月光院璋子の映画日記

気ままな映画備忘録日記です。

「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」 ・・・(1)

2009年02月02日 | ◆ハ行&バ・パ・ヴ行

心に残る映画でした。「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」(原題「The Curious Case of Benjamin Button」)」)
デヴィッド・フィンチャー監督(David Fincher)作品。

主演のブラッド・ピッドがこの監督と組むのは、『セブン』『ファイトクラブ』に続いて三作目になるようです。相性がいいのでしょうか。
サスペンス映画で秀悦だったマイケル・ダグラス主演の『ザ・ゲーム』(「The Game」)が、ショーン・ペンと共に個人的には印象的でしたが、同監督のサスペンス映画『パニック・ルーム』(「Panic Room」)と『ゾディアック』の期待はずれの二つを思うと、ブラッド・ピッドとの3作、特に、『ファイトクラブ』(「Fight Club」)はとても印象に残っている作品です。デヴィッド・フィンチャー監督は、ブラッド・ピッドの魅力の掘り出しが出来る監督だなぁと。

では、本作を辿ってみましょう。
このシーン、どう見てもブラッド・ピットには見えなかったですね。

本作『ベンジャミン・バトン』は、時間の不可逆性の中で生きる人間の生と死の物語。生まれてから死に至るまでの個々人の人生の物語です。
不可逆性というのは、時計の針を戻すことはできても、人生の時間の針は戻せないということ。



映画の冒頭で愛する息子を戦死で失った時計職人の男が引きこもり、とんでもない時計を製作するのですが、まさにその時計は可逆への挑戦でもあるかのような、時間を刻む時計の針が逆に進む時計でした。

その時計が多くの人間が行き交う駅の壁に掛けられるというシーンが映し出され、男はその落成式に姿を現した大統領に向かって、「もし、息子が戦争になど行かなかったなら・・・」、あの子は死なずに生きて良い人生を送ることができたかもしれない!「あのとき、もしも・・・・だったなら」という、抑えても抑えきれない悔やむ思いを吐露する痛ましさ・・・・

そのように過去に時間を戻すことができない人生、不可逆性の一回きりの人生を生きるということはどういうことなのかという導入で、本編は始まります。

愛する妻が難産の末に生まれた子を託して死んでいった衝撃から、夫は、老人のような顔をして生まれた我が子を、ある施設の前に捨てに行きます。捨てられた先は老人施設でした。

施設には、お年寄りたちの使用人として彼らの世話をしている住み込みの黒人女性クウィーニーたちがいて、赤ん坊は彼女に拾われベンジャミンと名付けられその施設で育つことになります。「醜くても、この子も神の子よ」という信仰心の厚いクウィーニー。ベンジャミンを我が子として育てていくクウィーニーを愛しいっしょに家庭を作っていこうとする男性は、まるで聖書の中に出てくるヨセフのようでしたね。
奇形として生まれた赤子を「奇跡」として受け止める彼女は、何が起こっても前向き。そんな女性を母として、ベンジャミンは施設の老人たちとの暮らしが全てという世界の中で人生をスタートさせていくわけですが・・・・
ホームの中は結構にぎやかです。
現役時代にはさまざまな分野で活躍していただろうお年寄りたちばかり・・・・オペラを歌う元オペラ歌手のおばあちゃんがいたり、



中身は7歳の子供でも外見は80代の老人であるベンジャミンは、他の子供のように遊んだり甘えたり、子供が叱られるように叱られるといった「子供時代」とは無縁・・・
関節は曲がって脆く皮膚は固くなって皺が刻まれ耳も遠く目は白内障・・・先は長くないと思われている彼に、「何が起こるかなんて、先の事は誰にも分からない」とクウィーニーは生きる勇気を与えます。
そんなベンジャミンにピアノのレッスンをしてくれる老人も現れたときは、思わずほっと胸をなでおろすような気持ちになりました。
彼女の「あなたには音楽が必要ね・・・」という言葉に導かれていくベンジャミン、

けれど、そこは養護老人施設。新しく誰かが入居してくるということは、誰かが亡くなるという事。
まだ幼いベンジャミンが人生の初めに出会ったのは、
「老」と「病」と「孤独」と「死」・・・・・
そんな世界で、ベンジャミンは初めて出会うのです。これから育っていく「生」というものに。



外見は老人でも、目は心の窓です。
子供には分かる・・・
「なぜ、そんなにおじいさんみたいなの?」

ベンジャミンの目が捉えたのは、施設に入所する老女の孫のデイジーでした。このとき彼女とベンジャミンの心に生まれたもの・・・・
それが二人の人生のベースに生き続けることになります。

この二人の物語は、
病院のベッドで臨終間際の老いた女性が、
娘に手渡した「日記」の鍵が開けられるところから
回想されていきます。

死期が迫っている。
苦しい息の中から、彼女は娘に古い日記を取り出し、
その鍵を開け日記を読んでくれるよう話します・・・



日記を読み始めるキャロライン。ジュリア・オーモンドは主演ではないけれど難しい役どころをきっちり引き受けていましたね。
映画は、死期が迫っている老母とその娘の会話、日記のところどころで、老母が思い出したかのように話をする・・・こうした現実と読み始められた日記を通して語られる回想録が自然に繋がっていくという形を取っていきます。

ナレーションによって姿を現していくベンジャミンの人生が、淡々と、静かに、丁寧に丁寧に、綴られていきます。人間の成長のようにゆっくりゆっくり進みながら、あるときからエンジンがかかる人生のように、物語は展開していくのですが、本作はまったく冗長さとは無縁です。

孫の傍に近寄ったベンジャミンを「色爺」と怒り警戒し、
口うるさかったデイジーの祖母の死。



老人養護施設だったホームの中だけが世界の全てだった人生からの離陸・・・・ベンジャミンの旅立ちが始まります。



車椅子生活だった当時から比べたら、曲がっていたはずの腰はまっすぐになり自分の足で歩け、毛髪のなかった頭には白髪が生え、いつの間にか10年くらい若返ったようです。
外見は変わらず老人でも、
中身は青年になったベンジャミン・・・

これから彼はどうなるのだろう。
どこまで若返るのだろう。
早くそんな彼=ブラッド・ピッドが見たい!
と思われるかもしれませんが、
そういう意味では、本作はじらしの名人芸をなっているかもしれません。

二人が再会するまで、ベンジャミンの青春が語られ、希望に満ちたデイジーがダンサーとして上り詰めていく様子を私たちは見せられることになり、こうして再会した後も、二人はそれぞれの人生を生きるのに忙しい・・・・つまり、自分の人生に夢中で人生を立ち止まって考えるゆとりが特にデイジーにはありません。子供の中で育って成長していくプロセスと老人の中で成長してきたベンジャミンとの対照は実に興味深かったですね。



こうして本編は、ベンジャミン・バトンとデイジーの人生を主軸にした人間交差を通し、人が「生きていく」ということの意味を、「成長する」ということの意味を静かに感じさせてくれるかのようです。
一方は、仕事も恋も思い通りに進展してきた人生で挫折を体験し、自己との向き合いを経て「大人に」なり「老い」に向かう人生を通し、もう一方は、「若返る」ことで働いてお金を得ることの意味を知り人生の楽しみを覚え、恋をし遊びもし、やがて戦争に行くことで、それぞれがそれぞれの人生を生きていく中で、わたしたちと同じように「生きていく」ということはどういうことなのかを感じていく。

ベンジャミンが出会い、出会ったことで相手の人生と分かち合ったもの、そこから学んだものに、わたしたちもまた本作を通して出会ったということであり、その出会いからベンジャミン同様に何かを感じさせられ何かを学ばせてもらっていく・・・
観客はそういう存在になっていくと言えるかもしれませんね。

異国で出会い恋に落ちた人妻のエリザベス。



ベンジャミンに初めてキスをしてくれた女性となる。ドーバー海峡を泳いで渡ることに挫折してから泳ぐことをやめて結婚したという女性ですが、ベンジャミンの出身地が「ルイジアナのニューオーリンズ」と聞いて、(ニューオーリンズが)二つあるなんて知らなかったわという会話、印象的でした。このティルダ・スウィントンに関しては拙ブログの(2)で取り上げる予定です。

そして、

ベンジャミンにタグボートの仕事をくれて、やがては世界中を仕事で一緒に回り、戦争にもいっしょに行くことになったタグボートのマイク船長。死の間際、「おまえは、人生を、親を、運命を、呪いたくなるときもあるだろう。その背負ったものに叫び出したくなるときもあるだろう。だが、最期のときがきたら、そういうことは皆、忘れてやれ」と語って死んで行く。ベンジャミンにとって、雇い主というだけではなく、上司、父親、兄、先輩、仲間、戦友といった役 を兼ねていたように感じます。

こうして展開される物語は、
まさに、教養小説と同じ自己形成物語と同じ。

「人は生きて、死んでいく」「歩む道は違っても、誰もが同じところに行き着くのだ」と人間のイモータルな存在性が本作の通奏低音になっており、その苦しさ、切なさ、悲しさ、儚さ、痛さを通して生きるということどういうことなのか、「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」という作品は静かに考えさせてくれるかのようでした。

色を抑え、回想という時間軸ではセピア色という常套的手法を用いながらも実に品の良い美しい映像が、それを強要することなく観ている私たちに感じさせ悟らせる・・・・

この二人の主演の変容ぶり、
長い人生を通じて老いと若さを演じきった姿、
その演技力は賞賛に値するものでした。



思えば、数奇な人生・・・・とは、主人公の人生の枠を超えて、
実は誰もが、他でもないその人独自の個的な人生を生きるとき、
つまりはベンジャミン的に人生の悲喜ともどもを
受容して味わって生きるとき、
誰もの人生がある意味、
数奇な人生と言えるのかもしれません。

冒頭の場面、娘に看取られ臨終間際の老母(これが誰か、映画でご覧になってください)が死を迎えた心境を、しわがれた低い声で、「わくわくするわ」と語った台詞・・・
実に印象的でしたね。

私は原作の作家、F・スコット・フィッツジェラルドの良い読者ではないので、原作となった本は読んでおりません。なので、以上は、あくまで映画として見た本作についての感想でした。

ということで、
次のブログ(2)において、
本作に出演している上掲の出演者を始めとした
印象深い俳優&女優たちのご紹介をしたいと思います。

以下は、サービス画像です。



 


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