月光院璋子の映画日記

気ままな映画備忘録日記です。

「007 慰めの報酬」(原題「Quantum of Solace」)

2008年12月14日 | ◆ナ行

冒頭のいきなりのカーチェイス、それも絶体絶命的なカーチェイスには、思わず肩に力が入ってしまいました。まるで、いきなりジェットコースターに乗せられた感じで観客は007の世界に突入です。

ダニエル・クレイブ(Daniel  Craig)がジェームズ・ボンドに起用されてから、007シリーズは、他の大型エンターテイメントのアクション映画と同じテイストとなりました。
あの『MI』シリーズと同じ次元の映画になったなあと。

以前の007は事前に約束事(セットといいストーリーと言い、その馬鹿馬鹿しさを楽しむというお約束事)があり、それを踏まえないと、とても観られたものじゃない漫画映画で、そこが面白かったわけですけれど、ダニエル・クレイブの007は、そうした前提なしのアクション映画になった分、緊張感のあるアクション映画が好きな私としてはなかなかいいぞと。

製作者関係者はどうやってダニエル・クレイグを口説き、
また映画に対してうるさいダニエルはどんな条件を出して、
漫画的映画007を映画的映画007にしたのだろうと、
前回では想像する楽しみもありましたが、
いよいよ映画的映画の007が似合ってきたダニエル・クレイグ。
本作はその期待を裏切らずさらにパワーアップ。
それほど、面白かったです。


監督は、前作のマーティン・キャンベルに代わって、マーク・フォスター。ドイツ人の監督ですが、アクション映画では名前を聞かないですよね。この監督は、ヒース・レジャーファンとしては銃で自殺するシーンが印象的だったあの映画、ハル・ベリーの体当たり演技で主演女優賞をとったあの『モンスターズ ボール(Monster's Ball)』(邦題「チョコレート」)の監督であり、また、ジョニー・デップ主演で撮った『ネヴァーランド』(原題「Finding Neverland」)の監督です。
人種差別を通して人間の心の頑迷さや弱さを、親子の絆や葛藤などを通して人間の孤独や弱さを、とても繊細に描けるヒューマン派&社会派の監督といったイメージの監督ですが・・・・、
どういう事情で007を撮ることになったのでしょう。

ネットでちょっと調べてみたら、ダニエル・クレイグが交際していたお相手がドイツ人の女優ハイケ・マカチュ(Heike Makatsch)なので、そのときにご縁ができたのかもしれないなあと。
ダニエル・クレイグとは同世代なので意気投合したのかもしれないなあとも。無論、委細は分かりません。(苦笑)

ちなみに、こちらがハイケ・マカチュ。
  ↓
 
(007とは関係ありませんが、ご参考までに)

製作者と脚本担当者、そして音楽監督には、
前作『カジノ・ロワイヤル』と同じ名前が上がっていましたので、
いい意味でチームワークが良かったのだろうなアと思える出来。
ホント、なかなか”見せてくれる”映画でしたよ。

さて、気になるボンドガール、
何となく前作のエヴァ・グリーン(Eva Green)とタイプが同系の、

オルガ・キュルリレンコ(Olga Kurylenko)。

映画
『ヒットマン(HITMAN)』でニューヒーローとしての魅力を放ったティモシー・オリファントとともに新鮮な魅力を放った女優ですが、名無しのエージェント47の同行者となった売春婦役でした。アイラインが溶けて目の周りが真っ黒だったのが印象的。
東欧の名前は耳慣れないせいか、本名のウクライナ語名も分かりづらい。オーリハ・コスチャントィーニウナ・クルィレーンコ。オリガ・クリレンコという紹介もあり、こんな風に名前が統一されないのって、国際的に活躍する上でマイナスにならないのでしょうか。

ホント、エヴァ・グリーンと感じが似てました。お色気のボンド・ガールとは一味も二味も違う存在で、本作に深みを持たせる役柄。
ちなみに、前作でジェームズ・ボンドが愛した女性役を演じたエヴァ・グリーンは、こちら。

 
(前作のボンドガールのエヴァ・グリーンです。ボンドが愛し失った女性役)

彼女、映画『ルパン』にも出演していたのを思い出しました。あのルパン役の男優はイマイチでしたけれど、やはりエヴァはヨーロッパの香りのする女優ですね。

本作は彼女の死を激しく引きずるボンドの内面とリンクするハードボイルドです。
そんなボンドの胸のうちを理解するM、
ボスである彼女との信頼関係の醸成もまた実にスリリングでした。それほそまでボンドのハートを射止めた女性役ですから、
ボンドガール的女優ではダメなわけで、
アメリカのハリウッド女優と雰囲気が違う女優の起用は正解でしたね。彼女がフランスの女優だったように、
本作ではドイツの女優の起用。
新シリーズのボンドガールは
ヨーロピアンイメージでいくのかも。

007といえば、
無論敵役の俳優もご紹介しないといけないですよね。
今回は、こちらのマチュー・アマルリック(Mathieu Amalric)。

この画像では007の敵役をイメージするのは難しいですが、この笑顔の彼が映画ではどんな悪役として存在感を見せているか、乞うご期待です。

ちなみに、
前作の007の敵役を覚えていらっしゃるでしょうか。

そう、このル・シッフルという男。存在感がありました!
まだ若いジェームズ・ボンド一人ではとても攻略できそうになかったですもんね。英米仏諜報部提携の情報工作員総出でヤット倒せるかもしれないという、怖さがありました。しかもボンドは手痛い犠牲をも払うことになってしまった・・・・

ダニエル・クレイグのニュー007では、敵役としてそれほど存在感のある、しかもル・シッフル役にマッツ・ミケルセンという新鮮な俳優が起用されたということが、勝因の一つのように思います。

このマッツ・ミケルセン(Mads Mikkelsen)は
デンマークの俳優です。

ダニエル・クレイグの007第二弾となった本作『慰めの報酬』も、そこは同様でとっても楽しめました!



イギリス諜報部の顔Mは、本作でも彼女。イギリスが誇る名女優、ジュディ・デンチ(Judi Dench)。この役、はまり役ですね。
74歳、まだまだ頑張ってもらえそうです。
他の出演者もご紹介したいのですが、それは公開後に画像付きでご紹介したいと思います。

一般上映は来春。もうじきです。
楽しみにお待ちください。

★ご参考までに。http://www.sonypictures.jp/movies/quantumofsolace/

 

 


「ノエル 星の降る夜の奇跡」

2008年09月25日 | ◆ナ行

さまざまな理由からクリスマスを家族といっしょに過ごせない人や、クリスマスをいっしょに過ごす家族のいない人達は、クリスマスをどういう気持ちで迎え、どうやり過ごすのか。
クリスチャンじゃないとイマイチその気持ちは分からないないけれど、日本人ならさしずめ年越しと元旦を不本意にたった一人で過ごす人たちの状況と相通じるものがあるのではないでしょうか。
この映画は、家族と共に過ごせないさまざまな理由を抱える人々の苦悩と孤独に光が射す物語。いわゆるニューヨークを舞台にした現代版クリスマルキャロル。



親子関係がすこぶる良好な母娘にとって、体が弱って一人では暮らせなくなった老母を娘が世話をしたいと思うのは洋の東西を問わず自然の情愛でしょう。けれど、この娘の半生はちょっと複雑系。母親と同居したことで夫は家を出ていき離婚。以来、母の介護と児童書出版社の編集長という仕事に明け暮れて20年・・・・。40歳を過ぎて子供もなく婚期も逃してしまい家族は母だけと自分で思っている。認知症が進み今では娘の自分の事も分からなくなっている母親が、クリスマスを迎えて食べ物を口にしなくなった。何とか一口だけでも食べて欲しいと焦りを募らせていくけれど・・・・
このバツ一の中年独身女性を演じているのは、スーザン・サランドン。

隣の病室では重症患者が意識不明で眠り続けています。エンジェルの飾り物をその病室の窓に吊るしに行った彼女は患者を見舞う先客と出会いますが、これが何とロビン・ウィリアムズ。

 

ロビン・ウィリアムズ主演映画ではありません。念のため。

街では結婚を前にした恋人同士ペネロペ・クルスとポール・ウォーカーがラヴラヴ。数年前の映画ですが、いま観ても何とも新鮮な取り合わせだと思いました。二人は結婚間近なのに、彼は心配性で独占欲も旺盛。新手のストーカーみたいですけれど・・・

            
 
そんな彼との結婚にペネロペは不安と迷いを感じ始め気持ちが落ち着かない。ちょっとしたことで、イライラしてけんかになります。ペネロペの出演作にははこうした諍いのシーンが多いですけれど・・・・言い争うときの表情にどこか無理が感じられてあまり似合わないなァと思うのは、私だけかしら。
                   

そんなペネロペとスーザン・サランドンが妙な偶然と成り行きからイヴの夜のひと時をバーでいっしょに過ごすことになります。                                                                                                                                                                                 


これ、めずらしいツーショットでは?

彼女たちが愛に満たされない思いに揺れていた頃、一人アパートに残されたポール・ウォーカーの元にやってきた老人。雪の降る中、アパートの下で待ち続けていた彼はレストランでウェイターをしていた彼・・・・     このアラン・ アーキンの何ともいえない存在感の魅力はどうでしょう!もう目が離せなかったですね。   

                                    

                                    

何とも熱っぽい視線でポール・ウォーカーのことを見つめ、「自分の妻の生まれ変わりだ」と言って譲らないアラン・アーキン。物静かで穏やかな人物ですが、目は確信に充ちているのだから、実にミステリアス。ポール・ウォーカーの反応が面白い。

同じ頃、 一人の若者が病院に「今年もクリスマスイヴのパーティはやるの?」と問い合わせにやってきます。

 

 何としても入院して「それ」を再び体験したい青年はトンでもないことを思いつきます。もう心が壊れれかけている証ですが・・・


(この俳優の名前が分からないけれど、どこかで見た顔・・)

かくして三者(三組)三様のアンサンブルで映画は淡々と流れていきますが、それぞれ問題を抱える彼彼女らの周囲に配された人物たちが絶妙でこの映画に広さと厚みと深みと軽妙さと笑いをもたらしているように思われました。

  スーザン・サランドンを「あなたと寝たがっているいい男がいるわよ~」とたきつけ、「母親と同居したばっかりに夫に逃げられ離婚して10年。その母親の介護に10年。男の愛なんて面倒なだけだけど、セックスは必要よ」とのたまう同僚。

   念願かなって母親のような年齢差のスーザン・サランドンをデートに誘いつつ、結局、その気になれない彼女を前にしての態度は不快さも嫌味もないもので、いい子だな~と感じちゃいました。ダニエル・サニャータ、マイタイプではないけれど、今後チェックしていたい俳優かも。

 「私がクリスマスを嫌いな理由スピーチコンテスト」でスピーチする羽目になったスーザン。この場面、涙あり笑いあり。

話しかけても呼びかけても無反応で、せめて一口食べさせようとしても拒まれてしまい、その瞬間、いきなり手にしていたコンテストの景品のミニツリーを床に投げつけ座り込んで泣き出してしまう。

                                

介護疲れと疎外感と孤独感がはちきれた瞬間でしたね。
気がつけば、冬の夜の川面を見つめて立ったまま目には涙。このシーン、笑いに隠れつつも実に胸に迫るものがあります。いまにも飛び込もうとするかのような彼女に、同じような佇まいの男の声・・・母親の病室の隣会った彼でした。

さて、ポール・ウォーカーとアラン・アーキーの方はどうなったでしょうか。 
容態が気になり忍び込んだ病室で息子だという男と出会うポール、このときの二人のシーン・・・・
                                      

                                                                                                   

以下、心に染みた場面をアップしますので、どんな状況で彼らはこうした行為にたどり着いていくのか・・・今年のクリスマスもあと3ヶ月、是非ご覧になっていただきたいですね。 

                                                                           

                                     

                                   青年は病院側の計らいで精神科の女医と話をすることに。青年の話を黙って聞く彼女の表情がとても素敵でした。 

 

      

多くの場面で出てくるこの手を取り合うシーン、
じっくりご覧いただきたいと思います。

本作のチャズ・パルミンテリ監督は、衝撃のラストで心を打った『ブロンクス物語 愛につつまれた街』のときとは違って、生きることの意味を問うべく観るものの心を抉ってくるような切れ味を、この作品ではペーソスで隠し演出の冴えを見せています。一歩踏み間違えれば自殺や殺人と隣り合わせの切実な人生を生きている、そんな人々の心を他者との触れ合いによって生まれる温もりで温めようとした監督の思い、まさに聖夜に相応しいものでした。

 


「ナンバー23」

2008年09月25日 | ◆ナ行

いかに駄作かが気になり、「ミッドナイトイーグル」を取り上げましたが、映画館でご覧になられた方達は「チケット代返せー」と言いたかったこととお察しします。以下のジム・キャリーの主演映画『ナンバー23』で気分を変えていただきたいと思います。


あのジム・キャリーが、あの顔で、この役!?

まずは、そう言いたくなる映画です。同時に、この映画は2度観ないと観たことにはならない、そう言うしかない映画だろうと思いますよ。一度観ただけでは本作のサスペンスの完成度がうまく伝わらない。つまりは愉しめないままに終わってしまうから、拍子抜けさせられて腹が立つかも知れません。
 
動物管理の仕事中に犬に腕を噛まれて仕事を休むことになったジム・キャリー、これでも読んだら?というノリで妻から一冊の本を手渡され、何だか不思議な感覚に襲われていきます。


動物管理局の職員でまじめな愛妻家の主人公役のジム・キャリー。本を読め進めていくうちに、小説に書かれた主人公の話をまるで自分のことのようだと思い始めていくのですが、
 
(この本に書かれている作者の子供時代って、まるで僕と同じなんだっ!すっかり作中の話に嵌っていくジム・キャリー。まるで子供のように興奮してあれもこれもと共通項をあげつらっていきます。そのときの妻に話す姿は、笑っていいのかヤバいと思うべきか・・・・)

(興奮して話す夫に対し、すでに読み終えている妻は可笑しさをこらえながら、「最後まで読めば、あなたとは違うということがわかるはずよ」と余裕であしらいます。観ているこちらも、いつしか妻の目線でジム・キャリーを眺めてしまいます)

観始めてしばらくはジム・キャリーの様子がおかしくて、いつもの(他作品での)ジム・キャリーだと思って思わず笑ってしまいます。妻から相手にしてもらえなくて子供のようにムキになる姿も、おお、ジム・キャリーと言いたくなるほど。
そして・・


(23という数字を何から何まで身の回りの事象と関連付けないではいられなくなってくるジム・キャリー。関連付けを探すことができるたび目を輝かせ、ゲームに夢中の子供のようにすっかりわくわくドキドキ。)

読書の進行につれて出てきたのが、23という数字。
自分の誕生日も23日、
免許証も社会保障番号の数字を足すと23、
アル・カポネの囚人番号も23、
連邦ビルの爆破事件が起こった日も23、
連続殺人犯の処刑日も23、
駐車場のナンバーも23、というように、

何から何まで23という数字に関連付け、23という数字と自分には関連性があるのだと思い込んでいく様は、笑っていいのか、ヤバイと思う局面か。まさに神経症そのもので、とうとうカウンセリングを受ける羽目になります。


(精神科医を演じたダニー・ヒューストンのせいで、リアルワールドでジミー・キャリーが疾走を始めてからというもの、どんなラストになるのか、その謎解きで最後まで騙されてしまいました。さすがに食えない俳優です。)

ところが、主治医にこう諭されても聞く耳持たず、さらに、
ユークリッド幾何学の定義も23、
広島の原爆投下は8月15日だから、8+15=23、
彼女の靴の数も23足、
マヤ暦で予言された世界の終わりも2012年の12月23日

ジム・キャリーは、数字を足したり引いたり割ったり掛けたりしながら23探しに夢中になっていきます。その姿が滑稽なのでここまでは本作をジム・キャリーのサイコ的な姿で笑わせてくれる映画なのかと思ってしまうのですけれど・・・・


(最初、誰だか分からなかった彼女、リン・コリンズだったんですね・・・)

読み進めるうちに本の中の登場人物と自分が一体化。
地味で家庭的で妻に子供のようにあやされている大人しい現実の自分と違って、スタイリッシュでクール、スリリングで冷酷な男のイリュージョンがそのままセルフイメージとなって、愛する女性とも危険な遊びを楽しむ男に変貌する幻想を持つようになるジム・キャリー。この、本に誘導されたセルフイメージの転移映像は、「シン・シティ」の映像のノリといえばいいでしょうか。



やがて、23という数字に取り付かれ、寝ても覚めても23という数字の発見に全神経を集中していくリアルワールドの自分が、23という数字への異様な執着に導かれるようにして、小説の中の人物の行動意識=イリュージョンの中の自分となり、イリュージョンの中でやがてトンでもない行為に及んでいくまで、本作をジム・キャリーのサイコ的な姿で笑わせてくれる映画なのかと思って観ているんですよね。

ところが、この殺人シーンの前後から、リアルワールドのジム・キャリーは、脂汗を流しながら、「この本は僕のことを書いている!自分が書いたんじゃなければ、自分のことをよく知っている人間が書いたに違いない!」と覚醒して、書いたのは君か~と妻を殺さんばかりの精神状態になり、家から疾走。

そこから以降はリアルワールドでの展開となり、あっという間に映画はどんでん返しのラストを迎えてしまい、観客は、そのときになって見事に読みがハズレてやっと、「ああ、こういう映画だったのか・・・」という≪遅い気づき≫を与えられて放り投げられてしまいます。そういう意味で、恐らく一度観てそれっきりという多くの方にとっては、本作『ナンバー23』はジム・キャリーの喜劇俳優としてのイメージが先入観となって本作を愉しむどころではないだろうなァと。

これ、実に出来のいいサスペンス映画だと思います。恐らく監督のジョエル・シューマカーは、ジム・キャリーの持つ特性、笑いと恐怖と狂気の表情を紙一重にする顔の表情を評価して彼を起用したのではないかと思われるほど、演出も見事。23という数字の≪謎解き≫を本作への誘導として使い観客を引き込みながら、後半見事にハズスという手腕は、映画の面白さを熟知した監督ならではの手法だと思います。



夫を思う平衡感覚抜群の愛妻を演じたヴァージ二ア・マドセンも、「ひょっとしたら、彼女が犯人(この異様な世界、現実と幻想、意識と無意識の世界の交錯をジム・キャリーに仕組んだ犯人)なのではないか・・・」「彼女が種明かし的存在になるのでは」と思わせる何とも不気味な表情があり、どこまで誰を信じたらいいのか分からなくなるクライマックスとラストの演技、なかなか唸らされました。
こういう女優を見ると、いろいろな作品で思いがけない役で使ってみたくなるのではないでしょうか。

ジム・キャリーのイリュージョンの世界で出てきた二人の女性、一人は、「23という数字が私を支配する」という言って自殺する幻想的な女性を演じていたのは、前掲のリン・コリンズですが、ジム・キャリーを23という数字に嵌って神経症全開にしていく誘導の役目を担う存在です。

ブロンドのカツラと化粧ですっかり別人になっていて、こちらにも騙されちゃいましたね。

そして、もう一人、幻想の世界でジム・キャリーが愛し殺した相手の女性を演じていたのは、こちら。

最初ヴァージ二ア・マドセンの一人二役かと思ったのですが、ローナ・ミトラでした。この彼女もジム・キャリーの夢と現の両世界の女性を演じています。ジム・キャリー演じるところのウォルターにとって避けては通れない重要なキーパーソンながら、作品の本筋を邪魔しないなかなかの存在だったと思います。

このようにサスペンス映画として面白いキャスティングになっていて、手垢のついていない女優陣を配したことが成功の鍵のように思われました。ジム・キャリーの熱演も、本作を観た二度目になら、堪能できるのではないでしょうか。また忘れた頃の観てみたいなあと思う1本ですね。

2007年制作のアメリカ映画。コメディではなく、コメディタッチのスリラーでもなく、よく出来たサスペンスです。脚本は、ファーンリー・フィリップス。ジョエル・シューマカー監督の他の作品はこちらでご覧ください。★ご参考までに。http://www.allcinema.net/prog/show_p.php?num_p=851

 


「二ムの島」(邦題「幸せの1ページ」)

2008年08月28日 | ◆ナ行

冒頭、美しいイラスト画像で始まる現代のメルヘン。インターネットのメールのやり取りで知り合った二人、一人は父親と二人きりで太平洋の孤島で暮らす少女二ム。


このニムを演じているのは、アビゲイル・ブレスリン。魅力的な子役の誕生ですね。



二ムの毎日は、学校はこの孤島の美しい自然。親友はイルカやアシカやペリカンやトカゲたち。彼らを友としてこの孤島の自然の中でいろいろなことをして遊んでいる。(学んでいる!?)

二ムの父ジャックは海洋生物学者。ジャックは、太平洋の孤島のパソコンからインターネットで世界に繋がっている。
研究熱心な学者で論文も発表し学者としての名声を得ている変り種。普段はとっても娘思いのパパなれど、仕事に熱中すると他のことが視界にはいらなくなるという天才肌。
なかなかキュートな設定です。

孤島に週一回届けられる生活物資の中には本も。そう、二ムは、冒険物語の主人公アレックス・ローパーに夢中の女の子。

そんな二ムがひょんなことからメールでやり取りすることになった相手のHNがナンとアレックス・ローパー!というのも、このジョディ・フォスター扮する小説家アレクサンドラこそ、アレックス・ローパーの産みの母の小説家だからです。

二人はメールを通して友達になっていくのだが、 二ムのパパジャックは、いつものように海洋生物の新種を採取しに海へ出たきり戻らない。ジャックの船は嵐で難破したのだ。



戻るはずの父親が海の彼方へ行ったきり・・・・、二ムはいつしか、父親も鯨のお腹の中にいるという母親のように、戻らなくなるのではないか?



不安が押し寄せる二ム!

けれど、嵐で停電しても自分で電気を復旧させ、怪我をした足もメールでのやり取りで自分で手当てしながら、イルカやアシカやトカゲを友として孤島でたった一人で奮闘する。窮地に立ったときには、きっとアレックス・ローパーが助けに来てくれると信じて疑わない。なぜなら、アレックス・ローパーはヒーローであるだけではなく、二ムにとってたった一人の心の友だから。

二ムのことをてっきり博士の助手かなんかだとばかり思っていたアレクサンドラは、メールでの会話で初めて相手がまだ11歳の女の子だということを知り、



太平洋の名もない孤島に、
いま、11歳の少女がたった一人でいる!?

動揺するアレクサンドラ!電話恐怖症もどこへやら、あちらこちらに電話をして二ムの救助を依頼するのですが・・・・・何せその島がどこにあるのかさえ分からない。



島の緯度と経度を知らせる二ムからのメール・・・



「わたしに出来ることは?」
というアレクサンドラのメールへの返信は、
たった一言、
「来て」

こういうメールをもらったら、
腰を上げないわけにはいかないのでは!?

ところが、問題が・・・・

 
インディ・ジョーンズみたいなアレックス・ローバー。
ジェラルド・バトラーは、この物語の空想上のヒーロー、アレックス・ローバーと二ムの父親のジャックを一人二役で演じ分けていますが、この一人二役、なかなか自然で魅力的でした。

アレクサンドラは、出版社からの電話にも脅える失語症寸前の作家だが、実は一日中パソコンの前にいて小説のネタも書くための資料も全部ネットから仕入れているという徹底したネットオタク。おまけに会話する相手は、何と自分の小説の主人公アレックス・ローパーただ一人・・・

二ムのところに行かなくちゃ!
太平洋の孤島でたった一人、
11歳の女お子が、わたしが行くのを待っている!

行かなくちゃ!

ところが、さらなる問題は・・・・


(全身から汗が噴き出し、脚ががくがく震えて動けないアレクサンドラ)

玄関のドアから外に出ることができない外出恐怖症!加えて、殺菌消毒スプレーを持ち歩かないとパニックを起こす潔癖症という重症な神経症患者!
アレックス・ローパーと散々会話の応酬をしながら、やっとの思いで外で待つタクシーに乗ったものの、さっそくげーげー吐いてしまうアレクサンドラ・・・



長い道のりを悪戦苦闘しながら、
やっとたどり着いた島で、
二人はリアルに会うわけですが・・・・
あなたは誰?
わたしが、アレックス・ローパーよ。

「違う!あなたは、女じゃない!アレックス・ローパーは男よ!あなたなんかアレックス・ローパーじゃない!」

と拒否されてしまうアレクサンドラ・・・
このときの泣きそうなジョディ・フォスターの表情が秀悦。
泣きたくなりますよね・・・・

30代半ばで子どもを生んだ女優ジョディ・フォスターにとって、我が子と同じ年頃の女の事の共演は、さぞかし楽しかったのではないでしょうか。


 


「西の魔女が死んだ」

2008年06月29日 | ◆ナ行

映像は、頃合を見て後日掲載します。

★ご参考までにーーーhttp://nishimajo.com/top.html

繊細な映画です。サチ・パーカーが、すばらしかったですね。
その日本語の丁寧語と同様に。

映画「ナースコール」のように、人が人を思いやるやさしさに濁りのなさを見出す感性、映画「死国」のように土地や森や自然や風土への畏敬の眼差し、自然の恵みの中で人は生き生かされるという思い、映画「8月のクリスマス」のような繊細さが、今回もまた映像を通して観る側に静かに伝わる作品になっていました。

長崎俊一監督の今後の作品も楽しみです。演出と映像からよけいなものをそぎ落とすには観客への信頼がベースにあれば十分で、この「西の魔女が死んだ」という映画は、実は観客への信頼なくしては成り立たない。不要な説明がそぎ落とされたのは、そういった踏み込みがあったからでしょう。

説明的な場面というのがいかにいまどきの映画には多いことか。それがいかに映画を退屈なものにしているか。

長崎監督の真骨頂というものが、今後どういった作品に結実していくか実に楽しみな監督です。