こんばんは。最近、生活のリズムが狂いがちなので、なんとか元に戻そうとしているのですが、1度崩れると中々難しいものですね。
題の「綺麗すぎる」というのは、私の好きなゲームについてのこと。近年、ゲームに限らず、ドラマ、映画、アニメ、マンガなどにもいえる事かもしれませんが、全てとは言わないまでも、多くの作品で、とにかく出てくる登場人物が綺麗すぎる(ここでいう「綺麗」というのは、かっこいい、渋い、かわいいなども含まれます)気がします。確かに、人の願望として「綺麗でありたい」というのがあるのは、私もよくわかるし、商品としてみた場合でも、売れるためにニーズに応えているということなんでしょうが・・・、ここまで多いと、何だか、それ以外は「ダメ」という烙印でも押されて、否定されてしまいそうな気さえしてきます。
なぜ、こんなことを考えるようになったかというきっかけは、私の場合、やはりゲームでした。それは、ゲームを知らない人でも名前ぐらいは知っているかもしれないという「ファイナルファンタジー(略称、FF「エフエフ」)」というシリーズが多く出ているソフトです。私は、このシリーズは第1作目から、ストーリー重視のドラマや、壮大な世界観が好きで、リアルタイムでプレイしてきた人間です。しかし、段々、プレイ中に感情移入、世界に浸ることができなくなってきた。それはなぜか考えた時に、まず主人公になる人物が綺麗になりすぎているが一番かなと思ったのです。私の場合、この手のストーリーがあるゲームは、小説など、「読書」をしているのと同じような感覚でプレイします。しかし、ゲーム機の進化と共に、映像や画像がリアル、かつ、繊細に表現できるようになって、「想像」が入り込む余地が少なくなったというのはあると思うのですが、主人公も含めて、その周りにいる準主人公クラスの人物も、それぞれ「綺麗過ぎる」ため、どこか世界に入りきれず、完全に「傍観者」になってしまい、冷めてしまうのかな、と思います。そのひとつの例として、私の場合、昔は主人公の名前は、自分の名前を入れていたのですが、FFの場合、「6」か「7」辺りから、それもしなくなりました。理由はただひとつ、こんな「綺麗な姿」に自分の名前を入れるなんて気がひける、からです(もちろん、ゲームの始めに、名前入力はあるものの、あらかじめ名前が決まっているというのもありますが)。
もちろん、それ以外のストーリー部分や演出など、すばらしい点も数多いですし、飽きさせないよう工夫された、絶妙なシステム、ゲームバランスで、楽しめるのは事実なので最後までプレイしますが、それでもどこか、昔感じていたような感覚がないのは、寂しい限りです。長く続くシリーズの中で、全部が全部、そう感じるわけではない(「9」は、また違った色づけですし、「11」はオンラインゲームで、私自身は初期投資費用が高すぎて、未プレイですので、わかりません)ですが、FFもどちらかといえば、「綺麗過ぎる」方向なのかな、と、最新作の情報で出ている主人公クラスのビジュアルや、近年出たシリーズをプレイしてみての感想です。
今日現在の私
体重:66.6Kg
体脂肪率:15.6
BMI:22.3
血圧:高118 低68
脳年齢:35歳
あとがき
これはこれで、ひとつの流れなのかな~とも思いますが、なんとなく、そればかりだと、飽きられて衰退していくんじゃないかと思うんですよね。
ダイエット回想部分:2005.06.27~2005.08.29辺り
メールアドレス:yoshi_k1245@yahoo.co.jp