世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

黙してこれを識し

2007-09-06 11:40:12 | てんこの論語

子曰く、黙してこれを識し、学びて厭わず、人を誨えて倦まず。何かわれにあらんや。(述而)
(しいわく、もくしてこれをしるし、まなびていとわず、ひとをおしえてうまず。なにかわれにあらんや。)

訳)○先生はおっしゃった。沈黙の中に思索し、学ぶことに励み、それを人にあくことなく教え続ける。わたしはこういうのがすきだな。これがわたしってものなんだろう。

自分というものが何なのかと考えるとき、やってきたことのすべてを振り返ってみて、なんとなく、こういうのがすきだな、幸せだなってことをやっている。それがわかると、ほう、これが私か。私って言う人間は、なんとまあ、苦しいな。いいやつじゃないか。そんなことを思ったりします。孔子も、たびたびそんなことを思ったのでしょう。

思索し、学び、教える。わたしはそれが好きな人間だ。それをすると、苦しくない。やっていること自体が、かなりに、悪くない。少々きついこともたびたびあるが、これがあるだけで、わたしはなんとかやっていける。そういうもの。

それがわかっていると、辛いことがいくらあっても、笑ってやっていける。そういうものがある。これがわかれば、人間は幸せだというもの。

自分とは、こういうものだね、というもの。

孔子はそれをつかんでいたんでしょう。わたしはこういうわたしだ。ずいぶんと変わっているが、なかなかにいい。けっこう幸せだが、少し痛いのは、そんなわたしがだれなのか、常にわからないからだ。

私はいいやつだ。けっこう幸せだ。だが少し痛い。それは何で痛いのか、わからないからだ。だからこそ常にやっていく。自分が自分であるだけで幸せだということが、いったいなぜなのか、たぶん誰にも、永遠にわからないから。

だけどとにかく、わたしは考えるよ。そして学んでいく。たくさん学んで、いっぱいみんなに教えていく。真実を教えれば、みんなよくなる。みんな幸せになる。それはとてもいい。わたしはそういうものだ。

きっと、これからもずっとこうしていくだろう。常に考え、常に学んでいく。そして教えていく。なぜならわたしは、愛してるから。

愛だからこそ、わたしはやっていく。


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