なかなかご覧になれない映画だろうと思いますので、映画の内容をできるだけたくさんの画像を交えてご紹介しております。
さて、国境に着いた花嫁一行。まずはイスラエル側でシリアに行くための事務手続きを取ります。
問題なくスタンプを押してもらって、まずは一安心。普通ならスタンプを押されたパスポート(?)を持参して花嫁本人がシリア側で手続きを取ればいい場面ですが、モナのパスポート(?)は国連管轄の事務官の女性が受け取ります。
イスラエルとシリアが領有を争っているゴラン高原なので、両国の和平のために駐留している国連が、いわばゴラン高原での出入りを管理しているわけです。
シリア側からの了解のスタンプをもらえば、花嫁はシリアに行けるのですが、シリア側の国境管理事務所では、思いがけないことが起こっていました。
イスラエル側で押されたスタンプが、昨日までのスタンプと違うと言い出したのです。驚いてもう一度確かめに戻る国連の管理事務所の女性は、イスラエル側にそのことを話しに戻ると、
その日赴任したばかりの官吏が言うには、今日からそのスタンプになったのだとの返事。何の問題もないという。
かくして、何の問題もないというイスラエル側でしたが、シリア側が問題としたのは、「このような変更は聞いていない」しかも、「ゴラン高原はシリア領土なのに、なぜイスラエルが”出国というスタンプを押すのか”という抗議で、事態は硬直していきます。
かくして時間はどんどん流れ、待っている家族には倒れる人間もでてきてしまう。
国境の向こうには、やっと花婿たち一行が到着。花婿と親戚一同を乗せたバスが途中で故障し、時間には遅れたものの花婿自ら修理して駆けつけた次第。
遠目ではあっても初めて結婚する相手と出会ったモナ・・・・
けれど、花嫁は境界線を越えられない。
それは、この期に及んで花嫁にとって、
自分の人生が決まらないことを意味します。
緊迫した状況の中で、
イスラエルの官吏とシリア側の官吏の間を何度も往復して疲れ果てる国連の女性。実は、彼女もそこでの任務は今日で終わり。ましてや、花嫁の弟はかつての恋人でいい加減な奴だと思いきろうとしていた相手・・・・「手続きは後日改めてやればいい」という官吏の言葉に帰ろうとします。
それを、険しい表情で留める弟マルマン。
彼の真剣さに驚きつつも、もう一度掛け合うことになった女性。
イスラエルの役人は「もう勤務時間は終わりだから」ということで去ろうとしますが、家族は一歩も譲らないという気迫・・・・
家族の思いに打たれた役人は、「わたしにも子供がいるから、気持ちはわかる」と一度自分が押したスタンプの一部を修正液で消して協力することに。
喜びいさんでシリア側の事務所に向かうと、そこにいたのは先ほどまでの役人とは違う男。さっきまでいた官吏は、勤務時間が過ぎたので交代して帰ったとのこと。
せっかくイスラエル側が譲歩して問題の文言をスタンプからけしてくれたというのに、シリア側の新しい国境警備の役人は、「そんなことは聞いていない。こんな修正液で消したスタンプは無効だ」の一点張り。両国の緩衝地帯を管理する国連の事務官である女性は 、
何とかしてほしいとイスラエル側に再び戻ってくるのですが・・・
花嫁の国境越えにあまりに時間がかかっているので、
不安を感じ始める花婿の一行。
許可が下りないことを知り、シリアでは有名人である花婿は、国境の警備役人の上司である人間を飛び越えて大臣に直接電話をするよう促され、いきおい勇んで電話するのですが、
電話は空しく鳴るばかり・・・・
”上からの指示がなければ許可は出せない”の一点張りのシリア側に業を煮やして戻る国連の女性事務官を境界線の向こうで見守る花婿一行。
許可が下りないの。でも何とかしてみる・・・・
暗い顔の事務官と姉のアマル。
そんな様子を見つめながら、
モナは何かを思いつめた表情になります。
いまや何とかシリア側に行かせてやろうと思うイスラエル側の官吏もまた、上司に電話をして事態を打開する方法を訴えようとしますが、その頼みの電話も空しく鳴るばかりでした。
そうこうしている間に、
モナは一人境界線を越えて出て行きます。
予想外のモナの行動に、その後姿をただただ見守る兄弟たちと両親・・・・
モナの姿に一人胸に込み上げてくるもので、
いまにも叫びそうになる姉のアマル。その後ろには、いまや愛も信頼も持ちえていない別居中の夫・・・・・夫は妻であるアマルに、「男である俺の立場を分かってほしい。」と彼女に譲歩と従順を求めていたのです。
自分の人生を自ら歩みだした妹の姿を見て、
アマルはその場から走って離れるのでした。
花嫁モナは、もう一つの境界線を超えられるのかどうか。
それは、この映画のテーマではないのです。
国と国との諍い、シリア人でありながら不当に外国に占領された地で住み暮らす者たちの思いは決して一言では語れない。また、杓子定規な役人の対応はどこの国にもあることで、われわれ一般人というのは、そうした国家の意向を体現すべく行政官としての職務を遂行しているだけの役人に対して何の力も持ち得ないことが往々にしてあります。そんな八方塞の状況に立たされたときの、人間としてどう行動するのか・・・・
その行動を支えるものは何か。
映画は、希望という意味の名前を持った姉のアマルの自立の歩みで終わります。
「シリアの花嫁」(1)の冒頭でご紹介したように、ゴラン高原を越えてシリア側に嫁いだ花嫁の事をお伝えしましたが、その境界を越えたなら後戻りはできないということは、わたくしたちの人生においてもあることではないでしょうか。
そういう意味で、本作「シリアの花嫁」という映画は、イスラエルの不法領有を批判したり、シリア側の武力で持ってしてもどうにもならない国家の限界に思いを馳せさせるものでもなく、ましてや反戦映画ではなく人生への姿勢を静かに示す映画であると感じました。
私はこの作品をみて彼の地に住む人々の雑草的な強さを感じました。国と国がどうあろうとも、そこに住む人々は精一杯したたかに生きている、そんな彼らの様子をユーモラスに描くことで、彼らの置かれた状況の厳しさがより際立って見えました。
全国2館上映はなんとも惜しい、もったいない作品だと思います。
この映画、おっしゃる通り、平和ボケしている日本の多くの方たちにご覧いただきたい映画でした。平和は尊いゆえ、平和であることにわたくしは感謝の念さえ抱いている一人です。しかしながら、平和ボケの一番の罪は、感性がぬるま湯に漬かり続けているうちに腐ってしまい、平和の尊さにさえ気づかないようになってしまうことだと感じて参りました。
同じ花嫁でもジューンブライドへの憧れに大金を消費し、その延長で1年も経たないうちに離婚してしまうような花嫁の多い日本・・・これから花嫁になろうとする方たちにもぜひ見ていただきたい映画です。