月光院璋子の映画日記

気ままな映画備忘録日記です。

★2009年2月下旬の映画鑑賞メモ

2009年02月25日 | ■2009年 2月の映画鑑賞

 

★「Out Of Season」(邦題「ファイナル ショット」)

デニス・ホッパーといい、ジーナ・ガーションといい、超個性派の役者たちが出ているせいもあって最後までぐんぐん引き込まれて観終えました。いかようにも深読みしようと思えば深読みできる、そういう映画なので、ある意味唸らされました。
監督は、ジェボン・オニール。ブログで別立てでご紹介したいと思った作品です。

★「あかね空」http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD10250/ 

夫婦や親子の葛藤と情愛を通して家族の絆を描いた人情物。
内野聖陽の一人二役が見ものでした。

 

★「Taken」・・・http://www.imdb.com/title/tt0936501/

離婚されて久しく離婚の原因となった内容不詳の仕事も現役を引退した中年男が、ロックバンドの追っかけでパリに旅行することになった17歳の娘を売春組織から救い出すというアクションスリラーというか、リアルなファンタジーアクション映画というべきか。

娘をひたすら想う父親の切なさと実は彼の仕事というのが政府のスパイだったというリアム・ニーソン(Liam Neesonの行動のすばやさ・・・・スパイとして得てきた全てを駆使して娘の救出に爆走するところ、とてもスリリングで、これまでのスパイもののアクション映画とはかなりテイストが違いましたね。007並の活躍で「シンドラーのリスト」のイメージで入ると驚かされることでしょう。観終えた女の子は誰もが「こんなパパが欲しい!」と思い、観終えた大人の女性は、「こんな男性が夫だったなら最高に安心だわ」と思い、観終えた父親である男性は、「こんな男と比較されちゃたまらんなァ・・・」と思われること間違いなしですね。

★「デビルマン

以前観た「キャシャーン」という映画よりは良かったかなと。
本作のテーマ、想像はできたけれど、プロットが多すぎて冗長に流れている感は否めなかったですね。原作のラストを知らないのでイマイチ理解が及ばなかったにせよ、面白いところが少なからずあったのに残念。こうなったら前向きに楽しんだ方がいいかなと。出演者の顔ぶれには、結構愉しませてもらいましたが、主演の子、「陰陽師2」の須佐役を演じた子かなと思いましたが、違うんですね。

映画は、いまや実写といっても、VFXというかSFXといおうか、その技術がどれほどのレヴェルかで決まってしまうような映画が随分製作されるようになっていますね。ある意味映画の可能性が広がっているのだと思いますが、「デイ アフター トモゥロー」の津波のシーンのように相当の時間と費用もかかるのでしょう。けれど、SFXなどの美術的な映像制作技術がいかに進んでも、映画はやっぱり脚本の出来と監督のスタッフをまとめ上げる力と采配、そして俳優陣の魅力というものがモノをいうのだなあ・・・と考えさせられる映画でした。(汗)

 

★「Cougar Club」(邦題「American Host Club」)

こんなドタバタお色気青春喜劇に、フェイ・ダナウェイが出ていたこと自体が驚きでした。主演の若手の二人、ウォーレン・コールとジェイスン・ジャーマン、こういう映画に出演しなくても他のもっとましな映画がありそうに思うのですが・・・・20代の男の子たちと40、50、60代と思しき熟女たちのカップリングって・・・違和感がありましたけれど、ホストクラブの男の子たちと客である女性たちのカップリングもいまや珍しくはない時代。
母親のような熟女たちを「彼女はまさにキャデラック、あっちはフェラーリだ!」と車で例える若者たちの表現には笑わせられました。ブラックユーモア喜劇といっていいかも。

 

●「スパイダーSpider」(原題「Along Came a Spider」)

リーマン・タマホリ監督の2001年のサスペンス映画。モーガン・フリーマンが渋く決めている映画ですね。音楽も良かった。内容をすっかり失念して観始めたのですが、誘拐される子役時代のミカ・ブーレムが出てきた時点で、ああ、前にも観ているぞと思い出した次第。
モニカ・ポッターって、ジュリア・ロバーツにどことなく似ているなあと感じた表情や話し方が結構観られて面白かったです。

★「モンゴル」  http://mongol-movie.jp/

浅野忠信がジンギス・ハンを演じたセルゲイ・ボドロフ監督の映画ということで期待したのですが・・・・、妻ボルテを演じた女優、良かったですよ。クーラン・チュランという女優さんなんですね。それとジャムカを演じていたスン・ホウレイという中国の俳優さんもアクが強い個性派でおもしろい俳優です。
時間がものすごく長く感じられたのは、子供時代から大ハーンとなるまでのテムジンの半生を描いているためか、はたまた登場人物が皆モンゴル語を話すというようなことよりも皆寡黙で台詞も極力少なめだったせいか。モンゴルの大自然と暮らし、かつて世界の半分以上を征服した偉大なるモンゴル民族を率いたジンギス・ハーンという人間をじっくり見せるための歴史大河ドラマみたいで、「モンゴルの大自然」というドキュメンタリーみたいな印象の冗長な、いえ壮大なドラマに仕上がっていました。(汗)

★「シリアの花嫁」 http://www.bitters.co.jp/hanayome/



ブログで別立てでアップしていますので、
よろしければ、そちらをご覧ください。

 

●「ゴースト ニューヨークの幻」

この映画、実は以前見たとき、パトリック・スウェイジってあまり好みのタイプじゃないし、ファンタジーは苦手だし、という意識もあったせいか途中でつまらなくて見るのをやめた映画だったので、今回初めてまともに観終えました。デミ・ムーアって、確か本作でブレイクしたんだったかなあと。こんなに首が太かったかと驚きますが、その後の彼女の進んだ方向を考えると、本作で感じたキャスティングの違和感は、ある意味もっともな違和感かなと。音楽がレトロ・・・

●「波止場」

エリア・カザンの名作です。久しぶりに見ました。マーロン・ブランドの若さが実に新鮮で、ジョニー役のこの御仁、

 

リー・ジェイ・コップも良かったですね。
音楽がバーンスタインだったことを失念していましたが、撮影のボリス・カウフマン、いいですね・・・やはりいい映画は、はまり役の演じ手たる俳優たちの存在も大きいけれど、力のあるスタッフあってのものかなあと再認識させられました。
 

●「ナショナル トレジャー2/リンカーン暗殺者の日記」

説明は不要なほど、娯楽映画としてなかなかよくできていると改めて思いつつ楽しませてもらいました。
敵役に配したエド・ハリスは好きな俳優ですし、二コラス・ケイジ演じる主人公ベンの両親にジョン・ボイトにヘレン・ミレンを加えたあたり、そして大統領役のキャストもイケてましたね。「13days」でケネディを演じたブルース・グリーンウッドです。まるでホントの大統領かと錯覚させられる瞬間がありましたもの。
前作の続編として相棒役の若手のジャスティン・バーサとの息も合っていて安心感があり、前作以上に面白かったのはスタッフとキャストの冴えですね。

 

●「オーストリア」http://movies.foxjapan.com/australia/

見るのは二度目です。この少年が気になってまた観てしまったという感じ。オーストラリアの大自然が堪能できましたが、地球温暖化のせいなのかどうなのか異常気象が過日の大山火事のようにこの大陸を侵食しているのでしょうか。
そのオーストラリア大陸の歴史の暗部、かつてのイギリスの植民地支配とオーストラリアとなってからも続いてきた同和政策や人種差別(女性差別も)といった問題を扱った映画です。が、ゼロ戦の空襲シーンにはどきりとさせられましたね。

それにしても二コール・キッドマンには、不満が残ります。どうしてなんだろうと本当に不思議ですが、こういう役だと彼女の良さが出ないのかもしれません。彼女の良さ=無論、凄まじい悪女役をやってもらいたいなァ・・・
ヒュー・ジャックマン他、俳優陣のキャストは前回も書いたように悪くない布陣だったと思います。

 

 


「シリアの花嫁」・・・(3)

2009年02月24日 | ◆サ行&ザ行

なかなかご覧になれない映画だろうと思いますので、映画の内容をできるだけたくさんの画像を交えてご紹介しております。

さて、国境に着いた花嫁一行。まずはイスラエル側でシリアに行くための事務手続きを取ります。

問題なくスタンプを押してもらって、まずは一安心。普通ならスタンプを押されたパスポート(?)を持参して花嫁本人がシリア側で手続きを取ればいい場面ですが、モナのパスポート(?)は国連管轄の事務官の女性が受け取ります。

イスラエルとシリアが領有を争っているゴラン高原なので、両国の和平のために駐留している国連が、いわばゴラン高原での出入りを管理しているわけです。



シリア側からの了解のスタンプをもらえば、花嫁はシリアに行けるのですが、シリア側の国境管理事務所では、思いがけないことが起こっていました。

イスラエル側で押されたスタンプが、昨日までのスタンプと違うと言い出したのです。驚いてもう一度確かめに戻る国連の管理事務所の女性は、イスラエル側にそのことを話しに戻ると、
その日赴任したばかりの官吏が言うには、今日からそのスタンプになったのだとの返事。何の問題もないという。

かくして、何の問題もないというイスラエル側でしたが、シリア側が問題としたのは、「このような変更は聞いていない」しかも、「ゴラン高原はシリア領土なのに、なぜイスラエルが”出国というスタンプを押すのか”という抗議で、事態は硬直していきます。

かくして時間はどんどん流れ、待っている家族には倒れる人間もでてきてしまう。

国境の向こうには、やっと花婿たち一行が到着。花婿と親戚一同を乗せたバスが途中で故障し、時間には遅れたものの花婿自ら修理して駆けつけた次第。

遠目ではあっても初めて結婚する相手と出会ったモナ・・・・
けれど、花嫁は境界線を越えられない。

それは、この期に及んで花嫁にとって、
自分の人生が決まらないことを意味します。 

緊迫した状況の中で、
イスラエルの官吏とシリア側の官吏の間を何度も往復して疲れ果てる国連の女性。実は、彼女もそこでの任務は今日で終わり。ましてや、花嫁の弟はかつての恋人でいい加減な奴だと思いきろうとしていた相手・・・・「手続きは後日改めてやればいい」という官吏の言葉に帰ろうとします。

それを、険しい表情で留める弟マルマン。

彼の真剣さに驚きつつも、もう一度掛け合うことになった女性。
イスラエルの役人は「もう勤務時間は終わりだから」ということで去ろうとしますが、家族は一歩も譲らないという気迫・・・・

家族の思いに打たれた役人は、「わたしにも子供がいるから、気持ちはわかる」と一度自分が押したスタンプの一部を修正液で消して協力することに。
喜びいさんでシリア側の事務所に向かうと、そこにいたのは先ほどまでの役人とは違う男。さっきまでいた官吏は、勤務時間が過ぎたので交代して帰ったとのこと。



せっかくイスラエル側が譲歩して問題の文言をスタンプからけしてくれたというのに、シリア側の新しい国境警備の役人は、「そんなことは聞いていない。こんな修正液で消したスタンプは無効だ」の一点張り。両国の緩衝地帯を管理する国連の事務官である女性は 、



何とかしてほしいとイスラエル側に再び戻ってくるのですが・・・
花嫁の国境越えにあまりに時間がかかっているので、
不安を感じ始める花婿の一行。

許可が下りないことを知り、シリアでは有名人である花婿は、国境の警備役人の上司である人間を飛び越えて大臣に直接電話をするよう促され、いきおい勇んで電話するのですが、

電話は空しく鳴るばかり・・・・
”上からの指示がなければ許可は出せない”の一点張りのシリア側に業を煮やして戻る国連の女性事務官を境界線の向こうで見守る花婿一行。



許可が下りないの。でも何とかしてみる・・・・
暗い顔の事務官と姉のアマル。

そんな様子を見つめながら、
モナは何かを思いつめた表情になります。

いまや何とかシリア側に行かせてやろうと思うイスラエル側の官吏もまた、上司に電話をして事態を打開する方法を訴えようとしますが、その頼みの電話も空しく鳴るばかりでした。

そうこうしている間に、
モナは一人境界線を越えて出て行きます。

予想外のモナの行動に、その後姿をただただ見守る兄弟たちと両親・・・・

モナの姿に一人胸に込み上げてくるもので、
いまにも叫びそうになる姉のアマル。その後ろには、いまや愛も信頼も持ちえていない別居中の夫・・・・・夫は妻であるアマルに、「男である俺の立場を分かってほしい。」と彼女に譲歩と従順を求めていたのです。

自分の人生を自ら歩みだした妹の姿を見て、
アマルはその場から走って離れるのでした。

花嫁モナは、もう一つの境界線を超えられるのかどうか。
それは、この映画のテーマではないのです。
国と国との諍い、シリア人でありながら不当に外国に占領された地で住み暮らす者たちの思いは決して一言では語れない。また、杓子定規な役人の対応はどこの国にもあることで、われわれ一般人というのは、そうした国家の意向を体現すべく行政官としての職務を遂行しているだけの役人に対して何の力も持ち得ないことが往々にしてあります。そんな八方塞の状況に立たされたときの、人間としてどう行動するのか・・・・
その行動を支えるものは何か。

映画は、希望という意味の名前を持った姉のアマルの自立の歩みで終わります。
「シリアの花嫁」(1)の冒頭でご紹介したように、ゴラン高原を越えてシリア側に嫁いだ花嫁の事をお伝えしましたが、その境界を越えたなら後戻りはできないということは、わたくしたちの人生においてもあることではないでしょうか。
そういう意味で、本作「シリアの花嫁」という映画は、イスラエルの不法領有を批判したり、シリア側の武力で持ってしてもどうにもならない国家の限界に思いを馳せさせるものでもなく、ましてや反戦映画ではなく人生への姿勢を静かに示す映画であると感じました。

 


第81回アカデミー賞

2009年02月24日 | ★ご挨拶&その他
映画ブログを書いている一人として、
やはり、書いておこうかなと。
昨日のアメリカのアカデミー賞の結果。

主要部門受賞一覧
・作品賞:『スラムドッグ$ミリオネア』
・監督賞:ダニー・ボイル 『スラムドッグ$ミリオネア』
・主演男優賞:ショーン・ペン 『ミルク』
・主演女優賞:ケイト・ウィンスレット 『愛を読むひと』
・助演男優賞:ヒース・レジャー 『ダークナイト』
・助演女優賞:ペネロペ・クルス 『それでも恋するバルセロナ』


・脚本賞:ダスティン・ランス・ブラック 『ミルク』
・脚色賞:サイモン・ビューホイ 『スラムドッグ$ミリオネア』
・長編アニメ映画賞:『ウォーリー』
・短編アニメ映画賞:『つみきのいえ』
・外国語映画賞:『おくりびと』
・美術賞:『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』
・視覚効果賞:『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』
・メークアップ賞:『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』
・衣装デザイン賞:『ある公爵夫人の生涯』
・音響編集賞:『ダークナイト』

感想としては、助演男優賞がヒース・レジャーに与えられたことと『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』が”視覚効果賞”と”メークアップ賞”を受賞したことには納得でした。そして、我が日本映画から『おくりびと』が日本アカデミー賞と受賞した直後にこちらの外国語映画賞を受賞したことは、正直な気持ちとして快挙だといわねばならないなあと思いました。
他は残念ながらまだ観ていない映画なので、コメントのしようがないですね。ただ、ショーン・ペンという俳優は玄人受けする俳優なので、何だかハリウッド映画としては、娯楽やエンターテイメントだけじゃないぞーとアピールしているような感じを受けますね。



書いたブログがアップできないトラブル

2009年02月21日 | ★ご挨拶&その他
「シリアの花嫁」の(3)をお待ちの方がいらっしゃいましたら、
ごめんなさい。何度か記事を書いたのですが、
投稿不能の状態が続いております。
書き終えたブログ記事が消えてアップされなかったり、
画像を貼り付けた瞬間、画面がそのままフリーズしたり、
「シリアの花嫁」の(3)はトラブルが続いております。
まるで、映画の内容と同じですね。

画像に問題があるのかもしれません。
時間を置いて、またトライしてみますので、
いましばらくお待ちいただければ、幸いです。

                     月光院璋子




「シリアの花嫁」・・・(2)

2009年02月18日 | ◆サ行&ザ行

「シリアの花嫁」(原題「The Syrian Bride」)

監督・共同脚本・プロデューサー :
エラン・リクリス(ERAN RIKLIS )
共同脚本 :
スハ・アラフ(SUHA ARRAF )
撮影監督:ミヒャエル・ヴィースヴェク(MICHAEL WIESWEG)



冒頭映し出される街並み。
瀟洒な家に住み暮らすシリア人一家の一日の夜明け。


(とても結婚式の朝の表情とは思えない。彼女は何を思っているのか・・・・ヒアム・アッバスのこの表情が、本作の導入です。

ベッドで目を見開いたまま、朝を迎える中年の女性。彼女は誰だろう、何を思い煩ってこうした表情なのか、と誰もが思います。
けれど、起床後、すべてをテキパキとこなしていく彼女アマラ(。(ヒアム・アッバス)は、その日結婚式を迎える花嫁の姉であり、母親以上に挙式の世話役だと分かります。
その一日をカメラマンがビデオに写し撮っていくのですが、なぜ?だろうと観ている側は思うのでは?



挙式の朝の家の様子、家族の様子、花嫁の美容院での表情、式に集まる近所の人たちや家族の様子、とにかく何でも映していくのですから。しかも、誰もノーとは言わない。
彼に録画された画面が、時折映画の中で、まるで永遠に留めるかのように白黒で映し出されます。



こんな風に白黒画面として捉えられた彼ら彼女たちの表情は、現実にせわしく進行している流れの中で記憶に留められていく瞬間・・・・・この花嫁モナ(クララ・フーリ)の表情もまた、とても今日結婚する女性のものとは思われない。洋服さえ変えたらまさに葬儀です。

そんな中で繰り返し登場するのが花婿となるこちらの男性。シリアのテレビ界で人気の俳優らしく、TVを通して彼が笑いかけたりふざけたりしている映像を花嫁が眺める場面が出てくるのですが、


(陽気なTVタレントタレルを演じているのは、ディラール・スリマン)

二人は実は直接会った事がありません。まるで日本の戦前の結婚みたいですが、これもゴラン高原の抱える現実。
テレビタレントとして人気の彼タレルは、局内でも女性たちに花嫁の写真を見せながら一人のろけていて、その花嫁が今日嫁ぐ女性モナだと分かるのですが、両者の表情とあまりの落差に驚かされます。
が、タレルを演じるディラール・スリマン(Derar Sliman )のこの陽気さと恰幅の良さが、だんだんと本作の救いになっていくような印象でした。

この町の住民たちは、



いたるところに設けられた境界線のあちらとこちらに分かれたまま、ハンドマイクで家族や親戚とこうやって連絡しあっているのです。

花嫁が姉と美容院から帰ると、
何やら家の中は緊迫した様子・・・・
黒服の長老派たちが集まっていて、



緊迫した空気・・・
何やら不満と怒りを表明する長老たち・・・・



苦渋の表情の父親ハメッッド。演じているのは、マクラム・J・フーリというアラブ系パレスティナ人ながら、イスラエルを代表する俳優。実に見事な味のある演技と存在感でした。
ここで、花嫁の父親は、政治的宗教的に難しい立場にいると分かります。話し合いは決裂し、長老たちは、娘の結婚の祝いの席には参列せずに席を立ちますが、

花嫁の父親がシリアとの国境線に向かうことにも猛反対して出ていきます。なぜ?と思ってしまいますが、その直後、姉のアマルが懸命に父親を説得します。



もう関わらないでと厳しい口調で語る長女アマル。今日は娘の結婚式なのだと訴えます。この会話で、父親が長きに渡って刑務所暮らしで不在だったことが分かるのですが、そうでなくても父親は現在もイスラエル当局の監察下にある、そんな立場らしい。
ここで、この家族の重い歴史が目に浮かんでくるような場面ですが、父親はいきなりここでシリアの大統領の写真を飾り始めます。

こうした家の中での挙式の準備が進行しているときに、場面は空港に。イタリア男みたいなイメージで登場した彼は、
今日は妹の結婚式なんだとご機嫌な感じですが・・・



なぜイタリアから来たのか。
イタリアで何をしていたのか。
どこに住んでいたのか。

ビジネスマンだと答えても入国審査でストップがかかります。
自分の両親たちのいる実家に帰るのが、ここではそう簡単ではないという現実がわかります。

その頃、タクシーで妹の結婚式にかけつける家族。
花嫁のもう一人の兄ですが、今日を最後に妹とは二度と会えないからと語り、ここに帰るのは8年ぶりと語る。
こちらはシリア側からの入国らしく、意外と簡単に入国できたようです。妻がロシア人でロシアからの入国だからでした。が、そのことが、イスラエル側に占領されている故郷では、歓迎されない。



それを心配そうに見守る後ろの座席の母と息子・・・
何やら複雑系の一家です。

その頃、花嫁は塞ぎこみ始め、その表情も暗い。



夫となるタレルと従兄弟同士にあたる姉のアマルは、実際に彼をよく知っているらしく、占領される以前はいっしょに遊んだ仲だと推察できます。彼女は、何が何でも妹を結婚させたいらしい。「心配しなくていいの。ここを出て幸せになるのよ」と語る。

花嫁である妹の挙式を懸命に執り行なう姉のアマルですが、彼女には年頃の娘がいて、ボーイフレンドと何やら話し合っている。どうも大学進学のことらしい・・・・



けれど、父親に激しく反対されて泣き出します。
反対の理由は、「本人に問題があるわけじゃない。問題はあいつの父親だ。父親はイスラエルの協力者なんだぞ。許すわけにはいかない」と怒鳴って去ります。



そんな娘を母親は「大丈夫よ。あなたの進みたい道に私が進ませてあげる」と言うのですが、どうやらアマルは夫とは別居中のようでうまくいっていないことが分かってきます。

アマルは一人家を出て、イスラエルの出入国を担当する官憲に面会に出かけ、娘の結婚式なのだから国境まで見送ることを許可してほしいと訴えます。もう二度と会えないのだから、花嫁の父親として許可して欲しいと。



しかしながら、話し合いは難航。

その頃、
長男夫婦が実家近くまで来たとき、タクシーの運転手は、巻き込まれるのはごめんだとばかりに彼らを家の近くで下ろします。



長男夫婦が実家への道を歩き始めると、
家の前ではデモが行われていました・・・・



ゴラン高原の町の人々の間に生まれている政治的な、当然宗教的な対立や亀裂が察せられますが、映画の中ではラジオやテレビからのニュースとして国境沿いのさまざまな諍いが報じられます。
そんなゴラン高原の郷里から出て行った長男ハテムにとって、
8年ぶりの家族との再会。


(長男を演じているのは、エヤド・シェティ。母親役は、マルレーン・バジャリという女優ですが、いかに厳しい状況に置かれていてもやっていく母親としての存在感、強さを感じさせていました)

よけいな話は何も無し。
8年ぶりの再会で万感迫る思いで抱擁する母と息子。
温厚ながら内面には強いものを宿しているこの長男ハテムを演じていたエヤド・シェティ(Eyad Sheery)、陽気な次男とは正反対のような性格ですが、家族愛はいずれも皆強く、それだけに後半の緊張感ある展開では、この家族が全員心を一つにしていく場面が実に深い感動を呼んでいるのだと思います。

姉と比べると母親の出番はそれほど大きくはありませんが、それだけにその表情だけで見せるあたり印象深いものがありましたが、マルレーン・バジャリ(Marlene Bajjali)という女優さんについては、イスラエル、フランス、ドイツのドラマに出演しているらしいとしか分かりません。彼女が、初めて会う長男の嫁が披露宴に集ってきた近所の御婦人たちから、ロシア女と結婚するなんて・・・という悪口が聞かれてくる中で、彼女の傍に行き、トマトの切り方を教えるシーン、美しかったですね。

こうして花嫁の結婚式の当日に、離れ離れとなっていた家族が集合してくるわけですが、父親は抱擁もしないどころか目を合わせることさえせず、長男の妻にも孫にも言葉一つかけないでいます。長男一家は、国境で見送ることさえ禁じられる。

やがて披露宴の準備で皆が忙しく立ち回る中、
一人、不安を隠そうとしない花嫁モナ・・・・

けれど、披露の祝いの席も終わり、
近所の人たちに挨拶をし、
いよいよ会った事もない男に嫁ぐために、
育った家を後にするモナ・・・

それぞれがそれぞれの思いを抱きながら、
姉アマルは父親の意向を無視して、長男ハテムの家族を車に乗せて遅れて出発します。

家族は、シリアとの国境に向かいますが、
国境を管理する官憲たちもまた、彼らの後を追うのでした。

(つづきは、(3)にてご紹介します)


「シリアの花嫁」・・・(1)

2009年02月17日 | ◆サ行&ザ行

去年の国際ニュースにあったゴラン高原のシリアの花嫁、http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2524129/3374321

この高原の街に住み暮らしていたイスラム教ドルーズ派の女性Arin Safadiさん(24歳)は、去年の秋に親戚筋のRabia Safadiさん(35歳)と結婚するため、停戦ライン上の国連軍の監視ポイントからシリア側に入ったとのこと。けれど、彼女は二度とイスラエルが統治する故郷にいる家族とは会えない・・・・

  
(これらの画像は、去年実際にあったゴラン高原での結婚の写真です)

まさに、本作『シリアの花嫁』は、
こうした現実を写し取った映画です。

映画は、モナという娘の結婚式の一日。
けれど、祝いの席上には花婿はそこにおらず、家族は何やらさまざまな事情を抱えているらしく、宗教上、あるいは政治上緊迫したシーンがさりげなく日常の一場面として淡々と描かれているだけに、音楽が止まったときにはドキリとさせれました。

モナの姉のアマルは彼女の結婚を心から祝っていて、
本人以上に熱心です。


(アマルとモナ)

本作は、結婚式を迎えた妹の一日を淡々と追っていきますが、何と言っても大活躍なのは、花嫁よりも姉のアマル。彼女を軸に一家のかかえる複雑な事情、兄弟姉妹の複雑な事情、彼女の子供たちとの関係などが描かれていくのですが、この複雑な役柄を演じているのが、イスラエルの国際派女優のヒアム・アッバスという女優でrす。
そして、嫁ぐ花嫁モナを演じているのは、クララ・フーリ。姉のアマルの動きの合間合間に微妙に揺れ動く心理状態を台詞ではなく表情で見せきっているので目が離せませんでした。
彼女たちの父親を演じるのは、クララの実父でもあり、イスラエルを代表するマクラム・J・フーリという名優です。

ゴラン高原に住む人たちの置かれている政治的立場、その問題を登場人物たちそれぞれに背負わせて展開される本作は、登場人物達の政治的な背景を通してゴラン高原が抱える政治的な問題に目を向ければ、個々人の運命を狂わす政治というテーマに行くつくが、政治的な背景を抱えさせた家族の個々に焦点を合わせれば、本作は、自分の運命を決めるのはあくまでも個々の意志であるという命題に行き着くでしょうか。



この映画は、2004年のモントリオール世界映画祭でグランプリ・観客賞・国際批評家連盟賞・エキュメニカル賞という4つの栄誉ある賞を受賞し、同年のロカルノ国際映画祭でも観客賞を受賞した映画である。世界中の観客の圧倒的な支持を得て10以上もの賞を受賞した映画なのに、それでも、現実の政治課題を解決する力にはなりえないのだという感想を抱かされました。



では、つぎのブログで、
作品そのもののご紹介をさせていただきますね。

 


「ディファイアンス」(「Defiance」)

2009年02月13日 | ◆タ行&ダ行

監督は、エドワード・ズウィック監督
日本人から観るとちょっと時代考証がヘンだった「ラスト・サムライ」でも、ディカプリオを死なせる「ブラッド・ダイヤモンド」でも、ラストの緊張感ある場面で静かに感動を呼び込むズウィック監督。
その仕上げまでの撮影を担当しているのは、ユダヤ人たちの森での暮らしの映像を戦闘シーンに負けない映像美で映し出したエドゥアルド・セラ・・・「真珠の耳飾の少女」は忘れがたい映像でしたね。そして、本作で重厚な交響詩のような音楽を担当していたのは、ジェームズ・ニュートン・ハワード
こうしてみると何と言っても硬派なスタッフという印象です。



1941年、ナチ政権下のユダヤ人強制収容所から脱出したユダヤ人たちがレジスタンスに合流したという話は聞き知ってはいたが、これほど多くのユダヤ人が脱出し隠れ住んだ森があり、そこで終戦までそして終戦後も生き続けた人々の物語があったなど信じられない思いで観ました。



本作は、親衛隊SSによるユダヤ人狩りがドイツ国外にも及び始めた時期、彼らが銃を手に自らの生存と自由を賭して戦ったという史実を忠実に再現したものだというだけあって、007のイメージとは程遠いダニエル・グレイブを始め皆かなり地味です。(もっとも、ダニエル・グライブ自身、もともとがアクション俳優ではなかっただろうと思いますが、007での魅力を本作でも発揮しているといえるかもしれませんね。)
アクションや戦闘シーンを期待していい映画ではないけれども、そうしたシーンが淡々と撮られているだけに実にリアリスティックな印象で、そこが共感を呼ぶエンターテイメントに仕上げているのかなと感じました。



そこで、銃を持って戦うことを決意した男たちは、普通の男たちでした。



このハレッツという人物を演じているのは、アラン・コーデュナー。森での暮らし・・・・、神への祈りや射撃訓練のシーンなど、さながらケビン・コスナーの「ロビンフッド」を思い起してしまったくらいで、特に射撃の訓練シーンには共通するものがあるように思いました。

デファイアンス・・・プロテストとは違う意味での「抵抗」という意味。人間の自由や尊厳を抑圧し奪うものに対して危険を無視して挑むほどの抵抗を意味する言葉です。

こちらが、妻子もナチに殺害された弟のズシュ・ビエルスキ。
リーヴ・シュレイバーが好演しています。

いいキャスティングだと思いました。
兄のダニエル・グレイブと戦法に対する考え方の違いから反目し、喧嘩して森を去りソ連軍と行動を共にすることになるのですが・・・・当時のソ連の赤軍もドイツ軍と闘っているのであり、ユダヤ人を守るために闘ってくれているわけではありません。

誰もどこも守ってはくれないというユダヤ人の歴史を思うと、何だか現イスラエルの軍事行動の心理的背景と重なって感じられてしまいます。
この森でも、彼らは、自分たちの生存権を死守するために、つまり生きるため生きていくために戦う道を選んでいく。
けれど、森での厳しい暮らしは難題だらけ・・・・

トヴィア・ビエルスキ(兄)=ダニエル・クレイグはナチに妻を殺害され、森に逃げてきたユダヤ人たちのリーダー的存在。
両親のみならず愛する妻もナチに殺されているという人物。
しかしながら、007とちょっと重なる設定ですが、復讐心を抱きながら強い意志と戦闘力を持つ男などではなく、現実に存在した普通の男性・・・・。ゆえに、そこには多くの人間的な側面が見え隠れし、まさに普通の男としての迷いや苦悩や弱さが共感を呼ぶのではないでしょうか。
そんな彼がリーダー的存在となっていくときに、その能力や資質に不満や疑問を投げかけられ異議が出されたり・・・・
実にリアルな人間関係の襞というか綾というか、そういったものが描かれているために観ているこちらもその場にいる一人になったかのように感じられてきます。

ぎりぎりの中で生きて戦う彼が森の暮らしの中で出会い求め合う女性を演じているのはリルカという収容所から逃げてきた女性。
アレクサ・ダヴァロスという女優ですが、音楽を学んでいたという経歴の感受性の豊かな女性で、彼をまっすぐに見つめる青い目が印象的でした。

ただ・・・・、仮にそれが事実だったとしても、ダニエル・グレイブに白馬に乗って人々に演説させるのはやめて欲しかった。何だか北の将軍様を思い起こされてしまって。。。。

そして、
兄弟の中で一番下のこちらの弟。



どこかで見たような・・・・

誰だろう・・・・と見入ってしまうほど好印象だったこの俳優。
このビエルスキ兄弟の末の弟アザエルを演じている青年が、あの「リトル ダンサー」のジェイミー・ベルだとは気付きませんでした・・・

彼が森で挙式するカップルを演じるのですが、
相手の可憐な少女ハイア役を演じているのは、
ミア・ワシコウスカという若手の女優です。
これも違和感のないキャスティングだったなあと。

史実の重み、そして事実の忠実な再現に意を砕いたという制作姿勢が、本作を地味ながらいい意味でのエンターテイメント性のある戦争映画にしているのだろうと思います。

ラストに静かな感動を集積する仕掛けをするエドワード・ズウィック監督、本作でもその辺は踏襲されているように感じました。
これを機会に、この映画で描かれた3兄弟の史実について、
じっくり知りたいと思いました。

 


「レボルーショナリーロード/燃え尽きるまで 」(「Revolutionary road」)

2009年02月13日 | ◆ラ行

感想は、「2月上旬の映画鑑賞」http://blog.goo.ne.jp/ms-gekkouinn/e/be8fb9cfa1efa6d62c450a0bc1f917a6に記してありますので、ここでは、映画の深読みは避けて、本作に出演している主演&他の印象的な役者さんをストーリーに準じて取り上げたいと思います。



パーティで出会い恋に落ちる二人。女は女優の卵、男は「仕事は?」と尋ねられるがはぐらかす。セールスマンか何かだが、人生において仕事に特に意義を感じていないらしい。やがて普通のサラリーマンだと分かる。ただし、1950年代のアメリカの。

場面は変わり、それから数年後。
いきなり劇場の場面。ディカプリオが花束を持って劇場にかけつける。舞台にたっているのは彼女ケイト・ウィンスレット。けれど、観客席からは、「彼女、期待したほどじゃないわね」といった声・・・・



二人は結婚し郊外にマイホームを持つ夫婦になっていた。ということは、結婚後も女優への「夢」は続いていたことが分かるけれど・・・・、公演への評価は芳しくはないことは誰よりも当事者が分かるものだ。ディカプリオは何とか褒めて彼女を喜ばそうとするが、逆効果。

楽屋を出て外に向かう二人のこのシーン、女と男に交互にライトがあたるシーン、実に演出、撮影が見事だなあと。

劇場を出てからの車の中の二人、

まるで離婚寸前の男と女かと見紛う程の雰囲気に緊張するシーンで、この夫婦の間にある苛立ちとストレスがどっと伝わってきます。



冷静になろうと努力する二人ですが、それぞれが抱いているストレスはそれぞれ別のものながら、根っこには二人のあり方への懐疑と不安と不満が苛立ちと怒りなって現れた場面。愛している相手だからこそ分かってほしいとお互いに望んでいる。愛しているからこそ話したいこと、あるいは話したくないこと話せないこともあるが、愛の形が変わればそれらもやがて変わっていく。

二人のそれぞれの表情を捉えたこの冒頭の車でのシーン、とても印象的な映像でしたね。

夫を送り出した後の女の後姿。恋に落ちてときめくままに将来は薔薇色のはずだったのが、現実は毎日、食事を用意し家の掃除をし、洗濯をし子供の世話・・・・どうして溜息が出るのか。どうして押しつぶされそうな気分になるのか。

一方、夫は毎朝駅まで車を運転し列車の乗って会社に出勤する通勤族。
会社の同僚たちも同じ。特に生きがいというわけでもない仕事を「男だから」「一家の主だから」ということで家族の生計のためにやっている。楽しみと言えば、ランチや会社のあとの仲間との一杯・・・・あるいは、出世。

通勤に1-2時間はかかっているだろう家路ながら、帰宅すれば、いまの暮らし、つまりは結婚後の「お約束の暮らし」「かくあるべきだとされる在り方」に窒息寸前で苛立っている妻が待っている。「あなただって、やりたいことがあったはず」と責め立てられる夫ディカプリオとしてはたまらない。けれど、二人は愛し合っている。話し合った末に、「結婚とはかくあるべきもの」「夫婦はかくあるべし」と迫るもの(同じような暮らしをしている隣近所の人々、そうした考え方を普通だとして受け入れている地域や時代)から脱出し、家も車を売りパリに移住する決意をする二人。そこでは、ディカプリオは家族のために働くのではなく、勉強したり自分の人生の生きがいや遣り甲斐を見つけ、妻であるケイト・ウィンスレットが高給の秘書となって家族を養うという。



隣近所にその挨拶にいく二人。話を聞かされた人たちは皆一様に驚いて笑って祝福しながらも顔をこわばらせる・・・・
計画を実行に移し始めてからの二人はラヴラヴ・・・・特に妻は生き生きとし始める。そうこうしているうちに、夫は堕胎の道具を見つけて妻に険しい顔を見せる・・・「いままでいったい何人俺の子供をトイレに流したんだ」と。「普通の母親なら、母親になった女性ならこんなことは絶対しない」と詰め寄ります。

郊外に瀟洒なマイホームを持ち、二人の可愛い盛りの子供たちにも恵まれ、男には給料のいい仕事があり専業主婦の女は美しく魅力的。傍目には何の不満もない理想の夫婦と見えている男と女ながら、二人の本音が炸裂するシーンです。「子供たちは愛している。けれど、」ここで子供を産んでしまったら、もう自分の人生を取り戻せない!「子供を持つならパリで産みたい!」と懇願する妻。



夫は会社にまだ辞表を出してはいなかった。迷いがあったから。そして妻の妊娠を契機に二人のパリ移住計画はキャンセルに。
叫ぶ妻・・・耳を塞ぐ夫。

とまあ、全編、この夫婦とその近所の夫婦の在り方を通し、個としての夢や野心や自由が結婚後の現実の中で失われていくことへの思いが、男(夫、父親、外で働く人)の、女(妻、母親、専業主婦)の、それぞれの思いを相手に届かない台詞や叫び、微妙に揺れ動く表情や激しく溢れ出る感情の表出によって、これでもかというほど畳み込んで描かれていきます。キャッチコピーそのままに「運命の二人」と言ってしまえばそれまでながら、それでは、「運命」というのは、自分か相手を破滅させないではいられないという意味になる。

ストーリーは、こちらをご覧戴くとして、
⇒http://www.r-road.jp/story.html

この映画は、サム・メンデス監督にとって”個人的に”思い入れのある作品なのでしょう。私にとっては、それ以外にコメントのしようがない内容でした。テーマ自体が1960年代-70年代かと思ってしまったほどで、いまこうした内容が身に染みる方がいらっしゃるとすれば、おそらくは団塊の世代の女性たちではないかなぁと個人的には思いました。本は、早川書房から出ています。ご参考までに。

以下、印象に残った出演者。いずれもいい味を出していたと思います。



夫を演じたディカプリオが勤める会社のボス。仕事が彼の目に留まり、いっきに引き上げられることになる。このボス役の彼が実にアメリカ的な会社重役を演じていました。ジェイ・0・サンダースJay O. Sanders)、肉がついて貫禄もついてきましたね。

二人に満足いく新居を案内して以来、行き来するようになった婦人を演じていたのは名女優キャシー・ベイツKathy Bates

彼女が演じているのは、ごく普通のアメリカの善良な家庭婦人ながら、彼女こそ当時のアメリカの「かくあるべし」というモラルや価値観を象徴する大いなる母像として、いわゆる個を圧迫する存在の象徴として登場。そこに象徴される偽善の鎧は鉄壁。

そんな「りっぱな」母親に過保護に育てられ、自立し損ねて精神を煩ってしまった「自慢の息子だった」はずの息子の成れの果てを演じているのがこちら。



マイケル・シャノンMichael Shannon )。脳に電気治療まで施され精神病院に入院していたキャシー・ベイツ演じる婦人の息子の役。彼の言葉は「狂人」のものとされるが、実は、主演の二人が隠している本音に突き刺さる言葉を吐くという役どころ。原題の感覚でいえば、まともなのは、この息子だけということになるかもしれない。どこかで観ている俳優なのだが、思い出せなかった。

そしてキャシー・ベイツ演じる婦人の夫であり、精神を煩ってしまった息子の父親役を演じたこちら・・・ラストの大写しで映し出されるこの夫に象徴される表情こそ、この映画の隠されたテーマかもしれない。リチャード・イーストン(Richard Easton)という俳優さんですが、凄い表情を見せてくれていました。

そして、忘れてならないのは、ディカプリオたち夫婦の隣に住み家族ぐるみの付き合いをしているこちらの男女。

ちゃんと主婦業をこなしアメリカの中流家庭の模範的婦人となっている妻を演じているのは、キャスリン・ハーンKathryn Hahn)という女優さんですが、二人のパリ移住計画を聞いた後、一人になったときに泣き崩れるシーン・・・・夫に何故泣くのかと聞かれて泣くしかない姿は象徴的。彼女もまた、多くのものを諦め抑圧された中で平穏に暮らす一市民であることを物語っています。

仲のよい夫婦、いつも妻をいたわりこれまたアメリカの中流家庭の夫を見事に演じていたのがこちら。

デイヴィッド・ハーバー(David Harbour)、映画『007慰めの報酬』でもちらっと出ていましたが、隣の普通の夫婦、良き夫婦の夫を演じていますが、彼が演じるこの夫も心の中に秘めた思いがありました。切なくなるほど悲しく罪深い思い。この映画をご覧になる既婚の男性には、思い当たるものがあれば辛いかもしれませんね。

この映画は原作に忠実に制作されたとのこと。原作は読んではいませんが、おそらくいろいろな読み方が可能でしょう。男性と女性では感じ方や読み方がかなり異なる一つかもしれませんが、私はこの映画は女性よりも男性のための映画、男の方により染み入るのではないかと感じますね。 ただ、後味の悪い映画なので、娯楽嗜好の方にはおススメしません。

 


★2月上旬の映画鑑賞

2009年02月13日 | ■2009年 2月の映画鑑賞

映画を見ると映画ブログが書けず、
映画ブログを書いていると映画が見られない。
困りました。が、観た映画は出来るだけ順次追加していきます。

★「レボルーショナリーロード/燃え尽きるまで 」(「Revolutionary road」)

サブタイトルの「燃え尽きるまで」は不要。そのセンス、全然分からない。1950年代のアメリカという設定とはいえ、いまの時代にどうしてこういうテーマの作品を映画化したのかも頭をひねってしまう。
個としてそれぞれが抱く夢や野心と二つの個が出会うそこに生まれた恋、やがて二人の間で育まれる愛の在り方が、こうあるべきだという箍(たが)を受け入れていくとき、受け入れられない個が先に進めなくなってしまう・・・。皮相な見方をすれば、女性の自己実現と自立や男女の新しい愛のあり方を探す勇気が問われる作品だということになるが、そうしたテーマならテーマ自体に古さを感じてしまうだろう。味のある役者たちが出ているので、ブログで取り上げたいと思います。

●「薔薇の名前」(「Rose of the Name」)



言わずもがなのウンベルト・エーコの作品の映画化。何度見ても面白いと思うのは、キャスティングの妙にあるのかもしれない。この映画で復活したショーン・コネリーと当時の新人だったクリスチャン・スレーターとの組み合わせもその一つ。ショーン・コネリーファンには忘れられない一作ながら、ウンベルト・エーコファンならずとも、中世のキリスト教界のまがまがしさも含めてキリスト教の歴史に興味がある人たちには面白く見られるだろうと思います。


●「ラスト アクション ヒーロー」

オースティン・オブライエン、いかにもアメリカの少年といった感じでシュワちゃんとの掛け合いが面白かった。本作で使われる映画館の古さが、シュワちゃんが引退したいまとなっては古さの二乗という感もあるけれど、今見ても面白いのは、やはり映画の世界に入っていけるという魔法のチケットの存在、ですね。



★「SAYURI」(「Memoirs of a Geisha 」)

チャン・ツィイーとミシェル・ヨーが演じるのは日本の戦前の正当派芸者さんながら、彼女たちの着物の着方が気になって仕方がなかった。ロブ・マーシャル(Rob Marshall)監督にとって、日本の芸者さんはゲイシャとして彼の美意識を刺激してやまない世界を内に秘めているということなのでしょうか。日本を代表する渡辺謙、役所広司という二大男優に求愛されるチャン・ツィイーが羨ましくてならなかったです。(爆)

★「ベンジャミン・バトン/数奇な人生」(「THE CURIOUS CASE OF BENJAMIN BUTTON」)



同じ相手との共演2作目ということでも、ディカプリオ&ケイト・ウィンスレット共演の「レボルーショナリーロード」よりもずっと良かった気がする。ケイト・ウィンスレットは演技賞を上げたいくらいの演技で、人物の心理描写も唸らせるほどに繊細で的確なのは、監督(サム・メンデス監督)の冴えとして評価されるだろうと思うが、後味の悪い映画であることには変わりはない。
それに反してこちらの二人の共演作たる本作は、今月2回も観てしまった。ブログで別立てでご紹介しています。


●「呪吟車」

冒頭の異常な殺人シーンは、スプラッター系で、全体として安手の自主制作映画みたいだといえばいいのか、アダルトヴィデオみたいなホラー映画といえばいいのか、呆れ果てました。どこか面白いところはないかと思い、最後まで観ちゃいましたが・・・・こういう映画を作って何が面白いんでしょうね。


★「オーストラリア」



二コール・キッドマンは文芸調の歴史大河ドラマに憧れがあるのかなあと思うほど、この手の映画に出たがりますが、どれも皆同じ印象なのは残念。どうしてなんでしょうね。「あれは、大根役者よ」というローレン・バコールの辛らつな言葉を思い出してしまいます。
今回はヒュー・ジャックマンとデヴィッド・ウェンハムという魅力的な俳優たちがお相手。この二人、イギリスの俳優かと思っていましたが・・・オーストラリア出身だったんですね。


★「セレニティ」(「Serenity」)http://www.imdb.com/title/tt0379786/

これは、なかなか面白かった!数百年後の宇宙が舞台というSFアクションですが、人間が住み暮らす未来の宇宙全体を統治する連盟組織の中で天才としてチェックされている少女が、反抗的な台詞を口にしたことから連盟のCIAみたいなところの所管研究所で何かの実験にされる冒頭まで、一気です。そこから脱出した兄妹が助けを求めて出会うのが連盟の枠の外で生きるアウトローたち。か細い少女がいきなり殺人マシーンに変わるところ、その格闘シーンは実に面白く、意外と長時間にもかかわらず飽きずに見ることができたので、SFアクション映画としてもおススメです。

★「エンバー 失われた光の物語」(「Ember of the City」)

これもSFながら、こちらはSF冒険ファンタジー。
主演の少女、どこかで見ているぞと。キーラ・ナイトレイ主演の映画「つぐない」(「Atonement 」)に出ていて印象的だった女の子。主人公の子供時代を演じていた子役のシアーシャ・ロナーン(Saoirse Ronan )という子ですが、こうした冒険モノもちゃんとこなしているというか、将来が楽しみな子役。



地上での暮らしが絶望的になった未来において、その後の地球の運命を託す人間を何と地底都市に200年間住まわせて人類の未来を託そうとするシーンが冒頭に出てきますが、時は流れて200年後の地底都市。そこでの都市生活がまるで中世のヨーロッパのどこぞの都市を思わせ、太陽光の代わりが沢山の電球・・・・そのオレンジ色の明りゆえか、まるでブリューゲルの描く街。
そこで成長した少女と少年が破滅が近いその世界からの脱出口と人類を救う手立てを読み解いていくというサスペンスフルな冒険モノです。少年の寡黙な発明家である父親にティム・ロビンス、限られた食料を独占している市長=悪者役にビル・マーレーを配し、なかなか良くできているSFファンタジー。
ファンタジー&冒険モノがお好きな方にはおススメします。


 

★「ソフィア ダイヤモンド」(「21eyes」)

23カラットもある著名な"ソフィア・ダイアモンド"の強盗事件を巡るサスペンスながら、何というか・・・通常の映画とはちょっと違う。その意表を衝いたところが本作の本作たるゆえんで見せ所ということになるのだろう。強盗数人組がいきなりやってきてダイヤを奪おうとするが、どうも素人くさい。なのに居合わせた事務員や警備員たちを迷わず撃ち殺す。犯人たちは、持ち主に「金庫を開けろ、さもないと女の指を切る」と言いカウントダウン。そして10を数えないうちに女性事務員の小指を切り落としてしまう。悲鳴と流血!犯人たちが本気だと知るや「待て、待ってくれ!いま開ける」と金庫を開けるや犯人の一人が袋に入ったダイヤを取り出す。が、このダイヤの強盗事件、犯人も銃を乱射した女性事務員によって全員死亡。
事件を担当するベテラン刑事たちは、さっそく事務所に備え付けられていた監視カメラと隠しカメラに収められた画像を見始める。設置されていたカメラの数も凄まじいが、同じ瞬間があらゆる角度から撮られているテープの録画画像の数も凄まじい。
それを刑事たちはジョークや軽口を交わしながら分析していく。
が、主演の刑事たちの姿は現れず、声のみ!
もしかしたらこのまま現れなかったりして・・・まさかと思ったら、そう、最後まで彼らの姿が映画には現われず会話の音声のみ。
ビデオに録画された画像を繰り返し巻き戻して分析し事件の謎解きをするという映画でした。

 

●「フロム  ヘル」(「From Hell」)

久しぶりに観ました。個人的にヴィクトリア朝のロンドンって、好きなので、その当時のロンドンを再現したような映像って、それだけでも、わくわくしちゃいますが、切り裂きジャック、そう、ジャック ザ リッパー事件にイギリス王室を関与させる発想には、やはりびっくりさせられますよね。日本で連続殺人事件に皇室を絡ませたら、いくら映画でも大変なことになりそう・・・・上映禁止どころか、制作段階、企画段階で禁止!?それだけ、彼此の文化には落差があるということでしょう。



すでにジョニー・デップファンの多くの方がご覧になられている映画だろうとは思いますが、未見の方は、アレン&<WBR>アルバート・ヒューズ兄弟監督の異才を堪能してください。