世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

スイセン

2016-02-07 05:48:14 | 月夜の考古学・本館

スイセン Narcissus tazetta var. chinensis

 ヒガンバナ科スイセン属。花言葉の「自己愛」はもちろん、水面に映った己が姿に恋をしたという、ナルキッソスの神話に基づくものです。
 神話は少年の傲慢さのツケを語りますが、しかし「自己愛」にはもっと多層で深い意味があるような気がします。「自己」をどのレベルの自己に設定するかで、意味が違ってくるように思うのです。
 さて、ある日私はこんな夢を見ました。人々が、樽の前でざんげをしているのです。自分は罪深く価値のないものだとその樽の前で告白をすると、人は、見えない斧によって自分の肉体を削ぎ取られ、半分になってしまうのです。わたしがじっとその様を見ていると、あるとき、二人の美しい女性が、一個のドングリを持って来て、その樽の上におくのです。小さなドングリは胸を反らし、ざんげをするどころか、大張り切りでこういうのです。
「私という存在は貴い。真実の自己はすばらしい!」
 とたんに、周りの人が大笑いを始めるのです。彼をつれてきた二人の女性でさえ、彼を指さして笑うんです。ドングリはいたたまれなくなり、樽の上を降りるのですが、地面に足がつくやいなや、彼の姿は白い服を着た天使に変わり、人々の間から去っていくのでした。
 目を覚ましたとき、私はなんとなく「天上天下唯我独尊」と言った釈迦誕生仏のことを思い出していました。
 己が利欲に関する排他的レベルに堕すとき、自己愛は愛という名をつけるのも苦しいものになりはてます。しかし、人生の試練の壁において、魂の飛躍をなしとげなければならないときには、他の誰でもなく、自分の力が必要です。その、本当の自分に対する強い信頼こそが、己を打ち破って人生を切り開いていく力なのです。
 自分を信じられない人間は、他の人間の価値に安易にすがろうとし、壁の前で自分を見失ってしまいがちです。孤独の苦い塩をなめて、本当の自己への信頼の元、真実の光を目指して壁にぶつかっていくものに、人生の真の意味が与えられるのです。
 本当の自分とは誰なのか。一度、深く自分と対話してみてはどうでしょうか。


(2005年4月、花詩集23号裏面エッセイ)



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