で垣間見せてくれていたのがハンナー・ヘルツシュプルング (Hannah Herzsprung)という新人ですが、


(いい女優になりそうなハンナー・ヘルツシュプルング

意志の強そうな少女のこの眼光は、何に抵抗し何を見つめているのか。予選をクリアした後も、刑務所の中ではさまざまな抑圧が彼女の内なる抵抗に追い討ちをかけます。実に緊張感のある場面の連続となりますが、人間の弱さと危うさ、いつでも間違いを犯すわたしたち人間というもの、見方を変えれば人生は綱渡りのような側面に満ちているのだと考えさせられます。

ここで、本作に厚みを持たせてくれている俳優をご紹介します。刑務所の厳格な監視員の一人コワルフスキーという男をリッキー・ミューラー(Richy Müller)が演じています。


(素敵ですね~もっと多くの映画で見たいリッキー・ミューラー)

個人的に、リッキー・ミューラーというと、映画『CLUBファンダンゴ』(「FANDANGO」)での、あのクラブオーナー役が印象的ですが、本作でもちょっと似たようなキャラだと感じたのは私だけでしょうか。
彼の出演する映画はもっともっと見たいですね。

ところで、この『ファンタンゴ』をご覧になった方、偽の盲目のDJをやっていた青年を覚えていらっしゃるでしょうか。この青年、本作の主演女優モニカ・ブライプトロイのご子息です。


(将来が楽しみなモーリッツ・ブライプトロイ)

『ラン!ローラ!ラン!』(「Lola rennt 」)では、共演のフランカ・ポテンテばかりが注目されましたけれど、『ファンダンゴ』と『ミュンヘン』(「Munich」)以降、活躍が期待されているドイツの若手俳優です。以上の3作は見ましたが、見たいと思いながら未見の『素粒子』(「Elementarteilchen」)は期待できそうです。ドイツの若手俳優として、モーリッツ・ブライプトロイという名は記憶しておいきたいですね。

もう一人、本作で取り上げたい役者として、監獄の監視員ミュッツァを演じている俳優も取り上げておきたいと思います。スヴェン・ピッピッヒ (Sven Pippig)という俳優が演じています。


(難しい役どころを好演していたスヴェン・ピッピッヒ )

尊敬するピアノ教師クリューガーに自分の娘にレッスンを施してもらいたいのに相手にされない悲しみと悔しさ・・・・。

その思いがジェニーの才能への嫉妬となり、監獄内での権力を行使できる立場を悪用し、ジェニーを抑圧していく役どころですが、



音楽を愛する心が他の心を凌駕する・・・
音楽の持つ偉大さでもあり、人間がもてる高貴さでもあるかと思われたラストのミュッツァの、この眼差し・・・・

彼が演じた監視員(刑務官)は、人間の卑小さと高貴さを感じさせてくれる役柄で、とてもいい味を出していたと思います。このシーンなど、胸に染み入りましたもの。いろいろな作品で見かける俳優だなァと思いましたが、どの映画だったか・・・・ハノーヴァー出身の舞台俳優なんですね。実に存在感のある演技でした。 

そして、最後の一人は、こちら。


(ジェニーの無実を告白する父親役のヤスタミン・タバタバイとモニカ・ブライプトロイ

ジェニーの父親役のヤスタミン・タバタバイ。主演の二人の女優に隠れてはいますが、彼こそがこの映画をドイツ映画たらしめているキーパーソンですね。娘を愛し娘のピアノの才能に凄まじく期待してきた男。なのに、やってはいけないことをやってしまった悪魔のような男でもある。そのために娘の無実を知りながらも、それを公にできない父親とは何だろう。
進むも地獄退くも地獄という状況を招いた父親である一人の男の苦悩と恥辱には身がすくむけれども、刑務所から抜け出してコンクール会場にたどり着いたジェニーの参加資格を調べる相手に、彼女が自分の娘であることを家族と共に写した家族写真で証明するシーン、
こちらが、その直後の父と娘の緊迫感あるやり取りのシーン。

「ジェニー、優勝してくれ」
「パパ、死んでよ」

この会話こそ、先の戦争でナチスを生んだドイツ現代史の陰の部分を象徴するように思われました。そんなおどろおどろした過去やトラウマをそれぞれがそれぞれに持つ登場人者たちながら、本作で流れるピアノ曲はまぎれもなく同じドイツが誇るベートーヴェンやシューベルトやシューマンらの魂に触れるピアノ曲。
こうした音楽を盛り込みながら、本作をただの哀愁感で終わらせなかったところがドイツ映画たる由縁でしょうか。拍手ですね。

ラスト、シューマンのピアノ協奏曲を弾く予定だったジェニーの魂が、警官たちに包囲された会場の舞台の上で炸裂する4分間!
その4分間の彼女の演奏パフォーマンスは、ジェニーとクリューガーという老若二人の、ピアノに天性の才を持った女性たちの、まさに抱えんとして抱えきれずに背負ってきた罪の重さと愛の重さという相克、それゆえの傷を負った人生からの跳躍となります。

運命を受け入れて負けない・・・・まさにドイツが誇る、ドイツ的な映画の名作の一本となった由縁ですね。

ちなみに、緊張が続く本作において、このラストのシーン、モニカ・ブライプトロイ演じるクリューガー先生が、背中を丸めてワインをがぶ飲みするシーン、

なかなか良かったです。好きですね、こういうシーン。
全編緊張感のある映像で撮影を担当したのは、ジュティス・カウフマンというカメラマンですが、素晴らしい才能だと思いました。是非記憶に留めたい名前です。

新年最初のおススメの映画です。 

★ご参考までに。
http://www.vierminuten.de/

 


「誘拐犯」

2008年05月03日 | ◆ヤ行

久しぶりに観た。この映画を観るのは何度目だろうと思うほど、数回は観ているけれど、何度観ても面白い。
脚本がいいからだろう。

ベニチオ・デル・トロとライアン・フィリップという個性がまったく異質な二人の俳優が誘拐犯をやるのだが、ベニチオ・デル・トロという俳優には、なぜかいつもはらはらさせられる。予定調和的じゃない役者イメージだからだろう。


そして、誘拐されるのがマフィアの一組織を差配するチダックという男の子供を身ごもった代理母。その代理母をジュリエット・ルイスが演じているのだから、面白くないはずがない。


そのマフィアのボスをスコット・ウィルソン、その運び人役をジェームズ・カーンという渋どころが演じていて、まさにはまり役。さらに加えて、ボスの護衛役の若手二人をテイ・ティッグスという実にスリリングな黒人俳優とニッキー・カートという、これまた個性がまったく違う俳優のコンビが配されていて、映画の人物配置がなかなか凝っている。


危険排除という言葉がボスの部屋で交わされるシーンがあり、これが非情に意味深長だ。



それぞれが計画通り、予定通り、思惑通りに動こうとしているにも関わらず、どの人物にとっても状況が≪思いがけない方向≫に展開し、緊迫感のある銃撃戦さながらに出産で血を流す代理母ロビンとそのお腹の中にいる子供をめぐって、予定していない多くの死者が生み出されていく・・・・
その予測不可能さ、その理不尽さ、その意外性は、イッチャッテル犯人の一人をベニチオ・デル・トロが好演した「ユージャル・サスペクト」と同じだが、盲目的な愛の背景に隠れる裏切り、信じて疑わない迂闊さというものへの皮肉、欲望への執着を一気に絶つような良心と善のこころの表出、自信と冷徹さの足を掬う偶然というものの衝撃性という点では、「誘拐犯」の方が勝っている。
まるで、人生そのもののようではないか・・・・・

ラストの銃撃戦は、まさにそうした人生の諸相のような様子を呈し、何度観ても圧倒されてしまう・・・ジェームズ・カーンがラストで二人を撃つその体の部位が、両足の膝と向う脛というところ、これには何度観ても唸らされてしまう。

監督は、この優れた脚本を書いたクリストファー・マックァリー。犯罪モノ以外の脚本での映画を観てみたい。
実に怖い作家だ。



ところで、ジュリエット・ルイスを見ていると、
毎回思うのだけれど・・・・・
彼女って、トム・ハンクスの妹じゃないかと思うほど、
二人はとても良く似ていると思うのだけれど、
そう感じるのは私だけかしら。