世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

天使

2012-06-24 06:37:18 | アートの小箱

少し前のことですが、天使をテーマにした活動をしている、あるコミュニティをふと覗いたとき、ブーグローの絵が看板にあげられているのを見て、わたしは一瞬、うわ、と思わず声をあげてしまいました。何ですか。最近は天使がいろいろと流行っているのでしょうか。いろんな活動があるみたいですがもし、天使をテーマに扱うなら、頼むからブーグローの絵を使うのはやめてくれとわたしは叫びます。わたしも天使を描いた絵は好きだけど。テーマがテーマなだけに、ほんとにまじめにやるなら、ほかのもっとましな画家の絵を選んでくれと言いたい。で、ちょっと軽い衝撃を受けてしまったので、今日は、天使の絵をいくつか選んで並べてみました。

冒頭の絵は、メロッツォ・ダ・フォルリ(15世紀、イタリア)の「奏楽の天使」。これは本当に美しい。かわいらしくて、純真で、職人の整った良い心が見えて、心地よい。これは本当に天使そのものといっていい名作だと思います。で、下のが、ウイリアム・ブーグロー(19世紀、フランス)の「聖母子と天使」。



こうして並べてみると、何となく、違いがわかりませんか。ブーグローの描く天使は、きれいすぎるほどきれいには描いてあるけど、天使じゃない。白すぎるほど白く描いてあるけれど、何かが違う。みんなにせものだって気がする。

で、次が、ヤン・ファン・エイク(15世紀、フランドル)の「受胎告知の天使」。



これもわたしは好きです。天使の顔が優しく、瞳が温かい。北ヨーロッパの絵画の、南方よりもどこか光の薄らいだ画面全体の陰りや、彫像のように時を止めた人々の静謐な雰囲気もいい。そのせいか天使もとても気高く美しく見える。これも、本物の天使だ。

最後はサンドロ・ボッティチェリ(15世紀、イタリア)の「受胎告知」(部分)です。



神の子を受胎したと聞いて驚き惑うマリアを、気遣う天使のやさしく真摯なまなざし。思わず差し伸べる手。問題は、やっぱり、「愛」ですね。良い画家の描く天使には「愛」が灯っているのが見える。画家はまことに美しいものを描きたくて、本当の自分自身の心と手で描いたんでしょう。本当の自分とは愛だから、きっと自分の描いた絵の中の天使にも、自分の愛の火が点るのだ。

けれども、ブーグローの描く天使は、天使じゃないのです。彼の絵の中の天使は、まるで安物の女優に最上級の衣服を着せて、本物そっくりに化けさせて並べたように見える。まるでほんものそっくりに、それは美しく描いているけれど、まるごとうそっぱちだってわかる。それはなぜかというと、彼は、本当の自分が、絵を描いているんじゃないからなんです。少々ファンタジックなたとえをすると、前にも言ったけど、下手な画家が、魔法使いに魔法の筆を貰って、上手に描けるようにしてもらったという感じの絵なんだ。だから一見、とても美しく上手に描いているように見えるけれど、本当は、ものすごく下手なんですよ。これ、分かる人いるかなあ。時にいますね。すごくうまいけど、すごく下手な人。輝かんばかりに、白く描けば描くほど、汚れて見える。こうして並べてみると、わかりませんか。他の天使と比べると、どことなく、ブーグローの天使って、汚くて、嘘っぽいでしょう。

わたしだけかなあ。こんなことを感じるのは。

まあとにかく、わたしは、メロッツォ・ダ・フォルリの方が、ブーグローよりよほどいいと思う。最近はどうも、何かにつけきついことを書いたりしてしまうのですが、本当に、天使のような心で、天使のようないいことをしようと思うのだったら、ブーグローの絵を看板に使うのはやめたほうがいいと思う。ブーグローの描く絵が美しく見えるのなら、それはちょっと、心の勉強が必要だ。と、わたしは思う。

まあその、よけいなおせっかいかな。好き好きだから、別にいいのかもしれないけど。


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