
子曰く、知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず。(子罕)
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前にもあげたことがあるので、訳文は省きます。今日は真ん中の「仁者は憂えず」についてです。
愛するものは、憂うことがない。悲しむこともない。それはなぜか。
それは、愛ならば、すべてが喜びになるからです。どんなにつらいことも、苦しいことも、愛ならば、耐えてゆけるからです。
愛することは、それそのものが、限りない喜びだからです。愛は美しく、すべてのものに光る意義を与え、何もかもを新しくする。すべてを喜びに満たす。愛ほどすばらしいものはない。だから、どんなことでも、やっていける。
ほかにはなにもない。ただ自分は、愛しているのだ。真実、それだけで、人は何もかもを喜びのうちに、やってゆくことができるのです。
普通、これを耐えることができるのか、ということを耐えていく人は、愛の人です。愛だから、耐えられるのです。なぜ耐えられるのか。愛のためならば、耐えることさえ喜びになるからです。
だから、仁者は決して憂うことがないのです。
何もかもが苦しいとき。八方塞で、つらいことばかりが世界を満たすとき。自分を愛で満たせば、耐えてゆくことができます。これはとてもきついですね。本当は、ここまで愛に満ちるには、相当に勉強をつまねばなりません。けれども、愛ならば、すべて耐えられるということを、わかっていれば、苦しいことを自分の力で乗り越えられるということが、増えるでしょう。
普段から、愛の練習をしておきましょう。何もいらない、ただ愛のためだけの愛の練習をしておきましょう。
友達が物憂げに沈んでいたら、心をこめてお茶を入れてあげましょう。やさしい言葉を添えて、友達の心が苦しくないように、そっと付け加えましょう。
これは愛の練習だから、何もいらないよ。
それだけで、きっと、なにもかもがよくなりますよ。